閑話
さて、ここまでつらつらと食べ物について書き散らしてきたわけだが、このエッセイを読まれている方の中には「枝鳥め、美味いもんばっかり食ってる自慢か?この豚め」などと思われる方もいるだろう。
だがしかし。
序文を思い返してほしい。
枝鳥は、何よりも食べることが好きなのだ。
サルサソースの瓶に毎月千円札を入れて、すき焼きを食べることを、まるで恋する少女のように夢見る。
分厚い辞書のような機械製図便覧にも挟み込んでいたりもする。
チマチマと、家の中でまるで冬を迎える準備をする栗鼠のごとく、美味しい物を食べる積み立てをして生活の励みとしているのだ。
美味しい物を食べることで、仕事を頑張ってみたり、短編などを書いたりするエネルギーとしている生き物なのだ。
それが花粉症になり、枝鳥が何よりも恐れていた症状が出てしまったのだ。
『食欲がわかない』
なんと恐ろしい。
メンチカツを楽しみにする土曜日は失われた。
すき焼きを指折り数える楽しみは失われた。
枝鳥は今、深い悲しみの海にいるのだ。
枝鳥は美味いものばかり食べていると、友人から羨ましがられることも多い。
だがしかし。
枝鳥はテーマパークに行かない。
夢の国も映画の国もだ。
枝鳥は旅行をしない。
国内だろうと海外だろうと関係ない。
枝鳥は高い服など買わない。
身の丈にあった見苦しくない程度で満足だ。
これだけならつまらない人間だと、自分自身でそう思う。
しかしそんな生活の中で、綺羅星のごとく輝くアイデンティティが食べること。
そんな枝鳥の、唯一のアイデンティティが憎き花粉によって失われたのだ。
絶望した。
だから、是非ともこのエッセイを読まれる方にはこう思ってほしい。
「ざまあ枝鳥」
「こんなに食べることが好きなのに、食べられないなんて、ざまあだ」
そして笑ってほしい。
せめて笑い話にでもしなくては報われない。
悲しいままでいるのは好きじゃない。
梅雨入りして、花粉が飛ばなくなったら何を食べようか。
何を食べたいと思えるのだろうか。
今じゃあ梅雨入りを指折り数える枝鳥なのです。




