騙し騙されおあいこさま
私は、大学に通っている書生であった。
田舎から東京へと出てきて、資産家の御家に下宿している。
書生としては苦のない生活で、勉学も充実していた。
周りには優秀だと言われる事もあるが、私はそんな事はないと
さらなる高みを目指す。
大学では様々な事を学んでいるが、私が一番熱中していたのは英文学であった。
読むだけでなく、話せるようになればなお面白い。
私は田舎から仕送りがあるとその殆どを本に費やした。
趣味のための勉学は全くと言っていいほど苦にはならない。
私の知識は着々とついていった。
ある日、夜中に私が部屋で本を読んでいると
下宿先の主人が煙草を吹かしながら入ってきた。
私は読んでいた本を置き、主人を見る。
随分と機嫌がよさそうだ。
酒でも嗜んだのだろうか。
「お前さん、本ばかり読んでいて楽しいかね」
私の周りに置かれた本を見て言った。
その殆どが英文学である。
「ええ、良い暇つぶしになります」
「そうかい。それだけ勉学ができれば将来は明るいだろうね」
「そんな事はありません」
私が言うと、主人は豪快に笑った。
「謙遜もいいが、お前さんのそれは自慢するべきものだと思うがな」
「謙遜ではありません。事実です」
「そうかい、なら頑張りたまえ」
そう言って主人が帰ろうとしたので声をかけた。
「何か、用があったのではないのですか?」
「ああ、忘れていた。そうだそうだ、君に言うことがったのだ。
明日、英吉利からの留学生がうちへ来ることになった。
君なら話が合うだろう、仲良くしてやってくれ」
おやすみ、というと主人は部屋を出て行った。
その後本に目を戻すも中々集中できない。
顔には出さずとも心のうちでは楽しみで仕方がないのだ。
本を閉じて明かりを消す。
ああ、一体どんな人が来るのだろう。
朝、いつものように書生服に着替え、下へ降りた。
食事の場には誰も居らず、玄関から陽気な声が聞こえる。
きっと昨日言っていた留学生が来たのだろう。
顔を見ようと私も玄関へ足を運ぶ。
広間の扉を開けると、主人と外国人が談笑していた。
私に気付いた主人が手招きをする。
「おお、来たか。君も挨拶したまえ」
早足で主人の隣へ行くと、留学生が微笑んで英語で挨拶をした。
「君が、優秀な学生さんだね。私はリエル・ハット。
今日からそこの大学で学ばせてもらうんだ、よろしく」
英語を聞く機会はあまりないが、彼がなんと言ったのかは理解できた。
私も英語で挨拶を返す。
「私は鶴見翔太と申します。
こちらこそ、よろしくお願いします」
リエルはわお、と驚いた顔をすると英語が上手だねと私を褒めた。
自然と顔がほころぶ。
「これから学校へ行くところだろう? 一緒に行くといい。
学校長への話は済んでいるはずだ、案内してあげなさい」
「分かりました」
一礼をして、リエルを連れて行く。
彼は私よりもだいぶ背が高く、目は青色で髪は薄い茶色。
話が上手で、私が話さずとも話題が切れることがない。
「日本はいいね、綺麗だ」
既に赤く染まっている紅葉の葉を見ながら、そう言った。
「そうですね」
「君によくあっている。それはなんというんだい?」
最初、何を聞かれているのか分からなかったが
彼の視線から私の服装のことを言っているのだと気が付いた。
「これは書生服です」
「しょせい?」
「私のように、下宿をしながら勉学を行う学生の事です」
「へえ、私には似合わなそうだ」
確かに、彼に書生服は似合いそうにない。
もっと格式の高い服なら似合うだろう。
「お、ここが学校か」
話しているうちに大学へと着いていた。
周りを歩く学生が興味深そうにリエルを見る。
まるで彼の周りだけ違う世界のようにさえ見える。
「行きましょう、遅れてしまいます」
「思ったより大きいね、もっと小さいかと思った」
「向こうとは違いますか」
「うーん、大分ね」
本で読んだことがある。
英吉利の大学は日本とは比べ物にならない。
と私は思っている。
そもそも、西洋のものを真似ているのだからこちらが勝るわけがないのだ。
「ようやく来たか!」
私たちを見るなり学校長声がを上げた。
だが、怒っているわけではないらしい。
「残念だが、私は英語が話せない。鶴見、通訳を頼む」
「構いませんが、もうすぐ授業が始まります」
「ん? そうか、なら放課後二人で私の部屋まで来なさい」
「分かりました」
リエルを連れて教室へ向かう。
中に入ると、彼は尚更浮いて見えた。
既に来ていた先生でさえ、物珍しそうにリエルを見る。
「鶴見、俺にも紹介してくれよ」
前の席にいた生徒が拙い英語でリエルとの会話を図ったが
リエルは少し困ったようにこちらを見るだけだった。
「私の友です。英語は苦手ですが悪い人ではありません」
「私も日本語が苦手だから気にはしていないよ」
暫くして、授業開始のブザーが鳴った。
リエルは終始厳しい顔をしていたが、隣で通訳してやると
嬉しそうにメモを取った。
メモは筆記体で書かれていて、私には読めない。
筆記体も勉強すべきか……。
きっと彼なら快く教えてくれるだろう。
後で聞いて見ることにしよう。
授業が終わり、学長と約束していた放課後になった。
私とリエルは学長の部屋へと向かっていたのだが、
途中でリエルが立ち止まり、扉を指差した。
「あそこは、なんの部屋?」
扉は他の扉とは違う作りになっている。
私も入ったことはない。
「あそこには、大切なものがしまってあるのです」
「大切なもの?」
「創立当時に頂いた懐中時計と聞いてますが、詳しくは知りません」
「懐中時計を大切にしまっておくなんて、変だね」
「そうですね」
会話はそこで終わり、学長室へと向かった。
着くと、朝よりも大きな声で私たちを迎えた。
リエルが留学生として大学へ来て2ヶ月が経った頃
大学内で事件が相次いでいた。
身近なものが奪われている、という生徒が続出したのだ。
どこぞのコソ泥が学内に侵入しているとみた学長は
例の懐中時計が盗まれるのではないかと終始そわそわしている。
だが、そんなことで休校にも出来ない。
私は今日も学校へと向かう。
今の所私の私物が盗まれたことはない。
「こういうのは、日本ではなんていうのかな」
「泥棒って言うんですよ」
「へえ」
突然立ち止まったかと思えば、私の外套を掴んで笑顔で言った。
「勝負をしよう」
「……?」
外套から手を離してまた歩き出す。
その隣を歩きながら説明を待った。
二、三歩進んだ辺りで彼は話し出す。
「ミステリアスを解決するのはいつだって探偵だ。
謎解き勝負をしよう、この事件のね」
「謎解き……」
「犯人はまだ見つかってない。先に犯人を見つけた方が勝ち。
簡単なルールだろう?」
至って安直な提案であると思ったと同時に、面白そうだと思った。
何より、探偵という響きがいい。
ミステリー小説は好きでよく読んでいる。
それが現実として体験できるのならこの勝負を断る理由がない。
「その勝負、引き受けましょう」
「そうこなくっちゃ、そろそろ私も帰らなくてはならないからね」
リエルは子供のように笑って見せた。
まずは情報がなければどうにもできないと、
ものを取られた生徒に話を聞くことにした。
皆が口を揃えて「いつの間にかなくなっていた」というが
一人だけ、「昼間はあったのに、夜には無くなっていた」という生徒がいた。
皆が帰る頃に犯人はものを盗んでいるのかもしれない。
だが、怪しまれずに校内へ入ることが可能だろうか。
確かに、校内は広い。
しかし、必ずどこかには人の目があるはずなのだ。
そう考えると生徒の中に犯人がいるという可能性も少なくない。
昼にリエルに私の考えを述べると、意見が一致していた。
「私もそう思っていたよ。犯人は生徒じゃないかなとね」
「そうなると、見つけ出すのは大変です」
言うと、リエルは人差し指を立てた。
「一つだけ、いい方法がある」
「それは、なんですか?」
勝負なのだから、きっと教えてくれないだろうと思ったが
リエルはあっさりと教えてくれた。
「懐中時計さ」
「……?」
「この学校で一番盗みたいと言ったら大切にされてる懐中時計だろう?
それを見張ってればきっと犯人は現れる」
確かに、と思ったがすぐに無理だと気付く。
「ですが、見張ってたら犯人は現れないのでは?」
「バレてしまってはダメだけれどね、気付かれないように見張るのさ。
学長に、あの部屋に生徒は近づいてはいけないと言って貰えば
犯人は油断して悠々と懐中時計を盗みにくると思わないかい?」
「……そうですね」
既に学長に話をしているらしい。
随分と行動力のある人だ。
もしかしたら、彼は既に犯人がわかっているのかもしれない。
「明後日、私はここを出てしまう。作戦決行は明日の夕方からだ。
しっかり準備をしておいてね!」
「明後日?」
「言ってなかったかな、私が帰るのは明後日だよ」
「初耳です」
近々帰るとは聞いていたが、明後日とは急だ。
なぜ言ってくれなかったのだろう。
知ったところで私に何ができるわけでもないが、
せめて心構えをさせて欲しかった。
「さあ、帰ろう」
「ええ」
その夜、二人で酒を飲んだ。
といっても、二人とも酒があまり得意ではなかったため
話が主なものだった。
「君と出会えてよかったよ、とても楽しかった」
「少しは日本語を覚えましたか」
「ああ、少しね」
リエルの話す日本語は片言で、つい笑ってしまう。
その度に彼は困ったように一緒に笑うのだった。
彼と楽しく談笑している中で、不意に私は嘘をついた。
「貴方が帰る時、私は貴方の驚くことをします」
勿論、そんな予定はない。
だが、彼は興味深そうに頷いて「それは楽しみだ」と言った。
なぜ突然自分が考えてもいないことを口走ったかは分からない。
でも、なぜだか彼をあっと言わせることができる気がした。
「私もきっと、君を驚かせるよ」
「それは、楽しみです」
彼もまた、予定のない嘘を言ったように思えた。
次の日の夕刻、二人で懐中時計の飾られている部屋に来た。
窓がなく、中は真っ暗だ。
「灯りをつけてくれるかい?」
そう言われて私は持っていたロウソクに火をつけた。
薄暗い部屋の様子が露わになる。
中央には手が触れられていないであろう懐中時計が飾られていた。
「これが、大切な懐中時計かあ」
ショーケースに入っているため、簡単には奪えない。
本当に犯人は来るのだろうか。
「さて、隠れようか」
彼の言う通りに部屋の奥に隠れようとした時、ロウソクの火が消えた。
そしてすぐに扉の音が響く。
「早く火を!」
急いで火を灯すと、既に懐中時計は無くなっていた。
「ああ、やられた」
扉の外に出て項垂れるリエル。
「あっという間でしたね」
「今回の事件、私たちの負けかな」
「……」
廊下に人の気配はなく、他に生徒もいないため
目撃者もいないだろう。
そして、彼は明日には帰らなくてはならない。
完敗、か。
「あとは君に任せよう、しょうた」
「私に捕まえられるでしょうか」
「ふふ、どうだろうね」
犯人を逃したことをさして気にしていないようだ。
これはただのゲーム。
結局、勝負は引き分けか。
「さて、帰る準備もしなくてはならない」
「……そうですね」
なんだかすっきりしない別れになりそうだ。
朝になり、迎えの馬車が家の前に来ていた。
リエルは荷物を詰め込み終えると、私の方へ駆け寄ってきて
手を差し出してきた。
「お別れだ、とても楽しかったよ」
「ええ、私もです」
手を握り返して、微笑む。
その手を離した時が別れかと思ったが、このまま別れることはできない。
背を向けたリエルを呼び止める。
「リエル」
「……なんだい?」
「私は、嘘をついた。貴方もまた、私に嘘をついた。
私は言いましたね?別れる時に貴方を驚かせると。
今がその時です」
「……」
平然とした態度で私の話に耳を傾ける。
「私は、犯人を見つけました。私の勝ちです」
「へえ、聞いても?」
彼は全て分かっている。
それでもなお私にそう問いかけるのだ。
「敢えて私が言う必要もありません。
あの時、扉の音が一回しか聞こえなかったことに
ずっと違和感を抱いていたのです」
そう言うと、彼は笑った。
「ははは!やっぱり君は凄い!私の負けだよ」
ひょいっと懐中時計を私に投げる。
「盗んだものは全て返したよ、安心したまえ」
「……なぜこんなことを?」
「ふふ、人生に楽しみは必要だよ」
飄々とした態度で彼は言った。
結局、私は彼に振り回されていただけなのか。
だが、悪い気はしない。
「ありがとう、また会える時を楽しみにしてます」
「ああ、こちらこそ」
それだけ言うと彼は馬車に乗り込んだ。