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双子の箱庭 双子と箱庭  作者: 沢城据太郎
9/11

箱庭の真相


 フリーズして再起動するまでの数秒の硬直の後、わたし達はすぐさまこの高台の公園から地上に降りる階段を探した。程無くして傍に下りの階段を発見したので、沙奈を先頭に(一瞬だけ両手摺りの高さを確かめて安全確認をした後)階段を駆け下り、高台の絶壁に沿って視線を走らせた。

案の定それはあった。黒い絶壁にせり出たテントの日除けと腰ほどの高さの三脚状のスタンド看板。位置も先程の奈落の庭園があった辺りの近くのハズだ。

わたし達は逸る心を抑えきれず、早足でその看板の正面に歩み寄った。

そこは、どう見ても『カフェの入り口』としか呼び様のない区画だった。

 マンションの基礎の一部であるはずのその区画だけ黒のタイルではなく白塗りの漆喰の壁でそこには白い木枠のガラス扉と大きなガラス窓が並んでいる。ガラス窓の向こうには、木目調の床とケーキ(らしきものが)まばらに陳列されたショーケース、ハッキリとは見えないがその向こうにエプロンを身に付けた人物が作業をしているらしい。日除けのテントの下に掲げられた黒枠白地のお洒落な看板には『Morceau de Bois』というアルファベットが羅列されていた。うん、何を仰っているのかわからないけど多分フランス語だと思われる。

「これ、これだよね! 『秘密の箱庭』って!?」

 わたしは双子に、ハイテンションで気が動転した早口で回答がわかり切った同意を求めた。

「ええ、文字通りマンションの真下だし、位置関係的にさっきの庭と繋がっているのは間違いないわね」

 沙奈はわたしほどはしゃいではいなかったが、上気した笑顔で再確認をする。

「……マジで実在したんだな」

 奏一は驚いたような、心底感心したような口調でそう呟き、スマートファンを目線の高さに構えてリズミカルな電子音を響かせた。奏一の動作にわたしもハッとし、自分のスマートフォンを取り出して奏一と並んでそのカフェの正面を撮影した。

 興奮しつつもほんの少しだけ、心の奥に戸惑いもあった。ここは本当にわたし達が探していた『秘密の箱庭』なのだろうかという疑問だ。想像していた場所とかなりイメージが違う。名前からしてもっと可愛らしい西洋風の小さな一軒家とそこに広がる花園、みたいな感じを想像していたのだが、マンションの基礎部分と一体になった店舗と壁に囲まれた吹き抜けの中庭というモダンっぷりは想像との乖離が激し過ぎてちょっと混乱してしまう。沙奈と奏一からも、何かこう、驚いてはいるけど今ひとつ納得し切れていないようなもやもやした感情が伝わってくる、ような気がする。

「取り敢えず、入ってみない?」

 沙奈が、一人で入店しようとする心の逸りを隠さずにわたしと奏一を促す。店の正体を見定めたくてうずうずしているらしい。

「そうだね、入ろう」

 もちろんわたしも同じ気持ちだ。

「……いや、ちょっと待ってくれ」

 『秘密の箱庭』の精査の為に今まさに足を踏み出さんとするわたしと沙奈を、奏一は呼び止めた。

「何?」

 低いトーンの声と共に奏一の方を向く沙奈(ちょっと怒気を含んだような苛立たし気な口調に聴こえたが、奏一に対してはこれが沙奈の素らしいという事がちょっとずつ理解できて来た)。

「これ、ちゃんと見てみろよ」

 奏一が強張った表情でカフェの入り口の手前のスタンド看板を指差した。メニューが張られていた(シンプルで清潔感があり、紅葉の葉のイラストがちりばめられたやはりハイセンスな感じの印刷物)。店内そのものに注意が向いていて看板はスルーしそうになっていたが、奏一に促されそちらに視線を落とす。

 メニューは複数羅列している。しかしやや大きめの字体で目立つように配置された二種類のメニューにまず注意が向く。曰く


 ブレンドコーヒー 五二〇円(税抜き)

 ケーキセット   九八〇円(税抜き)


……ふへぇ!!

「……高いわね」

 沙奈が、先程の奏一の声色に似た強張った口調で端的に感想を漏らす。

 コーヒー一杯五二〇円!? えっ、待ってしかも税抜き!? セットだと千円札じゃ足りないの!? 

 その価格表はわたしと沙奈の歩みを止めさせるのに十分な威圧感を持ってわたし達の前に立ち塞がっていた。

 親からのお小遣いをその所持金の大半としている高校生にとってはコーヒー一杯に五二〇円取るというのはハッキリ言って理解しがたい価格設定である。しかもケーキセットで千円越えというのは、もうそれだけで数週間の予算管理に大きな影響を与える大出費である。

「えっと、これ、どうしよう!?」

 わたしは、過剰に混乱しているそぶりを見せながら、九重姉弟の出方を窺った。都市伝説『秘密の箱庭』が本物のカフェである以上商品に金が掛かるのは当然である。だが、そもそも見つかるかどうか、存在するかどうかすらハッキリしない店舗だったので、その調査に当然支払われるべき出費というものが完全にわたしの頭から抜け落ちていた。想像力の無い若者である。

「これは……、場違い感がハンパ無いな、オレ達」

 奏一は表情を歪めながら改めてメニュー表を検分し、「ジュースとかも高いな……」と苦々し気に呟く。

「お金はある?」

 立往生を始めるわたしと奏一に向かって沙奈は尋ねる。

「あるなら、入ろうよ」

 マジですか、沙奈嬢。

「せっかくここまで来たんだし。無いなら仕方ないけど」

 わたしは思わずちらりと奏一の顔色を窺う。奏一の方もわたしの方をやや見下ろすように盗み見ている最中で図らずも目が合う。

「んんん~~~、わかった、入ろう!」

 刹那、脳内家計簿で小銭の残量を確認し、次のお小遣い日までの貧しい日々を思い描いた上で、意を決して腹を括って同意した。沙奈の表情がちょっと緩む。ああ、清水の舞台から飛び降りるってこういう時の心境を指す喩えなんだな、と破れかぶれな堕落感の中で思う。

 沙奈の視線が刺す様に奏一に移る。わたしも恐る恐る奏一を見上げる。

「いや、これ、オレが付いて行くとお邪魔虫じゃね?」

 奏一が、遠慮する素振りで逃げの一手を打つ。

「えー! 一緒に行こうよ」

 わたしは脊髄反射的にゴネた。……後々この時のわたしの心情を思い返してみた時少し驚いたのだが、わたしはこの時『沙奈と奏一の双子観察が出来なくなるから』引き留めたのではなく、『奏一とカフェに入りたかったから』引き留めていたのだ。

「何? ソーイチ今月そんなにお金使ってたっけ?」

 沙奈はほんの少しだけ挑発するようなニュアンスを籠めて奏一に喰い下がる。それが如何にも意地悪なお姉ちゃんって感じで最高にツボであり、脳内は一転、奏一を引き留めたい気持ちの微妙な変化に気付く間もなく一気に萌え狂った。多分同じセリフをわたしの姉達から言われたらブチ切れる。

「いや、金は大丈夫だけど」

「最初に一緒に行こうって言ったじゃない。今更遠慮しなくてもいいわよ」

「うん、わたしも問題無い。そっちが良ければ」

 流石に沙奈ほど高圧的には出られないので、ちょっとだけ逃げ道を残しつつ奏一に決断を求める。

 奏一は困惑した表情でわたしと沙奈の顔を交互に見た後(この心底困っている感じの九重奏一というのも普段は見られないレア映像だ)、苦痛を押し殺すように「せっかくだしな、オレも行くよ」と絞り出すように口にした。

 こうして三者三様に腹を括った。

「……注文はコーヒーだけっていうのも手だな」

「あー、なるほど」

「遠藤はどうする?」

「いや……、一応どんなケーキが出てくるか確認してから考えようかな」

 未だに煮え切らない感じのわたしと奏一の会話を背中越しに訊きつつ沙奈は「こういうお店がどんなケーキを出すのかは結構気になるけど」と独り言ち、看板を確認する前よりも遥かに威圧感が強くなった扉に手を掛け、開いた。

 木目調の床とベージュの壁紙の清潔感のある店内。開いた扉に連動して鳴った鈴の音に重なる様に「いらっしゃいませ」という女性の店員さんの声。

 レジとケーキの冷蔵ショーケースを隔てた厨房の中から現れた二十代前半位の若い女性の店員さんに人数を尋ねられ、沙奈は指を三本ピンと立てて「三人です」と応えた。お好きな席にお掛け下さい、と店員さんに促され、わたしはそれに併せて視線を店の奥へ向けた。

 テーブルの数は大小合わせて十五以上は有り割と広い。そして店の奥の壁一面がガラスで、その先に広がるのが先程の奈落の庭園である。

その庭園は緑一色。ガラスの向こうの手前側には石畳が敷き詰められ、そこから奥に進むにしたがって、芝生が広がり深い緑の低木が並び、奥に二本の紅葉の樹が奈落から空に向けて伸びる。家の塀ほどの高さがある三方の奈落の崖はコンクリート製だが、その壁面の一部にツタが這い緑の葉を茂らせており、芝生や低木と相俟って、壁に囲まれた圧迫感のある空間を深く暗い森の奥であるかのような印象を与える。

「……」

「……」

「うわぁ……」

 九重姉弟は言葉を失い、わたしは間抜けな感嘆を漏らす。中庭を隔てたガラスのすぐ傍のテーブルに座ったわたし達(わたしの隣のガラス側に沙奈が座り、向かいに奏一が一人で座った)は、その暗い廃墟に長い時間を掛けてひっそり根付いた様でいて多分独特な感性と丁寧な管理によって成立しているのであろう深い奥行きを感じさせる奈落の中庭の光景にしばし見入っていた。

 おしぼりとお冷を持ってきた店員さんの存在がわたし達を現実に引き戻した。メニューが決まったらお呼び下さいという言葉を残して去り行く店員さんの背を見送り、三人揃って水を口にした。九月末の登山然とした市街散策はわたし達の喉を程々に渇かせていた。

「……イメージしていた場所と随分違うわね」

 三人揃って落ち着いた所で、改めて中庭を眺めつつ沙奈が呟いた。

「呼び名からして『秘密の花園』を小さくしたような感じを想像していたけれど随分印象が違うわ」

 沙奈も、わたしが予想していたイメージに近いモノを持っていたらしい。

「むしろ紅葉のせいですごい和風な感じになってるよね」

 わたしはガラスの向こうの二本の紅葉の樹を掌でなぞりながら言う。

「ただ、純粋な日本庭園って感じでも無いよな」

 奏一がわたしの言葉に半ば同意しつつも思案する。

「根元の低い木はシダっぽい植物が多いし、壁のツタはどちらかと言うと洋風だし」

「コンクリートの壁も和風な感じはしないよね」

「……こういうのも坪庭って言うのかな?」

「……ツボニワ?」

 奏一が、わたしが知らない単語をおもむろに使用してきたので思わず訊き返す。が、わたしの疑問を掻き消す様に沙奈が「坪庭にしては大き過ぎるんじゃない?」とわたしを追い越し答えた。

……そんな沙奈の視線は、既に『箱庭』の方には向いておらず、テーブル上のメニューに向かっていた。いつまでも庭談議で盛り上がっている訳にもいかない。ここは飲食店なのだ。

わたしと奏一の注意が庭からメニューに移った事を察知した沙奈は、眺めていたメニューをわたし達に向け「どうする?」と尋ねる。奏一はちょっとだけ憂鬱そうに身を乗り出してメニューを覗き込む。

「……どうしようか」

「セットでガトーショコラを頼もうと思うの」

「えっ? ケーキセット、頼むのか?」

「ええ、せっかくだし」

 沙奈はけろりと言ってのける。

 ちょっと戸惑った顔をする奏一に沙奈は、「逆に考えてよ、コーヒー一杯に五二〇円なんて勿体ないじゃない」と諭す。まあ、確かにケーキセットで一〇〇〇円強と言われた方がまだ諦めがつく価格に思えるが。

「んー、じゃあわたしはフルーツタルトにしようかな?」

 あんまり深く悩んでいない風を装いながらわたしはメニューを指差す。沙奈に付き合う意図もあるが、奏一を追い詰めてリアクションが見たかったという悪戯心も含まれていた。わたしの宣言に奏一は驚いたと言うよりも、山の中腹から登るべき頂上への道のりを見上げる様な沈んだ溜息を吐いた。観念してくれたらしい。

 結果、奏一はベイクドチーズケーキのケーキセットを頼む事にした。因みに全員コーヒーはアイスで。

 程無くしてケーキとアイスコーヒーが運ばれてくる。

 わたしの注文したフルーツタルトは見た目にも豪華で、しっかりとしたタルト生地にイチゴや山葡萄やイチジクなどみっちりと配置されていてそのボリュームもかなりのものである。ケーキというのは基本的に特別な位置付けにある食べ物だが、普段接するそれすらも超えた、明らかに一線を画する逸品である。ウチで突然母親がおやつにこれを用意したら何かの記念日だったかと軽く混乱するくらいのプレミアム感がある。

 しかし、食べている最中にも頭にちらつくこのプレミアムな食べ物のプライスがどうしてもどうしようもなくわたしを現実世界に引き戻す。何とか値段の元を取ろうと必死に味を確かめる自身の舌の切実さが自分でも若干痛々しい。酸味の効いたフルーツの刺すような刺激がタルト生地の柔らかい甘さで絶妙に中和されている。複雑な甘みが心に至福と諦観を与える。

「……なるほど、美味いな」

「うん……、美味しい」

 それぞれのケーキを味わう奏一と沙奈の声のトーンも何故か低く神妙で、ケーキを食べている時のテンションとは思えない。あと、コーヒーに関しては、コーヒーの味とか正直違いが分かるほど知識は無いけど、端的に言って苦い。砂糖とミルク込みでも苦い。

「あの、さっき実はよく解ってなかったんだけど……」

 ケーキに没入しすぎるあまり完全に会話が途絶えてしまっているので、話題作りの為に、先程疑問に思った事を純真に奏一に尋ねる事にした。神妙にケーキを味わう姉弟の注目が同時に向けられるのを肌で感じた。

「坪庭と箱庭ってどう違うの?」

 素朴な疑問だった。双方聞いた事のある程度の単語で、細かい意味の違いがよく解っていなかったのだ。

 わたしの問いに、奏一と沙奈は時間が止まったようにきょとんとした顔でわたしを見た。この瞬間、しちゃいけない系の質問をしてしまった事に何となく気付いてしまった。

「……坪庭と箱庭は全然違うぞ」

 奏一は恐る恐る口にする。

「坪庭っていうのは日本の家屋なんかでたまにある建物の内側の庭の事」

 そしていつもより気持ち穏やかな口調で沙奈が引き継ぐ。

「意味としては中庭に近いんだと思うけど、坪庭はもうちょっと和風のニュアンスが強いかな。それに規模もこれよりもっと小さいモノを指す場合が多いと思う」

 沙奈はそう言いながら目の前の仄暗い庭園を示しながら説明する。

「それで、箱庭の方なんだけど、これは簡単に言うと『庭の模型』なのよ」

「模型!?」

「うん、テーブル位のスペースに(と言いつつ目の前のテーブルを掌で覆いながら示す)小さな樹とか塀なんかの模造品を並べて小さな庭を再現する一種の美術品」

「英語ではミニチュアガーデンとか言われてるな」

 穏やかかつ事務的な口調で説明する沙奈に、軽妙だが感情を押し殺した声で奏一が補足する。

「え……、坪庭と箱庭全然違うじゃん」

「ええ、全然違うわね」

「残念だけど別物だな」

「これわたし滅茶苦茶恥ずかしいヤツじゃあぁぁぁぁん!?」

 わたしは店内の他の人に迷惑にならない程度に声を押し殺しながら絶叫して頭を抱えながらテーブルに突っ伏した。いや、演技染みた動作だけど実際滅茶苦茶恥ずかしかった。道化を演じる位しか選択肢が無い程度に。

「うん、遠藤さんと同じ間違いしている人って結構多いと思うわよ。普通、本物の箱庭を目にする事なんて滅多に無いと思うし」

 沙奈は慰めるというよりも端的に私見を語る淡々とした口調で言う。

「もしかしたら最初にここを『秘密の箱庭』って呼んだ人も『箱庭』って言葉の意味を勘違いしてたのかなぁ……」

「かも知れない。わかっていて喩えで使った可能性も勿論あるけど」

「ここ自体が箱っぽいから」

「うん、そんな感じ」

 そうしてわたしと沙奈は再びガラスの向こうの奈落の底から伸びる日本の紅葉の樹に視線を移した。ガラス窓と蔦に包まれたコンクリート製の巨大な箱、秘密の箱庭。

「本当にここは『秘密の箱庭』なのかしら……」

 沙奈は不意にそんな事を呟く。

「えっ、どうして?」

「どうしても、違和感が拭えない」

 わかる気がした。わたしも未だにこれまでの『秘密の箱庭』のイメージ、そして高校内で伝聞されていた洋風然とした庭園だという噂と、現在目の前にある緑の奈落の紅葉の樹とのギャップに苦しんでいた。

「でも一応、『秘密の箱庭』の特徴に全部当て嵌まってるよね、この店」

「そうなのよね……」

 全然釈然としていない風の沙奈。

 思案した表情の沙奈はガトーショコラの最期の一切れに手を付ける。咀嚼し終えた沙奈は不意に、小さな声で「そうか……」と呟いた。

「場所がわかり易過ぎる」

「え?」

 切実さの籠った唐突なその言葉にわたしは少し驚く。

「『秘密の箱庭』の場所がこれまで特定されてこなかった理由。説明出来ない位わかり辛い場所にあるから所在地が広まらないんじゃないかと思っていたんだけど、この場所って物凄く説明し易いじゃない。そこのマンションも学校から見えるし」

「あー……」

「どうして今までこの場所が知られてこなかったのかしら」

 なるほど、それが沙奈が感じていた違和感の正体か。

 わたし達の学校内で半ば都市伝説化していて、たまにこの傾斜の市街地に探検に来る生徒達が居るにも関わらず今までこのお店が発見されてこなかった事が沙奈的には解せないらしい。最初、わたしと沙奈は『秘密の箱庭』が発見されない理由はこの傾斜の街の大小様々な家屋が入り混じり坂に沿って通路が蛇行する複雑な構造にあると考えていた。そう考えて沙奈は学校側の死角からあの赤ペンだらけの地図を用意したのだ。だが、その結果がこのマンションの基礎と一体化したお店と言うのは余りにもわかり易過ぎるのだ。しかも地元民に知られる程度にも知名度がある。

「それは……、多分だけど」

 沙奈の疑問に、奏一がおずおずと口を挟む。

「値段の問題なんじゃないか?」

「……それは、それほど関係がある?」

 釈然としないという気持ちを前面に押し出した冷たい口調で沙奈は奏一に問う。

「んー、例えばさ、このカフェの場所を友達に伝えるとする。でも場所を訊いた方としてはこんな変な場所に『秘密の箱庭』があるなんてちょっと信じられないと思うんだ。だからほぼ確実に道案内も兼ねて一緒に行こうっていう話の流れになる。そうするとほぼ確実にカフェで入ろうって事になるだろ」

「あー、そっか、二回もこのお店にはいらないといけないことになっちゃうよね」

「そういう事」

 確かにそれはキツい。親からのお小遣いが主な収入源である高校生にこんな気合の入った価格設定のお店で短期間に連続してお金を使うというのはかなり酷だ。

 この弟の意見を聞いた姉の沙奈はアイスコーヒーのストローに口を付けながら、ミステリーの名探偵みたいな真剣な眼差しで思案する。今の奏一の予想に粗が無いか吟味しているのだ。

「……確かに、ソーイチの言う通りかもしれないわね」

 刹那の間の後、沙奈は重々しく奏一の意見を認めた。

「自分で言っておいてなんだけど物凄い身も蓋も無い説だけどな」

「うん、でも辻褄は合ってると思うよ」

 わたしも合いの手を打つ。

「そうね……」

 奏一の意見に同意した風だった沙奈だけれど、まだ何かを考え込んでいた。

「急に話が変わるんだけど」

 そして隣に座るわたしに向けて話を始める。

「うん?」

「このお店ってもっと秋が深くなってから来るのが正解だと思うの。紅葉こうようの時期に」

 と言いながらガラス窓の向こうの紅葉の樹を示しながら言う。確かに少し唐突な話題の転換だったので一瞬戸惑ったが、

「あ、うん。真っ赤な紅葉とか絶対綺麗だよね」

暗い中庭に聳える二本の紅葉の深い赤の美しさは想像に難くなかったので、沙奈の意見には全面的に同意した。

「今度、紅葉が赤くなる頃にまた二人でここに来ない?」

「う、うえ、えと」

 わたしは本能的に返事に窮してしまった。本能的な部分が沙奈との会話にブレーキを掛けた。

「ええと、ああ、どうしようかな……」

 現状の紅葉の具合から考えて本格的に赤くなり始めるのは二か月後位? その頃の予算状況は……。

「ごめんなさい。嘘よ」

 急にカラッとした声で沙奈が言う。その表情が丁度、わたしが『秘密の箱庭』を気にしている事を言い当てた時みたいな眼を細めるちょっと意地悪な笑み。

「流石にまたこのお店でケーキセットを頼む気にはなれないわね。もし遠藤さんが乗り気になったらどうしようかと思ったわ」

「え……、あ、うん」

 いきなり何を言い出すんだ沙奈は? と内心戸惑っていると、そのやり取りを観察していた奏一が感慨深げに呟く。

「なるほど、オレの説が証明された訳だ」

「へ?」

「そういう事」

 沙奈が取り継ぐ。

「やっぱり高校生の財力ではこのお店に何度も来るのは無理があるわね」

 ようやく合点が入った。わたしは奏一の説のモルモットにされた訳だ。それがわかった途端わたしは沙奈の肩を揺すりながら「非道い、非道いよ!」と言いながら爆笑した。

 斯くして我が校に伝わる都市伝説『秘密の箱庭』はその神秘性のベールを手当たり次第に剥ぎ取られ、飲食代という身も蓋も神秘性もへったくれも無い高い壁の向こうへとその姿を隠した。恐らくわたし達三人はこの場所を誰にも教える事は無いだろう。能城子には悪いけど、わたしにはこの店にもう一度来店する財力に乏しいし、わたしが来なくて済むにしても奏一に金銭的な圧迫を与える様な事をするのはかなり気が引ける。暫くの間、このお店の場所は胸の内に隠させてもらう。


「ふぅ……」

 帰りの電車の座席に座りつつ、わたしは思わず大きな溜め息を吐いてしまった。

 電車内の煌々とした明かりの外はもうかなり暗い。九月の下旬となると夕方が終わる時間はとても早くなる。

 電車の窓の外に浮かび上がる、やはり過剰な明かりに照らされた反対車線のプラットホームに九重姉弟が並んで立っている。仲良く寄り添っている訳じゃないけど、変に離れて立つと意識しているみたいになっちゃうから付かず離れずの距離を慎重に測っているって感じの二人の距離。写真に収めてスマホの待ち受けにしたい衝動を懸命に抑える。

 電車が動き出す。姉弟がこちらを見ているので、座席に深々と背中を沈めて疲労困憊といった風に二人に気だるげに手を振った。実際、歩き詰めの放課後だった訳で全身クタクタだ。

 九重姉弟は二人並んで小さく手を振り返してくれた。

 プラットホームの光が遠ざかる。

 わたしは心の中でまた大きな溜め息を吐き、口元を手で押さえた。

 全身の毛が逆立っているのを感じた。脳内のアドレナリンがヤバい。落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせる。口元を押さえていないと気持ちの悪い変な笑いが込み上げそうになる。

 その時から家に帰って寝るまでの間は至福の時間だった。傾斜の街の神社の前で奏一と出会ってからの姉弟の会話、お互いを意識した所作、ツーショットなど、何度も脳内でリピートして分析を加えていった。

 だけど、それを繰り返す内に、わたし自身の身体というか胸中が異様に熱くなっているような気がした。姉弟も萌えでヒートアップし過ぎているだけだと最初は思ったのだけど、どうも違う気がした。

ベッドの中でその熱さを反芻する内に、遂にその正体に気付いた。最初は何かの勘違いだと思ったのだが、自分の気持ちに向き合えば向き合う程その結論しか残っていないとしか思えなくて、枕を抱きしめて顔を埋めながら「うわぁぁぁ、やっちまったよ」と喘ぐしかなかった。

 鮮明に思い出すのは九重姉弟のやり取り。そしてそれと同等の密度と精度で胸に蘇るのはわたしに話しかける奏一の声と仕草、わたしと沙奈の間で変化する表情と眼差し。

 わたしは、奏一に恋をしてしまったのだ。


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