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0033その日02

「分かりました。今から会場に行って、観客と会長たちを外に避難させればいいんですね」

「もう、間に合わないかもしれない……」

 梢はしゃがみこみ、額を手の平で押さえた。

「私が英語ができればよかったのに……すみません、乃城さん」

「いいってことです」

 乃城は梢の頭を一撫ですると、控え室の出口である扉に向かった。追いすがる隆治や加藤、浦田を制する。

「危険があるんだ、ここにいてくれ」

「馬鹿なこと言うな。俺も行くぞ」

 隆治が胸を叩いた。乃城は叱り飛ばした。

「邪魔だ。大人しく待ってるんだ」

 乃城はドアを開け、廊下を走った。アイシングしていた膝が電流のような痛みを走らせる。乃城は歯を食いしばって現場に向かった。

 ちょうどメインイベントが始まった頃だった。リング上ではポーとホッパーがエルボー合戦を繰り広げている。決勝戦たけなわだ。観衆の視線は彼らの闘いに集中していた。

 乃城は本部席に向かった。リングアナ兼タイムキーパー兼ゴング係の男の机に、マイクが置かれている。乃城はそれを掴んで取り上げた。男は突如現れた乃城景の姿に面食らったらしく、ろくな抵抗もせず収奪を許した。

 乃城はマイクのスイッチを入れると、大声で怒鳴った。

「皆、聞いてくれ! このリングに爆弾が仕掛けられている!」

 最初は声援によってかき消された。それでも耳ざとい観客たちは、口を引き結んでこちらを見やる。乃城はもう一度、腹式呼吸でマイクに叫んだ。

「もう一度言う! このリングには爆弾が取り付けられている!」

 今度は多くの人間の注意を喚起した。場内が静かになる。中には早くも出口に殺到するものもいた。

 三たび、乃城は大声で指摘した。

「このリングには爆弾がセットされている。いつ爆発するか分からない。今すぐ出口から外へ退避してくれ!」

 それは観客から試合の熱狂を奪うだけでなく、身近な『死』を連想させた。どれほど愚かな者でも、乃城の発言を聞いてのんびり座っていたりはしなかった。突進! 観衆は出口へ群がった。一気に会場は騒然となった。

 乃城は横目で笹谷会長らを見た。乃城の明かした事実に、取り巻き含めてパニックに陥っていた。……いや、一人だけ、平然としている男がいる。桐原マネージャーだ。爆弾を仕掛けた張本人だと、梢が暴き立てた男。彼は煙草を取り出して、ライターでゆっくりと火を点けた。

 乃城はリング上で茫然としている二人にも激しく言った。

「何してるっ。早くリングを降りて逃げるんだっ!」

 ホッパーはそうした。だがポー・スミスは、2メートル超の乃城の親友は、トップロープを掴んだまま立ちすくんでいる。乃城は舌打ちし、エプロンサイドに上がった。

「何をぼさっとしてるんだ、ポー! いつ爆発するか分からないんだぞ!」

 ポーは憤慨して怒鳴ってきた。

「なら爆弾をはずして外へ持っていったらいいべ。試合を中断する必要はないはずだべよ」

「ポー!」

「俺はやだべよ、乃城。今は『世界プロフェッショナルレスリング・リーグ戦』の真っ只中、決勝戦だべ。この最高の舞台を、何で邪魔するべよ、乃城」

 会場は悲鳴と怒号が混濁して大混乱となり、もはやリング上に注意を傾ける客はいなかった。それでもなお、ポー・スミスは試合を続行したがっていた。

 一方、大会主催者である笹谷範彦たちは、慌てて出口に向かっていた。桐原は煙草をふかし、それを無感動な瞳で眺めている。彼一人、混沌と混乱の中で自律を保っていた。

 乃城はリング上から彼に向かって叫んだ。

「桐原さんっ! あなたはこのリング下に爆弾を仕掛けたんですか?」

 桐原は煙草を口にくわえたまま、腕時計を見てつぶやく。

「爆発まであと2分か。乃城、余計な真似をしてくれたな」

「余計?」

 桐原は面を朱に染めた。

「そうさ、余計さ。せっかくもう少しで笹谷範彦とその大会をぶち壊しにしてやれたのに。お前のせいだ、乃城。まあもっとも、一番悪いのは梢か。大方、彼女があんたに爆弾のことを話したんだろうからな」

「本当に爆弾をセットしたのか。桐原さん、今すぐ外してくれないか?」

「無理だな。爆弾は精巧にできている。解除するには解体するしかない。そして、それはもう間に合わない」

 煙草を床に落とし、足で踏みつける。

「逃げたらどうだ、乃城。ポーの馬鹿は放っておいて、一人で、な」

「そんな真似ができるか!」

 乃城はポーを張り飛ばした。

「ポー、試合は終わったんだ。ホッパーがリングを降りて、もう20カウント分の時間が過ぎた。お前の勝ちだよ、ポー。リングアウトで、優勝者はポー、お前なんだ」

 ポーが目をしばたたいた。

「俺の、勝ちだべか?」

「そうだ。お前の勝ちだ、優勝だ、ポー」

 ポーの双眸に水滴が生じる。それは塊となって頬を滑り落ちた。

「俺の、俺の優勝だべか! ああ、やった! やったべ!」

 ポーは喜色を露わに、小躍りしそうな肉体をかろうじて抑えている風だった。乃城はポーの上腕を軽く叩いた。

「さあ、もうこのリングに用はないだろう。一緒に逃げるぞ、ポー!」

「分かったべ!」

 乃城とポーはリングを降りた。ポーが出口へ逃走していく。それを横目に、乃城は桐原の元へ向かった。

「さあ逃げますよ、桐原さん」

「断る」

 桐原はもはや紳士の外面をかなぐり捨て、一人の獰猛な犯罪者に成り下がっていた。それでも乃城はあくまで人格を尊重する。

「桐原さん、笹屋会長と過去に何があったか存じませんが、だからといってここで自暴自棄に死んでいいとはならないはずです」

 桐原は無視するように、再び腕時計を見た。

「あと1分。乃城、あんたには可愛い妻子がいるはずだ。爆発の巻き添えとなる前に、あんたこそ早くここを立ち去るべきだ。俺は警察に捕まる気はない。それならここで死んだ方がましだ。さあ、行くんだ」

「桐原さん、強情な人だ」

 乃城は桐原に歩み寄った。意図を察したらしい桐原が、足早に客席へ逃げる。パイプ椅子が波のように掻き分けられた。

「俺を捕まえようとしても無駄だ」

 桐原は乃城をけん制した。乃城は追いかけるのをあきらめた。膝に激痛が走り、満足いく速度が出せなかったからだ。時間がないことへの焦燥が汗となって噴き出る。

「桐原さん、お願いだ。一緒にここから出よう」

 立ち止まって哀願する。桐原は首を振って明快に拒絶した。

「死ぬのは俺一人でいい。乃城、早く逃げるんだ」

 もう時間がない。乃城は息を吸い、吐いた。手近なパイプ椅子を掴むと、桐原めがけて次々ぶん投げる。そのうち一つが桐原の頭部に命中し、その額をカットした。赤い血が流れる。傷を平手で撫で、桐原は悪態をついた。

「何をするんだ、乃城!」

 罵声を浴びせるべく桐原は乃城を睨んだ。と、そのときにはもう、乃城は桐原の眼前に迫っていた。パイプ椅子の雨は桐原に隙を作らせ、体当たりするためのものだったのだ。二人はもつれ合って倒れた。乃城が桐原を抱きしめる。全身に力を込めた。

 次の瞬間、光と轟音と衝撃が乃城たちを襲った。凄まじい激痛に、乃城の意識は一瞬で失われた。

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