アリシア・ランズデールの肖像
王国から叩き出された俺は、軍病院の一室を執務室代わりに政務と軍務の処理にあたっていた。
粗方の書類に目を通し終わった後、淹れられたコーヒーをすすっていると、執務机の隅の方に追いやられた、見合いの釣書が目に入った。
少し前に実家から送られてきたやつだ。
そういえば、こんなものもあったなと手にとる。
最近、気になる相手ができたのだ。
もし彼女に決まった相手がいないなら俺の釣書を送ってみてもいいかもしれない。
俺の身分ならそう条件は悪くないはずだ。
部屋の扉を叩く音がする。
「入ってくれ」
俺の声を待たずに、コンラートと、二人の男が入ってきた。
各々、部屋に置かれた椅子を適当に引っ張り出して机の前に座る。
席に着く前に、コンラートが手に持った紙束を放った。
「持ってきました。
今しがたあがったばかりのやつです」
それなりの厚さがある。
紙束をめくると一番上には姿絵があった。
間違いない。
思わず、口の端が釣り上がった。
「あぁ、待ちかねたぞ」
「名前はアリシア。
ランズデール公爵令嬢。
ランズデール公ラベルの一人娘だそうです」
コンラートからの報告が始まった。
俺が待っていたのは、つい先だって鮮やかなお手並みで我々をあしらってくれた、王国の将軍についての調査報告書だった。
「まずは基本的なところから。年齢は、15歳、性別は女性。容貌は姿絵の通りです。銀髪、紫の瞳、身分相応の容貌、これは将来、間違いなく美人になる。よかったですね」
言われて笑う。
ひと目見た時は可憐な少女と思ったが、可憐な美少年という危険性も無きにしもあらずだったのだ。
俺に男色の趣味はない。
「なんでも特徴は瞳の色だそうです。明るいところでは濃紫色の虹彩が、暗くなるとほとんど真っ白になる。らしい」
「どういうことだ」
「なんでも意識して瞳の色の濃さを変えられるらしいですよ」
少し考えてから尋ねる。
「……暗視か? 」
「可能性はあります」
瞳の色は、特に暗中での視力に影響するらしいが。
だが、よくわからん特徴だ。
「身体組織を改変する魔法か? 俺は聞いたことはないが」
コンラートの隣に座った男が口を開いた。
彼の名はハラルド・リッカー・エルヴィンス・ベリュネヴァール・トレモン。
俺より長い名前もなかなか珍しいが、帝国中央に籍を持つ名家の跡継ぎだ。
なんでも、父親が断絶した親戚筋から大量の家名を押し付けられたらしく、いい迷惑だとぼやいているのを聞いたことがある。
魔法について造詣が深い男だ。
今日は研究所から引きずり出してきた。
「他にもなにかあったりしないか? 耳がでかくなったり、舌が伸びたり、体が異常に肥大化したりといった変化は? 」
「いや、そんな化け物じみた内容は報告されていない。見た目が変わるのは瞳だけという話だ。急に、でかくなったり小さくなったりってこともないらしい」
コンラートが笑いながら返す。
「そいつは一安心だ。流石に人外を嫁にするのは俺も御免被りたい」
俺も笑う。
たしかに重要な事だ。
「アリシア嬢に決まった相手はいるのか」
コンラートが顔をしかめた。
良くない報告か。
「それに関しては残念な知らせがあります。件のアリシア嬢、すでに婚約者がいます」
「公爵家のご令嬢だ。ありえん話じゃない。それで相手は? 」
「二代目の馬鹿です」
聞くと全員が不快そうに顔をしかめた。
帝国首脳部の間でも、隣国王家の無能ぶりは有名な話だ。
当代の馬鹿といえば現国王のことを、二代目の馬鹿といえば王太子のことを指す。
当人達の本名がよくある名前なこともあって、非公式ではあるが広く使われている。
「よりによってか」
「よりによってです。ただ幸い、本人たちの仲は疎遠を通り越して険悪なレベルだそうで。解消も時間の問題とかそういう噂も聞きました」
「そうか。それはいい情報だ。たしかにアレはアリシアの相手にふさわしくない」
なにもう呼び捨てにしてんですか、とコンラートには笑われたが、俺は軽く流した。
俺の中では、もうそういうことになっているのだ。
「体の大きさで気になったんだが、アリシアが15歳というのは本当か? 俺が会った時は12、3ぐらいに見えたが」
幼く見える容貌もだが、たしか身長は俺の胸に届かない程度しかなかったはずだ。
「ええ、15だそうです。アリシア嬢、どうも食事を採らないことが多いようで」
「拒食か? 」
「いえ、いくつか理由があるようです。一つは毒に対する警戒。どうも以前に、王太子から良からぬ薬を盛られたことがあるようです」
「事実か」
「確証はありませんが、可能性としては十分あり得るかと」
不愉快ですが、と吐きすてるようにコンラートが口にする。
その手の薬を使って平民、貴族を問わず、令嬢、女性に狼藉を働く。
かの王太子の黒い噂の一つだった。
権力がある故に、この手の蛮行に歯止めが効かない。
「ただ噂の続きとしては、薬を盛られても効かなかったらしいアリシア嬢が、さっさと中座して会食は流れたとか。事実として、ある時期からアリシア嬢が、晩餐会などでも一切食事に手をつけない姿が確認されるようになっています」
「随分と徹底しているな」
今まで沈黙していた男、マルゼーが口を開いた。
マルゼー・デラー。
容貌はコンラート曰くカピバラなる生き物に似ているらしい。
茫洋とした雰囲気のうすらボケた男で、どこにいても目立たないことに定評がある。
元中央情報部の最精鋭で、現在は東部方面軍諜報部隊の統括責任者だ。
防諜がザルの王国相手には、過分な男ではあるのだが、本人は「ここまで楽な職場にはもう出会える気がしない」と今の地位にしがみついている。
暇そうなので、今回呼んできた。
あと年の離れた嫁がいて、よく尻に敷かれている。
「毒に対する備えとしては不完全ではありますが」
マルゼーはそう付け加えた。
壁や道具に塗って使うものもあるからな。
俺も以前、使われる側にまわったことがある。
よく知っているとも。
「もう一つの食事をしない理由なのですが、実戦や演習問わず、長期の軍事行動時には絶食をするようです」
「どういうことだ」
「食事やその……、女性に対する表現としては憚られるのですが、排泄にかかわる手間を嫌ってのことのようです。このためか長時間の行動も平気でこなすとか」
そんな馬鹿な話があるか。
当然の疑問を俺は口にする。
「だが食わねば、動けまい」
「それが、身体強化魔法の効果である、と周囲では捉えられているようで」
魔法についてはハラルドが第一人者だ。
視線が集まると彼は口を開いた。
「理論上可能ではあります。細胞の代謝寿命延長と、熱量の供給を魔力で代替すれば可能だ。ただ貴重な魔力をそちらに回し続けるなど、普通の人間は考えない」
「つまり魔力さえあれば可能であると」
「あくまで理論上可能と言うだけです。事実そのような手段、考えても誰も実行してこなかった」
「そうか、ならば前例が一人できたな」
俺の言葉に、ハラルドが笑う。
「おそらく年齢以上に幼く見える容姿もそのためでしょう。代謝と同様に、成長も遅れているのではないかと」
機会があれば、是非アリシア様にはあって直接お話を伺いたいものです。
魔法研究局で新薬の開発室長をしている彼は、冗談めかしてそう締めくくった。
「次に経歴です。12歳で王立学園に入学。学園は18歳までの教育を謳っていますが、彼女はほぼ1年で必修となる過程を修了しています。これは彼女の優秀さもありますが、学園のレベルの低さによるものかと思われます。カリキュラムも確認しましたが、頭の中にバターケーキを詰めた貴族が量産されるのも納得の内容でした」
コンラートはここで一息つく。
何やらもの言いたげな目で俺の方を見た。
なんだ、言いたいことがあるなら言ってみろ。
「ちなみに現在、俺も潜入のため入学させられています。心労が酷いんで特別賞与とか出ないもんですかね」
「学園の備品でもなんでもかっぱらって、勝手に金に変えるがいい」
俺が支払いを拒否すると「悪いことはしないようにと、両親にいわれて育ったもので」と返された。
敵国への潜入工作が、果たして悪いことにあたるのかどうかは、是非とも聞いてみたいところだ。
「次に軍歴です。初陣は14歳、昨年秋ごろの北方戦線への参加が初陣です。小規模な戦闘に参加の後、概ね後方の警備に終止しています。その後、今年の秋、再度北方戦線で、今度は将帥として一軍を率いて参戦、蛮族の撃破に大いに貢献したと」
「大いに貢献、とは随分曖昧だな」
「ええ、中央には全く情報がありませんでしたので。そこで実地で直接収集した情報が、追加の資料になります」
そして場に沈黙が落ちた。
どうした、声も出ないか?
コンラートが俺の顔をみて、ちょっと悔しそうな顔をした。
悪いな、俺は別にこの程度のこと驚かんぞ。
既に蹂躙された身だからな。
「戦果三万以上か。ほぼ全滅させたと言っていい戦果だろうな」
「そうなります。現在王国においては蛮族による脅威は排除された状態にあります。おかわりがあっても完食するでしょうね、アリシア嬢なら」
コンラートは時々よくわからん言葉遣いをする。
転生者といったか、まぁ愉快なことを言っているのはわかる。
これがアリシアの経歴だった。
俺は一つ息を吐いた。
彼女の真価について俺は語らねばならない。
「先に確認しておくぞ、ハラルド。ランズデール公を起点として限界まで人間の魔力を伸ばした場合、膂力はどの程度になる? 」
「そうですな。例えばその成長期十年のすべてを魔力の増大に費やしたとして、約二十馬力前後にはなるかと」
「これを恐れる必要があるか? 」
「その程度、象でも出せますな」
「ああ、戦象なら南方で相手したことがある。俺の隊でも討ち取ったぞ。アリシアには全く歯が立たなかったが」
ここで、予め言っておこう。
続くセリフは、俺の当時のアリシアへの思いを熱く語ったものだが、読まなくても今後の展開には何ら問題はない。
あるいは、俺の当時の執心のその一端でも感じてもらえればと思う。
「アリシアのあれの恐ろしさは、魔力そのものではない。
魔力はその構成要素の一つにすぎんのだ。
ただの馬鹿が悪戯に魔力を伸ばしたのとは訳が違う。
故にやつの魔力量が脅威になる。
例えばだ、今回の我々との戦役を例にあげよう。
あれは、指揮官を失った大隊を前に、それを苦もなく殲滅できる能力がありながら撤収した。
単なる戦闘指揮官であれば、間違いなく戦果を優先しただろう。
ならば戦術家か? 次に俺が出てくることを見越しての罠? それも違う。
王国のカスみたいな諜報能力で皇子である俺の存在を察知できるわけがない。
俺の隊が戦闘不能になったとして、あれで俺たちが撤退しなかったとしても、結局はほとんどの戦力を残したまま、帝国軍は退却することになったはずだ。
例えば、我々が近隣拠点攻略のために戦力を再集結させた場合だ。
前面に城壁を前にして、本陣をどこに置く? 後方か? 生半可な防御ではアリシアに抜かれるぞ。
なら中央に置くのか? 戦いもしない遊兵をおいて、で、外縁部は安全か? いつ来るかもわからん強襲部隊に、怯え、疲弊し、身動き取れなくなって、そして俺達の殆どは、それでも生きたまま追い返されただろう。
なぜか、戦争に勝利するためだ。
王国の勝利は、戦場にはない。
ゆえに奴らは和平に活路を見出さなければならない。
だからあれは俺たちを殺さなかった。
勝つために、敵を生かしたのだ。
そうだ。
やつが見ているのは戦争だ。
戦争の勝利だ。
生粋の天才が、最高の才能を持って、自身の傾けうる最大限の努力を払った結果がアリシアなのだ。
戦争そのものを見すえて、自分達にとって最高の結末を引き寄せることができる。
俺が、俺が目指してまだ掴めていないものを、たった十五の小娘がやってのけたんだぞ。
やつは絶対に俺が知らないものが見えている。
間違いない。
それが俺がやつを求める理由だ! 」
俺はそこで息を吐いた。
「……殿下ってこういうことになると、めっちゃ早口になりますよね」
コンラートが、残念なものを見る目で俺を見て、言った。