婚約者になろうとしたわたし
わたしは、メアリが淹れてくれた少し濃い目のお茶を片手に、読書を楽しんでいた。
本は、クラリッサから貸してもらった帝国の大衆小説だ。
なんでも、優しい皇子と勇敢な姫騎士の恋愛譚で、いま帝国で大人気なのだとか。
物語は、まさにクライマックス、皇子の危機にさっそうと駆けつけた姫騎士が、宿敵である黒騎士を退けんとするシーンに差し掛かっていた。
ただ己の力のみを信じて自らを鍛え続けた黒騎士に対し、姫騎士は皇子との強い絆を武器に立ち向かう。
私は、当然のごとく、黒騎士に感情移入した。
二人がかりの攻勢を受けて徐々に追い詰められていく黒騎士。
その姿に、黒い鎧に身を包んだ自分を重ねて、私はたいそう憤慨した。
だって、頑張って頑張って強くなったのに、最後は愛の力の引き立て役なんて、そんなのあんまりじゃないか。
私は絶対納得できない。
断固、抗議してやる。
袋叩きにされつつある黒騎士の、つらい半生を思って私が心の中で涙を流していると、朝から部屋を出ていたステイシーが戻ってきて、私の耳元で報告した。
「昨夜アリシア様狙いの賊が一名侵入したようです」
「それで? 」
「賊は捕縛しました。背後関係を洗っています」
「わかったわ。報告ありがとう」
ステイシーはいつもの微笑みを浮かべると踵を返して、部屋を出ていった。
メアリが物といたげに私を見た。
「私を狙って賊が入ったそうよ」
「何個小隊ですか」
「一人」
やる気が感じられませんね、といって彼女は空になった私のカップに紅茶を注いでくれた。
私が黒騎士だったらこの姫騎士を皇子ともどもぼっこぼこにしてやるのに、とちょっと物騒な感想が浮かんだ。
半分以上は可愛い姫騎士に対する嫉妬だ。
そんな私の思いとは裏腹に、追い詰められた黒騎士は、崖から突き落とされて谷の底へと消えていった。
かなしいなぁ。
私は黒騎士に哀悼の意を表すると本を閉じて立ち上がった。
多分呼び出しがあるだろう。
着替えておかなくてはならない。
それからすぐに、私達はジークの執務室に集まった。
至急ということだったので、私は軍服に着替える暇がなかった。
ちょっと悔しい。
部屋には、ジークの他、コンラート、ステイシーが待っていた。
私の随行はメアリとクラリッサだ。
席につくとすぐにジークが口を開いた。
「早速だが、今回の件について報告をたのむ、ステイシー」
ステイシーの報告をまとめるとこうだ。
ここ一週間ほど、カゼッセルの周りで、要塞に招かれた貴族女性とその居場所について嗅ぎまわる一味がいたらしい。
この時点でだいぶ怪しい。
私の待遇が、公爵令嬢か王女か将軍か決まらなかったせいで、対外的にはいない子として機密扱いをされていたが、アリシアの存在自体は末端の兵士の皆さんまでよくご存知だ。
部屋の場所も特に秘密というわけではない。
こいつら超怪しい、と彼らに絡まれた兵士も考えたらしく、上官へと報告が上がった。
連絡を受けたステイシーが、選抜チームを編成して問題の一味をマーク、情報をわざと掴ませて誘い込んだ。
のこのこ侵入してきたところを、現行犯で捕まえたのだそうだ。
街に潜伏していた一味も、予め目星をつけていたものは全員身柄を押さえたらしい。
全部で二十人近くも捕まえて、まとめて尋問中だそうだ。
水も漏らさぬ対応である。
私は、賊の侵入よりも、ステイシーの辣腕に衝撃を受けていた。
今までダメな子扱いしてごめんよ。
でも、ほとんど私につきっきりだったのに、いつそんな準備をしたのだろうか。
時々書き物机に向っているのは見たのだけれど……。
「今回の賊ですが、アリシア殿下ではなく、第一皇子のお相手を目標としたものと断定して、まず間違いないと思われます」
彼女はそうしめくくるとジークに話を譲った。
ジークは頷いた。
その表情が少し苦しそうで私は気になった。
「俺の事情を貴女に話す時がきた、というわけだ。聞いてもらいたい」
ジークはまず帝国における彼の立場について話してくれた。
私の予想に反して、その内容はとてもわくわくするものだった。
なんと彼は、ちょっと名のしれた冒険家皇子だったのだ。
ジークが変な顔するから、ちょっと身構えちゃったじゃないか!
そもそもの始まりは彼の家族構成にある。
ジークは皇后陛下の長男で、他に全部で4人の弟がいた。
側室の子もそこには含まれるのだが、どの后も皇帝となった場合の後ろ盾としては十分なのだそうだ。
ジークは考えた。
他に四人も弟がいるんだから、俺は多少無茶しても大丈夫なんじゃないか、と。
皇帝陛下は仰った。
いいぞ。
どんどん冒険しろ、と。
帝国は、大きな国だ。
多くの国や地域を取り込むことで、拡大してきた。
民族も文化も多様になった帝国を、一つにまとめ発展させていくには、相応の手腕が求められる。
宮廷の中で大事に守って育てるだけでは、不足するものがあるかもしれぬ、と陛下は考えられたらしい。
実は、現皇帝陛下も若い頃に、帝国各地を飛び回っていろいろな経験を積んだのだそうだ。
もっとも陛下は次男だったそうだが。
ジークもこれに倣うことにした。
陛下のお墨付きをもらったジークは、考えた末に士官学校に入学。
皇子であるにもかかわらず、前線での勤務を希望した。
うっかり死んじゃっても、弟がいるからいいやぐらいの割り切りっぷりだったそうだ。
もちろん護衛はつけたうえでのことだ。
初陣で、負傷した小隊長に代わって部隊を指揮したり、雪山で遭難した兵士の捜索にあたったりと、いろいろな経験をしたらしい。
最初からドラマチックな展開を引き寄せるあたり、なにか持ってると言わざるを得ない。
彼は兵士たちにとっても、身近な皇子だ。
「皇子と兵士だからな。もちろん同じ目線というわけにはいかないが、たまに同じ釜の飯を食うぐらいならできる」
とのこと。
私も心の底から同意したい。
彼の冒険譚は巷では有名で、国内における人気も高い。
ただ結構な頻度で死にかけたりもしているそうで、そろそろ次期皇帝として身辺をかためて、落ち着いてもらいたいという声が上がっているそうだ。
「そんな俺は今年で25になったが、未婚で婚約者もいない。これをどう思う? 」
「随分と遅いように思えます」
「ああ、俺も同感だ」
私の返答は少し率直にすぎたかもしれない。
彼は自嘲するように笑った。
そう、ジークは、帝国の第一皇子であるにもかかわらず、未だに決まったお相手がいないのだ。
もちろん、この事態は、彼が意図したものではなかった。
彼が二十歳になった時、さる良家のお嬢さんと婚約を結ぶ事になった。
もちろんジークもお相手も合意の上だ。
しかしそのお相手の女性が、彼女に一方的に思いを寄せていた男性に害されてしまった。
その後、別なお相手との婚約の話が持ち上がった。
だが本決まりになりそうになったあたりで、いきなり白紙撤回されてしまったそうだ。
ここでジークとその周辺も異変に気付く。
三回目の婚約の打診が不調に終わったことで、本格的な調査が行われ、第三皇子クラウスが容疑者として浮上した。
「もともと俺の婚姻に関わる利害関係者など皇族以外に存在しない。狙いが露骨過ぎて犯人の特定まではすぐできたのだが、そこからが難しくてな」
現状、クラウスを抑えられるだけの明確な証拠は確保できていないそうだ。
またクラウスにも支持者は多い。
もっぱら帝国中を飛び回るジークに対して、クラウスは宮廷内での支持が厚かった。
これは帝国の宮廷が悪いわけでは、もちろん無い。
クラウスは帝国内の宮廷で、いわゆる皇子らしい仕事をしているのだそうだ。
ほとんど顔を合わせたこともない第一皇子ジークハルトより、なにかと便宜を図ってくれる第三皇子クラウスのほうが、宮廷人にとっては親しい存在なのだ。
積極的にジークを害しよう、などというものはもちろんいないが、クラウスが戴冠するのであれば大歓迎である。
加えてクラウスは、母方の親族の力も強い。
嫌疑不十分なまま、クラウスを処断するのは内紛の種にもなりかねず、ジークもなかなか手が出せなかったそうだ。
この問題については、皇帝陛下もご存知で、かなりはっきりと諌めたが効果が無い。
彼に直接つながる証拠があがっていないことをクラウスも知っているのだろう。
「面倒ではあるが、クラウス排除のための宮廷内工作も視野に入れていたところで、俺が貴女と出会ったというわけだ」
さてここでジークハルトに出会った当時の私、アリシア・ランズデールの性能を帝国の視点から確認してみよう。
身分は王国の公爵令嬢。
釣り合いは取れなくもない。
田舎領主の娘となるとちょっと厳しいが、ギリギリ許容範囲内だ。
年齢は十五歳。
ジークとは少し離れているが、貴族同士であれば珍しくもない年齢差。
当時敵国の人間ではあったが、王国の併合がなされれば、帝国と王国の和平を象徴する意味でも都合が良かった。
そして何より強い。
女性と認められている全人類の中で、おそらく最強であろうと思われた。
男性のぞく全人類とした、私の乙女心はわかってもらいたい。
当時の私の婚約者は、帝国でいうところの二代目の馬鹿だった。
アリシア嬢は、政略結婚について、海より深い理解がある、と考えられていたらしい。
我が帝国の第一皇子はちょっと理屈っぽいところはあるが、誠実で有能な男だ。
婚約についても前向きに検討してもらえるに違いない。
こんな具合だったそうだ。
ジークの思いを別にしても、私はそこそこ魅力的な物件であったらしい。
私はこの話を聞いて、とても嬉しくなった。
自分がジークの隣に立つ理由ができた気がしたからだ。
ここで明言しておかなければならないだろう。
私は、ジークを取り巻く事情を聞くまでは、ジークの、その、求婚をお断りさせて頂くつもりであった。
ジークの妃となった自分の姿を私は想像してみたことはあった。
私だって乙女だ。
素敵な殿方と結ばれて、契を結ぶ自分を夢見なかったわけではない。
お相手はかの帝国の皇子、自分が座するは妃の座、もっとも華やかなりし乙女の夢の実現である。
そうやって、私が思い描いた皇子妃アリシアの姿は、しかしひどく惨めで滑稽なものだった。
理由は簡単だ。
私には戦うこと以外、何もできないからだ。
私にはまともな社交の経験がなかった。
最低限の礼儀作法はある。
でもそれは一代貴族の令嬢でさえ持っているものだ。
妃となったからには、宮廷にあって数多の女性たちを取り仕切らねばならない。
私にそんな経験など無かった。
当然できるあてもない。
まさか反抗的な兵士に対するように、逆らうもの皆、殴りつけて従えるわけもいかないのだから。
女性的な嗜みとやらはどうだろうか。
今の私に経験がないのは、社交と同じだ。
しかしこれなら、あるいは今から努力すれば、なんとかなるのではとも思った。
結果は酷いものだったが。
刺繍がいい例だ。
あれだって、私なりに必死になって頑張ったのだ。
出来栄えは、一言で言うならのたくったみみずであった。
加えて、比較となる対象が、天才肌のクラリッサであったのが致命傷であったかもしれぬ。
私は、白旗をあげざるを得なかった。
もしかしたら、私は政務において、有能な秘書となることはできるかもしれない。
だがジークは、私などよりもずっと専門的な知識と優れた識見がある。
彼を支える官僚も多い。
私がいる必要性は見当たらなかった。
もちろん戦いの場で彼を助けることはできる。
これは間違いなく私の独壇場だ。
彼の剣として盾として、彼を護り、進む道を切り開くにあたり、私以上の人間はいないと自信をもって言える。
でもそれは、妃の役目じゃないんだよなぁ。
これ以上は、私のガラスハートが耐えられないのでお許し願いたい。
ここ一ヶ月間、ジークの好意におおいに甘えながら、私が至った結論を述べよう。
アリシアは、ジークハルトの妃にはなれない。
私がたとえ王女になったとしても、アリシアの本質が変わらない以上、結論も同じであった。
惨めというなら、貧乏公爵令嬢であった王国時代も変わらなかったかもしれない。
事実、幾度もそういった目を向けられたことはあった。
しかし当時の私は、そんなものなど歯牙にもかけなかった。
悪感情を向ける彼らは、私にとって路傍の石も同然の存在であったからだ。
でもジークの目の前で同じような視線を向けられた時、私は耐えられる自信がなかった。
彼の前では、彼が好きだと言ってくれた、素敵なアリシアでいたかったのだ。
私は彼のことが好きだったから。
……はい。
やっすい女である自覚はあります。
まだ出会って一ヶ月しかたってないからね。
でも彼から告白されて、心づくしでもてなされて、私はとてもとても嬉しかったのだ。
彼はわたしに酷いことは一切しなかったし、見返りを求められたこともなかった。
カゼッセルの兵隊さんからも、彼の話をいろいろ聞けた。
ジークは、誠実で頼りがいのある人だとみな言っていた。
よく死にかけるのをとても心配されてはいたけれど。
ジークと話す機会はそう多くはなかったし、時間も短かった。
でもいつでも彼の好意はまっすぐで、私はそれにこたえたいと思ったんだ。
以上だよ。
これ以上言うとわたしが恥ずか死しちゃうからね。
そんな理由で、彼との、少なくとも皇子と妃としての関係を諦めかけていた私にとって、ジークを取り巻く事情はとても都合よく聞こえた。
確実に私が役に立てる場面の到来である。
「私、ジークハルト殿下の婚約者として立候補します! 」
私は勢い込んで申し出た。
コンラートが受けて答える。
「俺たち第一皇子派からしてみれば願ってもない申し出です。ただアリシア殿下を囮に使うことには違いありません。護衛はもちろん手厚くする予定ですが、貴女が悪意にさらされる危険性は、あります」
「えぇ、どのような危険であれ、ジークの役に立てるのであれば望むところです」
ジークに不慮の事態がなければ、次期皇帝は彼で決まりだ。
そもそもクラウスに、皇帝の目が多少なりと存在するのはジークが時々死にかけるからだ。
時々死にかける第一皇子。
未だにその響きになれないのは、私の帝国歴が浅いからだろうか。
ジークは妃がきまれば、間違いなく宮廷にもどって、次期皇帝としての準備を開始する。
妃が決まらなくとも、宮廷に戻ってくるかもしれないが、それはすぐのことではない。
クラウスがしているのは単なる時間稼ぎにすぎないのだ。
護りが薄いかよわい女性を狙うような真似はできても、おそらくジークには手が届かないのだろう。
ジークに届かないようじゃ、その手は私にも届かないんだよ。
私は心のなかで嗤った。
第三皇子クラウスからして、最初の陰謀が予想外に上手くいってしまったせいで、へんな自信をもったのだろう。
しかし陰謀の稚拙さを聞く限り、私とメアリの敵であるようには思えなかった。
伊達に、敵しかいなかった王国で生き抜いてきたわけではない。
今回はなんと、帝国の皆さんまで支援してくれるのだ。
負ける要素を探すほうが難しいくらいだった。
「ジークハルト殿下、以前のお話、是非お受けさせてください。必ずやいままでのご厚情にお応えしてみせます」
勢い込んで言った私に、ジークは少し不本意そうな顔で、でも嬉しそうに笑ってくれた。
「正直に言うと、あなたならそう言ってくれるはずだという思いはあった。だからこそ伏せておきたかったんだが……」
「この手の事態は、私としては望むところです。絶対にジークの役に立ってみせますよ」
笑いながら、私が右手を差し出すと、ジークも立ち上がった。
彼も右手を差し出す。
これは契約だ。
皇帝となる彼を私が守るのだ。
それを遮る声があった。
「お待ちください」
メアリの声だった。