メンチカツ
車で30分ほど走った所に、その肉屋はある。
平日は通勤ラッシュで渋滞のひどいこの道も、土曜日の午前中ともなればすいている。
スイスイと運転をしながら、ステレオから流れる音楽を口ずさむ。
今日は良い天気だ。
良い天気の休日というだけで気分が良い。
やがて車はその店の駐車場に滑らかに停止する。
期待に胸を膨らませ、鼻息も荒く私は降り立った。
店内に足を踏み入れると、ムワッと生臭い匂いがする。
ショーケースには赤やピンク色をした様々な肉、肉、肉。
鮮やかな断面が並ぶショーケースを横目に、いそいそと奥にある会計に並ぶ。
相変わらずこの店はいつも大繁盛だ。
「メンチカツ5個ください」
「はーい、600円ね」
気の良さげなおばちゃんに告げると同時に、握りしめていた硬貨を二枚差し出す。
大きな白銀の硬貨と小さな白銀の硬貨。
代わりにプラスチックでできた小さな札を渡される。
札には10と書かれている。
この店はいつも存外待たされる。
なので、会計の場所にはベンチが置いてある。
空いているベンチに座り、私は目を閉じて耳を懸命にこらす。
ポチャンと、何かが水面に落ちる音が奥から聞こえる。
5回繰り返されるはずの音は、先に落ちた音がジュワーっと変わったことにより、全ては耳にとらえきれない。
ジュワジュワという賑やかな音たちを楽しむ。
(そのもの、白きパン粉をまといて、金色の油に降り立つべし)
頭の中で老婆の声がこの世界の真理を告げているような気がする。
ああ、正に真理だ。金色の油の海に、今、まさに私の救世主は降り立ったのだから。
まだかな。
もうそろそろかな。
そう思っても、なかなか引き上げられる音は聞こえない。
もしかして忘れられているのではないのだろうか。
油の中で、私のメンチカツはすっかりと黒焦げになってしまっているのではないのだろうか。
神よ、早く彼を救い給え!
否、掬いあげたまえ!!
そんな不安に駆られる頃になって、ようやく引き上げられる音が聞こえる。
ここからは見えない調理場を想像する。
きっと今は網の上に置かれて、余熱を通しながら余分な油が網の下へとポタリポタリと落ちているに違いない。
金色となった衣も、ジュジュッ、ジュジュッと表面が爆ぜているのだろう。
そうこうしているうちに、ようやくおばちゃんに番号を呼ばれる。
私はすぐさまベンチから立ち上がる。
上司に呼ばれた時にだって、こんなに機敏に動くことはないが、ここからは時間との勝負なのだ。
プラスチックの札と交換される紙袋。
ずっしりとした袋を抱えて、駐車場までひた走る。
ポケットからキーを出すのももどかしい。
カチリ、と音を立てて車のロックが外される。
車のドアを開けて運転席に滑り込み、急いで紙袋の口を開ける。
瞬間。
車内に香ばしい揚げ物の香りが充満する。
油と脂、肉の匂いの爆発だ。
女性の握りこぶしほどもあろうかというサイズの、真ん丸なキツネ色の大きな塊が5つ。
膝に置いた紙袋からは、分厚いジーンズ越しにも熱が伝わってくる。
車内に置いてあるティッシュを数枚急いで抜き取り、塊を一つ包んで取り出す。
そのまま、ガブリと噛み付く。
熱い。
噛みついた瞬間に、ジワーッと透明の肉汁が溢れ出す。
具材はひき肉と玉ねぎのみ。
それに香辛料。
熱さを堪えて、肉汁をこぼさないように食べ進める。
ハフッハフッ。
ザクザクした衣が口の端につくのも構わない。
ただ一心不乱にメンチカツを食べ尽くす。
ソースなど要らない。
荒いひき肉にはしっかりと香辛料が効いていてるし玉ねぎは甘い。
かぶりつくごとに溢れる肉汁。
充分ではないか。
嵐のような一時は、瞬く間に終わりを告げる。
手の中にはティッシュだけが残り、やっと私は一息つく。
「あーおいしい」
口の周りをペロリと舌でなめて、端についたパン粉もきれいにする。
お行儀が悪い?
気取っている人間は、そもそも車の中でメンチカツなんかにかぶりつくわけがない。
この揚げたてのメンチカツをすぐに食べないなんて選択肢が私に存在するだろうか。
紙袋の中を確認する。
残りは4つ。
今すぐにもう1つ食べたい。
が、ここで出来立てを食べ尽くしてはいけない。
一先ず、車のエンジンをかけて家路に向かう。
そして丁度、家まで半分ぐらいの距離のコンビニに車を止める。
冷たいお茶を買い、車に戻る。
2つ目のメンチカツを丁寧に取り出す。
ガブリと噛み付く。
出来立てよりは冷めてはいるが、まだまだ温かい。
しかし、さっきは溢れ出すばかりだった肉汁が、メンチに再び吸われている。
噛むほどにメンチから肉汁が溢れ出す。
さっきよりもよか噛んでメンチカツを味わう。
大きな丸いメンチカツがまた一つ、あっという間になくなってしまう。
残りの家路を運転しながら夢想する。
残り3つを、今日はどう食べようか。
ソースをかけるのもいいおかずになる。
パン屋に寄って食パンを買い、ソースをよおく染み込ませたメンチカツサンドにしてもいい。
それともビールのつまみにしてしまおうか。
昼からビールと美味しいメンチカツとは、なんて最高の休日だろうか。
そうだ、そうしよう。
いそいそと家に入り、冷蔵庫にビールの買い置きがないことに気がつくまであと五分。