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0021安隆治の取材メモB01


   (一一)


◆スポーツライター、安隆治の取材メモより2018年2月5日分

 先月──2017年12月25日分の記述を見直すと、『このノートもおしまいだ。二度と、今度は開くことさえないだろう』などと書いている。大嘘だ。結局俺は大晦日以降、開くだけでなく何度も書いてしまっている。まあいいか。どうせ俺の手すさび、誰から非難されるものでもない。それ以前に発表の機会すらないのだが。

 大晦日の狂騒やその後始末が一段落して、また今日、新たな動きがあった。友人にして数少ない現役プロレスラー・乃城景が、その腕に抱えてきた一冊のファイル。昨日の電話であらかじめ聞かされていた『相談事』の実相が、そこへ詳細に描かれていた。


 夜八時、俺は約束通りに乃城と合流した。近くの喫茶店で向かい合わせに落ち着く。注文を取りに来たウェイトレスが戻っていってから、乃城は持ち込んだファイルを寄越してきた。読め、ということだ。俺はまずペラペラと紙をめくり、内容を流し読んだ。記憶巣が刺激される。

「世界プロフェッショナルレスリング・リーグ戦、か。乃城、こいつは……」

 身長185センチ、体重118キロの男は、うなずいた。

「そうさ。武沢正太さんの構想していた、あれさ。俺も読んでみるまでは思い出せなかった」

 興奮のためか声が一オクターブ高い。俺は最初のページに戻ると、今度は一枚一枚、吟味しながら進んでいった。


 乃城は1988年4月14日、十九歳の時、某大手プロレス団体の入団テストに合格する。練習生として修行を積み、晴れてデビューを果たしたのは同年12月10日。まずは素顔で本名のまま、プロレスの大海へ漕ぎ出していった。俺は彼のプロレスラー人生の後期を自費で取材し、このノートへ克明に記録してきた。プロレスファンならではの趣味というものだ。その乃城景が1993年に移籍し、三年後に『ザ・グレート・トカゲ』として再デビューを果たした団体。その社長だった人物が、くだんの武沢正太氏である。

 彼は美的センスに恵まれ、もともとは広告業界で働いていた。だがその手腕を買われ、大手プロレス団体に転職する。1988年のことだ。彼の実力で強化された演出面は、音楽業界さえ注目するほどだった。だが彼にはこだわりがあった。それは、自分の仕事はあくまでリングの外にあり、中にはないというものだった。1993年、よりショービジネスに傾倒しようとする団体首脳陣は、試合にまで演出を織り込もうとした。武沢氏はそれを拒否する。議論は白熱した。しかし、折りから噴き上がった薬物濫用、黒い交際の各種スキャンダルの津波により、肝心の船──団体自体が転覆、沈没してしまう。武沢氏は会社を離れ、別の職を探し求めた。だが愛される人柄だった彼は、場を失った多くのレスラーから嘆願される。一緒にやりましょう、武沢さん──と。

 そうして武沢氏の団体が同年秋に旗揚げする。同じ頃、大手がスキャンダルにぐらつき、スポーツ界からジャンル自体が敬遠され始めると、多数の漂流者が武沢氏を頼ってきた。乃城景もその一人。武沢氏は恩人だったのだ。

 その武沢氏のリングはあくまでプロレスを追求するものだった。芸能人を上げたり、格闘技をしてみたり、過剰に演出したりすることに首を振った。プロレスラーがプロレスの試合で優劣を決め、覇を競っていく。それをプロレスファンが楽しみにやってくる。たとえ規模が小さくても構わない。黒字で回せればいい。プロレスラーの、プロレスファンの、理想郷を築き上げ、冬の時代を突き進んでいきたい。それが武沢氏の考える、プロレス団体のあるべき姿だった。理想論といえばそうであろう。だが団体がうまく回転しているうちは、共感する誰もがその夢に浸っていられた。

 しかし経営は悪化する。芸能タレントに特化したり、格闘技イベントと提携したりしたプロレス団体の方が、ファンに支持されていったのだ。武沢氏の方向性はプロレスファンにそっぽを向かれ、マンネリだの話題が乏しいだのと罵られた。客入りは急落し資金繰りは悪化した。やがては選手たちへのギャラさえ滞り出した。危機感もなくあぐらをかいていた選手たちは、事態の深刻さに気付いてうろたえた。その狼狽は責任転嫁の触媒を得て、武沢氏ら経営陣への不満となって爆発する。

 選手たちは二派に別れた。乃城景を含めた武沢派は、旧体制維持を前提とした現状打破・新ビジネスモデルの創出──リストラも含めた──を主張した。一方反武沢派は、大幅な路線変更を掲げた。プロレスだけではやはり無理だった。ここはひとつ、他団体のように、刺激的な話題をどんどん提供していくべきだ。アイドル、コメディアン、とにかく客が喜べばいいじゃないか。クラブやサークルではなく企業なのだから、こだわりは捨て去らねばならない──。

 全くの部外者だった俺から言わせてもらえば、反武沢派の方が正しい。正しいがしかし、ではどのように変われば業績が上向くか、というプランを具体化することは誰にもできなかった。

 二派の論争は決着がつかず、泥仕合の様相を呈した。展望が開けない。愛想を尽かした選手たちは、やがて次々離脱していった。しかしこの離脱は人件費の削減へ繋がり、急場凌ぎの特効薬となる。ちょうど営業がスポンサーを獲得したこともあって、団体は延命した。

 だがこのゴタゴタは武沢氏の心に拭い切れない不信感を抱かせた。彼は代表から退き、会社を後にした。1999年のことだ。団体は新体制となって再出発する。しかし方向性を巡るトラブル、各種の失敗はその後も続発し、二年後に団体は潰れた。武沢氏は最終興行にも姿を見せることなく隠棲。2004年6月18日、ひっそりと亡くなっていたことは、乃城が彼の三回忌の話をするまで知らなかった。

 その法要に出席した俺は、当時の所属選手として唯一参加した乃城から、武沢氏の思い出話を聞いている。そこで武沢氏が、ある案を生前に披露していたと知った。それが、プロレスリーグ戦構想だった。

 プロレスの勝敗は会社が決める。誰を王座につければチケットが売れるか。この選手を大試合で勝たせると、彼のグッズ売り上げはどの程度増加するか。どちらの選手も黒星はつけたくない、人気が落ちて集客力が下がる、だから引き分けにしよう。──プロレスの勝ち負けを決するのは企業としての冷徹な判断である。全ては増収増益のためであり、レスラーは唯々諾々とそれに従うだけだ。つまり、対戦カードが整った時点で勝敗は決しているのだ。それが選手にいつ伝えられるかは団体ごとに違うだろう。もちろんこれは団体所属選手(年単位などの契約選手)に限られた話である。

 フリーの選手はそうではない。団体に所属しない彼らは、当然、団体から一切のバックアップ──怪我で入院した時の治療費など──を受けられない。契約も試合単位やシリーズ単位など短く、また契約を取れなければ明日の飯にも困るようになる。だが、フリーのプロレスラーには「NO」といえる権利がある。団体との交渉で敗北を要請された時、はっきり断ることができる。それは所属選手にはない、フリーの大きな魅力だ。

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