本鮪の赤身
濃い赤色をした欠片にワサビを載せる。
チョイと醤油をつけてから口に運ぶ。
しっとりとした触感。
ひんやりとした小さな舌のような感触が、私の口腔内を官能的に撫でる。
その感触は、どこかエロティックである。
しかし、そっと歯を立てると、わずかな抵抗をした後にあっさりと噛み切れる。が、大人しく噛み切られるばかりではない。そこからねっとりと絡みつくように口腔内を浸食するのだ。
みっしりとした感触は、獣肉ではありえないし、かといって他の魚でもない。
これが、本鮪の赤身だ。
私は百円の回転寿司に行く時に、マグロだけは食べない。
ものすごく、マグロが好きなのだ。
だからこそ食べない。
まず見た目からして違う。
鮮やか過ぎる赤色は、下にあるシャリが透けて見えるではないか。
違う!
濃い赤色がしっとりとシャリを隠すべきなのだ。
歯応えも違う。
プツリと簡単に噛み切れる。
違う!
微かな抵抗の後、ねっとりと歯に絡みつくように弾力を持つべきなのだ。
本鮪にはエロスがある。
その魅力に取り憑かれた者は、何度も本鮪を求めるようになる。
大トロ、中トロ、赤身。
それぞれに良さはある。
しかし、最高のエロスは赤身にこそあるのだ。
大トロを口に入れた時の、蕩ける感触も嫌いではない。
中トロを口に入れた時の、蕩けつつも歯応えを感じるのも嫌いではない。
だが、それは過剰過ぎるのだ。
大トロや中トロは、まるでリオのカーニバルのビキニ姿の女性のようなエロスなのだ。
そこにあるのは過剰なエロスであり、枝鳥の望むものではない。
赤身のエロスは、花魁のエロスなのだ。
幾重にも重ねられた着物の端から、チラリとのぞく緋色の肌着。
完璧な化粧を施された目元の紅。
そういった類のエロスが、本鮪の赤身にはあるのだ。
世界中で寿司や刺身を食べられるようになったと聞く。
そういったニュースを目にする度に、ほっといてくれと内心でつぶやく。
つい数十年ほど前には、生魚を食べる野蛮人だと言っていたではないか。
流行りだけで、私のエロスを取り上げないでくれ。
まあ、世界中に同好の士が増えたと喜ぶべきなのかもしれないが……。