第一話 「出発」
月明かりは蒼く、どこか寂しげだ。
アオイたちの通う茜雲中学校の裏にある山には古い寺があった。舗装された山道と長い階段を登りきると赤い鳥居と二匹の狛犬が出迎えてくれる。夏休みに突入して一週間後、アオイたちはそこに集合することにしていた。
「アオイちゃん、何も、こんなところを、集合場所にしなくても、良かったんじゃ、ないかなぁ」
「あまーい。探検はね、シチュエーションが大事なんだよ。ほら見て、ここからあたしたちの夕空町が良く見えるでしょー?」
リエはすでに息切れして苦しそうだ。
寺からは確かに、夕空町の果てまで眺めることができた。と言っても、黒い闇の中にぽつぽつと建物の明かりが見えているだけで、それがある範囲は町の一部なのだと認識できる程度だ。
「まったくもう、出発する前に汗だくになっちゃったじゃない。あーもう、帰ってシャワーを浴びたいわぁ」
ちょうどやって来たリュウジが不平を口にした。
これから探検だというのに、まるでファッション雑誌から抜け出たような洒落た装いをしている。しかし汗でシャツが肌に張り付いていて台無しになっていた。
「ごめんねー。でもさ、でもさ、こうして町を眺めてるといよいよだって感じ、するじゃない?」
「そうかなぁ、ぼく、お腹空いちゃったよ」
夜景が映したアオイの瞳は輝いている。
しかしヒロユキは興味なさそうにぐぅと腹を鳴かした。アオイはむっとして半眼で彼を睨む。
「さっき明日の分のパン食べちゃったじゃない。節約しないと途中でなくなっちゃうよ!」
「えっと、ね。大丈夫だよ。ぼく食べ物ならいっぱい持ってきたから」
彼の大きなリュックの中身は全て食料らしい。
アオイはキャンプ用のテントを持参しなければならなかったので、それ以外の荷物は他のメンバーに任せるつもりでいた。食料はヒロユキのを分けてもらおうと内心で決める。
「これで全員揃って――るわけないか」
「ケイゴくんと、カオリちゃんがまだね」
不安が的中した。
もともと反対的だったケイゴはともかく、ちょっとした良家のお嬢さんであるカオリは家を抜け出すのは難しいだろう。親に話すのは無駄なので書置きを残すようにアオイは皆に指示していたが、そもそも親に黙って家を出るのはちょっとした試練でもあるし、帰ったときのことを考えれば躾の厳しい家ほどそれは大きくなる。
「来るかなぁ……あいつ」
「え?」
アオイの小さな呟きにリエが気付いた。
「あ、いや、カオリさ。あの子、真面目だから」
「ああ、そうね。帰ったら一番、親がうるさそうだし……」
そういえば、とアオイは思い出す。
カオリが計画に賛成だったことは意外だった。奥手で引っ込み思案のあの少女が、実は町の外に興味があったなんて知らなかったのだ。小学校からの付き合いでいながら――そしてそれは、ケイゴも同様だった。いつも喧嘩ばかりしている彼の本心をアオイは知らないでいた。
「あ、来た!」
その声に我に返るアオイ。
階段から姿を見せたのはカオリだった。そのことにアオイはどこか落胆するが、それを表面に出すことは絶対にしない。
「カオリ! 良かった、来てくれて」
「はあ、はあ……もう十分、探検したって感じが、するのは、気のせい、でしょうか……ごめん、なさい」
いつもの口癖で謝るカオリ。
彼女が来てくれたのを喜ぶのは本心だった。いつまで経っても打ち解けてくれないカオリだが、大事な仲間の一人であることに変わりはない。
「あとはあのバカね。どうせ来ないだろうし、行っちゃおうか」
「あら、いいの? 旦那がいないと寂しいんじゃなくって?」
にやつくリュウジにアオイは半眼の視線で返す。
ケイゴとの関係が勝手に作られているのは知っていたが、実は悪い気がしないでもなかった。しかしやはり、それを悟られるのは最大の恥だとアオイは思っていた。
「よーし、じゃあ行こう! ……カオリが休憩してからね」
「ごめんなさい」
結局、休憩している間にケイゴは到着した。
反対していた気まずさがあるのか、彼はあまり口を開かなかった。アオイもアオイで、どこか嬉しいと思いながら、そう思ってはいけないと感じ言葉は少なかった。
この感情が意味するものを、アオイはまだ受け入れられずにいたのだった。