刺繍とわたし
先だっての変態エピソードの続きで申し訳ないんだが、とにかくこのドレスというかシルクのプレゼントに私はたいそう感激した。
聞けば殿下が歳費で買ってくださったとのこと。
私の中で殿下への好感度はうなぎのぼりである。
物欲にまみれた浅ましい女で申し訳ない。
でも自分が欲しいものを贈ってもらえるとうれしいじゃん。
この素敵なお部屋もであるが、私は殿下にお礼がしたいなと思った。
なにかこう、物的な形で。
メアリ、クラリッサ、ステイシーの三人娘とも顔を寄せ合って相談したところ、
「やっぱりオーソドックスに刺繍がいいのでは? 」
という結論におちついた。
刺繍。
知らない子ですね。
いや、知ってる。
知ってるよ。
どんなものぐらいかは流石の私だって知ってる。
ただ、私は全然やり方を知らないんだ。
学園の家政系のコースで普通に扱うんだけど、当たり前のように私は取ってない。
なにしろ私が通っていた学園は、バカ貴族でも合格できる底辺学園だ。
必修の一般教養さえ履修してしまえば、あとは論文というか作文を一年に一本提出するだけで進級させてもらえる。
そして私は自分の仕事関係の論文で進級を勝ち取ったので、当然刺繍とかの授業は、自主休講で済ませていた。
前線でちょっと事故った時に、ががっと縫合用の糸で縫い物をしたことならあるんだけど、刺繍とはだいぶ違う気がする。
というか絶対違う。
「先生が欲しいわ」
私は言った。
メアリは私を見て頷く。
クラリッサとステイシーは私から目をそらした。
そう、ここで最近発覚した驚愕の事実をお知らせしよう。
クラリッサとステイシーは、なんとこの手の貴族女性系スキルが、全くと言っていいほどなかったのである。
最初のパーフェクト侍女ムーブは完全に見かけ倒しであった。
実は、二人は近衛騎士団所属で、侍女でもなんでもなかったのである。
一応、お世話係としての訓練は、バッチリらしいのだが、他はさっぱりと自己申告をもらった。
それを聞いた時のメアリの、お前らまじかよ、みたいな顔に、二人が小さくなってる姿はちょっと笑えた。
いや笑い事ではない。
いわゆる貴族女性の嗜みには、男の人に喜んでもらえそうなもののもたくさんある。
ジークハルト殿下は私に好意をもって接してくださっているし、できれば私も自分なりにお礼をしていきたい。
それがいきなりこのざまなのである。
なにしろここに4人も女性がいて、所持技能が アリシア:戦闘、メアリ:戦闘と側仕え、クラリッサ:戦闘、ステイシー:戦闘。
パーティー編成が偏り過ぎである。
まともに運用できない。
お前ら一体何と戦ってるんだ。
あとこれだけ見ると、メアリだけ凄い有能そうに見えるな。
スキルが二個もある。
ちなみに一番ひっどいのはステイシーで、私よりも女性として終わっていた。
もう相当である。
それについてはおいおい語ろう。
「他のもののほうがいいかしら」
「いえ、殿下に確認してきます! 」
そして、クラリッサが殿下に対応を依頼すべくとんだ。
ところでこのカゼッセル要塞、実は女性が私達4人しかいない。
施設に女性が入っていろいろトラブルになることを嫌った殿下が、基本的に女性禁止でやってきたらしい。
立ち入りもお断りしている。
本当にすぐ近くに街があるので、女の人に会いたい軍人さんは、皆そっちに繰り出して上手くやりくりしていたのだが、今回ばかりは困ってしまった。
この当時、私は、要塞どころか許可なく部屋から出ることさえ禁止されていて、存在も表向きは機密扱いとなっていた。
つまり街に行くのも街から人を呼ぶのもアウト。
私が刺繍を学ぼうと思ったら、むさい男の軍人さん達の中から先生を探すか、事態が落ち着くまで待たなければならないのである。
ちなみにむさいおじさんの中から探したら普通にいた。
トビアス・ベルッケさん、くりくりした瞳とえくぼがかわいい、巨漢のおじさま御年五十五歳である。
元は服飾職人だったそうだ。
私は見上げた。
「大きい方ですね」
「はい、おまかせください」
でかい人に対する好感度の高さに定評がある私は、先生の横に腰をおろすと、お手本を見せてもらいながらせっせとちくちく始めた。
先生は大きな手で器用に針を使ってさしていく。
私の手は小さいのに、ものすごい動きが大雑把だ。
とにかく狙ったところに針がいかない。
私が四苦八苦する横で、割となんでもそつなくこなすクラリッサは、さくっとコツを掴んだらしく、すいすいさし始めた。
メアリも折角の機会だからと新しいさし方を勉強している。
彼女はある程度最初からできる。
そして約一名、敵前逃亡をかましたやつが居る。
実は私はすごい負けず嫌いである。
ガキンチョの頃から練兵場で大の大人と張り合ってきたが、そりゃあ強くてたちまちチャンピオンになった。
私の鼻は高いまんま一度だっておられたことはなかったのである。
要は負け慣れていない。
実は、私はステイシーにちょっと期待していたのだ。
女子力絶無の彼女なら、私をびりっけつからブービーにまで押し上げてくれるだろうと。
それが土壇場になっての裏切りである。
私は激怒した。
激怒しただけで無力であった。
先生は、とびきり出来が悪い子を見守るようなすっごい優しい目をしながら、ほとんどつきっきりで私に教えてくれた。
SとRとMというたった3文字を縫い付けるのに、私はぼろぼろになりながら、なんとか完成までこぎつけた。
「読めるわよね」
「え、えぇ殿下なら多分大丈夫です。いけるいける! 」
「ミミズみたいですね」
どっちがどっちの台詞かはあえて言うまい。
私は負けるのが悔しかった。
リベンジを期した私は、それから3回ほど教室を開いて貰った。
そして私は、どうやっても越えられない壁があるのだということを、この歳にして知ったのだった。
結果として、私は才能が無いなりにイニシャルだけはさせるようになり、メアリとクラリッサは、私には何言ってるかわからない高レベルな会話ができるぐらいまで上達した。
そしてやつは最後まで逃げ切りやがった。
3回の講座で、3枚イニシャル入りのハンカチができたので、殿下のところにその都度持っていったけど、なんとなく嬉しそうな感じがしたから、頑張ってよかったな、とは思いました。
そして、実は、実は、父にも1枚さしたのである。
実家に帰ったときのおみやげにしようと思う。
父は絶対喜んでくれると思うから、今からちょっと楽しみである。