認識がずれているアリシア女王陛下に現状を説明をする皇子
「まずアリシア自身の前に、アリシアの婚約者である第一皇子ジークハルトのことから紹介しようか」
「ええ、お願いします」
真剣な顔つきをしたアリシアと向かい合う。
おれもわざとらしく神妙な表情を顔に貼り付けた。
見合いの自己紹介のようだ。
婚約者相手にするには、すこし遅すぎたかもしれんな。
「まず俺、ジークハルトは、軍部における影響力が強い。軍はとにかく大飯ぐらいだ。金も物も気前良くつかう。ゆえにここでの決定権の強さはそのまま大きな武器になる。そのことはアリシアもよく知っているだろう」
「それは、もう、とても良く知っているつもりです」
アリシアが頷いた。
彼女も軍家に属する。軍がもたらす恩恵、あるいは利権についても当然詳しい。
「例えば今、俺達が拠点にしているカゼッセル要塞だが、あれの築城はおれが決めた。要塞建設予定地の近くには、ひなびたテネーという街があった。アリシアならどうする?」
「テネーの土地を買っておく、とかでしょうか」
「50点かな。100点満点だ」
「採点が厳しいわ。模範解答を教えてくださいませ」
アリシアはすこし不満げだ。悪くはないんだがな。
模範解答となるかは分からないが、俺は予め付き合いのあった商会に情報を流した。
贔屓の商会に利益を流すというよりは、俺と誼を通じるの利点を周囲に知らせる意味合いが強い。
気前のいい人間とは仲良くしたいと思うものだし、不興を買うのを避けようという意識も働く。
結果、何事につけ便宜を図ってもらいやすくなる。
「今俺は、大小合わせて、30ほどの商会と付き合いがある。御用商人を一つに絞るには、抱える利権が大きすぎてな。なかなか大したものだろう」
「はい、ご立派ですわ」
アリシアがおだててくれた。
俺は満更でもなかった。
気分良く続けた。
「まだまだあるぞ。俺自身の勇名もある。兵は強い将帥を望む。自分たちが生きて帰るには一番重要なことだからな。三年前まで、俺の二つ名は常勝不敗のジークハルトだ。当然その支持たるや相当なものだった」
「あの三年前って、もしかして」
「ああ、今は元常勝不敗のジークハルトを名乗っている。一度盛大に負けたからな」
「あの、ごめんなさい。私のせいですよね」
アリシアから、謝罪された。
謝られると逆に傷つくんだが。
言うまでも無いことだが、俺に初の黒星をつけたのは目の前のアリシア・ランズデール元帥だ。
彼女は申し訳なさそうにしているが、俺の評判は一度の敗戦を通じてむしろ上がった。
「一度も負けたことがない運がいいだけの男より、負けても軍を全うして帰還できるの男のほうが兵からの受けがいいからな。負けた相手が貴女でおれは本当に幸運だった」
「そうなんですか。良かった」
アリシアは安堵したように笑った。かわいい。
その他、直轄領の運営や、父親である皇帝の補佐など俺は自慢話をならべたてた。
俺はガキのような顔をしていただろう。
「既に皇帝である父からも次期皇帝としての内示を受けている。今のおれの立場は絶対的なものだ」
「すごい!ジークって本当にすごいんですね!」
「ああ、そうだろうとも」
俺は自慢げに頷き、ようやく本題を切り出した。
「で、これらを全部束にしても、アリシア一人に遠く及ばん」
アリシアは驚いたように目を見開いた。
そう、そうなのだ。
帝国において、アリシアが俺の伴侶として選ばれた理由であり、現在のアリシアが俺以外を伴侶として選び得ない理由でもある。
「私の個人的な武勇に基づいての評価であれば、それは過大といわざるを得ません。確かに一将帥としての力には自信があります。でも所詮は局地戦の勝敗を左右する程度のもの。後ろ盾とはとてもいえないはずです」
「違う」
本当に心あたりがないのか、この娘は、と言いたくなる気持ちを俺は抑えた。
「アリシア。貴女は単なる一将帥ではない。貴女は王女でもあるが、女王でもあるのだ。現在実質的に王国を統べているのは貴女だ」
アリシアの性格に触れる機会が多かった俺は、彼女の思考の癖を掴んでいた。
彼女は、極めて原則に忠実だ。
原則とはつまり建前とも言える。
現実と建前が乖離したとしても、彼女は頑なに建前を守り続ける。
つまり、こんなふうにだ。
「そんなはずはありません。王国の王ということであれば、父ラベルのはずです。私は後継ではありますが、名代にすぎません」
アリシアはかぶりを振った。
俺もかぶりを振った。
良い年した美男美女が二人して首をぐるんぐるん回す。
おかしな絵面だ。傍目には気でも触れたかと思われそうだ。
ここが最大の認識の齟齬だ。
思い返してみて欲しい。
アリシアが戦場に立って既に三年、彼女は常に陣頭でランズデールの者たちを率い戦ってきた。
その間、彼の父ラベルは領地にあって留守を守っていた。
この状態を一般的になんというのか。
人、それを隠居という。
領主諸侯も、そしてランズデール公自身も、全く同じ認識でいる。
皆、「忙しくて当主交代してる暇ないんだろ、仕方ないなー」ぐらいに思っているのだ。
もう何年も前から、彼らの中では実質的な当主はアリシアだ。
未だに、自分は名代だ、などと頑なに信じているのは、アリシアぐらいのものである。
帝国でさえ、実質的にはアリシアを当主とみなしていた。
正式な代替わりまでは、公的には現ランズデール公ラベルが当主であるが、アリシアの王国帰還をもって当主の交代がなされる予定である。
当主交代、つまりアリシア女王の戴冠式だ。
このことを告げられたアリシアはひどく狼狽えた様子を見せた。
「そんなはずは…、えっ、そうなると私が女王?」
「そうだぞ」
「えっ、そんな、お父様はなんと?」
「頑張って女王を支えると手紙をもらったぞ」
「そんなぁ…」
アリシアの頭脳が煙を吹いた。
17歳で、戦場をかけるばかりだった娘にいきなり女王をやれというのも酷な話だ。
統治は、ランズデール公が集めた前王の閣僚が中心となってすすめることになる。
だから心配いらないぞ、アリシア。
前王リチャードは、僭主ジョンの父であり、ランズデール公ラベルの伯父でもある。
賢王として名高かったが、急逝したのが重ね重ね悔やまれた。
彼は、信頼できる閣僚を非常に多く抱えていた。
彼らの多くは、宰相に王都での地位を追われていたが、アリシアが引き起こした事件のどさくさに紛れてランズデール公が招聘したのだそうだ。
「ようやくランズデール公が動いてくれた!」と皆、大喜びで馳せ参じたらしい。
「話をすすめるぞ、アリシア。貴女は王国を統べる。王国が後見する王女ではない。王国の第一主権者たる女王だ」
では、アリシアが統治する王国の地力を見てみよう。
現在、ジョンの悪政のもとにあっても、民は飢えておらず、王都の貴族共は奢侈に溺れながらそれでも宮廷は傾きもしない。
陸と海、有力な交易路を二つも有し、肥沃な農耕地を抱える王国の豊かさが伺えようというものだ。
そして軍事力だ。
領軍に王都の常備軍を合わせれば、現時点で優に総兵力は5万を超える。
帝国の効率的な行政機構を導入し、統治が安定すれば、最大動員数は倍増するだろう。
あのアリシアが率いる10万の軍勢だ。
…おい、10万か。ちょっと信じがたいな。
帝国軍は勝てるのか?
やるとしても俺は絶対に嫌だぞ。
しかもだ、アリシアはゆるやかな封建の忠誠に基づく王ではない。
領主諸侯は、その命と名誉を、彼女の献身と奮闘により救われている。
彼らは女王アリシアの庇護に対し、生涯の忠誠をもって報いんと誓いを立てていた。
その祈誓文には、狂兵ウェルズリー、豪熊バールモンド、その他多くの有力諸侯が名を連ねている。
彼らは、王権に対し絶対的な忠誠を誓う。
アリシアを頂点とする絶対王政だ。
アリシアが死ねと命ずれば、粛々と命をなげうつ者たちの群れだ。
ウェルズリー候に至っては、既に二年前、アリシアのために玉砕命令を出した前科まである。
奴と奴の兵が「狂兵」と恐れられる所以だ。
やつは王国におけるアリシア狂いの急先鋒だ。
もっとも、残りの連中も程度の差こそあれ狂っているせいで、王国内ではさほど目立ってはいない。
まとめよう。
アリシア・ランズデールとは、富強の王国の頂点に絶対的権力者として君臨する若干17歳の女王なのだ。
しかし、若干17歳の女王か。
黄金期が40年ぐらい続きそうだな。羨ましいことだ。
この分析を為した外務の長は、泡を食って皇帝に上奏した。
その時の帝国における衝撃の大きさたるや、相当なものであった。
「どうだ、わかったか、アリシア。自分の凄さが」
「なんだか、とてもつよそう!」
見れば、アリシアの目の中はついにぐるぐるの渦巻きになっていた。
正気度が、危険域に達しつつある。
誰が、彼女をこんなにも追い詰めたというのか。
俺か。
すまんな。
俺は、それからしばらく、アリシアを撫でたりさすったりだっこしたりして宥めた。
至福の時間であった。
「大丈夫か、アリシア?」
「はい。大丈夫です。多分、大丈夫。いえ、余り自信はありませんけど…」
「話を社交に戻そうか。社交を俺のためだからと、無理にする必要がないことはわかったか」
「はい、そうですね」
このアリシア、皇子の婚約者としては、帝国の歴史を通じて最強の権力基盤を有すること間違いなかった。
無論、わざわざ社交を通じて味方づくりをする必要なぞ皆無だ。
彼女を伴侶として迎えられれば、彼女自身が皇子の後ろ盾となるのだから。
社交界で得られる細々した協力など要るわけがない。
そもそも社交は権力争いのためにするものではない。
本来は、私的な交友の場だ。
その武威故に誤解されがちだが、元来、アリシアの性格は人懐っこく、穏やかだ。
気の合う友人ができれば、すぐに馴染むだろう。
「例えばだが、アリシアはドレスが好きだろう?」
「はい。とても好きです。綺麗なものはみんな好き」
「アリシアが、社交に顔を出せば、新作のドレスを着てもらいたいと申し出が殺到するだろう。
そこから一番のお気に入りを見つけるなり、自分で好きなデザインを作るなり、社交もアリシアが自由に楽しんでくれればいいと思っている。あれをせねばならぬ、これを守らねばならぬと肩肘張る必要などない」
あるいは、そこから新しい流行が生まれるかもしれない。
俺にはよく理解できないが、流行の発信に異様なまでの情熱を傾ける女たちがいることも事実だ。
それが文化というものだろう。
「ただ、純粋に楽しんでくれとは言えない。もう察しているとは思うが」
「…はい」
「特に今の貴女が社交会に出ればおそらく大混乱になる。これは受け入れる帝国の側の問題だからな。俺の母に頼んで準備して貰う予定だ。ゆえにしばらくは社交は控えて貰う予定でいる」
「なるほど。それでこの街に」
「そのとおりだ。メアリからアリシアは人見知りするとも聞いたからな。少し意外だったがそれはそれでかわいいものだ」
アリシアは少し赤くなって、俯いた。
俺は、母である皇后カートレーゼに、アリシアの后妃としての手ほどき諸々を依頼してあった。
母からは「無茶振りしないで!」と悲鳴のような返信がきていたが、他に頼めるものもいない。
嫁姑の仲を取り持つ意味も込めて、丸投げさせてもらう予定だ。
「そして最後に貴女の結婚相手についてだ」
「はい」
アリシアの瞳に真剣な光が灯る。
「現状、あなたの威勢は、帝国内で第二位になる。一位は皇帝だ。三位は俺だ。この危険性が理解できるだろうか」
アリシアが青くなった。
それはそうだろう。
「帝位継承権第一位の皇子よりも強い権力基盤を持つ人間を、帝国内に抱え込む訳にはいかない。故に貴女は俺と結婚する以外に道はない。地位は当然、皇子妃、そしてゆくゆくは皇后だ」
「もしそれ以外の道を選ぼうとすれば、粛清、ですか」
「そうなる危険性は極めて高い。例えばクラウスあたりが貴女を妃に迎えれば、帝位継承争いが酷いものになる。帝国としてそれを見過ごすことはできない」
アリシアはクラウスの名を聞いて、小首をかしげた。
これは、「聞き覚えはあるけど誰だったかな」って顔だ。
やはり忘れられていたか、我が異母弟よ…。
「…羽虫皇子といえば、思い出してくれるか?」
「あ、はい。思い出しました。うん、大丈夫です」
彼女は思い出したとばかりに手をぽんと叩いた。
またすぐ忘れられそうだな、と俺は思ったが、大した問題でもなさそうなので気にしないことにした。
「また、たとえばであるが、アリシアを俺の公娼としたとしよう。ありえんが。この場合はもし貴女が男子を産んだ時、非常に厄介なことになる。間違いなく後継者争いのもとだ。やはりありえんな」
「…はい」
アリシアも自らの持つ力と、それゆえの危うい立場に思い至ったようだ。
内心の不安を表すかのように、彼女は俺の手を強くにぎった。
…まぁ、嘘だ。
アリシアが帝国によって不利益を被れば、王国の者たちは絶対に黙っていない。
当然、粛清などできようはずもない。
外務の調査報告書を見て顔面を蒼白にした皇帝から、こちらではどうしようもないから、絶対にアリシアを離すなと勅命が出ていた。
言われるまでもない。
俺は彼女の肩を抱き寄せた。
「俺は貴女を愛している。政治云々は一切抜きにしてだ。このことは信じて欲しい」
「ええ、私も」
アリシアは頭を俺の肩に寄せた。
俺が髪を撫ぜると、アリシアは甘えるように俺の肩に頬を寄せた。
彼女は落ち着いてくれただろうか。
「アリシア」
「はい」
俺はアリシアの両肩に手を置いた。
上目遣いのアリシアと見つめ合う。
「俺は貴女と一番幸せになれる道を選びたい。だから俺の妃になってくれないか、アリシア」
「はい!」
そして俺とアリシアはしっかと抱きあった。
大団円だ。実に綺麗にまとまった。
それから俺はアリシアと二人、僅かな獲物を携え、手を繋いで森の外へと戻った。
彼女と肩を並べて歩きながら、俺は、やり遂げた充実感に満ち溢れていた。
いや、アリシアに迫られた時は本当にどうなるかと思った。
常識で考えてみろ。
あのアリシア・ランズデールに襲われるんだぞ。
ちびるかと思ったわ。
俺は既に一度、アリシアの前で粗相をしていた。
もうこれ以上の失態はごめんだ。
俺は内心の動揺などおくびにも出さず、この難局を切り抜けることに成功した。
おそらく皇帝として登極してからも、これほどの難度の交渉事はそうはあるまい。
俺はまた一つ、次期皇帝としての自信を深めたのだった。
外では、コンラートとメアリが大量の獲物を並べて待ち構えていた。
「今回の勝負は俺達の勝ちですかね」
満面のドヤ顔がうざいコンラートの頭を叩いてから、俺達は揃って宿へと帰投した。
長かったが、大いに収穫があった一日であった。
その日狩った獲物の一部は、かの市長にも送ってやることにした。
アリシアが狩った土鳩を、彼は大層ありがたがって食したらしい。
だが骨は捨てろ。臭くなるぞ。
そして翌朝、その日の予定をのんびりと話し合う俺達のもとに、伝令の急使が飛び込んできた。
その男が携えていた書簡に目を通す。
そこにはこうあった。
ランズデール騎兵隊、エルベスに於いて庁舎を占拠、行政官とその一家を拘束。
驚きに固まる俺の横で、アリシアが目頭をおさえながら天井を仰いだ。
「やっぱ、無理だったかぁ」
その慨嘆には、多分にランズデール騎兵達に対する、ある種の信頼が込められていて、俺は小さく笑った。
俺達の休暇は、実に騒々しい。
メアリ「…初心な生娘を拐かす、結婚詐欺師の男みたいですわね」
ジークハルト「!!!!!」