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10.三回戦『現実編』 助命者

 うるさいアラームを止めて、俺は目を覚ます。


 眠りは浅かった。

 ベッドに慣れきっていたため、床に毛布一枚引いただけでは眠り心地が悪かったのだ。


 俺はゆっくりと立ち上がり、本来自分が眠っていたはずのベッドに近づく。

 そこには数億の値がついた絵画をもしのぐ神々しさを持った芸術品が寝息をたてていた。


 俺はナインの肩を揺らして起こす。


「おい、ナイン。ナインっ」

「……ぅ、ふぁ、ぁあ」


 目をこすりながら、ナインはゆっくりと目を覚ます。

 そして、目が合う。


 ナインの赤く深い瞳が、俺を捉え、そして、その赤い瞳と同じように頬が紅潮していく。


「え、あれ、なんで、ルイさんが? え!?」

「静かにしろ――!」


 俺はナインの口を塞ぎ、声を上げるの止める。

 一階には何も知らない妹がいる。ナインの声を聞かれたら、言い訳するのが大変面倒くさい。


 焦ってナインの口を抑えたため、絡むようにお互いの身体が密着する。お互いの顔が息の届くところまで近づき、手のひらにナインの吐息がかかる。


 少々犯罪的な体勢になってしまった。

 しかし、興奮したナインが落ち着くまで、この体勢を解くわけにはいかない。


 徐々にナインの吐息が落ち着き、状況を把握したのか、身体の力が抜けていく。それを確認して、俺は手のひらをナインの口から放す。


「落ち着いたか……?」

「わ、忘れてました。私はルイさんの世界に居るんですね……」 

「その通りだ。少しの間、静かに待っていてくれ。人払いするから」

「はい、了解です」

 

 ナインは布団に包まって、音を立てない意思を表明する。


 俺は静かになったナインを置いて、一階へと向かう。


「あ、起きた? 兄さん」


 リビングでは味噌汁をすすっている妹が待っていた。

 テーブルには俺の分の朝食も用意されており、俺は席につきながら応える。


「ああ」

「早めに食べて。学校に遅れるから――」


 早く朝食を摂る事を妹は薦める。


 少しだけ違和感を感じる。以前の妹は、もっと寡黙だった気がする。なのに、最近では事あるごとに俺へ話しかけてくる。他愛のない話でもだ。


「――いや、悪い、ちょっと体調が悪いんだ。だから今日は休もうかなと思ってる」


 しかし、今はそれどころではない。

 妙に勘のいい妹を騙して、どうにか学校を休まないといけない。


「え、え? どこか悪いの?」

「いや、大したことはないんだ。ただ、熱っぽくて……」


 俺は作り笑いを浮かべて、寄ってくる妹を牽制する。


「そっか、それならいいけど……」

「今日は、ずっと寝てることにする」

「あ、そ、それならさ、私が看病を、――あれ?」


 妹が興奮した様子で席を立とうとしたとき、唐突な笑い声が天井から響く。


 一瞬、『ホライゾンヘヴンオフライン』の『やつら』を思い出す。しかし、すぐにそれがテレビの音であることに気づく。


「今、上で何か聞こえ――」

「あ、ぁあー、そういやテレビつけたまんまだった。いいから、行ってこい、妹。学校始まるまで、もう時間ないぞ」


 俺は冷や汗を流しながら、注意を学校へと向ける。

 

「でも――」


 それでもなお食い下がる妹を見て、感じていた違和感が強まる。

 妹は、こんなにも積極的なやつだったか――?


「――な、なんか、おまえも変だぞ。前はこうじゃなかっただろ。何か変なものでも食ったのか?」


 俺は耐え切れず、その違いについて本人に聞く。 


「そ、それは――」


 妹は口ごもる。

 本人もその違いに気づいているのだろう。しかし、それを言葉にしようとはしない。

 

 何か言おうとして、口をつぐむ。

 それを何度か繰り返し、ついには諦める。


「――ううん、そんなことないよ。じゃあ学校、行ってくる」


 妹は顔を俯け、短く答えた。

 その後、一度も俺に顔を向けることなく家を出た。


 俺は一安心して、台所へ向かう。

 ナインのための朝食も用意するためだ。なんとなくだが、ナインに和食を食べさせたかったのだ。


 2人分の和食をテーブルに並べ、俺は二階へと上がる。

 扉を開いた先には、布団を被ったナインがリモコンをポチポチと押しまくっていた。


「何やってんだ……」

「す、すみません、つい……」


 俺はナインからリモコンを受け取り、テレビの電源を切る。


「おまえ、もしかして、テレビもわからないのか?」

「ここでは『最果ての塔ホライゾンヘヴン』の補助がないので、何もわからないです……」

「わからないのに、モノをいじるなよ……」

「いや、丁度、ベッドから手の届くところにあったので……」


 寝ながらテレビを見る習慣があるため、リモコンが近くに常備されている。異世界人であるナインは好奇心を抑えきれず手を伸ばしてしまったわけだ。


 それにしても、リモコンすらわからないとは思わなかった。


「ふうん、それじゃあ――」


 近くにあった扇風機のスイッチを足で入れる。


「ひゃぇ!?」


 勝手に回転し始めた機械から風を受け、ナインはあられもない悲鳴をあげる。


「ははっ、なんかあれだな。原始人を相手にしてるみたいだ」

「原始人は言いすぎです。私、そんなに古い時代の人間じゃないですよ?」


 全く説得力のない反論だった。


「そこらへんはゆっくりと話そうか。朝食を用意したから、下で食べながら話そうぜ。今なら誰もいない」

「あ、はい」


 俺はナインを連れて一回のリビングへと移動する。

 そして、和食の食べ方を教え、テーブルに着く。


「さあ、これが日本の朝食だ。反応が楽しみだな」


 ナインは不器用ながらも箸を動かし、ご飯を口に入れていく。


「む、むむ、これがご飯っ。芳醇な味の広がりと、それに負けぬ安定感……。ああ、すごい美味しいです……」

「そりゃよかった」

「これが大豆を発酵させたものを溶かしたスープですね。知ってます、これすごい美味しいらしいですね」

「いや、食う前の感想はいいよ……」

「しかし、予想以上に個性の強い味付けっ。溶けきっていない何かが舌にまとわりつき、そしてそれが不快ではないっ。なにより、重要なのはご飯との親和性っ、実に合います!」

「キャラ変わりすぎだ。少し落ち着け」


 俺は味噌汁をすするナインの頭をはたく。


「ひゃうっ。え、反応を期待されていたのでは……?」

「いや、もういい。想像以上の反応だった。ありがとう……」

「いえいえ、どうも」


 俺の突込みによってナインの和食の感想は終わる。

 そして、ずっと気になっていたことを質問する。


「そういえば、ナインってどんなところで育ったんだ?」

「私の故郷ですか……?」

「ああ、機械に弱いから、少し気になってな」


 最初、ナインのことをノンプレイヤーキャラクターかシステムかと思っていた。しかし、ディノなどの例を見ると、ナインも同じ人間である可能性は高い。それならば、どんな時代の、――いや、どんな世界を生きてきたのかが気になった。


 もちろん、交流を深めてコミュニケーションを円滑にする目的もある。 


「……それは言えません」


 反してナインの返答は冷たいものだった。

 俺はそれにデジャヴを感じる。


 確か、同じことが前にもあった。


「言えない……。言いたくないじゃなくて「言えない」でいいんだな……?」

「はい」

「そうか……」


 つまり、何らかのルールに触れて、ナインは言えないということだろう。以前、対戦相手を聞いたときと同じだ。

 こっちの世界に来てもルールは存在するらしい。


「どうすれば、ナインの故郷を、――世界を教えてくれるんだ?」


 俺は冷静にナインへ問う。

 今は『準備時間』とは違って、いくらでも話す時間はある。色々と問いかけてみるつもりだ。


「――ナイスです、ルイさん。今ので『条件』が1つクリアされました」


 どうやら、初手で正解を引いたようだ。


「なるほど……、ナインは『賭命者プレイヤー』の行動によって制限が解かれていくんだな……」

「その通りです。いい読みです」

「『ゲーム』的だからな、得意分野さ」

「おかげで、私の説明の幅が広がりました」

「へえ。じゃあ、教えてくれる方法を詳しく」

「原則として、『助命者アドバイザー』の自由は、全て『賭命者プレイヤー』次第です。ただ、『助命者アドバイザー』の情報開示には『魂の金貨ライフ』を支払う必要があります」

「ま、まて、ナインの故郷を知るだけで『魂の金貨ライフ』を払えって言うのか?」

「はい。言い逃れようのない、不釣合いな取引です。義務として、先に忠告します。「『助命者アドバイザー』のために払う『魂の金貨ライフ』は、『助命者アドバイザー』のためにしかなりません。間違いなく『賭命者プレイヤー』の損失になります」。――そして、『助命者アドバイザー』は『賭命者プレイヤー』の『魂の金貨ライフ』を分けて貰うために存在しています」


 少しずつ、ナインは『助命者アドバイザー』の存在理由の一端を開示していく。


「なあ、『助命者アドバイザー』って何なんだ?」

「条件クリアです……。『助命者アドバイザー』は死人・・です。「ホライゾンへヴンオフライン」で『無魂者ライフゼロ』となった死者。そして、私はCスフィアナインと名付けられた『助命者アドバイザー』。『助命者アドバイザー』は皆、『賭命者プレイヤー』に生き返らせてもらうことを目的としています」


 そして、目的を語る。

 死者であるナインは生き返りたいと告白した。


「なら、今の俺の『魂の金貨ライフ』でナインを生き返らせることはできるか?」

「いえ、足りません。私の情報開示くらいなら安いですが、最終目標である『再生』は高額です。『参加の取り消し』よりも高いです」


 俺は『助命者アドバイザー』という存在への理解が深まっていく。

 そして、それは俺の予想に反さないものだった。


 よって、俺はナインとの仲を深めるために提案する。


「じゃあ、まずCスフィアナインの故郷を知りたい。値段を教えて――」

「――言いたくありません」


 しかし、それはナインに遮られる。


「い、言いたくない? 言えないじゃなくて?」

「言えば、ルイさんは買ってしまいそうな気がしますので……」

「まさか、値段を聞くだけだよ。いいから言ってくれ」

「駄目です。序盤の『魂の金貨ライフ』喪失は、ルイさんが思っている以上に大きいんです。ルイさんは自信家だから、値段を知れば買ってしまう可能性が――」

「――なるほど、大体1~2枚くらいだな」

「……っ!」


 俺はナインの言い方から適当な枚数を予測する。そして、それを口に出し、ナインの表情を見ることで予測を確信に変える。


「確かに、そのくらいの値段なら買いそうだな……。まあ、でも、そこまでナインが必死なんだ。今回は見送ることにするよ……」

「『今回は』というところに、ルイさんの性格が出てますよ……。そもそも、なんで私の故郷にこだわるんですか? そう重要なことじゃないでしょう?」

「どうだろうな。ナインとは協力者だから、今後のためにも仲良くなったほうが良いと思ったのかな?」

「それなら大丈夫ですよ。私たちは数あるプレイヤーたちの中でも、かなり仲が良いほうです」


 ナインは確信を持って、俺たちの仲を評価する。

 どうやら、俺とナインは一定以上の仲の良さであるらしい。


「そっか。なら、焦ることはないか」

「ええ、ゆっくりと進みましょう……」


 そして、俺たちは食事へと集中する。

 和食を口に入れるたび、細かく表情を変えるナインに俺は和む。


 この可愛らしいパートナーを、もっと喜ばせたい。俺はそう思った。


 俺もナインも食事を摂り終わり、心地の良い満腹感に包まれる。

 ナインの幸せそうな表情を見て、俺は決意する。


「よし、昼はもっと美味しいものを食べようぜ?」

「なっ、こ、これ以上のものをですか……?」


 口の端にご飯粒をつけたナインの目が見開かれる。

 すごく和む光景だ。


「なんかナインが食べてるの見てるとすごい和む。俺の精神安定のためにも、もっと美味しいものを食べてもらう」

「な、和むって、失礼ですね……。しかし、精神安定の役に立つならば、拒否はしません。『ホライゾンヘヴンオフライン』の難所は精神の消耗です。ルイさんの精神安定のためならば、より美味しいものを食べてみせましょう」


 まわりくどいことを言っているが、結局は美味しいものを食べるのは歓迎のようだ。たとえ、その醜態を俺に晒すとしても、構わないらしい。


「食欲がプライドに勝ったか……」


 よって、俺はそう判断した。


「そうではなくっ、合理的に考えてですよ!」

「俺は腹ペコキャラを推してくるあざといナインが嫌いじゃないぜ?」

「別に腹ペコキャラを推してるんじゃありませんよ!? 全次元の貧困にあえいでる人たちに謝ってください! 普通に飢えてるから、普通に顔が綻ぶんです!」

「ぜ、全次元って……、随分とスケールのでかい謝罪だな……。何兆人分くらいだ……?」

「次元とか時間とか超えると、天文学的な数の子供たちが飢えていますね。兆どころじゃありません」

「世の中って思った以上に救われていないんだな……。全国数億人くらいの恵まれない子供たちも、天文学的な数の恵まれない子供たちも、いつか救われるといいな……」

「あれ、ルイさんってそんな人なんですか?」

「いや、人並みの良心くらいはあるよ。16年間かけて必死で『作った』良心だけど……」


 正直、今の台詞も、人として・・・・何となく言ってみただけだ。


「ああ、元はなかったんですね。人造の良心とか、偽善よりも恐ろしい何かですね」

「ああ、俺の継ぎ接ぎな良心のせいで、色々と泣いたやつは多い。まあでも、良かれと思ってやったことが悲劇を生むなんて、よくあるよくある」

「いえ、よくはないです。たまにしかないです。よくあったら、それはもう良心じゃないです。自分を悪だと気づいていない悪ですよ、それ」

「そうか……、人間って難しいな……」

「いえ、ルイさんの性格が難しいだけですよ? あんな『控え室』を持つ人、なかなかいませんから」


 ナインはあの『控え室』を思い出して、俺の性格を非難する。

 その言い方から、俺は一つの仮説を立てる。


「そういえば、前も言っていたけど、あの『控え室』って1人1人違うのか?」

「ええ、『賭命者プレイヤー』の心や性格が反映されます。ルイさんの心は「人を害する宝石世界」です。その異常さは随一ですね……」

「やっぱり、あれが俺の心の世界なんだ……。なんだ、すごい富んでいるな。俺の心……っ」

「あれで喜べるのが、あなたの異常なところですよ……」


 いや、ここは普通に喜ぶだろう。あそこまで豪華絢爛なものを悲しむ理由はない。


「いや、俺の心ってもっと寂しそうだと思ってたからさ。思春期特有の空しさのせいか、空っぽだと思ってたよ。いやあ、恥ずかしい。全然豊かだよ、俺の心。そうだっ、あの宝石、次は持って帰ってもいいのかな?」

「あれ、持って帰れるんですかね……? 持って帰れたとしても、あそこはルイさんの心の部屋なので、嫌な予感がします……」

「ちょっとやそっと心が削れても、大金が手に入るのなら俺は我慢できるよ。今度試そう。是非試そう」

「いや、心は削らないほうがいいと思いますけど……」


 食器を片付けながら話していくうちに、次の『ゲーム』の行動指針が決まっていく。

 そして、俺はナインの為に買い物をしようと思い、財布を持って外出のために着替える。


「あれ、ルイさん。どこか行くんですか?」

「ああ、昼用の食材を買ってくるよ。ついでに、Sサイズの服も。妹の服をぱくると、後々面倒臭そうなことになる」

「私としては、この服でもいいのですが……」


 ナインはそう言って、病人服よりも質素な布きれの端を摘む。


「いや、その服はアウトだよ。横から、見えてはいけないところが見えそうだもん」

「む、この時代には適しませんか……」

「いやぁ、どの時代にも適さないと思うよ?」

「そ、そうですか……。では、お手数ですが、この時代で自由に行動するための衣服をお願いします」

「いや、まて。俺はナインを外へ出す気はないぞ」

「え……? 正直に言いますと、ルイさんの世界を見物するの楽しみにしていましたのに」

「いや、まずおまえのその容姿がアウト……。黒染めするか、最低でも、帽子で髪を隠さないと……」

「やはり、この世界に白い髪の方はいないのですか?」


 ナインは自分の髪を触って、「白い髪」と表現した。俺から見れば、銀の髪に見えるが、ナインの認識は違うようだ。

 しかし、本人が白い髪と言っているのだから、それに合わせようと思う。


「白い髪は老化の象徴であって、ナインくらいの年の子が真っ白な髪をしているのは目立つ。少なくとも、その髪のナインを連れて歩くわけにはいかない」

「そうですか。やっぱり、駄目ですか……」

「気を落とすのは早いぜ。言ったろ、黒染めするか隠すかすればいい」

「……わかりました、ルイさん。楽しみに待ってますね」


 俺はナインに見送られ、買い物へと出かける。

 衣服は妹と同じくらいで問題ないだろう。あとは毛染めと帽子を忘れなければ、ナインと外で行動できる。


 そして、なにより大切なのはお昼のメニューだ。


 何を作ればナインを驚かせることができるか、俺は考える。

 珍しい和食で攻めてもいいが、ここは単純に豪華なものでもいいかもしれない。


 よし、昼はステーキにでもしようか……。

 いや、もしくは手堅く、ラーメンとかチャーハンを作ってもいい。選択肢はよりどりみどりだ。


 俺はナインが食べるところを想像しながら、平日の街へと繰り出した。






ストック切れました。申し訳ありませんが、おそらく停滞します。

また、異世界迷宮書いているときにでも気分転換に書き溜めますね。

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