アリシア・ランズデールの作戦計画
私は悩んでいた。
果たして、恋愛小説とはなんであるのかと。
多くの物語にあっては、ダンスパーティーや、学園祭や、夕暮れの帰り道の他愛ないおしゃべりを通じて、男女はその仲を深めていく。
その中での、ちょっとしたすれ違いや、日々のときめきを、暖かくあるいは楽しげに描き出すのが正しい恋愛小説の形ではないのかと、私は信じていた。
それが作法であり、また期待されている展開であるはずだ。
だが、私は思ったのだ。
戦いの中で結ばれる男女の絆もまた、一つの恋の物語となりえるのではないだろうかと。
共に同じ時を過ごし、困難に立ち向かう、その二人の生き様こそが、最も重視されるべき構成要素ではないのかと、私は考えたのだ。
ならば、であるならば、匪賊討伐戦や拠点制圧戦や包囲殲滅戦を通じて育まれる絆もまた、ひとつの愛の形といえるのではないだろうか。
ゆえに、私は、この物語を恋愛小説であると強弁することに決めた。
意訳:恋愛パートを1回はさみながら、3.5回連続で戦争ターンです。ご了承ください。
俺のもとに、アリシアからの面会依頼が届いた。
彼女の依頼には、北の蛮族のことで話がしたい、とあった。
「コンラート、準備を頼む」
コンラートは一つ頷くと、資料を用意するため執務室を出ていった。
語弊があることを承知で言わせてもらおう。
帝国は、蛮族との戦いを苦手としている。
もちろん直接的な戦闘で、帝国軍が蛮族に遅れをとるということではない。
戦えばだいたい勝つ。
しかし、それでも我々帝国は、蛮族との戦いでは苦戦を強いられることが多かった。
理由を説明しよう。
まず、蛮族との戦いは、帝国軍の基本的な戦略と相性が悪い。
帝国は国境線を越えて戦うことを目標とする。
しかし北の地は貧しい。
農地も交易路もない北方の辺土をえたところで、帝国に益は無い。
ひらけているがゆえに守るのも難しく、実りも乏しい僻地を統治するのは、負担ばかりが増加する。
結果、すぐ放棄することになる。
我々帝国は、いわば取ってもすぐ投げうつ地のために、人と物資を費やすことを強いられるのだ。
次に蛮族共の行動が厄介だった。
蛮族は氏族単位で数百程度の集団を作って行動する。
万を越す集団で一つの村を襲っても益はない。
確実に村邑への襲撃を成功させつつ、一人頭の取り分を増やすために、もっとも効率的な集団を作って行動する。
数百の集団に対して確実に対抗するには、千に近い兵が必要だ。
数多あるすべての集落に、それだけの兵を配するのは、現実的に不可能だ。
しかも逃げる。
奴らを討伐しうる戦力を集めて向かわせたとしても、それを察知した蛮族共はすぐに遁走する。
蛮族は身軽だ。
徒歩と徒歩との追いかけっこでは、距離が離れていては追いつけない。
騎兵の数は限られていたし、山林に逃げ込まれては分が悪かった。
あるいは、奴らの侵入を国境で食い止めてることはできないのか。
しかしこれも難しかった。
国境沿いに砦を築いたところで、奴らはそれに攻めかかることはしない。
砦と砦の間を抜けて、侵入してくる。
食料も水も現地で集めれば良い彼らは、補給など考える必要がなかった。
もし彼らの侵入を完全に防ごうと思うのであれば、国境すべてを囲む長城を築く必要がある。
実際に、それを為した王朝もあるということは、そうでもしなければ防げないということの証左でもあるのだ。
以上、つらつら述べてみたが、いかに蛮族共の存在がうっとおしく、また厄介かご理解いただけただろうか。
正直勘弁してくれと言いたい相手なのであるが、
近くの部族を滅ぼしたところで、すぐに北と東から新手がやってくる性質上、根絶やしにすることもできずに逐一対処を強いられていた。
益のない北征を行うか、北部一帯の開発を捨てるかの、望まぬ二択を帝国は強いられてきたのだ。
さて、しかし、今の帝国にはアリシアがいた。
あの弱兵の王国をして、蛮族を完全に駆逐せしめたアリシアを我々帝国は迎えていた。
ただ、アリシアと彼女が率いるランズデール領軍は、王国のための戦力だった。
アリシアは保護国の王女ではあるが、帝国の好きにして良いという存在ではもちろん無い。
実はアリシア王女には、自国を離れた戦地に兵を送る義務などないのである。
もちろん彼女は俺の婚約者でもあるから、無関係ではないだろう。
だが、俺としても王国の問題すら片付けないまま、婚約者の実家に泣きつくというのもあまりに情けなかった。
正直にいって、この問題をいつ切り出したものかとも思っていたが、彼女の方から話を持ち出してくれたのは僥倖だった。
ここが交渉の正念場であった。
俺は最大限の支援を約した上で、アリシアに助力を乞うつもりであった。
なお、アリシアは最初から前線に出て戦う気であったようだ。
特に込み入った交渉などなかったため、すぐに作戦の詳細を詰めることになった。
アリシアは、帝国のために、彼女と王国の兵を遣わす事を、こころよく約束してくれた。
この時、俺はアリシアは女神であると確信した。
俺は、もう、婚約など飛ばして結婚してしまいたかった。
その後、ランズデール公ともやり取りがあり、アリシアが率いる部隊についても手配が完了した。
そして北方遠征をめぐり、幕僚が招集された。
「では早速だが会議の本題に入りたい。既に諸君も知っての通り、北方での蛮族の行動が活発化している。奴らの帝国北部への侵攻を未然に防ぎ、脅威を取り除くため、北方への侵攻作戦が提案された。これよりその作戦の詳細について説明したい。アリシア、頼む」
アリシアが頷き起立する。
全く関係ないが、自分で口にした「アリシア、頼む」の響きがとても良かった。
是非、また口にしたい。
俺のどうでもいい内心とは別に、アリシアがよく通る声で説明を始めていた。
今回の作戦は、大まかに二段階に分かれている。
前段は蛮族の小集団に対する各個撃破策だ。
遠見の魔術師などを用いて蛮族の集団を捜索後、ランズデール騎兵隊でもって攻撃する。
蛮族一隊に対して、攻撃に向かう騎兵隊も一隊。
しかし、すべての攻撃には必ずアリシアが参加することになっていた。
このため、攻撃は、東から西へと時間差をつけて実施される。
アリシアはこの間、各隊を渡り歩きながら、全ての襲撃に参加することになる。
おそらく各個撃破に対抗するため、蛮族は戦力を集結させるだろう。
後段作戦では、この集結した敵部隊を正面攻撃し、撃破殲滅する。
この戦闘にはアリシア率いる騎兵隊に、投射攻撃力を有する帝国軍部隊が随伴することが予定されていた。
この敵主力の撃破をもって作戦は完了となる。
これは彼女の著した論文にもあった作戦であった。
だが俺は、常々疑問に思うことがあった。
アリシアは、常に大規模な会戦を回避してきた。
理由は簡単だ。大規模な戦いの中では彼女の超人的な武勇が活きないからだ。
小規模な戦いでは決定的な力を持つアリシアも、万を越す軍と軍との衝突では、大勢のなかに飲み込まれてしまう。
また、敵の戦力を集中させてしまうのは、用兵としては邪道だ。
敵は分けて叩くべきである。
にもかかわらず、この作戦の後段では、敵戦力を集中させた上、大規模な会戦による決着を目標としていた。
俺には解せなかった。
この俺の疑問に対して、アリシアはほころぶ様な笑顔を浮かべてこう答えた。
「はい。ですから、アリシア・ランズデールを50人に増やすのです」
アリシアの要求した物資の中には、彼女がかぶる鉄帽子が、50余り含まれていた。
この作戦案を見た幕僚達は何とも言えない顔をしていた。
一人の幕僚が、おそらくこの場のだれしもが最初に考えたであろうことを口にした。
「どこぞの大国の軍隊が、この前段作戦と同じやり方でやられてはおりませんかな?」
「ああ、分散進撃をしていた我が帝国軍が、慌てて逃げ帰った戦いによく似ている」
幕僚達に苦笑交じりの笑いが起こった。アリシアも少し困ったように笑っている。
二年前にアリシアは、これと同じ策で我々帝国軍を撃退している。
俺が重症を負ってアリシアに一目惚れしたときの戦いだ。
この前段作戦は、アリシアの武力を前提にした場合、絶対に間違いが無い作戦であった。
ある意味、必勝の策であるとも言えよう。
懸念は一つだけ。
「真面目な話をしましょう。一番の懸念はランデール元帥にかかる負担が大きすぎる点だ」
「考慮する必要はありません」
アリシアは、懸念を即座に否定した。
俺達は、無論、彼女の言葉が嘘でも強がりでもないことを知っている。
しかし現実として、それを目の前の、年端もいかぬ娘が為すとなれば、諸将の胸中は穏やかではなかっただろうと俺は思う。
俺自身がそうだったからだ。
拳闘士の戦いを想像してみればいい。
彼らは、たった四半刻にもみたぬ戦いで、すさまじく消耗する。
まして命をかけた闘いが、生ぬるいものであるはずがない。
人間同士の殺し合いとは、本来そういう類のものだ。
アリシアは、熟練の闘士が経験するそれの、実に十倍以上の時間、戦い続けることを強いられてきた。
それを何日も何十日も何ヶ月にも渡って続けるのだ。
今までは王国の者達が彼女にそれを強いてきたし、俺達帝国軍もまた同じことを彼女に強いようとしている。
なるほど、辺境諸侯軍や彼女が率いる兵士たちの忠誠と士気の高さもうなずけた。
彼女の、この献身に応えるためならば、死守命令程度どうとでもないわ、と。
一年前の帝国軍侵攻時、王国軍の全要塞には、玉砕命令が発令されていた。
帝国領に少数の部下のみを率いて逆侵攻したアリシアを、支援する目的だったそうだ。
その年の帝国軍は、たかが辺境の小要塞二つに1000を超える損害を被り、後方をアリシアに脅かされて、戦意を喪失した。
結果、極めて早期の停戦が成立する。
勝手な玉砕命令に、帝国から帰還したアリシアは激怒したらしいが、今の俺達はむしろ命を投げ打った王国兵にこそ共感した。
彼女一人を敵中に孤立させて、自らは安全と平和を貪るなど、よほどの恥知らずでなければできぬことだ。
ゆえに帝国軍の幕僚たちは皆、奮起した。
後方参謀は物資集積所の整備と補給計画の完遂を確約し、魔術師部隊は索敵補助と警戒のため、最大限の協力を約束した。
今回の作戦に、ほどんどの部隊は直接的に関与することはない。
残されるものたちは、前線で戦うアリシアを支援するための任務にあたることになった。
特に手薄になるランズデール公領への救援計画については、作戦参謀達がやっきになって取り組んでいた。
渾身の部隊展開案は、王国の併合後も使えるだろう。
今回の北方遠征には、アリシアの率いる隊とともに、帝国軍猟兵部隊と俺の親衛隊が参加することが決定した。
俺も我意を通して参加をねじ込んだ。
アリシアは仕方ありませんね、と言って笑っていた。
そうとも、俺は絶対についていくぞ。
帝国軍騎兵隊の連中もこぞって遠征への参加を希望したが、万が一の際の撤退支援や連絡線確保のため、国境付近で留めおかれることになった。
彼らは悔しそうであった。気持ちはわかる。
名目は戦術予備だが、多分連中の出番は無い。
そんな確信めいた予感があった。
こうして北方遠征計画が発動された。戦闘に参加する兵力は総勢1万3000余。
常の帝国軍の動員数と比較すれば、実に半数以下の戦力での出撃となった。
作戦は前段作戦におけるアリシアの機動に由来して、北弦作戦と命名された。
アリシア&ジークハルト「「貴公らの首は柱に吊るされるのがお似合いだ」」