3.一回戦『異世界編』 不完全死合
約束の時間が過ぎ、突如出現した大扉をくぐる。
そこは『魂の写本』に記されていた通りの空間だった。
高い壁に囲まれた、運動場のような空間。天井は青く、雲ひとつない空がどこまでも続いている。
視線の先に、人間の男がいた。
あの男こそ、対戦相手の『生物』だろう。
男も、俺と同じように、大扉をくぐったのだろう。
顔が青く、焦燥している様子だ。成人しているであろう男性で、俺より頭一つほど背が高い。日本人ではないことは顔つきからわかる。鼻の高い顔のつくりに、赤みがかった髪。身なりはボロ布をまとっているとしか表現ができない。現代日本にはいない『生物』だ。
俺はこれから、あの『生物』と殺し合う。
そういう『ゲーム』を行う。
俺はゆっくりと、中央へと歩みを進める。
しかし、対戦相手は動かない。いや、その場でなにかを叫んでいる。
くぐってきた扉に、闘技場の空に、壁に、怒鳴り続けている。
「ふざけるなっ、私を帰せ! 何が殺し合いだ、そんな馬鹿なことができるか!」
――え?
果てには、その腕を壁へ叩きつけ始める。
俺は男の言葉の奇妙さを聞き取った。そして、それが日本語でないことがわかった。にも関わらず、言っていることがわかる。男は激昂し、帰せと叫んでいる。
何より、その内容に、俺は耳を疑った。
「ふざけるな、ふざけるな、なんなんだここはぁーーっ!」
男は俺を見ていない。
俺ではない者に、これを仕組んだ者たちに怒っている。
そして、『それ』は、――その『笑い』は急に降った。
男の叫びに呼応するかのように、空が歪む。
そして、空から笑い声が鳴り響く。
老若男女、様々な笑い声。ときには獣の笑い、機械音のような笑い。音になっていない笑いさえもが鳴り響く。聞こえないのに、笑われているとはっきりと理解できてしまう。
「くそが、くそが、このちくしょうがぁ!」
男は叫ぶ。
嘲笑う声を許そうとしない。そう、彼は俺よりも真摯にこのゲームと向かい合っている。
向き合っているからこそ、これを仕組んだ者を許せない。現実と理解しているからこそ、殺傷を認めることができない。強大な力に弄ばれていると感じているからこそ、悪態をついているのだ。
…………。
ああ、やめて欲しい……。
俺は男を見て、そう思った。
まるで、これが『夢じゃない』ような真剣さはやめて欲しい。
それを認めてしまえば、俺の大事な予防線が一つなくなってしまう……。
俺だって必死だ。方向性は逆だろうけど、必死なんだ。
そんな俺の努力を、男は間違っていると諌めているようで気に入らない。
勝つために、殺すために、準備をしてきたというのに、目の前の男は俺を見ていない。眼中にないのだ。無防備にも俺へ背中を向けている。
――これでは勝負にならない。
さらにもう一つ、俺の予防線が解れていく。
俺は勝つために、ここへ来た。
そこに勝ち負けがあると聞いて、最善を尽くしてきた。相手と殺し合い、――つまり、相手も殺しに来ると聞いて、準備をしてきた。
生存競争ならば、勝ちにいくことは正当防衛だと信じていた。
けれど、このままでは、勝負にならない。
その気にもなっていない人間を殺めることになる。話が違う。『殺し合い』にならない。
それだけは、許して欲しい。
そんなことをしてしまえば、俺の理論武装が土台から崩れる。
夢だとしても、ゲームだとしても、現実だとしても――
――『殺されるから、殺す』。これを最低限、保っていたかった。
保たないといけない。
正当防衛だから、法的にも倫理的にも正しい。そう保たないと……。
困る。
困るから――。
「もう、あきらめろよっ!!」
俺は叫んだ。
男よりも大きく吼え、狂ったようにまくしたてる。
「あきらめろよっ。もう無理なんだよ、助からないんだよ!」
視界が揺れて、気持ち悪い。
けれど、口は勝手に動く。
自分にも言い聞かせるように、獣のように咆哮する。
「こんなの、普通じゃないのはわかってんだろ! こんな頭おかしいの、神サマか何かにでも遊ばれないと起きねえよ! 抗っても無駄だっ、覆らない! 俺たちに選択肢なんかないって、そのくらいわかれよ! だから、俺と戦え。俺を殺しに来てくれ。じゃないと、俺は無防備なおまえの背中を刺すハメになるっ。そうなったら言い訳できねえだろうが! 殺されそうになったから、嫌々戦ったんですって言えないだろうが! ただ殺したら、俺が悪いやつみたいじゃないか! いいからかかってこいっ、じゃないと俺が困るんだよ!!」
男は予想外の攻勢に怯む。
そして、俺も零れた自分の本音に、恐怖した。
思ってもいなかった本心、想像以上に追い詰められていた精神。それが溢れた。
――それは『夢』でも『ゲーム』でもないと認めてしまった瞬間だった。
男は俺から狂気を感じ取ったのか、さきほどまで宙に向けていた怒気を俺へと向ける。
そして、その一連の流れを見て、空から降り注ぐ笑い声がさらに大きくなる。
中には口笛や、拍手までも聞こえる。
ああ、悪趣味なやつらだ。殺意が沸く。
「おまえのような子供が、殺すなんて! おかしいだろ!!」
そう叫びながら、男は俺に近づく。
それでもまだ、男に怒気はあっても、殺意はない。それどころか、彼の手には凶器がない。彼の手には何もないのだ。
だから、俺は説得する。
説得という名の、脅迫をかける。
「このまま、あんたが怒鳴り散らし続けて、一時間経てば二人とも死ぬんだぞ? こんな真似ができる連中のことだ、造作もないだろうさ。だけど、俺はそれは嫌だ。――生きたい。生きたいに決まっているっ。それが格好悪くても、非人道でも、無様でも、生きたい。誰だって死にたくない、あんたもだろう? なら、考え方を変えるしかない。『ゲーム』だ、『夢』みたいなもんだ。そう思えば楽だ。なぁ、だから、殺し合おう? 殺し合って、どちらかが生き残るしか選択肢はないんだ!」
そう言って俺は片方の短剣を男のほうへと放り投げる。
「くっ、くそ、くそ、うぁああぁあ」
男は髪をかきむしり、震えながら短剣を見つめる。
それを俺は何もせずに見届ける。
敵の隙を狙わず、敵に武器を与え、距離を取る気もない。
自分が何をしているか、自分で理解できなかった。
ただ、自分の『悪いところ』が暴走しているのだけは感じる。
生きたいと言いながら、死の危険を増やしていく。
嫌だと言いながら、殺し合いを求めている。
「――俺はどちらにしろ、あんたを殺そうとする。あんたはどうする?」
言葉だけが勝手に口から漏れていった。
俺の殺害予告を最後に、男は大声をあげ、意を決してナイフを拾いこちらを睨む。
「うぁああああぁあーーっ!!」
そして、男は咆哮と共にこちらへと突っ込んでくる。
俺は口の端を少しだけ吊り上げた。
そして、男の殺意に応じ、ナイフを構える。
とうに投げナイフは地面へと捨てた。当初の計画なんて、形すら残っていない。
俺は男の突撃を、ナイフ一つで冷静に迎え撃つ。
男の大振りなナイフの一突きは俺を捉えることはなかった。俺が軽く身を動かしただけで、それは宙を裂いた。
そして、俺はゆるやかに、力強く、ナイフを男の首へと差し込む。
それは金貨で得た速さのためか、それとも生来持っていた俺の素養か、どちらが働いたのかはわからない。けれど、それは綺麗に無駄なく男を絶命へと導いた。
「――っが、あぁ、ぁ」
男は呻き声と共に、こぽりと血の泡を一つ吹き、倒れた。
そして、噴水のように赤い水が男から噴出す。
それを俺は無表情で見届けた。
そして、心で唱える。
――『夢』の『ゲーム』で殺されそうになった。だから、仕方なくナイフを刺したんだ。
俺は決めていた言葉を唱える。繰り返す。
けど、そこに説得力はない。
だって、この男は……。
――『現実』の『殺し合い』をしたくなかったのに、追い詰められてナイフを手にしたんだ。
誰に追い詰めらた?
それは、この状況だ。この状況を仕組んだやつらだ。けど、最後の一押しは、誰だ。
俺だ。
喝采が響く。
空から拍手の嵐が、褒め称える声なき声が。俺を祝福する。
圧力が俺を潰しそうだ。
揺れていた俺の視界が、次は歪んでいく。
まるで水中にいるかのように景色がにじむ。
何かが変わっていく――。
俺は、今、人を殺した。
「あぁ、ぁあ、あ、はは、はははは……」
ただ、俺は男のように叫ぶことはなかった。
その場にへたり込み、頭を抱えつつも、乾いた笑いを零した。
乾いてはいても、確かに俺は笑っていた……。
そして、俺は『控え室』へと戻される。
◆◆◆
「運が良いですね、相手は魂の金貨で何も買わず、凶器も持っていませんでした。戦意もありませんでした。背後から刺せば、もっと簡単でしたのに」
ナインの声が聞こえる。
けど、それどころではない。
正体不明の吐き気が俺を襲い、胃の中身を吐き出す。
俺は乾いた笑いと共に吐く。吐きながら、悪態をつく。
「……くぅっ、うぅ、ははっ、何が簡単だ。ふざけるな」
何が準備時間だ。殺し合いだ。
何の意味もなかった。そんなもの関係ない。
左右したのは、『装備』でも『力』でも『才能』でもない。
ただ、モラルの低さを比べあっただけだ。
そして、俺はそれに勝ってしまった。モラルの低さで勝ったから、生き残った。
俺は平凡じゃなかった。
非凡の性を、確かに持っていた。その非凡な『悪いところ』で勝ってしまった。
それが悲しくもあり、嬉しくもある。
しかし、どちらかと言えば、嬉しさのほうが大きいかもしれない。その事実に吐き気がする。
「笑いながら吐いているんですか……? 欲のままに貪っては、笑いながら吐く。この部屋の通り、ルイさんは強欲な人ですね」
『控え室』にあたる宝石の部屋を見回しながら、ナインは俺に語り続ける。
「次もありますから、準備を今のうちにして欲しいのですが……、難しいようですね。仕方がありませんので、一方的に、告知だけしますね。――あなたの世界で言うところの、『毎週』、あなたはここに招待されます。いいですか。月曜日0時、あなたは毎週、ここに呼び出されます。準備だけは怠らないようにしてください」
部屋に存在する様々な宝石たちを撫でながら、ナインは俺へと囁く。
俺は答えない。
普通であろうとする心が俺を苛み続けて、それどころではない。
人を殺した瞬間の達成感。それを許してはならない。
けど、一方で、あの手際を褒める自分もいる。
全く違う感情が、心の器の中で掻き混ざる。
ああ、気持ち悪くて仕方がない。
夢が覚めるまで、俺は笑い続けた。
もう少し説明続きます。