元彼ロミオメールとわたし
今日のネタが短めの二本になったんで、今日明日で一本ずつアップします。
原則隔日っす。
国王ジョンから、使者が送られてくるようになった。
私たちは、王都の市民に、使者と思しき人間には、攻撃を加えないよう、布告を出した。
書簡が汚れていると、困るのである。
市民の皆さんは、この通達に素直に従ってくれた。
そして、旧市街に篭もる、ジョン一党との交渉が始まったのである。
彼らの要求は、非常に危機感に乏しいものだった。
その内容をここに記そう。
自分たち王族は、王城を出て、東の協商国へ退去する。
その後も、我々の地位は、王族に準ずるものとして扱う。
財産は、国宝については残すが、家財は持ち出させてもらう。
馬車等の移動手段と道中の安全は、アリシアが保障するものとする。
王国退去時の随員も、自分たちが自由に指名するものとする。
代わりに王位は譲る。
故に、アリシアは、簒奪者の汚名を着ることはない。
あまりの内容に、この書簡を読んだジークは真顔になった。
「わかってはいたことではあるが、馬鹿さ加減に目眩がするな。奴ら、本当に頭脳がついているのか? 」
「ジークは理性の人ですからね。この手の狂人を相手するのは、大変でしょう」
私は、苦笑交じりに慰める。
関係ないけど、ジークって真顔になると、石膏像みたいな顔になる。
ちょっと可笑しい。
彼ら王族は、常春のお花畑に住んでいるのだ。
甘く暖かな、幸せの国の住民なのである。
だが現実は、もっと厳しいのだ。
だから私は、彼らが閉じこもった花園を、綺麗に焼き払ってやることにした。
汚物は消毒である。
私は、ジョンのこの要求を突き返した。
こちらからの返答は以下の通り。
王族は、全員処刑。
斬首ではなく服毒による自殺を許し、死後の名誉は保障する。
僭主ジョンは廃位、財産は全て没収。
また、国内で略奪等の蛮行を繰り返した現騎士団長およびその幹部は、全員斬首とする。
我ながら、至極まっとうな要求ばかりである。
「さあ、こちらをお持ちになって」
私は作り笑顔で、王国の使者に書簡を渡す。
予め、使者殿には、口頭で内容を伝えたのであるが、彼は顔を蒼白にして震えていた。
相手が口を開く前に、私は近衛に命じて、この使い走りを追っ払わせた。
「使者を送ってきたということは、向こうも、余裕が無いのでしょうね」
「まだ、包囲を始めてからそう時間もたっていないのだがな」
「籠城するために、王城へ、一万も兵を引き入れたのが、効いているのでしょう」
私は嗤う。
人間は不便な生き物だ。
食事を採り、水を飲み、排泄をし、眠るのにも場所をとる。
そして、環境が悪ければ、すぐに動けなくなってしまう。
数だけ集めて籠城した王国軍など、早晩、立ち行かなくなることは、明らかであった。
私達の勝利は、時間の問題ね。
私は、内心で独りごちた。
この時、私は、余裕綽々であった。
得意絶頂のアリシアだ。
油断しきっていたともいえる。
しかし、そんな私の増長は、間もなく吹き飛ばされることになる。
それは、その日の午後にやってきた。
一枚の手紙の姿をしたあれは、間違いなく悪魔か魔物の類いであった。
あの日のことを思い出すと、今でも、恐ろしさで身震いする。
それぐらい、私にとっては、恐ろしい経験であった。
私をここまで恐怖させたのは、元婚約者のエドワードである。
認めよう。
私は、奴の能力を見くびっていた。
彼奴は、恐ろしい男であったのだ。
私達が突き返した要求を見て、王族は発狂したり、恐怖したりしたらしい。
次の使者が、日も跨がずにやってきた。
しかし、ジョン達が要求する内容は、以前と、さして代わり映えしないものであった。
私は、使者に、そのままお引き取り願うことにした。
諦めを顔に貼り付けた使いの男は、代わりに、一通の手紙を差し出した。
「それと、これをお預かりしております」
差出人はエドワードだ。
はて何の用かしら。
どうせたいしたことではあるまいと、私は、なんの疑問も持たずに受け取る。
そして、使者を見送ってから、問題の手紙を手に、私は私室に引っ込んだ。
机に向かい、封蝋を切る。
ぴりりと、ペーパーナイフが走り、封筒の口が開いていく。
あぁ、気付いておくれ、当時の私。
それを読んではダメなのだ!
この時、何も知らぬ幼気な私は、この手紙の持つ危険性に、まったく気付いていなかった。
そして私は知ることになる。
この、精神兵器の破壊力を。
ぺらり。
私は便せんを開いた。
「
久しぶり。
僕さ。
エドワードだ。
君と別れてから、もう一年近く経ってしまったね。
わがままな君に、僕はいつも振り回されっぱなしだ。
君はいつでも僕を困らせてくれたけど、今回ばかりは、流石の僕も我慢の限界だったんだ。
だから少し、怒ってしまった。
もし怖がらせてしまったなら、ごめんね。
愛しいアリシア。
君への愛がそうさせたこと、どうかわかってほしいと思う。
正直に言おう。
僕には、君がなぜ離れていってしまったのかわからなかった。
だって、君が、僕達の思い出を忘れることなんて出来ないはずだから。
君は僕なしでは生きられない。
なのに、どうして!
僕はとても驚いたんだ。
でもね、僕は、ようやく、そのわけがわかったよ。
君は僕に追いかけてきてもらいたかったんだ。
ずっと待たせてしまった僕を、どうか許して欲しい。
わかってるよ、アリシア。
君はいつもそうやって、僕の気を引くんだ。
僕が結婚を迷ったから、そういう意地悪をしてるんだよね。
僕はちゃんと、わかってるから。
君は、今、近くにいるんだろう?
できればまた会って話がしたいな。
そして、君の身体を抱きしめたい。
それから、素敵になった君と可愛い可愛い子供を作りたいよ。
……
」
私は、自身の速読術を、これほどまでに後悔したことは無かった。
私の目は、この狂気の文面を、ここまで一息に読み進めてしまったのである。
頭に手紙の内容が、するりと入り込んでくる。
私の頭脳が、副音声付きで、この文言を理解する。
その後に続くのは、凄まじいまでの怖気であった。
背筋を這い登る衝動は、魂の根源に根ざした生理的な嫌悪感だ。
背中にバケツいっぱいの毛虫を放り込まれても、ここまで悲惨な気分にはならないだろう。
「ぎぃやぁぁぁぁあああ! ああああぁぁあああ!」
私の口から、絶叫がほとばしる。
乙女にあるまじき醜態だ。
だが、そんなもん、気にしていられるか!
わたしは、手紙を放り出すと、あわあわと手を振り回しながら、大慌てで逃げ出した。
私を恐怖させた、一枚の紙片が、涙で滲む視界から遠ざかる。
早く、早くあれから逃げなくては。
どうして、この手紙を読んでしまったのだろう。
脳裏に焼き付いた文言が、延々とエドワードの肉声を伴ってリフレインする。
無駄に優秀な記憶力が、この時ばかりは恨めしかった。
やめて、ほんとやめて!
私は、もう一度、盛大に悲鳴をあげた。
聞きつけて、ジークとメアリが駆け込んでくる。
私は泣きはらした目で彼女を見た。
メアリが助けに来てくれた!
安堵の涙がこぼれ落ちる。
それから、私はメアリに縋り付いた。
「怖かったの。怖かったのよ、メアリ。お願い、ぎゅっとして。抱きしめて」
「大丈夫ですよ、アリシア様。私が側におりますからね。だから大丈夫です」
私はガチの涙目で、鼻水まで垂らしながら、優しいメアリに抱きついた。
メアリは、小さくて暖かな手を、私の背中に回して撫でてくれる。
ゆっくりと背中を擦ってもらい、私は少しずつ落ち着いた。
あぁ……、助かった。
私は、ようやくの思いで息を吐く。
メアリが側にいてくれるなら、大丈夫。
私のお母さんは、細い腕で私を守るように、柔らかく私を抱きしめてくれた。
一方のジークは、「え、そこで抱きつくなら俺じゃないのか?」って顔で、硬直していた。
ごめん、ジーク、でも私にはそんな余裕はなかったの。
ジークが悪いわけではないが、彼はエドワードと同じ男なのだ。
今回ばかりは、同性のメアリじゃないとだめだった。
この時の私は、とにかく安心と安全を求めていたのである。
「一体何事だ? 」
事情を聞かれたので、私はただ無言のまま、床にペラリと佇む悪魔の紙片を指し示した。
ジークはそれを拾い上げ、一通り目を通してから、盛大に眉を顰めた。
ジークから、無言でそれを手渡されたメアリは、たまらず大爆笑していた。
あれだ、この手紙は、当事者じゃなければ、笑えると思う。
私だって、これが他人の話なら、絶対に笑ってすませたはずだ。
でも、自分宛てでこんなもの送られてきたら、嫌悪感半端ないよ。
精神が汚染されてしまう。
その日、私はすっかり怯えてしまい、仕事も何もかも手につかなかった。
夜も一人では眠れそうに無かったので、寝台にメアリとエリスを呼びつける。
ステイシーには寝ずの番をさせた。
クラリッサが、残業のために不在だったのが、本当に悔やまれた。
そうして、皆に守ってもらいながら、私はようやく眠りについた。
私は、一晩かけて、落ち着きを取り戻すことに成功する。
とにかく、とてもとても怖かったのだ。
後にコンラートから教えてもらったのだが、この類の手紙のことを、ロミオメールと言うらしい。
別れた異性から送られてくる、ポエミィなお手紙のことであるそうだ。
ポエムじゃなくて、呪言の類だよ。
このアリシアを一撃で涙目にするなんて、すごい破壊力である。
この時の出来事は、私の生涯を通じて、一番のトラウマとなった。
それからも、王族たちは、しつこく慈悲を願い出た。
何度も何度も、使者が送られてくる。
そして、一日一回は、このロミオメールも、私の元に届いたのである。
ひどい日には、三通も送られてきた。
私は、しまいには使者と会うことさえ怖くなってしまい、彼らとの謁見を全部メアリに丸投げした。
「お願い、メアリ……」
「ええ、お任せ下さい、アリシア様。私がお守りいたしますわ」
メアリは、力強く請け負ってくれた。
私はこんな有様であったのだが、メアリとエリスは、このエドワードの手紙が大のお気に入りだった。
二人で中に目を通しては、笑ったり、気持ち悪がったりして楽しんでいた。
趣味悪いよ、二人とも!
もう一度言うけれど、これは他人事なら、いい笑いの種だ。
この気持ち悪さは、絶対に当事者にしかわかるまいよ。
でも、メアリは優しかった。
私が、本気で怖がっていると知っている彼女は、自分達で目を通したら、すぐにそれを火にかけて焼き捨ててくれる。
「さぁ、怖いものは、無くなりましたよ、アリシア様」
メアリがパンパンと手を払ってから、チリを集めてくずかごに捨てる。
白い灰になった紙片を見つめながら、私はこくりと頷いた。
「ありがとう、メアリ」
まったく油断大敵であった。
私、アリシアは、この日以来、軽度のお手紙恐怖症になってしまったのだ。
みんなも、変な手紙を開封する時は、気をつけなくてはいけないよ!
私の人生の教訓である。
フリードリヒ四世「この時が、わいの人生で一番のピンチだったわ」
アリシア「ごめん。ほんとごめん」