ステイシーのお宅訪問とわたし
「我が家に帰らせて頂きたく思います」
ステイシーのお言葉であった。
一応お断りしておくと、私が愛想を尽かされて、今この瞬間、辞表を叩きつけられたわけではない。
最近は遊び歩いてばかりな自覚はあるけれど、これは私の周囲も認めたうえでのことなのだ。
だから、大丈夫。
……大丈夫だよね?
「つきましては、休暇時の調整をお願いしたく思いまして」
実はステイシーは、カゼッセル要塞での顔合わせ以来、休み無しで任にあたってくれていた。
アリシアの側近は年中無休、ブラック企業も真っ青の勤務体系だ。
ゆえに彼女は、たくさんの有給休暇がたまっているのである。
そんなステイシーから、しばらく家族と一緒に過ごしたいと要望が出た。
彼女の家族は帝都在住なので、今なら会いに行くのも簡単なのだ。
ステイシーは一度、非番の時に自宅に戻ったのだそうだけど、それ以外の日はずっと私の側にいてくれた。
だが、ここ最近は、世話が焼けるアリシアも落ち着いてきたことであるし、働き者のステイシーがお休みを取れる状況になったのである。
単身赴任中のステイシーは、家族のことが大好きだ。
旦那さんも、二人いる息子さんも、みんな筆まめで、ステイシーの元には、週に一度は家族からのお手紙が来る。
それをステイシーが嬉しそうに読んでいる姿を、私は何度も見かけていた。
手紙は、なくしたりしないように、彼女は大事に文箱にしまっていた。
その文箱だけは絶対に失せたりしないよう、机に強力な接着剤で貼り付けてあるのだ。
ステイシーの穴埋めには、メアリが入ってくれることになった。
「しばらくの間であれば、護衛は私が務めます」
「ええ、お願いしますメアリ」
でも私がメアリといられる時間も、残り少ない。
いまや彼女は爵位持ち貴族なのだ。
代わりの人を入れる手配を、進めなければならないだろう。
私達は、ステイシーの留守中の仕事分担や、緊急時の連絡方法などについて打ち合わせをした。
とりあえず、何かあったら、ステイシーが自宅から、私の屋敷までダッシュで駆けつける方針だ。
彼女が俊足を発揮すれば、わずか半刻の距離なのである。
意外と近いな。
話していて気付いたが、ステイシーのおうちは私のお散歩圏内だった。
私は、下心満載でステイシーに尋ねてみた。
「ところで、ステイシーのおうちって、どんな感じなの?」
「中央街区西の官舎に入っています。もしよろしければ、ご覧になりますか」
ステイシーは、物欲しげな私の内心をバッチリ汲み取ってくれた。
みなまで言わずとも察してくれる彼女は、本当に良い側近だと思う。
彼女の申し出に、私は目を輝かせた。
「ご迷惑じゃないかしら。一応、私の希望を先に言っておくと、とっても興味があるわ。ステイシーのご家族にも会ってみたい」
ステイシーの大好きなご家族に、私も会ってご挨拶がしたい。
そして、「いつもお宅のお母さんに、ご迷惑かけられてます」って言ってみたい。
それから、ステイシーの格好いい武勇伝を沢山披露して、ステイシーを赤面させてみたいのである。
私は、開けっぴろげに自分の希望をアピールした。
目をきらきらさせながら、行きたい行きたいと、頑張っておねだりする。
これに、クラリッサが吹き出した。
「アリシア様にお願いされたら、ステイシーの立場だと断れませんよ」
わがままの自覚がある私は、ちょこっと首をすくめて苦笑する。
えへへ、すまんね。
でも一日だけだから、お邪魔させてもらえないかなぁ。
ステイシーはいつものように笑っている。
「ええ、是非。旦那さんも息子立ちも、家事がとても上手なのです。お片付けもばっちりですし、お招きしても大丈夫なはずですよ」
「片付けができてるってだけで、一国の女王を家に招待する人を、私は初めて見ましたわ」
エリスの冷静な指摘が入る。
片付けすらできていない部屋へと、私を招いたことがあるステイシーは、この至極まっとうなお言葉に、恥ずかげに頬を染めていた。
ステイシーは、女王に部屋を片付けさせたことがある女なのだ。
言質はもらったので、私は遠慮せず、ずんどこステイシー宅にお邪魔することにした。
そして、急遽、私達のステイシーのお宅、突撃訪問が決まったのである。
ステイシーの家は、官舎だ。
そのおうちは、彼女が近衛騎士団でも重要なポストに就いていることもあって、なかなか立派なお住まいであった。
帝都の中心街にほど近い場所にありながら、広い敷地に平屋の大きな邸宅が建っている。
なかなか瀟洒なたたずまいだが、私の実家ランズデール家のお屋敷よりも小さかった。
ふふん、勝った。
私は得意げに鼻息を吹き出した。
この手の勝負で初めて勝った気がする。
ちなみに中に入ったら、最新の魔術具がいっぱい使われている先進的なお屋敷で、居住性はぼろ負けだった。
帝国はすごい。
近衛騎士の官舎でさえ、王国の公爵家より立派なのだ。
その豊かさが、うかがえようというものである。
しっかりとお手入れされているお庭を抜け、私達はステイシー宅の扉をノックした。
はーい、と元気な返事があってから、中の住人が顔を出す。
女ばかり五人の集団を、男性と男の子二人の三人連れが玄関で出迎えた。
きっとこの方達が、ステイシーのご家族だろう。
私はしゃなりお辞儀を交えて挨拶をした。
「こんにちは、私、アリシアと言います」
「初めまして、アリシアさん。今日はようこそいらっしゃいました」
ステイシーの夫であるマルクさんが、挨拶を返してくれた。
彼の右に立つのが長男エックハルト、左が次男のギュスターヴ。
二人ともなんだか強そうな名前であった。
どちらも、マルクさんの名付けだそうだ。
男の子は二人とも、興味津々な目で、私達をうかがっていた。
私達はおうちの居間へと案内された。
居心地のよいお部屋だ。
このおうちを切り盛りするマルクさんは、主夫である。
意外に、精悍な面立ちをした、がしっとした体格の男性であった。
長男坊のエックハルトがステイシーに似て理知的な感じで、次男坊ギュスターヴがお父さん似で気が強そうな感じである。
ステイシーは見た目だけなら、静かで理知的だから、長男エックハルト君の説明についての突っ込みは不要である。
今日の訪問はお忍びだ。
私は、名家のお嬢様アリシアちゃんのふりをしている。
ステイシーのおうちに、ご主人様と同僚三人が遊びに来たというふれこみになっていた。
ステイシーは私のこともお手紙に書いていたので、彼女の旦那さんは私のことをご存じなのだ。
お子さん二人は、お父さんにならうだろうとのこと。
良く教育の行き届いた子供さん達であった。
私達がお邪魔したのは、お昼の時間帯であった。
一緒にご飯を食べながらお話しをさせてもらう予定だ。
お腹が膨れれば、人類、みなご機嫌になる。
楽しくお話しするのに、ランチは絶好の調味料なのである。
「簡単な物で恐縮ですが」
「いえ、とっても美味しそうです」
お庭に面した食堂に、今日のお昼が用意されていた。
薄くスライスしたバケットに、各々好きに具材を挟んで食べる形の昼食だ。
バケットのパンは白パンだ。
外はカリッと、中はふんわりしたパンが、籠いっぱいにもられている。
具材は、たっぷりいろいろだ。
ハム、ベーコン、ブルストあたりの加工肉が何種類かあり、肝臓のパテや、炭火で焼いた鶏肉、牛肉などもならんでいる。
色とりどりの生鮮類がボウルの中に入っていて、野菜も食べろと主張している。
私は良い子だからちゃんと野菜も食べるよ。
ソースもいろいろ用意されている。
ニンニクの香りを移したオイルが、おいしそうだった。
メアリが好きなトマトソースもたっぷりある。
おそらくステイシーからお作法嫌いなアリシアの話を聞いて、マルクさんが用意してくれたのだろう。
嬉しいなぁ。
みんなでテーブルを囲み、食事の前の挨拶をする。
それから各自、好きな具材をトッピングして、パンをむしゃこらかじった。
おーいしー。
私は真っ先にパンへとかじりつき、家主やそのご家族に笑われた。
食べるものが美味しければ、会話も弾む。
私はもっぱら、食べることにお口を使いつつ、気になっていた事を質問した。
「ステイシーとマルクさんは、どういうきっかけで知り合ったのかしら?」
当事者の二人は、顔を見合わせた。
私は常々疑問に思っていた。
女子力皆無なステイシーが、どうやって素敵なお相手をつかまえたのだろうかと。
二人は、ばりばりの恋愛結婚だと聞いていた。
「私の学生時代、彼は寮の清掃員だったのです」
旦那さんの元の仕事は清掃員、この時点で大体想像できてしまう。
皆は顔を見合わせる。
当事者のマルクさんは苦笑いを浮かべていた。
ステイシーが、少しもじもじしながら言葉を続ける。
もしかしなくても恥ずかしいのかな。
だがそれこそ、いまさらだぞ、ステイシー。
学生時代、ステイシーは寮で生活していたそうだ。
そして大方の予想通り、生活力皆無な彼女はお部屋を盛大に散らかしてしまい、片付けに寮の清掃員だったマルクさんが呼び出された。
寮は男女共同であったので、普通に男性も出入りできたのが幸いだった。
彼は鮮やかな手並みで、学生寮の一角に発生した腐海を、白き清浄なお部屋へと蘇らせたのだ。
彼は、お片付けのプロであった。
生活態度こそ、目を覆わんばかりの悲惨さであったが、ステイシーは優秀な学生だった。
なにしろ彼女は、とんでもなく強かったのだ。
当時から、女性武官としての将来を期待されていたステイシーは、一部の必須科目を除いてほとんどの時間を戦闘訓練に費やしていた。
あまり真面目には取り組んでいなかったそうなのだけれど、それでもとても強かったそうだ。
才能と人格が、必ずしも一致しない良い例だろう。
一方のマルクさんは、孤児院の出で、極めて貧しい庶民であった。
彼は、生まれつき足が悪かったそうで、就けるお仕事も限られていた。
だが、マルクさんはその真面目な仕事ぶりでとても信頼されていた。
生活力も高く誠実で、ステイシー曰く「すごくいい人だったのです」とのことである。
「のろけまくりですわね」
「照れますわ」
悪びれない女ステイシー。
一方のマルクさんは、ニヒルな感じの苦笑いだ。
ちょっとワイルドな旦那さんであった。
マルクさんはお仕事の一環として、ステイシーの部屋を掃除した。
だが、何度部屋を綺麗にしても、ステイシーは部屋を散らかした。
その都度、マルクさんは呼び出されていたのだが、毎度毎度呼びつけられると、流石に面倒になってくる。
だったら最初から面倒をみてやると、彼はだんだん、ステイシーの部屋に入り浸るようになったのだそうだ。
「異性としては、全く認識していませんでしたが」
「私は、どんどん意識しましたけれど」
まぁ汚部屋の主と思えば、百年の恋も冷める。
マルクさんのステイシーを女として見てない発言は極めて全うだ。
しかし一方のステイシーは、マルクさんなしでは生きられないと感じたらしい。
そうだね。
二人の認識に異論は無いよ。
マルクさんのおかげで、ステイシーは健康で文化的な最低限度の生活の味を知ってしまった。
マルクさんの手料理を食べながら、台所に立つ彼の背中を見る内に、ステイシーは彼とその時の生活を離しがたく思ったそうだ。
「それで告白して、すぐにゴールイン。その後、私は家を飛び出しました」
「私が孤児だったのが、良くありませんでしたね」
ステイシーの実家は名家で、マルクさんの実家は孤児院だ。
ステイシーの家族は当然のように反対した。
二人が結ばれるには、ちょっとハードルが高かったのだ。
大変短気なステイシーは、このハードルを飛び越えるのが面倒くさくなり、蹴り倒すことに決めた。
その結果が、逆勘当からの駆け落ちである。
生活資金は貯蓄を切り崩したそうだ。
その後、近衛騎士として任官し生活を安定させたステイシーは、マルクさんと正式に結婚して籍を入れたのである。
エリスが質問のため、挙手をする。
「マルクさんは、そんなんでよかったんですか?」
「最初は、放っておけないっていうの気持ちが一番大きかったですね。今は愛していますよ」
きゃー。
ステイシーを除く女どもは、素敵な愛の告白に黄色い悲鳴を上げる。
当事者のステイシーは、珍しく頬を染めていた。
本当に珍しい。
そしてかわいい。
愛をさらっと告白したマルクさんは、なかなかに男らしい人であった。
体格もがっしりしていて力もありそうなのだが、先にも言ったように足に不自由がある。
「足の不自由が原因で親にも捨てられたようです。これには、なかなか苦労させられました」
足が動かないというのは、生きていくのに大きな障害となる。
この夫婦は二人で話し合い、ステイシーがお金を稼ぎ、マルクさんは家を守ることにしたのだそうだ。
今マルクさんは、時間を見つけては、家政系の習い事に通っているとのこと。
周りの受講生は女ばかりで、マルクさんは肩身が狭く、ステイシーは変な虫が付かないかと心配しているらしい。
それからも私達は、主にマルクさんから、二人の生活について話を聞いた。
いつもは冬の湖水のように静かなステイシーが、マルクさんの言葉に、照れたり、笑ったり、照れ隠しにはたいたりする姿は新鮮で、とても幸せそうであった。
私達は、根掘り葉掘り二人の馴れ初めを尋ねては、きゃっきゃと無責任に盛り上がった。
他人の恋バナは無責任に盛り上がれるから、私は大好きだ。
楽しいお話しの最中に、私は、ふと、視線に気付いた。
周囲を見回せば、次男坊ギュスターヴが、なにやら胸に抱えながら、物言いたげな顔でこちらを眺めていた。
じーっと私を色素の淡い瞳が見つめる。
この目には覚えがあった。
地元のがきんちょどもが、よくこれと同じ目をしていたのだ。
つまんないから、他のことしようぜって目である。
ギュスターヴは、なにか手に持ってるな。
「その手に持っているのはなにかしら」
「チェスです。勝負したいです」
私の質問に、ギュスターヴがハキハキと答える。
我が意を得たりという顔であった。
チェス。
チェスは、帝国ではポピュラーな、盤上遊戯だ。
二人で、それぞれ計十六個ずつ駒をもって、互いに駒を取り合っていき王様を倒せば勝ちである。。
駒には種類があって、王様が一番偉くとられたら負け、しかし駒の性能は女王が一番高い。
「未来の帝国のようですね。女王アリシア様の方が強いですし」
とはクラリッサの言。
「でも、女王を討ち取られたら、王様も発狂しそうですけど」
駒の動きを確認しながら、メアリが言った。
大丈夫。
私は死なないよ。
なにしろ、ジークのことが好きだからね。
折角のお誘いだ。
私達は受けて立つことにした。
お子様相手であるが、そのお手並みはわからない。
私は油断しないぞ、と気を引き締めた。
一方、不心得者はいるもので、油断しきった女が一人、若き対戦相手に対して完全無策で挑みかかった。
その女はメアリだ。
「では、参ります」
余裕綽々の表情で挑んだメアリは、一ひねりでやられて帰ってきた。
ランズデール騎兵隊千騎長は、七歳児に瞬殺された。
「ふふふ、ギュスターヴさんはお強いんですね」
余裕ぶってはいるけれど、メアリの口元はぴくぴくと引きつっている。
一方のギュスターヴ君は、ちょっとだけ得意げだ。
大人に勝って、自信をつけたようである。
「なら、次は私がお相手願おうかしら」
続いてエリスが挑み、こちらもあっさりと敗北した。
エリスは、あれー? って顔で首をかしげている。
ちなみにメアリ以上に簡単に負けたので、私からのコメントは無い。
エリスは、意外とあほの子なのだ。
なかなか強いぞ、七歳児。
これでチームアリシアは二連敗である。
ちびっこギュスターヴは、この女の人たち美人だけど、頭の中は大したことないなって顔で、私達のほうを眺めていた。
私はこれにむきになった。
ああん?
あまり、大人をなめるなよ。
ならば本気を見せてやろう。
七歳児が相手だろうと、私に容赦の二文字は無いぞ。
「次は私がお相手しましょう、ギュスターヴ君」
「はい。お願いします。アリシアさん」
そして、アリシア対ギュスターヴの戦いが始まったのである。
名将アリシアは賢い女だ。
私はそれまでの彼の動きを観察していた。
序盤は、定石に従って、彼と同じ手を指していく。
そして戦型が整ってから、手を変えていく方針だ。
実は、王国にも似たような盤上遊戯があったのだ。
私は、その経験を活かすのである。
私の作戦は成功した。
単純な読み合いになれば、大人の思考力が活かせるのだ。
激戦の末、私アリシアの黒軍は、ギュスターヴの白軍を撃破した。
かたきはとったぞ、メアリ、エリス。
私がガッツポーズをしてみせると、二人はなんだか複雑な表情で、私の勝利を祝ってくれた。
うーん、もうちょっと声援が欲しい気がするね。
私は、君たちの汚名をそそいであげたのだよ?
「も、もう一度お願いします」
「ええ、よろしくってよ」
一方、負けず嫌いらしいこの男の子は、私に再戦を挑んできた。
ふふん。
でも、私はコツをつかんだからね。
次も勝つよ。
そして私とギュスターヴはまたしても激戦を繰り広げ、アリシアは二度目の凱歌をあげた。
これで、二連勝だ。
やっぱり私ってば、強いなー。
女王アリシアは鼻高々であった。
なお、ギュスターヴに一度負けているメアリとエリスは、なぜか敵の肩を持ち、いろいろと要らぬ口を挟んでは、彼の足を引っ張っていた。
なんでこいつらまで、敵に回っているのだろう。
私は内心で首をかしげたが、勝つには勝ったので、深く考えないことにした。
真剣勝負に負けてしまったギュスターヴは、ぽろぽろと大粒の涙を流していた。
私の胸はきゅんとなる。
とってもかわいい。
ちなみに特に罪悪感とかは無い。
私は地元で、負けず嫌いの子供達をよく泣かせていたからだ。
傍目には、子供相手に本気で勝ちにかかり、ガチ泣きさせる帝国軍元帥アリシア・ランズデールの図ができあがった。
だが、私はいつだって真剣勝負、相手が子供だろうと絶対に手加減はしない。
それが、相手に対する礼儀だからだ。
ただの負けず嫌いでは、無いのである。
二連敗を喫したギュスターヴ君は言った。
「ありがとうございました。でも、お父さんはもっと強いもん」
「もん」って言った! やっぱりかわいい! というのは心の内にしまい込み、私はマルクさんに視線を移す。
「そうなんですか?」
マルクさんは首肯した。
「ええ、それなりのものと自負しています」
「なるほど。であれば、一局お願いします」
こうして三戦目は、私と保護者との対戦と相成った。
私の頭脳は今、良い勢いで回っている。
今日は調子が良さそうだ。
チームアリシアの威信を背負って立つアリシアに対し、ギュスターヴ君はじめ、私の側近の応援までゲットしているマルクさん。
二人は盤上にて向かい合った。
私は、なぜか孤立無援だ。
この状況に納得がいかず、私はうっそりと眉をひそめた。
でも、この手のゲームに応援なんて関係ないのだ。
強い方が勝つ。
私の目がギラリと光る。
「初心者だからと、甘く見て頂いては困りますわ!」
そしてアリシアの黒軍は、マルク率いる白軍にぼこぼこにされてゲームは終わった。
盤上で、追い詰められた私の王様が、敵の女王に踏み潰される。
「甘く見て頂いたほうが、良かったんじゃありませんの」
エリスが口元をゆがめて、涙目の私に言った。
戦いは、ほとんど瞬殺に近い有様であった。
一方、マルクさんの取り巻きは彼を褒め称え、特にギュスターヴは大喜びだ。
この戦いで私が討ち取った駒は、たったの三つだけだった。
一方のマルクさんは、十個以上の駒を私から奪い取っている。
途中からは、ほとんど蹂躙だ。完全なる惨敗である。
盤上で、ボロボロに食い荒らされた自軍の姿が哀れであった。
あるいは、アリシアに蹴散らされた蛮族達も、こんな思いをしたかもしれぬ。
私は、かつていた敵手達の心情に思いを馳せた。
なにしろ、まるで歯が立たないのだ。
ばたばたと味方が倒されていくのを、ただ指をくわえてみているしかない無力感は、なんともやるせないものであった。
いやしかし、このままだと気分が悪い。
私は往生際悪く再戦を挑んだ。
「も、もう一回」
「ええ、構いませんよ」
今度こそ、もうちょっと納得できる戦いにするんだ。
私は、戦術を切り替えた。
今度は、女王を活躍させてみよう。
この女王の駒の機動力は、アリシアの名にふさわしい。
ゆけ、アリシア!
とにかく敵の首を、いっぱい獲ってこい。
私は極めて積極的に、女王の駒を動かした。
調子に乗ってちょこちょこと、黒の女王が盤上を駆け回る。
そして、二十一手目に事件が起きた。
「あっ」
なんと私の女王アリシアが、指揮官の失策で、マルクさんの兵士の駒にぽろっと討ち取られてしまったのだ。
「黒のアリシア様が討ち死にしましたわ」
うちのアリシアちゃん、弱すぎ!
あと、その解説は縁起が悪いよメアリ。
私は内心、頭を抱えてしまう。
だって、私の女王様は無駄に動いただけで、ろくに仕事をしていない。
まるで、こちらの指揮官がジョンで、マルクさんの指揮官がジークのような有様だった。
駒が強くても、指揮官の頭脳が足りないと勝てないんだなぁ。
この敗北を通じて、私は兵学における極めて基本的な常識を、再確認することになった。
ちなみにその勝負は、そのまま負けた。
一戦目以上のぼろ負けであった。
私は蛮族軍を卒業し、ジョン率いる王国軍へと変化を遂げていたのである。
純粋な退化であった。
お互いに、ありがとうございましたと礼をして、試合を終える。
私は、悔しさに、唇を噛んだ。
アリシアはとにかく負けず嫌いなのである。
私はなんとか勝てないかと、色々な策を巡らせる。
天才クラリッサを代理に立て、マルクさんの集中力を奪うために変な顔や踊りを披露したりもしたのだが、結局勝つことは出来なかった。
渾身の盤外戦術であったのに、メアリとエリスにみっともないととめられたのだ。
くそう、不忠者共め。
ちなみにであるが、私の代わりに勝負したクラリッサは、本当にすごかった。
なんとマルクさんを相手に、互角の戦いを繰り広げたのである。
実はマルクさんは、帝都ではチェスのランキングにも入る、玄人裸足のプレイヤーだった。
そんな熟練者を向こうに回し、クラリッサは良い勝負にまで持ち込んだ。
本当に見事な戦い振りだったのである。
惜敗を喫したクラリッサが目を細めつつ、口元を引き結ぶ。
「うーむ、無念だ。押し切られた。すみません、アリシア様。負けてしまいました」
「そんなことないわ。クラリッサは、よくやってくれたもの」
善戦及ばなかったクラリッサは、やっぱり残念そうな顔である。
一方のマルクさんは、驚いたように盤とクラリッサを見比べていた。
「いや、アリシア様の言うとおりです。今日、初めて駒の動きを学んだとは思えない。驚きました」
マルクさんの言葉で、私の気分は少しだけ上昇した。
「なんとか、面目は施せたみたいですね。勝負には負けちゃいましたけど」
そう言って、クラリッサは、照れていた。
なお、がきんちょギュスターブは、空気を読まない。
「でも、パパの方が強いし」
「いや、クラリッサは初心者だから。練習したら、絶対に負けないから!」
良い気分に水をぶっかけられて、私は即座に言い返す。
そして、二人でにらみ合いだ。
七歳児と本気で張り合う、私アリシアは十八歳、栄えある帝国軍元帥にして王国の女王である。
みんなは、私達の戦いを、生暖かい目で見守っていた。
私とギュスターヴは良い勝負なのだ。
負けん気とか、精神年齢とかが。
クラリッサの頑張りに私はもう一度やる気になった。
そして性懲りも無く戦いを挑み、順当に三敗目を喫した。
「大分遅くなってしまいましたね」
エリスが窓の外を眺めて言う。
今の季節は秋、だんだん日が落ちるのも早くなってきた。
雑談したり、お茶の時間を挟んだりもしたせいで、空は既に夕暮れ模様だ。
そろそろお暇の時間かな。
私が名残惜しい気分でいると、長男坊のエックハルト君が、食堂から顔を出した。
彼は家事が得意らしい。
「もしよろしければお夕食も用意できますけど、食べて行かれますか」
「頂くわ。ありがとう」
私は即答する。
お嬢様のエリスが、視線を合わせて私をなじる。
「欠片ぐらい、遠慮をみせてくださいませ」
「無理よ」
私アリシアは、遠慮を母のお腹の中においてきてしまったのだ。
お食事のご相伴にあずかる機会など、逃したりはしないのである。
メアリも物言いたげな目で私を見ていたが、私は礼儀正しく黙殺した。
気の付くエックハルト君は、かしこまりましたと言い置いてから厨房へと戻っていった。
お客の数が多いので、マルクさんとギュスターブ君は、追加のおかずを買いに行くそうだ。
「行ってきます。近くのお店で買ってくるだけなので、すぐに戻ります」
「はい、いってらっしゃい」
ステイシーは、にこにこしながら頷いた。
私は彼女と一緒に、玄関から出て行く二人を見送った。
私は横目で、隣に立つステイシーを見上げる。
「ステイシーお母さんは、なにもしないのかしら」
「私は見ている係なのです、アリシア様」
二人で居間に引っ込んでから、出された茶菓子をぼりぼりかじる。
台所では、エックハルト君が、てきぱきと働いていた。
今、この家の住人では、家長のステイシーだけが、居間で主君とだらけている。
この状況に、彼女は疑問を持ったりしないのだろうか。
「料理かお買い物、どちらか手伝わなくていいの。ステイシー?」
ステイシーは小首をかしげた。
彼女に代わって、私の疑問に答えてくれたのは、エックハルト氏(十歳 学生)だ。
「お母さんは、静かに黙って見ているのが一番のお手伝いなので、大丈夫ですよ」
彼は、ごくごく自然な態度で断じてから、台所へと戻っていった。
これが、意外にもステイシーに効いたようで、彼女は、いつもの平静さを装おうとして失敗し、気まずそうに目を泳がせた。
この珍しい光景に、エリスとメアリは必死に笑いを堪えていた。
「たまのお仕事休みなのだから、お母さんはゆっくりしてください」
そう言って、エックハルト君は、笑っていた。
彼は本当にできた息子さんであった。
ところで、私の好物は、肉だ。
お買い物に出た、マルクさんとギュスターヴは、奮発してローストビーフを買ってきてくれた。
わーい。
それは、私の大好物だよ。
私は無邪気に快哉を叫ぶ。
塩、胡椒のシンプルな味付けも美味しいけれど、薬味を利かせたお醤油で頂くのが、私の最近のお気に入りだ。
「コンラートも、その食べ方が好きだと言っていましたね」
とは、メアリの談。
その他にも、沢山のメニューが机に並んだ。
そのうち、エックハルト君が自ら調理したのは、スープと、サラダと、謎のお魚のカルパッチョと、野菜の詰め物二種類の計五品目であった。
十歳児とは思えぬこの技量、これはもう、将来の仕事は料理人でいいんじゃないかな。
腕の良い料理人は人類の宝である。
ちなみに、エックハルト君はお母さんと同じ軍人志望で、今は勉強と併せて身体を動かす訓練をしているそうだ。
うーん、この料理の腕を軍隊で浪費するのはちょっと勿体ない気もする。
でもしっかり者は軍隊でも欲しい人材だ。
私は、エックハルト君作のロールキャベツを、パクリと一口で頬張る。
肉汁がぎゅっと閉じ込められていて、とってもおいしい。
咀嚼する顎にも力が入ろうというものである。
「アリシアさんは、本当に気持ちよく食べますね」
「お褒めにあずかり光栄ですわ」
私はもぐもぐと口を動かしつつ、優雅に受け答えた。
エリスが何か言いたげに私の方を見ていたけれど、私は気付かないふりをした。
最近私はスルー力の高まりを感じている。
たらふく食べた私は大満足であった。
夕食の食卓でも、私が一番沢山食べた。
大食いでは、私の右に出る人間はいない。
「アリシア様、すごい」
生意気なギュスターブも驚いてくれたので、私は満足だ。
これでやっと一勝である。
「さあ、お暇しましょうか」
「お腹いっぱいだから、少し休憩させて」
メアリの言葉に、食べ過ぎて動けなくなった私が返事する。
エリスが「流石にそれは、レディとしてちょっと」って顔で私を見つめてきたので、私は視線を横に逸らしてやり過ごした。
居心地が良いお部屋だと、ついつい甘えてしまうのだ。
しかし、メアリだけで無くエリスまで表情で語るようになってきたのは、ちょっとまずい感じである。
「もし良ければ、泊まっていきませんか」
いろんな物で腹を膨らませた私が、居間の絨毯の上で、太った乳牛のようにだらけていると、家主のステイシーがとてもありがたい提案をしてくれた。
「お言葉に甘えさせて頂くわ」
私は、遠慮無く頷いた。
このおうちは大きいから、女四人が泊まるぐらいなら大丈夫なはずだ。
アリシア・ランズデール十八歳、もはや実家のごときくつろぎようである。
「アリシア様は、帝国に来てから、本性をむき出しにしすぎですわ」
「大丈夫よ。ジークもそういうとこが可愛いって言ってくれるし」
「うっへー」、と言いながらクラリッサが顔をしかめる。
その「うっへー」はどういう意味なのかね、クラリッサ。
私は、居間で雑魚寝をするつもりだったのだけど、ステイシーのお部屋に泊まることになった。
私は、ステイシーのベッドを占有し、本来の部屋の主は、居間床にお布団を敷いている。
メアリ、クラリッサ、エリスは客間の一室で女三人、横並びでお休みするそうだ。
私も三人に加わる予定だったのだけど、ベッドなしは駄目だと怒られた。
天幕の中での雑魚寝なんていつものことなのに、ちょっと残念な気もするね。
私はふかふかのベッドの上でころんと身体を倒し、家主のほうへと顔を向ける。
「ごめんね、ステイシー。ベッドもらっちゃって」
「いいえ。くつろいで頂けたようで、私も嬉しかったです」
私はにっこり微笑んでから頷いた。
ステイシーのお宅は、快適だった。
それは、彼女の家族の優しさゆえであっただろう。
清潔なお布団からは、お日様の匂いがした。
きっとステイシーが帰ってくる前に、一度、天日干ししたに違いない。
そこに突然訪問してきたアリシアとかいう小娘が、無遠慮にも自分の体臭をなすりつけているわけだ。
これは、すごい迷惑な客だな。
私が、大事にされているステイシーのお布団をくんかくんかと嗅いでいると、天井を見つめるステイシーが口を開いた。
「アリシア様、一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか」
「なぁに?」
ステイシーからの質問は珍しい。
勿論、質問は歓迎だ。
スリーサイズ以外であればなんだってお答えしよう。
「私は、アリシア様のお役に立てているのでしょうか。アリシア様は私などおらずとも、お強い。私は必要なのかと、時として疑問に思うのです」
とってもまっとうな質問だった。
ステイシーでも、こういうことが心配になるんだな。
私は、そのことに新鮮な驚きを覚えた。
ステイシーは、いつになく真面目な様子で、私はほっと小さく笑う。
「私の護衛は、貴女にしか務まらないわよ。次点でメアリね」
ステイシーは私の言葉を静かに聞いている。
私はそのまま言葉を継いだ。
「私が護衛に望むのは、傷つかず倒されないこと。私の後ろをただ付いてきてくれればいい。その代わり、ずっと遅れずに付いてきて」
私アリシアは強い。
でも、一人はとても危ないのだ。
だから私が護衛に望むのは、まず第一にしぶとさである。
敵を倒すよりも、私の後ろにぴったりとくっついて、ずっと背中を守ってくれる人が良い。
ステイシーは、その点バッチリだった。
強くて冷静沈着なステイシーは、信頼感の塊なのだ。
彼女は、平時に必要になる能力を全部捨てて、有事の力に振り向けている。
戦闘力極振りのステイシーは、とにかく頼りになるのである。
平時?
平時のステイシーは、私の着替えを手伝ってくれて、私の事を褒めてくれる機械だよ。
ふふっと小さい笑い声が、ステイシーの口から漏れた。
「そうですか。なら、良かったです。頑丈さとしぶとさについては、私も自信がありますわ」
「ええ、これからもよろしくね」
大変結構。
それから私はまた仰向けになり、天井へと視線を戻した。
間もなくステイシーの布団からは、規則正しい呼吸の音が聞こえ始める。
ステイシーも寝付きは良い方だ。
彼女は神経も太くて、眠たいときに眠れる特技を持っている。
軍人として得がたい資質だ。
うふふ。
実は、私がステイシーを大好きな理由はもう一つある。
彼女は、私の精神衛生を守る上で、なくてはならない存在なのだ。
なにしろ、ステイシーは、私よりもずっと女子力が低いのである。
そんなステイシーでも、幸せな家庭生活を営める。
この事実は、私にたくさんの夢と希望を与えてくれた。
「私だって、幸せな家庭を築けるはずだ」
そう無条件に信じられるのは、彼女のおかげなのだ。
彼女は、私の身体もハートも一緒にバッチリ守ってくれる、素敵な護衛騎士なのである。
案の定、その日の夢見はすこぶる良くて、私は快眠を楽しんだ。
私は他所様のお宅でぐっすりと眠り、その翌朝に、朝ご飯まで頂いてから、のんびりと皇宮に帰宅した。
外泊の予定はなかったので、ジークは少し心配したらしい。
遣いの者に連絡は入れさせたけど、ちょっと無計画すぎたかなと、反省である。
「でも、大丈夫ですよ。ステイシーも同じお部屋でしたから」
「さらに心配になった。本当に、何もされなかったのだろうな?」
ジークが本気の心配だ。
ステイシーが、まるで変態のような扱いである。
女の護衛にまで焼き餅を焼いてしまうジークに、私は笑う。
もう、ステイシーは変なことなんてしないんだから。
なにしろ、見て楽しむのが好きだって、ステイシーは言ってたからね。
ステイシーの休暇は五日間。
この間、彼女は家族とのんびり過ごしたようだ。
次期皇帝から変態疑惑をかけられたことを知らされたステイシーは、「左様ですか」とだけ口にして、変わらぬ笑みを浮かべていた。
ステイシーは本当にぶれない人だ。
私は、そんな彼女の事がとっても大好きなのである。
メアリ「私に変なフラグ立てないでくださいますか」
アリシア「伏線だから我慢しろ」