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双子の箱庭 双子と箱庭  作者: 沢城据太郎
11/11

箱庭の裡2


「わたしの悪い癖なのよね、こういうの」

 わたしのお馬鹿な公演がひとしきり終えた後、沙奈がそう切り出した。

「悪い、癖?」

「駆け引きとか利害とかが重要になってくる場面であからさまに相手の弱みを握ろうとする所。その優位性を誇示して駆け引きを優位に進めようとするの」

「……」

「姉弟喧嘩で相手を押さえ付けるために情報や理論武装で追い詰める、みたいな攻撃的な態度をソーイチ以外の人、友達とかにも取ってしまう事がある」

 意地悪かつ執拗な言葉攻めで沙奈に追いつめられる奏一、という画の妄想を強制停止しつつ沙奈の告白を反芻しつつ、わたしは先程から気になって仕方が無かった事を沙奈に訊いた。

「……弱みを握られついでに訊きたいんだけど、奏一くんはわたしが好きだって事は知ってるの?」

 さっきの悪女公演で奏一の下の名前呼びを解禁してしまったので、さり気無く『奏一くん』呼び。今更『弟くん』呼ばわりもおかしいだろう。あと、自分自身の言葉で血液の温度が物凄く熱くなっている。アドレナリンでテンションをアゲていかないとやってられない。

「知らない。知らないと思うわ。あっちで気付いている可能性はあるけど、そういう話、ソーイチとはしないから」

 わたしは密かに胸を撫で下ろす。

「自意識過剰というか、いえ、この場合は身内への過大評価ね。どうしてだかソーイチと関わる女子はみんなソーイチの事を好きなんじゃないかと思い込んでしまう所がある」

「……体育祭でそういうのがわかっちゃうっていうのは盲点だった。以後気を付けます」

 多分ハルもやってるんだろうな、この情報収集手段(テクニック)

「……やっぱり『姉』としては気になるモノなの。『弟』が誰に好かれているとか?」

「うん……、まぁ」

 どうにも歯切れの悪い返事をする沙奈。……これはまぁ、間接的に『沙奈が弟に群がる悪い虫をどう考えているのか』を悪い虫自身が詰問しているに等しいので物凄く答え辛い質問なのだろう。寧ろこんな質問を無警戒にしてしまったわたしが迂闊である。

「いや、ごめん、答え辛い質問なら別に」

「いえ、そういう訳では、無いんだけど」

 何故か思いつめたような表情の沙奈。視線を泳がせガラスの向こうの庭園を一瞥する。化粧っ気が無いのに長いなぁ、睫毛。そして美しい睫毛を伏せ身体の中の澱みを吐き出すように嘆息する。そして私を真っ直ぐ見据える沙奈の表情には高揚感すらある覚悟の色が見て取れた。

「そろそろ明かさないと話が進まないわね」

「?」

「望さんの秘密を暴き立てたお詫び、わたしの秘密を話すわね」

「秘密……」

「わたし、多分ソーイチの事が好きなの」

「え、好……?」

「多分、異性としてね」

「……マジで、すか?」

「ええ」


 ………………???


 脳が。

脳が。勝手にイメージする/幻視する。

何もない、空と地面しかない、いやその存在すら怪しい真っ白な空間を。その空間にふわふわ浮かんでいるわたし。それが現在のわたしの思考。沙奈の前で人間のフリをしているわたしだが次の言葉が浮かんでこないとかいう以前にモノを考える事すらできない。思考の取っ掛かりを探し求めるが何かとんでもなく圧倒的で巨大な存在に阻まれている様な。

 わたしは、平静を装う様に/人間の動きを模写するアンドロイドの様にゆっくりとコーヒーカップに指を絡め、コーヒーを啜る。端的に言って苦い。カフェインが脳を刺激し脳内の空僻に黒いインクのように天地と道を描く。

「多分、ってどういう意味?」

 取り敢えず自分の意見を先延ばしにする。情報収集だ。てか自分の考えなど纏まっていない。それどころか頭の中が完全な空洞なのだ。紡いだ言葉は多分脊髄かどこかが用意した羅列だ。

 沙奈は、興奮してやや前のめり気味になっていた上体を落ち着けるように椅子に深く座り直して居住いを正す。

「自分の気持ちに自信が無い、っていう部分があると思う」

「うん」

「ソーイチ以外の男の人をソーイチ以上に好きになった事が無いから比較対象が無い。だから自分の気持ちの位置付けが自分でもわからなくなる事がある」

「……」

 この辺に来てようやく、自分の思考が真っ白になった理由のひとつが『沙奈の告白が現実のモノと信じられなかった』事にあると信じられなかった点にあると理解出来た。そして沙奈の話を訊くにつれ、どうも現実の出来事らしいと結論付けざるを得なくなってきたのだ。

 掌に凄い汗をかいている。

「そそそ、そのごめん!

 ……正直に言うと、告白が衝撃的過ぎて平静を保っていられない。超混乱してます!」

 客観的にも挙動がおかしい感じになりそうな予感がしたので、緊急退避的に沙奈にわたしの今の内情を伝えた。実際、現状について一切まともに頭が働かない程度には、現状がどの程度衝撃的なのか認識できない位には混乱していた。沙奈は少しだけ自嘲気味に笑って「そりゃそうだよね」と呟く。

「その、いつ頃から好きになったの?」

「……小学校三・四年生くらいの頃、凄く姉弟仲が悪かった時期があって中学生に上がる位まで殆どお互いを無視し合っていたの」

「ほう……」

「でも中学生に上がった辺りでほとぼりが冷めたっていうかお互い大人になろうっていう事で仲直りしたの。奏一が異性として見てしまうようになったのはその頃からだと思う」

「……」 

「ソーイチの思い出が小学校高学年辺りですっぽり抜け落ちていて、幼稚園とか小学校低学年の頃のソーイチと中学に上がってからのソーイチに連続性が無い。極端に言うと小さい頃のソーイチと今のソーイチが同一人物だと思えないの。突然目の前に同い年の男が現れた感じ。これもちょっと極端だけど」

「……ちょっとだけだけどわたしもそういう経験があるかも。こっちもお姉ちゃんと滅茶苦茶仲が悪い時期があったから」

「望さんも年単位で姉弟、じゃない、姉妹喧嘩とかした事あるの?」

「わたしの場合は中学生真っ只中の思春期内弁慶状態というヤツで」

「ああ、なるほど」

 ……ちょっと脳が動くようになってきたかな?

 思春期突入時、わたしが姉達(主に下の姉)といがみ合っていた時期に九重姉弟は長期間行っていた喧嘩を終結させた。喧嘩中の弟は家族ではなくある意味『敵』としての認識で、思春期突入と同時期に仲直りした弟は、思春期お約束の内側(家族)への反発の対象にならず、外の世界への興味の対象として捉えられてしまった、という事らしい。ふうむ……。

「それは、兄弟愛とか家族愛みたいなのとはやっぱり違うの?」

「全然違うわ」

 超速で否定された。

「例えばだけど……」

 沙奈はそこで視線を伏せ少し考え込む。

「例えば、ソーイチが告白してきて恋人になって欲しい、なんて言われたら多分断れない」

「……なるほど」

 なるほど、としか返せなかった。真面目な顔でとんでもない事を言う友人に面喰ってそれ以外の言葉が思い付かなかった。

「いや……、ごめん、今凄く馬鹿な事言った。今の無し、忘れて」

 沙奈もわたしの表情から自分が勢い余って爆弾発言を投げ込んでしまった事を悟り、顔を赤くしながら酷く居たたまれない表情をする。もう散々顔が赤くなるような発言を連発している気がするのに今更? と言わざるを得ない。あと忘れるのはきっと無理です。

「……という事は、両想いでは無い?」

「そうね、両思いでは無いわ」

 深々と断言された。

「……自分の感情をどう処理したらいいのかわからないの。中途半端過ぎて」

「中途半端?」

「多分、相手が実の弟だからという事も関係しているんでしょうね。変でしょ、普通そういう、弟を好きとか」

「……変じゃないよ」

 わたしは反射的にそんな言葉を口にした。

「……?」

「わたしが好きな相手を好きだと思っている人の事を変だなんて思えない」

 沙奈は凄く驚いたように目を丸くして絶句した。そしてその表情で、なんかとんでもなく格好付けた事を言ってしまった自分自身が内心とんでもなく恥ずかしくなった。何言っちゃってんのわたし!?

 いやでもだってしょうがないじゃん!? 沙奈が奏一の事を好きだって事に、その好きだって気持ちに劣等感なんて抱いて欲しくないじゃん! そんなの可哀想っていうか双子萌え勢としては最高級の眼福な訳で、って違うよ! そういう事じゃねぇよ! 何言ってんのもう馬鹿、わたし馬鹿! 今ここは現実世界なの! 何かいつものわたしの身勝手な妄想が体現しちゃってるような状況だけどリアルなの、シリアスなの!

 沙奈の深刻さに触れた事と自身の恥ずかしい科白の相乗効果により、ようやくわたしの脳は通常の稼働状態に戻った。しかし、それにより正気の精神で今の状況に向き合う形になり、咀嚼しきれない事態に脳内は大量のおもちゃ箱を纏めてひっくり返したような大混乱をしていた。

「……ありがとう」

 沙奈が、遠い昔のわたしの痕跡に対して、寂しげな笑顔で礼を言った。

「その、正直な気持ちだから、うん」

 脳内の状況を鑑みると非常に居た堪れない感じではあるけど、わたしはそれっぽく返事をした。

「確かに、本当に好きならきっと姉弟だからとか何の関係も無いわよね」

 非常に真剣な表情でわたしに向かって語り掛ける沙奈。ビビるな、受け止めろわたし!

「ソーイチより好きな人なんて今まで一人も居なかった。でも、何もかも犠牲にしてでも気持ちを貫き通したい相手かと言われると、そうじゃない」

「……」

「よく妄想するのよ、もしわたしとソーイチが姉弟じゃなかったらって。軽い気持ちで仲良くなって、淡い恋愛感情を抱いて、みたいな。

 でもわたしとソーイチはそういう風には成れない。恋をするなら、全てを犠牲にするような覚悟じゃないといけない。そうじゃないと常識に勝てない。

 でもわたしにはそこまで出来ない。そこまでするだけの強い気持ちが無い。本当に中途半端」

 最後の方は、殆ど自身に失望するように投げ捨てるように言い、自身の上体を深々とソファに沈めた。

 身勝手に熱狂した脳が、その熱と混乱を保ったまま急速に冷却されていくのを感じた。

 沙奈は、多分ある意味でわたしと同じなのだ。奏一の事が好きだが、そこから前に進む気になれない。大小様々な障害はあるが、進展を望まない一番の理由は、それを乗り越えるだけの『熱量』が自分の気持ちでは足りない事をわかってしまっているから。……いや、でもわたしと沙奈では立ち塞がる壁のスケールが全然違う。そしてその壁を認識しながらもわたしにそれを話してくれた沙奈の気持ちは、やはりわたしよりもずっと強いんじゃないだろうかと思うけど。

「ええとね、うん、ちょっと踏み込んだ事訊いちゃうけどいい?」

「内容に依る、かしら?」

 沙奈はちょっと冗談めかして言う。

「奏一くんの方は沙奈をどう思っているの? やっぱりただの姉としか見ていない感じ?」

 その質問に沙奈は、非常に困った様なあやふやな笑顔を見せる。わたしはどうも、凄く答え辛い質問をしてしまったらしい。

「……この質問、まずかった?」

「いいえそんな事無い。応えるべき義務があるわね」

 とは言いつつも、沙奈の口調は何だかしどろもどろしている。

「……この話しても大丈夫なのかな?」

「今までも結構爆弾発言のオンパレードだったと思うけど?」

 自分でも助け舟だか皮肉だかよくわからない発言で沙奈を促す。

「……『姉弟仲』はそんなに悪くないと思う」

 わたしの発言に背中を押されてか、沙奈は言葉を選びながら話を始める。

「時々ソーイチと出掛けたりするし」

「姉弟で一緒に出掛けるとかって結構珍しいよね」

 一般的には。

「そうね、珍しい。と言うより普通はそういう事滅多にしないと思うの、わたしの、わたしとソーイチの認識では。

 だから、二人で出掛ける時は、お互い双子じゃなくて恋人のフリをするのよ」

 ……はい?

「映画館とか遊園地とか、あと気になるレストランとか。一人では入り辛いし友達とスケジュール併せるのも面倒臭いなっていう時にお互いを利用してさもカップルな風を装って行動するのよ」

「恋人のフリ……」

 いや、あの、まぁまぁまぁ、落ち着けよわたし。

「……えっ? もしかして沙奈と奏一くんって凄い仲良し?」

「どうなのかしらね? 決して仲が悪いという訳では無いけど物凄く仲が良いという訳では無いと思う」

 ……仲が悪い双子は普通そんな遊びしねぇよ?

「始めはね、小学校の頃余りにも仲が悪かったから、罪滅ぼしというか仲直りの為にどこかに出掛けようって事になったんだけど、でも姉弟で一緒に出掛けるとか変じゃないかなってお互いに思っていたからノリで恋人のフリをしようって事になったの。

 スリルがあったのよね、他人の眼から見て如何に姉弟だってバレないように振る舞うのかっていうのが。どっちかが恥ずかしさで音を上げるまで手を繋いで歩いたり、嘘の苗字で呼び合ったり、本物のカップルがいちゃついているのを観察して恥ずかしくない程度の部分を真似するとか、そういう馬鹿みたいな遊びに嵌っちゃって」

 うひゃあ。

 ただでさえテンパってるのにここで更に萌え殺す気ですかあなたは!? 奏一とそういう事をしているという嫉妬心など一切沸かず、ただ、いちゃいちゃしている二人の姿を妄想して天に召されそうなんですけど!? いや召される必要は無い、何故ならエデンは地上にあったらしいという事が今、沙奈の口から明らかにされたのだから! ハレルヤ!

……ああ、ここで沙奈に嫉妬できないのが多分わたしの限界なんだろうな。リアルの女子としての。

「いや、やっぱり仲が良いようにしか聞こえない。訊いててこっちが恥ずかしい」

「……姉弟としては仲は悪くないと思う。でもね、この遊びは『自分達が姉弟である』という事が前提の遊びなのよ。姉弟だったら有り得ない事をするからスリルがある訳であって、こんな遊びをしていても『じゃあ本物の恋人になろう』という展開にはならない」

「……」

 正直わたしの感受性が足りなくて理解出来ない境地だ。

「それに最近、『普通の姉弟』として接する時に逆にギクシャクする。恋人ごっこをしている時の所作というか空気感が周りにバレてしまうのがお互いに怖くて、学校とか家で会話する時とか妙に余所余所しくなっちゃうのよ。その感じが凄く嫌」

「ああ……」

 そしてその余所余所しい姉弟のやり取りが妙に生々しくてわたしが萌えてしまったという訳だ。世の中わからないものである。

「この前三人でこのお店に来た時の感じはどうなの? 普段の二人ってあんな感じなの?」

「そうね、あの時はかなり素に近かったかも」

「なんか沙奈が思いっ切りお姉ちゃん風吹かしてて面白かった」

「そんな風に見え……るわよね、あれは確かに」

 沙奈はちょっと困ったように笑った。

「甘えなのよねそれも。ちょっと乱暴に相手しても許してくれるだろうっていう。

 ……あの日ソーイチは一人で『秘密の箱庭』を探していたでしょ?」

「うん」

「あれね、わたしの為に探していたんだと思うわ。厳密にはわたしとソーイチ自身の為に」

「……そうなの?」

「わたしがちょっと前に、ソーイチに『秘密の箱庭』の話をした事があるの。確かその時は呼び名とかもあやふやで『隠者の箱庭』とか呼んでいたんだけど、とにかく綺麗な庭があるお洒落なカフェがあるらしいって」

「う、うん」

「ソーイチは多分その話を覚えていてくれていて探していたんだと思うわ。わたしも一緒に出掛ける『口実』のネタ振りみたいなニュアンスで言ったみたいな部分はあったんだけどね」

「あ、愛されてるじゃん……」

 わたしは皮肉とかではなく、心に自然に浮かんだ感想を思わず口に出した。ただ、少しだけ自分の心が痛くなった。負けを認めたような気分になったからなのかやはりどこか皮肉が籠っていたからなのかは、自分でもよくわからなかった。

「弟に無茶振りをしているだけとも言えるけどね」

 沙奈はちょっと自嘲気味に笑った。

「じゃあ、沙奈がわたしと一緒にこのお店を探したのも、やっぱり二人でデートに来るため?」

「いえ、寧ろ逆に近いかもね」

 沙奈は視線を伏せて物憂げな表情を作る。

「逆?」

「さっきも言った通り、わたしが『秘密の箱庭』を見つけたかったのは『監視』のためだったのよね」

 監視?

「噂で訊いたんだけど『秘密の箱庭』の所在をデートに誘うための口実にしようとして探している()が一年生に居るらしいの」

 ……ん?

「知り合いの上級生にも積極的に訊いて回っているとか。ああ、そうね、望さんの部活の後輩だったかしら……」

「えっ、えっ、えとっ!? なんで能城子の事知ってんの!?」

「そうそう、能城子。深江能城子さんね」

 全く予想外の場所から予想外な名前が出てきて驚くわたしの動揺を意に返さず、沙奈は能城子の名前をリフレインした。てか、わたしが驚くのを予想した上でこの名前を出したよね、確実に。

「彼女ほどわかり易かったら、まぁ、シンプルじゃない? ソーイチと話している時の彼女、凄く可愛らしいし」

「あー……」

 沙奈が指す『ソーイチと話している時の可愛らしい能城子』がありありと想像(というか記憶を再生)出来てしまい、思わず同意してしまう。能城子よ、派手に動き過ぎているせいで怖いお姉ちゃんに眼を付けられているぞ。無論本人に助言などしないが。

「深江さんがソーイチに気があるっていうのは前から知っていたんだけど、彼女が『秘密の箱庭』を探している噂を訊いたのは結構最近なの。トイレで偶然立ち聞きしてしまって……。望さんは御山ハルさんって()の事知ってる」

 ヤバい、さっきから驚愕する話が連発し過ぎていて今この瞬間全く吃驚しなかった。

「……結構仲が良いです」

「あ、そうなんだ」

 逆に沙奈にちょっと驚かれた。

「ハルがそんな話をしてたんだ」

「ええ、御山さん恋バナとか結構詳しいでしょ?」

 ……沙奈にまでそんな認識を持たれているのか、ハルは。下手をすれば学校中からご意見番みたいな扱いをされているんじゃないのだろうか?

「わたしが『秘密の箱庭』を探していた本当の理由は深江さんを邪魔するため。深江さんより先にこの場所を見つけて、この場所の事を言いふらすつもりだったのよ。わたしが見つけた、或いは実際に来店した事をそれとなく添えてね。『秘密の箱庭』にわたしの陰をチラつかせる事で、ソーイチをここに誘おうとしている()達を牽制するためにね」

「……」

「まぁ、ソーイチはこの店の価格帯をかなり嫌がっていたから言いふらさない事にしたんだけどね」

 脳内の妄想発熱は最早完全に冷え切っていた。冷や水をぶっかけられた様な気分という形容の的確さをこれほどまでに実感したのは人生で初めてだ。表情筋の制御を完全に失念している現在、多分脳内を反映したような酷い表情を沙奈に晒してしまっていると思う。

「矛盾しているのよ。自分からソーイチに対して何もしようとしないくせに他の誰かがソーイチに近付こうとしたら暗に妨害しようとする。ソーイチに双子の姉が居るってわたし自身で広めたりして牽制するの」

 以前ハルが似たような事を言っていた。『もし九重奏一を我が物にしようとするならば、九重沙奈がその前に立ち塞がり常に比較されるという恐怖に立ち向かわねばならない』という話。沙奈は自身のポジションを理解した上で、露骨にならない程度に意識的に立ち塞がっていたという訳だ。

「……わたしと『秘密の箱庭』を探そうって提案したのもわたしに対する監視だったの? その、奏一くんを誘わないようにするための?」

 わたしは、さっきからふつふつと湧き上がって来ていた疑問を恐る恐る口にした。

明かされた今になっても全く実感が沸かないのだが、沙奈と直接接点を持つようになった一学期の初めから今日この日まで、沙奈はわたしの事を『奏一と仲良くなるための足掛かり』だと思い込んでいて尚且つ恋敵という認識を持っていたのだ。沙奈の主観では、お互いに奏一への思慕を隠しつつ友達のように振る舞っていたという想像したら怖気が走る様なドロドロした三角関係だったハズなのだが、これまで沙奈と行動を共にしてきた半年程の日々を思い返しても、図々しい泥棒猫たるわたしに対して敵意を向けられていた実感が一切無いのだ。ダウナーかつ意地悪な所作でちょっと辛辣な事を言われるような事はあるけど、沙奈の性質上親しい相手であればあるほど明け透けな物言いをする様になるのは奏一に対する態度を見ていれば明らかだ。

 沙奈の中でのわたしの立ち位置がいまいちよくわからないのだ。幾人か居る恋敵の一人である事は間違い無いのだろうけど。

「そうね、半分はそのため」

 沙奈はわたしの眼を真っ直ぐ見据えて応える。

「自分の存在が色んな人の妨げになっているのがわかるの」

 半分ってどういう意味? と訊こうとした矢先に沙奈がまた話を続ける。

「ソーイチに好意を持っている相手に対してだけじゃない。ソーイチと、わたし自身に対してもそう。他人の邪魔をするだけしてその()達やソーイチの可能性を潰している。でもそこまでしてもわたしからは何もできない。ただソーイチを取られたくないだけ。自分の中途半端な気持ちのせいで誰も前に進めなくなっている。そんな自分が物凄く嫌い。でもやめられないのよ」

 ……こういう場合一般的な女子は恋路を邪魔されている事に怒りを感じるのが正解なんだろうか?

 心が、締め付けられそうなほど痛かった。確かにわたしも、色々と隠されていたり決め付けられていた事については言いたい事が無くは無い。でもこの痛みはそういう憤りから由来する物じゃなくて、沙奈の自分への嫌悪と閉塞感を理解出来てしまったから感じている痛みだと思う。

「あの……、半分ってどういう意味なの?」

 沙奈の痛みに対して即座にどう言ったらいいのか思い付けなかった。だから、話を少し巻き戻す事にして返答の糸口を探す。

「単純に、望さんと一緒に探してみたかった、出掛けたかったから」

 沙奈は、老人が取り返しのつかない昔話を語る様な柔らかな口調で言った。

「わたしの中での望さんの立ち位置ってちょっと特殊なのよ」

「特殊……? それは良い意味で?」

 思わず訊いてしまった。

「ええと、うん、良い意味で」

 沙奈はちょっとだけ悩んでから答えた。

「二年生になったばかりの時に望さんに話しかけられてわたしちょっと驚いたのよ。ソーイチを狙っている要注意人物だと思っていた相手が急に接触してきたから。ソーイチとの関係進展のダシに使われるんじゃないかと思って警戒したんだけど、ただだとしたらどういう風にわたしを利用するつもりなんだろうって気になってちょっとお手並みを拝見してみることにしたのよ」

「あはは……、そんな風に見られてたんだ……」

 その殺伐とした心象風景を想像して思わず渇いた笑いを出してしまった。

「でも実際に仲良くしてみると望さん全然普通なのよね。殊更にソーイチの話題を出してくる訳でもないし、普通にわたしと仲良くしてくれていただけにしか見えなかった」

 わたしの勘違いだった訳ね腑に落ちたわ、と言いながら沙奈は小さく笑った。

まぁ、それはそうである。

 ターゲットは奏一では無く九重姉弟の関係性だったのだから。折角仲良くなれた沙奈を邪険にする事などあり得ないし、真の狙いを気付かれない様に細心の注意を払っていた(一年生の頃のストーキングがバレていたのは、まぁ、完全に油断である)。

「でもうん……、因果というか、数奇な巡り合わせね」

「何?」

「望さんを邪魔したいのが半分仲良くなりたいのが半分でこのお店を探したらソーイチと出くわして、それが切っ掛けで本当に恋敵になっちゃったんだよね」

「あ……、うん」

 わたし達の間で首をもたげていた(←?)無視しがたい緊張感が、冷たい刃となってわたし達に突き刺さった。

 こういう時、どんな表情をすればいいんだろうね?

 因みに、この時の沙奈の表情は、ひとかけらの悲哀を含みつつもうっすらと笑みを浮かべていた。わたし達の『数奇な巡り合わせ』をまるで楽しむかのように。

改めて考えるととんでもない修羅場である。ただそのわたしと相対する『恋敵』が友人であると同時に萌えシチュ観測対象であるせいで全く敵愾心が沸いて来ない。

いやそうだ、それ以前にだ。

「あの、改めて言いたいんだけどっ!」

「何?」

「わたしは奏一くんの事、す、好きだけど、そんな、心の底から大好きとかそういう感じじゃなくて、ちょっといいかなって思っている位だから、沙奈の恋敵にはなれないよ」

「好きなのは確かなんだよね」

「それは……、間違い無いです」

 そこは申し訳無いけど否定しないし否定したくない。

「それは恋敵でいいと思うよ?」

 沙奈は何故か寛ぐような笑顔でしんみりと言った。いや、めちゃめちゃ怖いよその顔! てか今わたし逃げ道塞がれた!?

「いや、でもわたしじゃ恋敵に値しないというか……」

「んー、そう? じゃあ恋敵になってみる気は無い?」

 いや、何この会話? 喋っていて自分でも意味が解らなくなってきたぞ?

「じゃあ、今日一番の本題に入ろうか」

「……っ! まだこれ以上何かあるの!?」

「声が大きいわ」

 沙奈はちょっと笑いながら人差し指を立てて自分の唇に縦に添えた。人を振り回すの本当に好きだな、沙奈は。

 わたしが周りの席を見渡してから恐縮した表情を作ると沙奈は柔らかな笑みで落ち着いた? と尋ねる。わたしは表情がもやもや定まらないままに頷いた。

「わたしは、わたし自身の気持ちを諦めるべきだと思う」

 沙奈は、温和な笑顔を崩さずにそう呟く。

「……でも!」

「いいのよ。好きなのかそうじゃないのか、どちらかに気持ちを傾けないと誰の為にもならないから。中途半端な気持ちを抱えたまま他人を妬んだり邪魔したりするのはもう、辞めるべきなのよ」

「……」

「だからね」

 沙奈は一呼吸置いて、背筋を伸ばして居住いを正した。

「望さんにソーイチを貰って欲しいの」

「……え?」

 えと、今なにを?

「望さんがソーイチと付き合うのよ。上手くいくようにわたしもサポートするわ」

 その表情に浮かんでいたのは飽くまでも楽しげな笑みだったが、その言葉が冗談では無く本気だという事は何故か正確に理解出来た。

「いや、えっと、いや……」

 耳が、脳が一瞬消化不良を起こしたが、今度は(耐性が付いていたのか)意識がホワイトアウトするような事は無かった。

「いやいやいやいや! ちょっと何言っちゃってんの本気!?」

 大混乱する事には変わりは無いが。沙奈はそんなわたしに対してまた改めて人差し指を唇に立てて抑えた声音調整を促す。人を振り回すのが本当に好きだな! 沙奈は!

「えー、いや、あの、本気だよね、それ?」

 わたしは適度に声音を抑えて改めて沙奈に問う。

「本気よ」

「どうしてそんな話の展開になるのか全然わからないんだけど!?」

「わたしがソーイチを諦める為よ」

 沙奈は静かに噛み締める様に言う。

「ソーイチに好きな人が出来てちゃんと付き合う様になればわたしも諦めが付くんじゃないかって思うの」

「そんな……」

 何だかよくわからない、胸が締め付けられるような拒否感が生まれた。

「どうして、わたしなの?」

「信頼感、かしら?

 望さんは良識があるというか、物事をバランス良く判断できるし悪い人じゃない。何よりわたしと仲良くしてくれたっていうのが大きいのかしらね、結局。どうせ他の人に盗られるなら信頼出来るあの()のモノになった方がまだマシ、みたいな感じ」

「……」

 沙奈の凄まじい過大評価に正直一瞬だけ嬉しくなってしまったが、その直後にヘドロのような罪悪感がどぼどぼと覆い被さって来た。いや、わたし、一見クール系スポーツ少女っぽく見えますけど中身はアレですよ? カッコいい男子見ると脳内でメガネ掛けさせたり執事のスーツ着せたり、あと男子が仲間同士でじゃれ合ったりしてたらこっそりニヤニヤしてしまう系統の腐り気味のアレですよ? 良識があるとか多分それわたしのカモフラージュじゃないでしょうか?

「望さんにならソーイチを任せられると思う。それ以外の誰かなら、多分また邪魔してしまうわ」

「……ごめん、それ、納得できないよ」

「納得? どうして?」

「わたしにそれをする権利が無いよ。沙奈の気持ちを訊いた上でそれでも奏一くんと付き合いたいと思える程強い気持ちがわたしの中に無い」

「わたしの事は気にする必要は無いわよ?」

「気にするよ!」

 わたしは思わず声を荒げてしまった。奥の席の女性達がこちらに視線を向けたがそれどころじゃない。

「わたしの事を信頼してくれるのは嬉しいけどさ、結局沙奈が一番辛いのは同じじゃん!」

 沙奈の提案を訊いた時、始めからこれを話すために『秘密の箱庭』に誘い込まれて嵌められた気分になったとかもし奏一と付き合う事になったら能城子の前でどんな顔すりゃいいんだとか色々脳裏を過ったけど、一番わだかまりになったのは沙奈の気持ちだ。沙奈の、自分自身の感情を蔑ろにする様な提案には全く納得いかなかった。

「もしわたしと奏一くんをくっつけた後にさ、沙奈が奏一君の事をもっと好きになっちゃったらどうするの!? 取り返しが付かないじゃん!」

 怒りたくなんてないんだけど感情が収まりが付かない。

 わたしの剣幕を沙奈は落ち着いた表情とゆっくり細めた切れ長の眼で見据え、「それは全然心配いらないわ」と静かに答える。

「全然心配する事なんてない。

 もしわたしの気持ちが大きく、抑えられない程強くなったのなら


 あなたからソーイチを奪い返すわ。容赦無くね」


 その瞬間、わたしの心から沙奈への怒り、いや、わだかまりが全て消し飛んでしまった。

 心臓を射抜かれたよう、まさにそんな感覚。

 ただ頭の中は真っ白にはならずにあるイメージ/ビジョンが瞬く間に構築され光よりも速いスピードで脳裏を駆け回っていた。

 それはツーショット。恋人になってそれなりに言葉や関係を積み重ねたはずの奏一が、本気の気持ちで奏一に向き合った沙奈に心を動かされ、わたしの元を去り、沙奈と奏一が穏やかで何よりも強い心の繋がりと共に寄り添う二人の姿。背徳的な茨道、そしてわたしにとっては途方も無い程に残酷なそのイメージは眩しい程の輝きを放っていた。

 掌が、唇が、心が打ち震えていた。

「駆け引きとか利害とかが重要になってくる場面であからさまに相手の弱みを握ろうとする所。その優位性を誇示して駆け引きを優位に進めようとするの」

 もう思い出せない位随分昔に沙奈はそんな様な事を口にしていた。そういう事だったのか。多分、奏一を好きになったのが最近になってからだと明かしてしまったせいで、沙奈に最後のピースを与えてしまった。最初から沙奈はわたしが抗えない最強の切り札を手にしてこの提案を行ったのだ。

「どうして……、わたしの正体がわかったの……?」

 殆ど無意識に口を衝いて出た言葉。沙奈はその言葉に、確信を得たように、或いは聞き逃したのを誤魔化す様に、うっすらと魅力的な笑みを浮かべた。


 こうして、わたしと沙奈の共謀関係が始まったのだ。



FIN



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