アリシア・ランズデールに関わる企み
アリシアとの出会いから一年が経過していた。
「誘いは父、ラベルへ。私が思いは、常に彼と共にある」
彼女への誘いは再三その言葉と共に突き返された。
ランズデール公ラベルへの勧誘は、散々行っていた。
それはもう担当の諜報部員の手指がペンだこで膨れ上がるくらいにだ。
無論、返答はけんもほろろであった。
その日、俺は東部方面軍の司令部にいた。
今年の王国領侵攻は、帝国領に逆侵攻して来たアリシアによる通商破壊と要塞線死守戦術の前に早々に頓挫していた。
停戦協定成立の最速記録を、実に二倍以上も更新する羽目になった遠征軍司令官ルーデンドルフは、自ら蟄居を願い出て受理されたため、今回の会議には欠席している。
ちなみに国境線封鎖によるアリシア捕縛という案も出るには出た。
出ただけで、誰も手をあげなかったのでそのまま流れた。
成算が無いからな。
俺もやりたくない。
「正直、姫の北方遠征は予想外だった」
「なんでも北方諸侯からの要請があったらしい」
やはり昨年の戦役で、北方の蛮族は、戦力のほとんど喪失していたらしい。
しかしここで予想外だったのは、春から夏にかけて行われたアリシアによる北部遠征だ。
彼女は北方諸侯と大同して国境線を超えると、敵本拠を一撃してこれを陥落せしめ、多くの虜囚と財貨を取り戻したと報告があった。
「しかし、気軽に敵本拠を一撃と言ってくれるが、地理と補給はどうしたんだ。他にも聞きたいことは山ほどあるが」
「誰も答えられん質問をするな」
俺が言うと何とも言えない笑い声が上がった。
北方に不安を抱えるのは我々とて同じだ。
そう簡単にできるなら我々とてやっている。
「もし姫をお迎えできれば、帝国国境北部の掃除も捗りそうですな」
「違いない。諜報部には是非とも頑張ってもらいたいものだ」
そう、今回の主役は諜報部。
直接ではなく搦め手で行く。
議場が静まるのを待ってから、今回の会議の本題を述べる。
「というわけだ。今度は我々がアリシア姫を強奪する。作戦について、マルゼー、頼む」
「発言が蛮族じみてますよ、殿下」
コンラートが混ぜっ返すが、俺は無視した。
「こんな形で定時退勤のつけを払わされることになるとは思いませんでしたが」
諜報部のマルゼーが起立し、説明を始める。
「作戦の概要を説明します。アリシア嬢がいる女子寮を封鎖後、麻痺性の吸引毒を注入します。その後、部隊を投入、拉致します」
「随分シンプルだな。成功するのか」
「ええ、単に屋内に麻痺毒を充満させる程度では、ほぼ確実に突破されるものと思われます」
詳細は長くなったので割愛するが、彼女の周辺がもっとも手薄になるタイミングを狙って、彼女本人ではなくその従者を抑えることで、アリシアを拘束する作戦であった。
外道の所業だな、と俺は思ったが、その外道の首領は俺である。
俺は一つ頷く。
「では具体的な作戦日時を……」
「すみません。ここで悲しいお知らせがあります。次のアリシア嬢の女子寮入りは、約一年後の建国祭になります。それまでは事前訓練をはさみつつ待機となります! 」
おおよそ一年間、何もせずに待てということか。
思わず俺は頭を机に叩きつけた。
天板から固い音がする。
そういうことは先に言っておけ。
コンラート!
そして俺は、念願の建国祭の日を向かえた。
俺ほど、彼の国の記念日を待ち望んだ人間もおるまい。
その思いは、すべての王国国民よりも強かった自信がある。
執務室に篭って秘蔵の13年物ワインで一人祝杯をあげていると、出迎え準備に奔走していたクラリッサに「まだ気が早いですよ」とからかわれた。
建国記念日を待つ間の出来事としては、まずは王国の宰相からアリシア謀殺に関する密書が届いた。
目下、完全に体勢を立て直した領主連合に、今更ながらの危機感を覚えたらしい。
そのお粗末さもだが、何よりアリシアの名誉と尊厳を貶めんとする内容が、彼女の訪れを一日千秋の思いで待ち続ける俺の神経を甚だしく逆なでした。
俺は、諜報部を通じて、やつの寝室に直接、激怒している旨の親書を叩き込ませることで動きを封じた。
俺たち帝国がその気になれば、いつでも首を刎ねられるのだと理解させられた宰相は、それからの数日、寝込んでろくに出仕もできなかったらしい。
後に素晴らしくどうでもよさそうな顔をしたマルゼーから報告があったが、たしかに心底どうでも良かった。
もう一点は、今年の軍事行動だろう。
諜報部の作戦を支援するため、我々はアリシアを西部国境付近に釘付けにする必要があった。
今思い返すと、当時の帝国軍にとってのアリシアは、人間というより、神話上の怪物か何かの如く考えられていたように思う。
我々は、まるで巨大な竜を相手にするがごとく、たった一人の人間を拘束するために一軍を動かすことを決めた。
その異様さについて、だれも、何の疑問も示さなかった。
このとき、対する王国軍は、とうとう北方の領軍まで動員して、実に三万近い数を展開させていた。
加えてアリシアが、今までろくに貢献のなかった東部諸侯を小突き回して、金を出させたという情報もはいっていた。
幕僚の一人が唸るように言う。
「……年を追う毎に、状況が悪化するな」
おい、やめろ。
誰もがあえて口に出さなかった現実を指摘するのはやめろ。
一瞬みなが黙り、それから苦笑に近い笑いがおこった。
とにもかくにも数だけはかき集めたらしい王国軍の布陣を見れば、彼女の意図もわかりやすかった。
「攻めるのではなく、睨み合いを前提とするならこの程度の兵力、我々にとって脅威ではない。アリシアの基本戦略は、徹底した会戦の回避だ。堅陣を敷いて守れば、あれは絶対に動かん」
姫は「絶対にくるな」と仰せのようだった。
我々も、今回は御意に従うことにした。
こちらにとっても願ったりな申し出であったからだ。
今回の作戦指揮もルーデンドルフが執ることになった。
とにかく、アリシアだけは、前線から離すわけにはいかない。
彼は要塞攻撃を企図すると見せかけ、攻城兵器をあえて敵に見せつけて、彼女を引きずり回した。
アリシアが来れば引き、アリシアが離れれば寄せる。
単純だが、長い国境線の防御をアリシアの機動力で補う王国軍に対しては有効であった。
試しに離れた南北の砦に投石機を接近させてみると、アリシアはほど近い南の砦に向かうことが確認された。
北側の砦に対しては攻撃の開始が指示され、丸一日の間、石弾を砦に打ち込んだ。
翌朝、現地の指揮官は夜明け前に目を覚ました。
嫌な予感がしたらしい。
わかるぞ。
大体予想通りの展開だ。
案の定、白み始めた東の地平に、砂塵が見えた。
大音声でラッパが吹かれ、兵士が飛び出してくる。
遠目にも騎馬隊が凄まじい勢いで接近してくるのがわかったそうだ。
「撤収! 」
指揮官は、投石機の放棄を即断すると、全速での撤退を部隊に指示した。
その後は、みな命がけで走った。
最後尾の兵士は、先頭をひた走る騎士の銀髪と、紫の瞳が見える距離まで追いすがられたと、その時の恐怖を語ったそうだ。
ちなみにアリシアは被り物をしていたはずなので、おそらく彼の思い込みである。
帝国軍は大した価値もない砦に、丸一日投石を行い、代わりに投石機2基と兵士の装備約五百人分を失った。
「安いものですな」
一人の幕僚が言った。
人的被害は無かったため、その場にいた全員が同意した。
アリシアを前線に拘束するためだけの作戦は、その後だらだらと二ヶ月間に渡って続けられた。
特に停戦直前には徹底した飽和攻撃の偽装が行われ、彼女を国境線に釘付けにした。
彼女も何かしら裏があることに気付いていたようだが、付き合ってもらえたのは幸いだった。
「ようやく最後の勝負で引き分けに持ち込めました」
ルーデンドルフはそう口にすると、疲れたように笑った。
彼は最後と言った。
俺達もそのつもりであった。
アリシア誘拐作戦の失敗を疑わなかったわけではない。
みな、そのような事態など考えたくも無かったのだ。
俺も、将帥も、兵士たちも、これが帝国軍全員の総意であった。
そして今に至る。
今頃学園では、パーティーが終わった頃合いであろうか。
物思いにふけっていた俺の執務室の扉を、ノックする音が聞こえた。
マルゼーが入ってくる。
いよいよだ。
マルゼーが俺を見た。
いつものとぼけた顔だ。
その、この男の、ぼやけた風貌に、常の平静以外の感情が見えたのは果たして俺の錯覚だったのだろうか。
「失敗しました」
彼は、開口一番そう口にした。
「作戦は失敗、原因は不慮の事態です。しかし、状況を継続とも」
「どういうことだ? 」
「不明です」
「そうか」
俺は頭を掻いた。
符号通信だけでは、詳細はわからんな。
「状況を継続とは、まだ目があると考えていいのか」
「はい」
「わかった、ご苦労。続報あり次第知らせろ。さがってよし」
マルゼーは一礼するとそのまま執務室を出ていった。
頭が冷えていくのを感じた。
俺は、手持ちのワイングラスを見つめると、勢い良く振り上げた。
勢いでワインがこぼれて服にシミをつくる。
そして、俺は、そのまま、ゆっくりと、グラスを元の位置へと戻した。
肺の底から息を吐き、心を鎮める。
ワインやグラスに罪はないのだ。
感情的に当たり散らすのは、俺の趣味ではなかった。
無駄に服を汚したと怒られるだろうな。
とどこか遠くに思っていた。
状況は継続中、その言葉に賭けるしか今は無かった。
しかし、ここからが大変だった。
この後、すぐ続報があり、「状況よし」とのこと。
しかしなにが「よし」なのかもよくわからない。
皆が首をかしげる中、幕僚の一人が言った。
「作戦は失敗したが、状況は良いということでしょう」
「そんなもん聞けばわかるわ! 」
俺の心の声を代弁してくれたオスヴィン大佐には、あとで褒美を出さねばなるまい。
それから続報はなく、みな、なんとも言えない焦燥感の中過ごした。
そのまま日をまたぐ。
空けて翌日、その日も動きなしかと諦めかけていた夜半、続報が入る。
マルゼーが駆け込んできたのだ。
あの、いつも薄らボケた顔しか浮かべない、細目のマルゼーが、なんと笑顔を輝かせている。
「作戦、成功です! 」
作戦室に歓喜の声が弾けた。
皆立ち上がってわけの分からない大声をあげながら抱きつきあう。
俺もまざってむさい男どもと抱擁を交わしあった。
しかし、ルーデンドルフ、俺に抱きつく時は手加減しろ! 背骨が折れるわ!
みな笑顔であった。
ここ数年で一番の笑顔であっただろう。
もう戦争にも勝った気でいた。
そうここで終われば良かったんだ。
だが、まだ続きがあったのだ。
主に俺にだけ被害を及ぼす爆弾が。
歓喜を爆発させた後、どこか浮ついた雰囲気に包まれたままのカゼッセル要塞に、絶望的な顔色をした伝令が駆け込んできたのは、それから二日後のことだった。
「アリシア様が! アリシア様が、ジークハルト殿下のお名前を耳にされた途端、態度を硬化されたそうです! 至急対応策を! 」
この時の俺の気持ちを、百文字以内で述べよ。