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戦姫アリシア物語  作者: mery/長門圭祐
女王アリシア
71/116

間諜とわたし

「怪しいやつ。

貴様、どこの所属か。

それと、五年前の相撲大会の、優勝者と決まり手を言ってみろ」

この尋問に答えられなかった怪しい男を、私たちは捕縛した。

他の地では、相撲の決まり手を聞かれることなど、まずあるまい。

こんなことはランズデールならでは、だと思う。


なお、聞いている側の人間は、大真面目なので笑ってはいけない。


まず、この合言葉みたいな扱いをされている、相撲大会についてお話しよう。

その優勝者は私である。

決まり手は、はたきこみだ。


当時、私は十三歳、身長差が大きかったこともあり、相手を手前にはたき込んで、対戦相手に土をつけた。

そして私は、その勢いで宙を舞ったのだ。


その時の、空中一回転が話題を呼んで、ランズデールでは、知らぬものがいない取り組みとなった。

あやうく着地に失敗して、すっ転びそうになったのは、いい思い出である。


名一番に名を残せて、私は、とても鼻が高かった。


そんな地元限定で超有名なお話を、この男は知らなかった。

つまりもぐりである。


更に所属の話だ。


ランズデールは、皆兵制度をとっている。

男の人は、皆、兵隊だ。

職業軍人以外は、年に十日間、合同演習に参加するだけであるが、ここで簡単な集団行動ができるように仕込まれる。


訓練と言っても、難しいことはしない。

皆で集まって、隊列を組み、長槍で指示に従って、叩いたり突いたりするだけだ。

しかし、これだけでも、できるとできないとではだいぶ違うのである。


王国は豊かな国ではあるが、悪い人間がいないわけではない。

他所から来た野盗や、ならず者から自衛するため、村や町の男達には、訓練が義務付けられているのだ。


この時、全ての男達は、どこかの隊に割り当てられる。


つまり成人男性にも関わらず、所属する隊が無い人間はよそ者である。


田舎者らしく、ご近所同士は顔見知りが多い。

知らない人間が紛れ込めば、それなりに目立つ。


そして今日のお祭りは、食べ物が供されていた。

皆が口にする物に混ぜ物をされては困るので、食事が出されている区画には、領内の人間以外、立入禁止としていたのである。


立入禁止にも関わらず入り込み、ランズデールのことに詳しいわけでもない。

さらに衛兵にすいかされれば、慌てて逃げる。


戦争中のこの時期に、そんな人間は、間諜以外の何物でもなかった。

ゆえに神妙にお縄に付いてもらった次第である。


兵士詰め所まで、怪しい男を連行する。

最初、男は喚いていたが、二、三度殴りつけられると大人しく従った。


男を兵士達に、引き渡せば、詰め所の長が進み出る。

私に向ける視線は気づかわしげだ。


「こちらで済ませておきます、アリシア様」


「このまま、お祭りを楽しむ気分にもなれないわ。直接確認する。手伝って頂戴」


ここから先を、任せてもよいのだが、私は首を横に降った。

彼らからの報告を、ゆっくり待つ気になれなかったのだ。

私も取り調べに参加する。


もし万が一、なにかしらの企みが、裏で動いていた場合、手遅れになっては、取り返しがつかないのだ。

ここランズデールで、私アリシアが強い権限を持つ以上、その私が、できるだけ早く情報を手にすることには、意義があった。


男を部屋へと引っ張り込む。

私とステイシー、そして兵士数人で詰めかけたのは、半地下の牢獄のような場所であった。

石造りの室内は、夏の暑さでじっとりと湿り、不快指数が大変高い。


灯りは、ろうそく頼みだ。

部屋の中は薄暗い。

付き従う兵士達が、木製の椅子やら、金属製の機材やらを手際よく運び込む。


もうはっきり言ってしまおう。

これから始めるのは拷問だ。


私は、気が重かった。


拷問吏なる職業もあるらしいが、ランズデールは貧乏なので、そんな専門業者は雇っていない。

なので、基本だけ抑えたシンプルな拷問が実施される。


強引に物事を聞き出す時のコツ。

それは、相手に、ものを考えたりさせる余裕を与えては、駄目だってことだ。


つまりスピードである。

やり方は問わない。

物騒な方法も沢山あるし、相手によっては、くすぐり倒したりしてもいい。

とにかくその場のでまかせで、嘘をつかれたりしないように、責め続ける必要があるのである。


ちなみに、女の人が捕まったときには、エッチなあれこれを期待するかも知れないけれど、基本的にそんなものはないよ。

やり方は男女共通、ある意味、平等である。


「アリシア様は、外でお待ち下さい。私が確認します」


「ステイシー、気遣いは無用よ」


ステイシーの言葉を遮りながら、私は前に進み出る。

捕まった男は、目に涙を浮かべて怯えていた。


早く吐いてくれ。

私は誰にともなく祈った。



この男であるが、幸いなことにすぐに口を割ってくれた。

彼は、東部の領主諸侯に雇われた人間だった。


そっちかぁ。


王都の人間ではないとわかり、牢獄には、なんとも言えない空気が漂う。


ランズデールには、この間諜の出身らしい、王国東部に基盤をもつ商会も、支店を構えている。

その一つに、東部諸侯の手の者が、入っているのだそうだ。


珍しいことではない。


国を跨いで交易に携わる商会が、情報収集を目的とした、諜報部隊の出先機関であることはままあるのだ。


さて、この男が話題に出した、東部の領主諸侯である。

今まで影が薄い存在であったが、王国にも東西南北が存在する以上、当然東部という地域も存在する。


王国の主な領地の支配状況は、南部はランズデール、西部はウェルズリー、北部はバールモンド、そして東部は有象無象である。


東部に、特に大きな家は無いのだ。

東部の諸侯は、総体としてみれば、勢力は大きいのだが、まとめ役となる家がないせいで、ばらばらに行動することが多かった。


彼らは王国の王都とは陣営を別にしている。

そして、私達の味方でもない。


西部、北部、南部の領主諸侯は、連合を組んでいるのだが、東部はこれに加わっていないのだ。


当初、今回の王国の内戦では、彼ら東部諸侯は、日和見を決め込んでいた。

その後、私達、領主連合が有利と見るや、こちらへの参加を申し出たのだが、父ラベルがこれをはねつけている。

東部諸侯には、帝国や蛮族との戦いでの援軍要請を、無視されたことがあった。


勝敗の帰趨も定まってから、勝ち馬に乗ろうなどと、今更である。

父はそう断じて、交渉を断った。


はっきり言うと、仲は良くない。

武装中立に近い状態だ。


彼らとの関係をどうするかは、父の管轄だ。

とりあえず、緊急措置として、目に見える脅威だけは、排除しておいたほうが良いかな。


残りの対処は、父にお任せすることにして、私は急ぎ対処すべき事項だけを口にした。


「領軍へ連絡。すぐに領都を封鎖して、外部の人間の出入りを封じて頂戴。同時に衛兵隊にも連絡して、問題の商会を接収。委細は、現場指揮官に任せます」


「はっ」


私の指示を受けた兵士が、走り出していく。


それから、私達は情報源となった、間諜の男に向き直った。


この男は、さんざん痛めつけられていたが、今のところ五体満足だ。

水攻めは苦しいが、外傷は残りにくい。


視覚効果を狙った拷問器具の数々は、今のところ出番なしである。

その手の趣味を持つ人間は、少なくとも私の傍にはいない。


歯を抜く道具とかも運び込んでみたのだが、実は私達の誰も使えないのである。

ごつい工具みたいな刑場だけど、こんなもの口に入らない気がするんだよね。


兵士の一人が、虜囚の首に手をかける。


「続けますか?」


「やめてくれ、もうこれ以上は何も知らない!」


男が必死の形相で叫ぶ。

水と涙と鼻水で、男の顔はでろでろだ。

もう知らない、と彼は言うが、それを証明するすべを私たちは持たない。


どうすべきか。

私は、逡巡し、心を決めた。


一つため息をつく。


椅子にくくりつけられた男の傍による。


それから私は、激しく体を震わせる、彼の頸部に手を添えて、指に力を込めた。

頭に巡る血の流れを止められた男は、すっと息を吐くように失神した。


「商会接収後、構成員全てを尋問にかけて。

この男の取り調べは、一旦これで打ち切りとします」

「承知しました」

これ以上は無駄。

私はそう断じて、取り調べを打ち切った。



後の事を兵士に任せ、私はステイシーを伴って外に出る。

薄暗い室内に慣れた目には、夕暮れで橙に輝く太陽さえも眩しかった。


私は、この捕まって泣き叫ぶ男に、虜囚となった自分の姿を、重ねてしまったのだ。

ジークがいなければ、あるいは私も似たような目に合わされていたかもしれない。

ゆえに、早めの判断で、尋問を切り上げてしまった。


彼がまだ隠し事をしているのであれば、大問題であろう。


自嘲気味の笑みが漏れる。


「私は、甘かったかしら、ステイシー」


「アリシア様は、不十分とお考えですか」


「あの男は、嘘は言っていない。根拠を聞かれても困るのだけど、その確信はあるわ」


「ならば、よろしいのではありませんか。この手の仕事は、結果が全てです。その結果を信じられるのであれば、何の問題もございますまい」


どうぞ、アリシア様のお心のままに。

ステイシーは、穏やかに、私のやりようを容れてくれた。


彼女の言う、「お心のままに」の真意は、私を支持する、というのとはまた違うように思う。

もし、手ぬるいと感じたなら、ステイシーは私の許可など得ずに、独自の判断で尋問を続けるはずだ。


私の判断に関係なく、彼女は私にとって最善の結果となるよう、手をつくしてくれる。

ある意味、独断専行ではあるのだが、その気遣いが、私にとってはありがたかった。


いざという時の、ステイシーは頼りになるなぁ。


平時?

平時については聞いてくれるな。



この際なので、ちょっとだけランズデールの防諜の実績についてもお話しよう。


ランズデールの領都は、壁が低い。

場所によっては、その低い壁すら、存在しない。

これは、以前お話したとおりである。


脅威のノーガード戦法。

子供でも乗り越えられる物理防御力。

それがランズデールの見た目である。


このせいか、人の出入りが緩そうで、内情が筒抜けになっているように見える。

しかし、実際のところは違う。

ガチガチの防諜体制が特徴だ。


理由はいくつもあるのだが、特に領主館や兵団本部が、街道沿いの商業地を、外れているのが大きい。


間諜がふらりと迷い込んだ体で、探りを入れるのが難しいのだ。

怪しい人間は、すぐに見つかって、所属と相撲の話題を振られ、そのまましょっぴかれてしまう。


まさか相撲の話題が、符丁であるとは、誰も思うまい。


この方法を考えた衛兵隊の隊長は、自慢げに、よく手入れした、どじょう髭をしごいていた。


たしかに効果覿面ではあるけれど、わたしはちょっと恥ずかしいよ。


さて、今は、王国と戦争中のランズデールであるが、以前は帝国とも戦争をしていた。

ゆえに帝国の諜報員も、ランズデールに潜り込み、そしてばっちり捕まっている。

全部で五人、私たちは帝国印の諜報員を捕縛していた。


これは、なかなかの検挙率であるそうだ。

後に、帝国軍の諜報を統括するマルゼーさんが、私に教えてくれた。


「『ランズデールに深入りするな。さもなくば消される』 そう、まことしやかに噂されまして。積極的な情報収集は諦め、監視を優先するように、方針を転換したのです」


たしかに、一時期を過ぎた辺りから、帝国の諜報員が、ぱたっと捕まらなくなった。

帝国が対策をとったのだと、私たちは、警戒していたのだが、そもそも来なくなったのが原因だったらしい。


優秀な、帝国軍諜報部からもお墨付きの鉄壁防御を、私達ランズデールは誇るのである。


ところで、戦時協定は、この手の間諜には適用されない。

ゆえに、捕まった諜報員は、ずっとランズデールに抑留されていた。

長い人はかれこれ10年近く、故国へ戻っていない。


十年といったら、私の人生の半分以上の長さだ。


長い。

とても長い。

望郷の念はいかばかりか。


彼らの想いを想像するにつけ、私の胸に去来するものがあった。


長く続いた戦争も、とうとう終わりが見えてきた。

ランズデールと帝国の間でも同盟が結ばれる。


アリシアのランズデール帰還に同道して、皇子ジークハルトも来たことであるし、捕まった帝国の諜報員についても、帰国の手続きを進めるべきかもしれない。


お祭りが終わって、しばらく後、私は、彼らに帰国の話をもちかけた。

捕虜たちの返答は、ある意味、とても残念なものであった。


「私たちは、この地で、死んだことにしてもらえませんか……」

「えぇ……」

私は呻いた。


なんと、捕虜のうち、五人中四人が、ランズデールに転向済みだったのである。

残りの一人は、悟りを開いてしまったので、帰国には興味が無いと言っている。


五人とも、まさかの帰国拒否。

帰化人四人と宗教家一人という、残念な状況になっていた。


ランズデールに帰化した四人は、全員帝国語の先生をして、お役所に再就職を果たしていた。

三人は既に、こちらで、お嫁さんまでもらっている。


もちろん、こうなるよう差配したのは、父ラベルと私である。

けれども、この結末までは、予想していなかった。


私達は帝国と戦争していたが、その目的は、直接的な勝利にはなかった。

講和を結ぶための条件闘争が、今回の戦争であったのだ。


要するに、ランズデールはいずれ、降伏するつもりであった。

降伏した時の、心証を悪くしたくない私たちは、彼らのような捕虜についても、虐待などはしなかった。


さらに言うなら、帝国軍人の、プロ根性についても、私たちは高く評価していた。

おそらく拷問にかけても、口を割らないであろう。


加えて、私たちは、特に欲しい情報も無かった。

リアルタイムの敵部隊配置がわかるのなら話は別だが、そんなものは現場の諜報員が知るはず無いのである。


しかし一方で、敵軍の優秀な諜報員を、黙って帰すわけにはいかない。

結果、もっとも無難な方針が採用された。


「とりあえず捕まえておこう」


しかし、だ。


何度も言うようだが、ランズデール家は、貧乏であった。

捕虜にタダ飯を食わせ続けるのも、正直つらい。

働かざるもの食うべからず。

捕虜のほうが、公爵家の令嬢より、優雅な生活をしているとか、許されざる事態である。


そこで私は考えた。

彼ら捕虜にも、仕事をしてもらおうと。


対王国諜報のエキスパートである彼らは、完璧なバイリンガルだ。

帝国人でありながら、王国語もペラペラなのである。


よし。


この人達に、帝国語を教えてもらおう。

帝国人の生の帝国語を耳から聞いて、語学に堪能な人材を育成するのだ。


私は、捕虜に対し、特別製の個室を与えた。

部屋には、王国人向けの、帝国語学習参考書をいっぱい詰め込んでおいた。


他には何も無い。

参考書しかない。


そして、彼らのお世話係に、帝国語を勉強したい若者をつけたのである。


「部屋の中では、帝国語だけを使うように」


私は、お世話係に、予めこう申し付けた。

お世話係の若者たちは、この私の命令を忠実に守った。


捕虜の人たちの選択肢は二つに一つだ。

ひたすら壁を眺めて、人生を無為に過ごすか、暇つぶしに王国人の外国語の勉強に付き合うかだ。


最初は、帝国人たちも反抗した。


脱走を試みた人間もいた。

彼らは簡単に部屋から脱走し、あっという間に哨兵に見つかって、元いた部屋へと連れ戻された。


人質を取ろうとしたものもいた。

一人は私アリシアを狙い、返り討ちにされた。


ワンパンであった。


ちなみにその相手が、私の帝国語の先生である。

最初は非常に怖がられたが、そのうち仲良くなっていろいろと教えてくれた。


世話係の女の子を人質に、逃げようとした人間もいた。

私たちは、容赦なく投網を放って、女の子ごと脱走者をつかまえた。

女の子は、その時に、顔に傷を負ってしまった。

男は、それに責任を感じて、最終的には嫁にもらっていた。


捕虜の人たちは、みな、正規の訓練を受けた腕利きの諜報員であった。

故に彼らは頑張った。

一番長い人間で三年ぐらい頑張った。


しかし、ランズデール人は、皆こういうのだ。


「どうせ俺らは、帝国に降伏するからなぁ。何年かしたら俺らも帝国人だろうし、仲良くしてやってくれや」


未来の同国人に、意地を張っても無意味である。

ましてや危害など加えれば、今後の和平に差し障る。


俺達の、抵抗は無意味だ。

そう捕虜たちは実感した。


実際あまり意味はない。


そして、一人の心が折れた。

そのまま後は芋づる式だ。

日をおかず、次々と彼らは転向した。


最終的には、一人を除き、皆、ランズデールで、平和的なお仕事に従事することになったのである。


「私たちにも、仕事をさせて下さい……」


ゆくゆくは、王国も、帝国の版図に組み入れられる予定である。

先行投資と思って、ランズデール人に帝国語を教えてもらいたい。


そして、父から依頼を受けた彼らは、語学の先生として、ランズデールで第二の人生を歩み始めたのであった。

行動の自由は制限されていたが、生活の保証はあるし、生徒はみな、やる気に満ちている。

やりがいのある仕事であったそうだ。


そして帝国と和平が結ばれる。

その頃には、元捕虜たちは皆、安定した生活を手にしていた。


彼らには、今更、危険な諜報員の生活に戻って、ばりばり前線で働く自信が、残っていなかった。


故に彼らは言ったのだ。

死んだことにしてくれないか、と。

気持ちはわかる。


ただ、はいそうですかとも言えないのが、今の私の立場である。

なにしろ私は、次期皇帝の婚約者なのだから。


「忘れてくれとは言うけれど、秘密を知っている諜報員を、簡単に手放せるわけがないでしょう。

一応、お話はさせてもらいます。

悪いようにはしないから」

「はい…」

これが転向した四人の顛末だ。


捕縛した諜報員は全部で五人。

そう、一人だけ、強情なのがいたのである。


彼は、転向などしなかった。

特別室に入れられたその男は、頑迷なまでの愚直さで、私達の懐柔策をはねのけて、何年も白い壁を見続けた。


最終的に、彼は、壁のシワの数とかまで完璧に把握していたんじゃないだろうか。

あるいは、壁の向こう側が、透けて見えていたのかも知れぬ。


そして、数年間、壁ばかりを見続けた男は、ついに、悟りを開いてしまう。

真の心の平穏を、彼は手にしてしまったのだ。

その男は放っておくと、ずっと壁だけを見続ける。

本など与えても見向きもしない。


この存在には、私達もほとほと手を焼いてしまった。


「どうしようもないわね」


諦めたランズデール首脳陣は、最終的に、この男を生き仏のような扱いで、利用することにした。


この男に、迷える領民たちの人生相談をさせたのだ。

なんだかありがたいオーラを放っていたので、行けそうな気がしたのである。


これが意外と反響があった。


「こんな何もしない人間でも、生きていて良いんだ……!」


働き者のランズデール人にとって、その男が開いた悟りは、まさに新境地であった。

働かなくても食べるご飯は美味しいのだと、彼は穏やかに説いていた。


今この男は、心に傷を負った者たちの、カウンセラーのような仕事に就いている。

仕事をしている以上、働いていないわけではないのだが、巷ではランズデール家公認の無職男として、羨まれたり、敬われたりしているそうだ。


私は、以上のような、ランズデールの防諜実績と諜報員達の現状を、かいつまんでジークに説明した。


流石に、諜報員を引き抜いてしまう以上、誤解のないようにしておかないとまずいのである。

場合によっては、彼らを粛清するために、エージェントが送られてきてしまう。

それは困る。


妻帯者だっているのだから。


この話に、ジークは頭を抱えた。

彼らは、忠誠に篤いはずの、諜報部隊の最精鋭だったのだ。


その変節に、ジークは酷いショックを受けてしまった。


ジークはしばらく呻いてから、憔悴しきった表情で私に弱音を聞かせてくれた。


「……俺は、最近、帝国人の忠誠が信じられんのだ。どうしたら良いと思う、アリシア」


ぶわっ。

私の目に涙があふれる。


未来の皇帝の、深刻過ぎる悩みであった。

私は彼の肩をギュッと抱きしめた。


大丈夫だよ、ジーク。

わたしは何があってもジークの味方だからね!

私がそう宣言すれば、ジークは肩を震わせて泣いていた。

間違いなく嬉し涙であっただろう。

わたしはそう強弁したい。


ランズデールだけでなく、今後はジークも守ってあげようと、その日、私は決意したのであった。


ランズデールの防諜の鉄壁振りは、次期皇帝の心さえも粉砕する。


鉄壁の結束と防御力を、皆さんにもご理解頂けたのでは無いかと思う。


メアリ「ウォッカ・マティーニを。ステアではなくてシェィクで」

アリシア「あなたは、いつも孤独で背後を気にして、酒ばかり飲んでいる」

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是非、お手にとって頂けると嬉しいです。
― 新着の感想 ―
[良い点] 一つの土地の誇る話が続いてますね。いいと思います! これが1番自然な防諜戦略ではないかと思います。 オチ要員がいたのが面白いですけどね。 とあるダイテスって領地の作品では、もっと酷い間諜…
[一言] つまり度田舎すぎて人間関係が密なのと田舎ネットワークが強固すぎて諜報活動ができないとww
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