0002乃城真樹の日記
(二)
◆乃城真樹の日記より2017年12月22日分
あーもー、信じらんない! あたし、頭おかしくなっちゃったのかな? ちょっと点検。あたしは乃城真樹。17才。花も恥じらう女子高生。ゼニーズのアイドルグループ『火豚』の大ファン……。大丈夫よね。鏡も見てみよ。髪の茶色は艶やかで、枝毛もなく肩にかかってる。ちょっと太ってるかな? 目が小さいのが玉に瑕。母親譲りの鷲鼻は見ようによってはチャーミング……。何も変わってない、変わってない。
今は夜の10時で、「あれ」から6時間も経つんだけど……。いまだに今日起きた出来事が夢みたいで、何かホント、まだその中にフワフワ浮いてるみたいで、あたしの現実が現実でないみたいで……。何書いてんだろ? 落ち着けあたし。深呼吸。
よし落ち着いた。頭を整理して、今日の奇跡を順番に書いてこ。あー、この日記にパパのこと出すの初めてだ。
まず午後三時。あたしは帰宅した。ママがいつもみたくほうきで掃いていた、庭狭いのに。で、あたしもいつもみたく、郵便受けを覗いたんだ。
見慣れない、けど立派な封筒が、一通入ってた。パーティーの招待状みたい。宛名は『乃城景様』、あたしのパパだ。差出人は……と裏返してみる。
『ゼニーズ事務所』!
あたしはひっくり返りそうになった。なんで? なんでパパに、パパなんかに、あの『火豚』の、もっと言えば『雷武扉君』の、あのゼニーズ事務所が、手紙なんか出して来るわけ? 超信じらんない。
あたしのパパはカッコわるい。引退して年取った相撲取りみたいな感じ。背は185ぐらいあるそうだけど、胴長短足で、遠目に見ると鏡餅みたい。あたしの参観日は、だから嫌な思い出しかない。
パパには変わった趣味があって、プロレスとか何とかいう、リングで殴り合う芝居をしてる。それは今でも続けてるんだけど、昔みたく仕事じゃなくて、今は単なる趣味みたい。ママがパパと結婚してあたしを生んだのは、2000年だけど、その後すぐ会社が潰れたんだって。それからは色んな会社で単発のお仕事をもらってたそうだけど、それも十年いかなかったそう。以降、パパは町内会の夏祭り、あと別の町の何かの行事で、一日だけのプロレスをやってる。プロレスの友達が10人ぐらいいるらしくて、みんなその時はプロレスする人になるんだっけ? でも仕事でプロレスしてる人は一人もいないって話。
パパはいつも夢を語る。『パパはいつか、「プロレス大賞MVP」を取るんだ』だって。昔はプロレスが大ブームを迎えてたらしくて(江戸時代? なんちゃって)、その頃は毎年、そのプロレス大賞がMVP……一番活躍した人を選んでたそう。
「でもパパ、そのプロレス大賞って、とっくにおしまいになってるんでしょ?」って聞いたら、「うん。それでもいつか、必ず取る」とか言うんだからバカみたい。「その時はパパを自慢するんだぞ」とか、呆れて笑っちゃう。
そう、パパはプロレスをしてる以外は普通で平凡な、スーパーの販売員。でもそのパパ宛てに、ゼニーズ事務所からの手紙が届いた。 何でよ? どーしてよ?
そこへ、パパが帰ってきた。
パパは今日は仕事が休みで、町長さんの所へ出かけていた。毎年この時期、パパは決まってそうする。来年春のお祭り――パパにとっての生きがい、プロレス――の打ち合わせをするためだ。だからこんな時、パパは上機嫌で帰って来る。「良かったな真樹、またパパの勇姿が見られるぞ」なんてはしゃいでみせる。
でも、今年のパパは違ってた。物凄い強張った、思い詰めたような暗い顔をしていた。この世の終わりが来ても、あんな表情にはならないよね――
と、これは、今振り返って気付いたこと。あの時のあたしは、それどころじゃなかった。セーターにジーンズの野暮ったい外見したパパの元へ、息せききって駆け付けた。パパの太い鼻っ柱へ、問題の手紙を突き付ける。
「これ! これ見てよパパ! 何なのマジで、ねえ、どういうことっ?」
パパはきょとんとしていた。けど、あたしの形相やら裏返った声やらに、ただならぬ事態を察したみたい。あたしの手から手紙をひったくって開封すると、中の紙をむさぼり読んだ。
「何が書いてあるの?」
あたしの催促に、パパはちょっと興奮気味につぶやいた。
「プロレスの試合をお願いしたい、なので連絡ください。そんなところだ。けどこれ、配達ミスだろ。消印が一週間前だ」
プロレスの試合? ゼニーズ事務所とプロレスとが、あたしの頭の中でリンクしない。パパは私の驚きとは別種のそれに浸りつつ、ヒラヒラと封筒を振ってみせる。あーもーこのバカ親父、ゼニーズ事務所の偉大さが分かってない。あたしはパパに、ゼニーズに知り合いがいるのか、と問い質そうとした。
その時だ。
あたしの家の前に、黒いベンツが停車したのだ。あたしたちは揃って不審な高級車を眺めた。
奇跡が起きる瞬間は、時の流れも戸惑うのだろーか。ゆっくりと、ホントにゆっくりと、後ろのドアが開く。そして降りて来たのは――
「雷武君っ!?」
紅顔純情華奢華麗。あたしが目をつけている、恋い焦がれている、あたしだけのアイドル。美少年。『火豚』の可愛いバックダンサー。
雷武扉君――
その後に降りて来た熟年ホストみたいな人も、その人がパパに名刺を渡すのも、二人がかしこまって挨拶を交わすのも、視界に入るだけで意識には届かなかった――あたしの目は雷武君に釘付けで、彼が気付いて顔を赤らめても、決まり悪そうにもじもじしても、ずっと彼を凝視し続けた……まずい、今考えると、嫌われたかも。
「御連絡がないので、郵便事情に問題が発生したのかと思いました。今日は近くを通り掛かったので、あるいは御在宅かと期待しまして、こうしてお伺いに参りました。お会いできて幸運、光栄です」
三十代半ば? の桐原マネージャーさん(後でパパに名刺をみせてもらった)は、そう言って胸を撫で下ろした。カッコいい。ゼニーズはマネージャーもカッコいい、大発見だ。
四十代も終わりのパパは、ペコペコ頭を下げて――どうやらベンツから相手の地位を推し量ったみたい――愛想笑いを振りまいた。
「いやー恐縮です。どうもすみません。ところでお話……プロレスの試合の話、ですよね?」
パパの目がキラキラ輝く。淡い下心にプラス好奇心、という感じで、あたしは見ていて恥ずかしくなった。
桐原さんは腕時計――何だろう、凄く綺麗――に目をやって控え目に言った。
「試合といいますか仕事といいますか。ゼニーズ事務所より、ぜひ乃城様に尽力頂きたい案件がありまして、御一考いただきたいのです。お時間は取らせません」
パパは快活に笑った。中身すっからかんな、大物ぶった嫌な笑いだった。
「それなら、こんな寒い所では何ですからね。ぜひうちにお上がりください」
こうして午後三時半。雷武君は、なんてこった――我が家にやって来たのだ。
パパは突然の訪問客を引き連れて玄関をくぐった。ママはすでに気を利かせて、奥に引っ込んでいたみたい。あたしたちが居間に入った直後にタイミング良く、お茶を持って現れた。パパが「家内です」と紹介した。
四人が向かい合って座ると、ソファにあたしの居場所はなくなった。パパはあたしへ気の毒そうに首を振った。
「真樹は席を外してくれないか」
いつもなら、なんであたしだけ除け者なのよと、ブチキレて騒ぐケースなんだけど。目の前には雷武君が座って、こっちを見上げている。うう。
「分かりました……」
あたしは大人しく、できる限りのおしとやかさで引き下がっちゃった。
午後四時。あたしは自分の部屋でそわそわとうろつき回っていた。何を話してるんだろう? 気になってしょーがない。我慢も限界だった。あたしはそろそろ話も終わっただろうと、居間に降りてみた。すると……。
「帰ったよ」
パパはあっさりそう言った。はあ?
「せめてひとこと、声をかけてくれたっていいじゃない! あたしがファンなこと、知ってるでしょ!?」
キレたあたしは怒鳴ってやった。雷武君と握手して、サインもらって、記念撮影するはずだったのに!
でもパパは普段と違って、あたしの雄叫びにも全然動じなかった。
「それどころじゃない」
困惑と驚愕のないまぜになった顔で、そんなことを言う。何だろ? あたしは一瞬怒りを忘れた。何があったのか聞いてみる。するとパパは、衝撃的な告白をしたのだ。あたしが目玉を飛び出させて、腰を抜かしてしまうような、そんな告白を。
パパは言った。
「パパな、プロレスの試合をすることになったんだ。場所は北西京ドーム。対戦相手はさっきのあの子――雷武君だ」
あーあ、書いてみて実感した。非現実的過ぎて、まるでリアリティに欠ける。信じらんない。今まで17年間生きてきたけど、今日ほど驚いた日は初めて。でも、頬をつねれば痛みが走る。夢なんかじゃない。ちょっとこれから、友達にメールしまくって、自慢しまくろ。
パパの試合も久しぶりに観ることになるかな。プロレスがお芝居だって分かってから、なんかそれをやってるパパが恥ずかしくて、ここ数年は応援に行かなかったんだ。でも今度ばかりは見逃せない。何せあの雷武君がプロレスするんだから。雷武君に絶対勝ってほしいな。
あー、楽しみ!