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0028安隆治の取材メモC02

 なるほど。俺は煙草で深呼吸した。

「しかし、なぜゼニーズ事務所の一マネージャーに過ぎないあんたが、笹谷親子の企画した大会を仕切ってるんだ? いくら笹谷親子とゼニーズ事務所社長の間に長年の付き合いがあったとしても、他に適任者はいただろうに」

 桐原はくすりと笑った。ようやく人間らしい反応を見せたといえる。

「志願したからですよ。私はプロレスに精通してましたしね。笹谷社長も会長も、ゼニーズ事務所社長も、私の熱意に負けて担当に任じたんです」

 桐原が煙草を灰皿に押し付け、その火をもみ消した。肩をすくめる。

「どうも安さんは私を疑ってらっしゃる。私はこの大会の歯車の一つです。それ以上でもそれ以下でもありませんよ」


 翌日、俺と乃城たちは試合会場となる『ニューヨーク国際文化体育会館』に足を踏み入れた。キャパシティ2000人の広さだ。中はバスケットコートを階段状の客席が囲んでいた。その中央にはすでにリングが設営されている。先に到着していたリーグ戦参加者たちが、早くもその上で汗を流していた。みな大きい。乃城より背丈のあるレスラーも、ポー以外にたくさんいた。黄色人種は乃城だけだ。後は白人と黒人、その中間といった肌色の人々だった。横に大きい者、胸板が分厚い者、丸太のような上腕の持ち主など、体格も多種多様だ。

 ただ共通項として、誰も彼もが年老いている。プロレスに人生を捧げ、完全に業界が終わってしまった今でも夢を諦めきれない、馬鹿な男たちがそこにいた。

 そうして出場者を眺めていると、どこからか笛が鳴り響いた。白髪を肩まで伸ばし、ごつい体をジャージで包んだ男が、笛を吹き鳴らしながらやってくる。

「エントリーされているものはリングに上れ」

 野太い声は太鼓の重低音に似ている。俺は隣に立つ桐原に尋ねた。

「あいつは?」

「アメリカのプロレス団体『MMF』のトップレスラーだった、ジョージ・バルカスさんです」

 バルカスはリングに上がった。彼以外の12名が参加者ということになる。もちろん乃城もポーもいた。

 バルカスが怒鳴るように説明する。

「俺はバルカス、この大会の運営責任者だ。よろしく頼む。明日からA・B両ブロックに分かれ、4日間リーグ戦を行なう」

 自分の声が12人の聴覚に浸透したのを見計らって、語を続ける。

「すでに知っての通り、勝敗は観客や評論家の投票によって決まる。そこで初日6試合は全試合時間切れドローにする。そこでの頑張りが、二日目昼の再試合での勝敗を決することになる」

 俺はこれまで、漠然とこのリーグ戦のことを考えていた。深く考えれば考えるほど泥沼にはまりそうで、注意して意識の端へ遠ざけていたのだ。だが今、バルカスの説明を聞いていて――ああ、本当にやるんだ。そう思った。今まであやふやだった認識が、ここにきて急に形状を取り始めたのだ。

 バルカスが、ボールペンのような棒がたくさん入った深いカップを取り出した。

「くじ引きだ。試合の組み合わせと今日の練習の順番を決める」

 出場者たちが列を作ってバルカスの前に並んだ。一人一人粛々とくじを引く。数字が書かれているらしい。桐原の手助けもあり、初日と二日目、二連続となる最初のカードが決まった。そして数字の若い二人から、リングを使ってのリハーサルに入る。

 乃城の緒戦の相手はイタリア代表ロベルト・ダミーコに決定した。乃城より3センチほど小柄だが、腕回りはかなりありそうだ。50歳近いのに、その体はよくパンプアップされている。この男もまた、乃城同様、プロレスを捨て切れなかったのだ。

 乃城は海外遠征の際に英語を覚えている。身振り手振りも交えれば、外国人とも意思の疎通は可能だった。明日の「時間切れ引き分け」の試合をどう組み立てていくか、熱心に話しこんでいる。プロレスは遺恨があろうがなかろうが、対戦相手とのリハーサルが欠かせないのだ。

 しかし、と俺は思う。ここはアメリカだ。明日会場に詰め掛けるファンや評論家たちは、ほとんど皆アメリカ人だろう。アメリカのプロレスといえば、善玉と悪玉にはっきり区分けされたレスラーたちが闘う世界だ。そこに乃城のような日本のプロレス――善も悪もなく、純粋にアスリートとして闘う世界が混じっていけるのだろうか。観客は日本のプロレスを、正しく評価してくれるだろうか。そこは翌日からの勝敗に大きく関わるところで、無視はできなかった。

 乃城はダミーコとリング上で打ち合わせしている。笑っているわけではない。それどころか、ひどく真面目だ。真剣そのものの表情で、ダミーコと動きの確認を行なっている。だが、俺は彼がいつになく楽しそうに見えた。雷武戦以来のプロレスだ。やはりプロレスラー乃城は、プロレスに携わっているときが一番生き生きしている。

 乃城のプロレス仲間の浦田と加藤が――二人とももういい年だ――目を輝かせて、乃城とダミーコを羨ましそうに見つめている。俺は何だか一人、置いてけぼりを食った気分だった。やはりプロレス言語は、未経験の俺には難解過ぎる。


 その夜、時差ボケを治した俺たちは、ホテル近くのファミレスで夕食を採っていた。店内は混んでいた。まあ、乃城は食うわ食うわ。山のような料理を次々に平らげていった。俺は水を飲みながら見下ろして呆れた。

「そんなに食って、明日は大丈夫なのか?」

「大丈夫だよ、俺の胃袋は頑丈なんだ」

 その時、軽快な音楽が流れた。乃城が携帯電話を取り出す。画面を一目見て俺にささやいた。

「かみさんから電話だ」

 乃城は何でもアメリカ-日本間の通話が定額になるサービスに事前に加入していたという。電話代を気にせず喋れると自慢していた。

 俺は加藤や浦田と喋りながら、目の前のスパゲッティを口の中に送り込んだ。美味だ。

 乃城が通話を切った。俺はどんな話をしたのか聞いてみた。

「なに、大したことないよ。気をつけて、怪我なく大会を終えてください。そんな話だった」

「乃城のかみさんは乃城以上に乃城を心配しているからなあ」

 俺は身を乗り出した。

「それより乃城、明日の試合は大丈夫なんだろうな。勝算はあるのか?」

 乃城はオムライスをスプーンですくって口に運んだ。

「勝算なんてないよ。それより俺が考えていたのは、いかに自分のプロレスを取るか、ってことさ。俺の引き出しは多くてね、海外ならこう、国内ならこう、って、臨機応変に対応できる。それは俺の自慢の一つ。ダミーコとの15分時間切れ引き分けも、観客の反応を見ながら適せん対処できるはずさ」

 湯気を生じる紅茶を熱そうに飲む。

「いかに技を失敗しないか。いかに緩急をつけて試合を運ぶか。いかにダミーコのプロレスに同調するか。考えることは山ほどあるけど、まあ、プロレスは相手あってのものだからね。自分、敵、観客の三つを常に頭に入れて闘うつもりだよ。基本だけどね、今はそれが大事だと思ってる」

 俺は口元を拭いた。ふっと息を吐き、心を落ち着かせる。

「優勝しろよ、乃城。俺はそれを見に来たんだ」

 目を見てはっきり言うと、乃城は苦笑した。

「頑張るよ」


……こうして、3月2日の夜は更けていった。俺は今、ホテルに戻って自室でこれを書いている。いよいよ明日から乃城の最後の戦いが始まる。海外のプロレスにうまく順応できるか。日本のスタイルを観客が支持してくれるか。怪我せずに終えられるか……。一つ悩み始めると深く深く螺旋迷宮に踏み込んでしまう。闘うのは俺じゃないのに。

 明日は全試合15分時間切れ引き分けだ。長丁場になる。乃城は、いったいどんなプロレスを見せてくれるのだろう?

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