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0031安隆治の取材メモE


   (一六)


◆安隆治の取材メモより2018年3月6日分

 なんてことだ。全身から力が抜ける思いだ。乱れた心は整理がつかず、精神的な息苦しさに襲われっぱなしだ。たとえようもないこの喪失感。奈落の下に待つ暗黒に引きずり込まれてしまいそうだ。それほど、俺は落胆している。


 5日夜、乃城景は2勝1敗同士の親友にして宿敵、イギリス代表ポー・スミスと闘った。前回の記事を書いた直後だ。実力と人気からして、この試合がリーグ戦の分水嶺となる見通しだった。

 乃城は膝が悪かった。テーピングでガチガチに固めた部位は見るからに痛々しい。試合でポーに攻め立てられることはなかったが、動きの悪さは否めなかった。だが乃城は試合中に何度も自身の膝を殴りつけ、もがき苦しむように足を繰り出した。

 ポーは2メートルの巨体で乃城を翻弄する。身長差は15センチ以上だ。乃城はボディスラムにとらえるだけでも重そうにしていた。コンパスが長いので、関節技に捕らえてもすぐロープに逃げられる。スタンドでは乃城の懸命のエルボースマッシュをしのぎ、脳天唐竹割りで反撃してきた。

 試合は白熱したものとなった。両者とも無尽蔵のスタミナを擁するらしく、試合終盤まで動作が遅くなることはなかった。観客の「凄い試合だ」チャントに乗せられ、二人は息もつかせぬ攻防を繰り広げる。現代の落ちぶれたプロレス界の中で、もちろん出場者たちは皆全力で闘っていたが、乃城とポーの試合は明らかに群を抜く完成度を誇っていた。

 乃城がムーンサルトプレスを狙う。しかし、ポーの立てた膝に腹部をやられた。苦しむ乃城に、なんとポーはドロップキック。ジャイアント馬場の32文ロケット砲をほうふつとさせる、なんとも豪快な一撃だった。そして、ダメージの深い乃城が立ち上がるところへ、巨体を走らせてのランニング・ネックブリーカー・ドロップ。

 ポーの必殺技を浴びた乃城に、フォールを返す力は残っていなかった。スリーカウントが叩かれる。リーグ戦の中でも大熱戦だったこの闘いは、ポーの勝利で幕を閉じた。観客がスタンディング・オベーションで二人を賞賛する。俺も惜しみない拍手を送った。負けも負けたり、乃城景に。


 大会4日目となる3月6日。いよいよリーグ戦も最終日、この日の結果いかんで明日のMSG大会メインイベント、優勝決定戦への進出者が決定する。Aブロックはポー・スミス、Bブロックはトム・ホッパーとビンセント・バーゲンが3勝だった。乃城は2勝2敗、たとえ今日勝ってもポーが負けなければリーグ戦敗退が決まる。

 昼の大会ではホッパーとバーゲンがそろって敗れた。ホッパーは夜の公式戦を残しているので、それに勝てば8点となりすんなりBブロック1位となる。乃城とポーは昼に試合がなく、それぞれ前座でタッグマッチを戦った。

 そして、夜。乃城はアメリカのエリック・ロメンダと闘った。ロメンダもまた足首を負傷しており、決戦は怪我人同士のややスピード感に欠けるものとなった。結果は8分56秒、乃城がムーンサルトプレスで辛勝。人事を尽くして天命を待つ、ではないが、ポーの結果待ちとなった。

 俺は乃城の控え室を訪ねた。この4日間、乃城はまさしく一生懸命ファイトした。膝が思うように動かない中、自分のベストを尽くした。観客は乃城コールこそ起こさなかったが、ブーイングや「つまらない」チャントもまた口にしなかった。日本から遠く離れた大都会ニューヨークの片隅で、乃城はプロレスラーとしてやるだけのことはやったのだ。

 乃城は黒人の医師に膝を診てもらっていた。最終戦をこなして、ますます怪我が悪化したようだ。それでも乃城は、俺の姿を見て喜び迎え入れてくれた。

 俺と話しながら片時も目を離さず眺めているのは控え室のモニターだ。今まさに、ポー・スミス対ジム・サルダナの決戦が映し出されている。俺たち――乃城、俺、加藤、浦田の四人は、ポーの挙動の力強さを賞賛した。

「ポーが負ければ、乃城、サルダナ、ポーの3人で決勝進出者を決める巴戦か。乃城、その膝で闘えるのか?」

「もちろん」

 返事は即答だった。俺は苦笑いを漏らした。乃城が諦めるはずもない、そのことを失念していたからだった。

「とりあえずポーには悪いが、負けるよう祈るしかないな」

 モニターの中では、ポーがサルダナを徹底的に攻めていた。しかしサルダナもさるもの。ポーの決め技、ランニング・ネックブリーカー・ドロップをかがんでかわすと、振り向いたポーの顔面にジャンピング・ハイキックを見舞った。ポーがその巨体をマットに沈ませる。すかさずサルダナがカバーした。カウントが叩かれる。俺は思わず声に出していた。

「いけっ!」

 だがポーは右足で宙をなぎ払い、カウント2でサルダナを跳ね除けた。会場の側から観客の声援が地鳴りのように響いてくる。盛り上がっていた。

 サルダナはポーに必殺技の裏投げを仕掛ける。だがポーは腰を落としてこらえると、組み付いているサルダナの後頭部に肘をぶつけ、脱出。胸のすくようなビッグブーツを決めると、サルダナをチョークスラムでマットに投げ捨てた。

 ポーがサルダナを引きずり起こして棒立ちにさせる。自らロープにもたれると、反動で疾走して、サルダナの首に腕を巻きつけた。ランニング・ネックブリーカー・ドロップだ。サルダナは後頭部から激しくマットに叩きつけられた。大歓声が爆発する。ポーがフォールし、カウントが数えられた。俺は頭を抱えた。

 ワン、ツー、スリー。

 ポーの勝利だ。この瞬間、日本代表・乃城景のリーグ戦敗退と同時に、イギリス代表・ポーの決勝進出が決定した。

「ああ……」

 モニターを観ていた乃城が蚊の鳴くような声を出した。大きくため息をつき、両手に顔をうずめる。そのままうなだれた。これほど意気消沈した乃城を目の当たりにするのはいつ以来か。俺はかける言葉も見つけられなかった。

 1分ほどそうしていただろうか。乃城は面をあげると、俺に向かって寂しげに笑ってみせた。

「しょうがないな。俺のプロレス人生は、ここまでだったってことかな」

 タイトルやベルトに縁のない、日陰のプロレスラー、乃城景。最後のプロレス大会でも、彼の手は栄光に届かなかったのだ。俺はこみ上げてくるものを抑えるのに必死だった。

「よく頑張ったよ、乃城。お前こそは生粋のプロレスラーだ。他の奴はどう言うか知らんが、俺はお前を誇りに思う」

 おぼつかない声でそう表明すると、乃城の顔が泣きそうに歪んだ。

「ありがとう、隆治。助かるよ」

 加藤も浦田も涙を流した。大の大人が――中年四人が、乃城の敗退に嗚咽する。緊張の糸が切れただけあって、悲哀はやすやすと治まらなかった。みっともない。誰もがそう思っただろうが、思って止められるものでもなかった。


 その後、Bブロックではアメリカ代表のトム・ホッパーが、ドイツ代表のギュンター・ブラオアーを下し、4勝1敗の8点で1位通過を果たした。これで明日、マジソン・スクエア・ガーデンで行なわれる決勝戦は、Aブロック1位のポー・スミス対Bブロック1位のトム・ホッパーに決定した。乃城は前座のタッグマッチに出場する。参加全選手の現役も、いよいよ明日までだ。

 乃城はすでに気持ちを切り替え、明日の試合に向けて就寝した。俺もこれを書き終わったら睡眠をとるつもりだ。

 ああ、それにしても乃城の結果は残念だ。膝さえ万全だったらと今でも思う。しかし、たらればを語ってもしょうがない。俺が愛したプロレスラー・乃城景の、最後の雄姿をこの目に焼き付けるのだ。

 笹谷範彦会長は、体調が優れぬにもかかわらず、毎日会場で試合を観戦していた。桐原と菅原に支えられて、参加選手たちの闘う姿を満足そうに眺めていた。明日のMSGも会長の財力がなければ到底開催できなかっただろう。彼には感謝してもし切れない。

 さあ、このノートも明日の試合の記事を書いたら本当に最後だ。書き続けてきてよかった。せめて最後は、乃城が勝ち名乗りを受けるところを描写したい。

 では、また明日だ。もう寝る。

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