SUKIYAKI
熱せられた黒く浅い鉄の鍋を滑る純白の牛脂。
上等な肉の脂身は熱い鉄に触れると、ジュワッと小気味良い音を立てて透明な脂が滲み出す。その透明な脂は、それだけで食欲をわかせる香りを辺りに広げていく。
ドキドキしながらも、何とか平常心を保って鍋をジッと見守る。
充分な脂を出した牛脂は取り除かれて、丸い脂の水滴をいくつも乗せた鉄鍋には、ふわりと薄く切られた牛肉が広げられる。
赤い身に、桜吹雪のように入った白いサシ。先ほどまでは青磁の皿の上で丁寧に折りたたまれていた薄い肉が、器用に菜箸で広げられていく。
熱い鍋に触れてすぐに、脂は溶け出して肉は色を変えていく。
ただ焼いただけでもこの肉が美味いことは絶対に間違いない。
でもそれじゃ駄目なんだ。
すぐさまに鍋に注がれる割り下。
ジューッと音を立て、白い水蒸気が一瞬の間だけ肉を隠す。
肉は突然の水分にその身を切なくよじらせる。
肉の焼ける芳香に、甘い砂糖醤油の匂いが混じり合い、驚くべき速さで部屋の中を満たしていく。
あまりにダイレクトな香りに、待ちきれなくなった胃がキュウキュウと鳴り口の中には唾が溜まっていく。
視線が鍋から外せない。
さっと裏返され、まだ薄ピンク色が残るうちに引き上げられた肉が、溶き卵に入れられてそっと眼前に差し出される。
「お熱いうちにどうぞ」
和服をたすき掛けした中居さんが微笑みながら言う。その言葉に従い、おそるおそると箸でそっと肉をつまむ。
溶き卵の表面には、早くも脂が広がりだしている。
割り下の醤油の色が金色の溶き卵にマーブル模様を描き出す。
金色の溶き卵を絡ませた肉を口に運ぶ。
ふわり。
あまりにも儚くその肉は口中に消える。
肉の食感とは思えぬ儚さに目を見開く。
しかし強烈な肉の旨味は、荒ぶるように口中を蹂躙する。
少し濃いぐらいの関東風の割り下の味も、その肉の旨味を打ち消すどころか、ますますもって引き立てる。
激しい嵐のような口中に、自然と体が脱力していく。
これがランナーズハイというものだろうか、ただひたすらに脳は快感を訴える。
私の脳から溢れた快感が、ゾクゾクと背骨を震わせながら全身へと広がる。
美味しくて美味しくて震える。
「嗚呼、旨い」
喉を肉が滑り落ちて、ただ一言が口から漏れる。
快楽に甘く脳が痺れていて、それだけしか言葉が出ない。
「ありがとうございます、次のお肉もすぐに焼けますよ」
中居さんが誇らしく、そして慈愛に満ちた表情で微笑む。
「お願いします」
高層ビルの上階にあるとはとても思えぬような落ち着いた和室の中、肉を食べる。
床の間の木目は磨き立てられ、季節の花が活けられている。畳も青く清々しい香りを放っている。
肉に疲れたならば、太く甘い下仁田ネギをいただく。タマネギよりも甘いネギはざくりとした噛み応えでこれまた美味い。
椎茸もごく肉厚で、噛めば割り下に負けぬ旨味が溢れてくる。
風味の良い春菊の後にはまた肉を食べる。
溶き卵は気付かぬうちに取り替えられ、決して薄まることなどない。
この溶き卵ですら、普段に食べているものに比べると力強い卵で、肉にも割り下にも濃厚に絡むのだ。
そうそう、餅麩のことも決して忘れてはならない。関東風ならば、このモチモチとした食感の餅麩も必須なのだ。焼ごてで店の名前が銘打たれた餅麩は、しっとりと割り下を吸って甘辛美味い。
ここでは食べるスピードも、すべては中居さんにより私にとって最適にコントロールされている。
目線一つで、次はお野菜にしましょうかと促される。
完璧なすき焼きがここにある。
私は、年に一度だけすき焼きを食べに出かける。
普段は滅多にすき焼きは食べない。
なんとなく、食事のおかずとするにはすき焼きは甘過ぎるのだ。
しかし、時々は食べたい。
それもどうせ食べるのならば、上等なすき焼きが食べたい。
自分で焼くよりも、プロに最高の焼き加減で焼いていただきたい。
そう思い、年に一度の贅沢としてすき焼きを食べに行く。
知人に贅沢だなあと言われることもある。
そりゃあそうだ。
一度の食事に、先述のすき焼きだと一万円を少し超える。
これが贅沢でなくて何と言うのか。
が、枝鳥は毎月、千円札を一枚、そっとサルサソースが入っていた瓶に入れている。
なあに、たかが千円じゃないか。
少し、仕事中の珈琲を我慢する。
帰宅途中に、コンビニエンスストアに立ち寄りたい気分を我慢する。
それだけで、年に一度、かくも上等なすき焼きを食べることができるのだ。
大切に育てられた牛を、美しい中居さんが丁寧に焼いて差し出してくれる。
私はこの店で、ただ美味しいすき焼きを食すのみ。
上等な店で、客はとても大切に扱われる。
そのことすら気分がいい。
ここまでの満足が月に千円ならば、日頃の少しの我慢なぞ安い苦労ではないか。
簡単に食せぬからこそ、すき焼きは美味いのだ。
今日も枝鳥は、すき焼きを食べに行く日を指折り数えて待っている。