9.二回戦『異世界編』 最果ての村
扉をくぐった先は二回戦前の草原だった。
ナインは怒った様子で、俺を迎える。
「あっぶないですね! なんですか、あれ! 明らかに上位のモンスターじゃないですか!!」
どうやら、対戦相手が不服だったようだ。
確かに、ぱっと見だと、普通の人間以上の難易度に見える。単純なスペックだけなら、あの化け物は金貨100枚分ほどの筋力と体力があるだろう。
「いや、逆に助かった。獣が対戦相手だなんて、有利にもほどがある」
「そ、そうなんですか?」
俺は落ち着いて、逆の意見をナインに告げる。
「少なくとも、ディノの言うとおり、俺を生かそうとしている流れは感じられた」
「……むう、それならいいんですが」
しかし、どうにもナインは納得していないようだった。
俺はナインを落ち着かせるため、どれだけの勝算があったかを説明する。
説明をしていくうちにナインの怒りは落ち着いていき、次の話になる。
「しかし、時間も余りましたね。あと35分くらいです。町へ入ります?」
確か、余った時間は『準備期間』に当てていいという説明があった。
つまり、あと35分ほど、この異世界を探索してもいいことになる。
「入っていいのか?」
「確認は取りました。いいそうです。あと、現地人との意思疎通のための言語術式も貰いました。言葉の問題はありませんよ」
「随分とお優しいことで……」
どうやら、探索は推奨されているらしい。有難く言葉の壁は取り払おうと思う。
ナインが何かを呟くと、脳内に小さな電流が走ったような感覚がする。
「eabiyona.aa……――ぁあ、はい、これで大丈夫です」
ナインは聞いたことのない言語を喋り始める。そして、それが理解できてしまう。
聞いたこともない言語だが、何を言っているか理解できる。
その単語、文法、表現、――全てを日本語と同じように扱えてしまう。
「――こっちも大丈夫だ」
俺も同じように聞いたことのない言語で言葉を返す。
これで、この世界での言葉の壁はなくなったのだろう。
一瞬だ。
何の苦痛もない。
いつのまにか、完全な知識と経験が、脳内に染み付いていた。
「それじゃあ、行きましょうか。あ、先に注意しておきますけど、私弱いですから守ってくださいね」
「もちろんだ。まだ短い付き合いだが、俺はおまえのことを友人だと思ってる」
俺はナインの前に出て、先導する。
草原を抜け、人の手の入った道を歩く。ある程度近づいたことで、町の全容を把握する。
端が見えないほど広い町を、木の柵で囲っている。しかし、その柵の出来は悪く、本当にないよりはマシ程度といったものだ。そして、道の先に、関所のようなものがあり、そこに年老いた兵が眠そうな顔で駐留している。
緊張感のない町だと思いながら、俺は兵に近づく。
先に声をかけてきたのは兵だ。
「旅人かのう?」
「はい、そうです……」
俺は丁寧な物腰で対応しようと決めていた。とりあえず、相手の会話に合わせていこうと思う。
何かあれば逃げると決めている。幸い、足の速さには自信ができている。
『最果ての塔』まで戻れば安泰だろう。
「そうかい、なら通っていいよ」
「ぇ、え? いいんですか?」
しかし、俺の覚悟とは裏腹に現実は温かった。
「ああ、もちろんじゃ。何かおかしいかのう?」
「いえ、どうも……」
「気をつけてなぁ」
兵は笑顔で俺とナインを見送る。
身元確認もなければ、持ち物の確認もなし。最低限すべきことすらされていない。
信じられない対応だ。
「気が抜けるほど、無用心だな……」
「敵対勢力がいない上に、資源も豊富な世界ですからね。生きる人たちも温厚です。――『最果ての塔』側の管理者が厳選に厳選を重ねた次元世界ですよ。普通じゃありません」
「それでも、もう少し何かあるだろ……。人間の恐ろしさとか、欲望とか、もっとこう……」
「厳密には、ルイさんの思っている人間とは別種ですからね。というか、ルイさんの世界の人間のほうが変なんじゃないんですか?」
「比べる対象があの老人しか知らないからわからない。けど、その可能性もあるな」
俺とナインは異世界について考察しながら、町の中へと入っていく。
そこに広がる風景に俺たちは言葉を失う。
木造の家が並び、その周りを子供たちが無邪気に笑いながら走り回る。親たちは、外で編み物をしたり、近くで農耕しながらそれを見守っている。遠くから良い匂いが立ち昇り、家畜たちが陽気な鳴き声をあげる。空から斜陽が刺し、その光を一身に受けて農作物たちが生き生きと育っている。誰もが幸せそうだった。働くことで汗を流すものも、薄く笑みを作っている。ここに生きる人たちは、平和に、純朴に、ただ生きて――
「――なあ、『最果ての塔』、違うところに建てたほうがよくないか? なんか、申し訳ない。ここの人達にすごく申し訳ない」
「同感ですが、私たちでどうこうできる問題じゃないです」
俺とナインが同じ感想を抱き、『最果ての塔』の神々に新たな敵意を燃やしていると、一人の子供が近づいてくる。
「兄ちゃん姉ちゃん、見ない顔だな。旅人っ?」
全く警戒心のない男の子が声をかけてくる。
ナインは対応しようとしない。基本、俺に任せるつもりなのだろう。
「ああ、旅人だよ」
「何しに来たの?」
「んー、観光、かな?」
俺は言葉を濁しながら、目的を捏造する。
正直に、殺し合いのヒントを探しに来たとは言えない。
「観光? ってなんだ?」
「見物さ。ただ、見に来ただけ」
「見物かー、なら、もっと奥行くといいよ。奥のほうは面白いもんがいっぱいだ」
「そっか。ありがとう。行ってみるよ」
「どういたしましてだっ」
浄化される。無邪気すぎて、身体が砂になってしまいそうだ。
男の子は自分の親のところへ戻り、旅人に親切してあげたと自慢している。親も、それを「偉いね」と褒め、撫でている。
その親と目が合う。笑顔で会釈されたので、俺も作り笑顔で会釈を返す。
ストレスで血を吐きそうだ。
「ナイン、さっさと奥へ行こう……っ。幸せオーラに当てられて身体が溶けそうだ……」
「ど、同感です。――しかし、この奥には更なる平和な世界が待っている可能性もありますよ?」
ナインも俺と同様、純粋な善に耐性がないようだ。苦しみの表情を、必死に作り笑顔で覆い隠している。
「しかし、それでもいかざるを得ない。俺は遊びに来ているんじゃないからな――」
「流石、ルイさん。あえて、奥へ進むんですね――」
俺たちは自身の性格の悪さを再確認し、決死の覚悟で先へ進んだ。
性格の悪さをこじらせると、純朴な善がこんなにもつらいのか。知らなかった。
警戒を怠らず、できるだけ被害を抑え、俺たちは町の中心部まで辿りつく。
中心部までくると、石造の建造物が増え、看板の下がった店も発見する。入り口とは文化レベルに差がある。街道も石で整備され、町を歩く人も文化的な装いをしている。
依然として安穏とした空気は消えないが、入り口ほどの甘い空気ではない。文化レベルが上がると同時に、人の悪意と欲望の密度が少しは上がった気がする。
俺たちは詰まった息を吐き出し、今後の予定について話し合う。
「――ふぅ、それでルイさん。ここで、何するんです?」
「そうだな、この世界の物を見て回りたいな。あと、できれば超常現象、いわゆる『魔法』をこの目で確認したい」
「いいですね。私も興味があります」
目先の目標は『魔法』の確認に設定する。
おそらく、これからの戦いで、そういった超常現象を武器にする相手が出る確率は高い。二回戦で獣が火を噴いてきた以上、次におとぎ話の魔法使いが現れても不思議ではない。
俺とナインは旅人として不自然でないように店を回ることに決める。人の良さそうな店員を捕まえたら、色々と情報収集したいと思う。
人の多いほうへと足を進めていると、青空の下で賑わっている市場を見つける。
屋外に無数の出店が並び、多くの人々が買い物をしている。
俺たちは興味津々に、店を回る。
得体の知れない果物が並び、生鮮魚を扱っているところでは深海魚のようなものが扱われていた。
「おいっ、ナイン。こっち見ろ、これ」
「ぐろいですね、これ。食べられるんですかね」
びちびちと跳ねる醜悪な魚を見て、ナインは歯に絹を着せない評価を口にする。
ここに並ぶどれもが、この世界の人々にとっては大切な食料なのだろう。しかし、見慣れていない俺たちにとっては驚きの連続だ。
珍しい魚を見つけては、俺とナインは口々に無遠慮な評価を繰り返す。
そうしていると、とうとう温厚な店主も口を挟んできた。
「あんちゃん、冷やかしならやめてほしいんだが……」
「あ、はい。すみません」
俺とナインはすごすごと引き下がり、少し離れた所で話す。
「ナイン、ここの貨幣って手に入るのか?」
「問い合わせます――、……駄目ですね。『魂の金貨』と交換、もしくは、自分たちで稼げと言われました。ただ、面白そうな事件の一つや二つ起こしてくれると、サービスしてくれるそうです」
「あきらめようか……。相変わらずクズだなぁ、あいつら。こんな平和なところで事件を起こせとか言う神様とか滅んだほうがいいな」
「そうですね。いつか絶滅させましょう」
「そうだな」
話もまとまったので、俺は振り返って店主に言葉を返す
「すみません、手持ちがないのでまた来ますね」
「ああ、デートならよそでやってくれ」
店主は呆れた様子で、俺たちを追い払う。
追い払うときの台詞すら、平和なものだ。この世界の底力、計り知れない。
「ふふっ、デートですって、ルイさん」
「……ん、嫌じゃないのか? 俺みたいのが相手なんて」
「私はそうでもないですよ。むしろ、嫌なのはそっちでしょう?」
「馬鹿言うな。一般的に見て、おまえは美少女だ。文句なくな」
「一般的に見て、ですよね。でも、ルイさんは、私のこと嫌いでしょう?」
「なんでそうなる……?」
どうあっても、俺はナインのことを嫌いだと決め付けたいらしい。
そんなつもりは全くなかったのだが、いつの間にか、俺とナインの間には溝ができていたらしい。ここまでの仲むつまじい会話は何だったのだろう。
ナインはそんな俺の様子を見て、考え込みながら言葉を返す。
「うーん、ちょっと前からおかしいと思っていたんですが、明らかになってきましたね。普通、『助命者』と『賭命者』は仲が悪いはずなんです。そう設定されていますから」
「設定……? へえ、そうだったのか。嫌がらせのような設定だな。けど、俺はそうでもないぞ?」
「いえ、そんなはずありません。『助命者』は、『賭命者』にとって『最も望まない者』が選ばれるはずですから……」
――「『最も望まない者』が選ばれる」?
喉の奥に苦味を感じた。錆びた鉄を舐めたような味だ。
ああ、もし、それが本当ならば、恐ろしい答えが出てしまう。
あのとき、俺が最も望んでいなかったのは――
「へ、へえ……」
「やっぱり、心当たりがある感じですね」
俺は自分で辿りついた答えを信じられず、気の抜けた返事を返す。
それを見て、ナインは俺が納得したと勘違いしたようだ。
しかし、その勘違いを正そうとは思わない。
俺から言えることは一つ。
「だとしても、俺はナインのことは嫌いじゃない。――嫌いじゃあない」
「嘘だとしても嬉しいです。私もルイさんみたいな人、嫌いじゃないですよ?」
俺たちは笑顔で、お互いを認め合う。
遠まわしに、曖昧に、繋がりを持つ。
「嫌いじゃなければ、結構なことだ」
「ええ、嫌いじゃなければそれでいいですよね」
持つものが少ない俺たちは、高望みなんてしない。
より幸福な世界なんて怖くて仕方がない。胡散臭くて受け入れられない。壊れそうで見てられない。
だから、それ以上は進もうと思わない。
それだけでも、この町を気分よく回ることは出来るからだ。
俺とナインは時間の許す限り、町を回った。『魔法』については、大した情報は得られなかった。
残り時間が少なくなってきたところで、俺たちは町の外まで出てきた。
突如出現する扉を、誰かに見られるわけにはいかないからだ。
周囲に人がいないことを確認した草原で、現実へ戻る扉を待つ。
待ちながら、俺はナインに確認する。
「なあ、ナインはこっちへは来れないのか?」
「え、行けますよ?」
ナインはあっさりと現実世界へ来られることを認めた。
「来れるのかよ。……ならこっち来ないか?」
来てくれたら、一週間の待ち時間でやれることが増える。先週だって、ナインが居てくれたら使えない装備を作って時間を無駄にすることもなかった。
「い、いいのですか?」
しかし、ナインは不安そうに確認を取る。
怯えたように下から俺を見上げている。現実世界の何がナインを怖がらせているかはわからない。
俺はできるだけ優しくナインに語りかける。
「俺はナインのことを知らない。俺が現実へ戻っている間、何をしているのかも知らない。けど、もし、こっちへ来てくれたら、色々な話ができる。作戦会議もできる。きっと助かると思う……」
「いえ、きっと邪魔になると思います。ルイさんの時代に、私は対応できないと思いますから……」
ナインは目を伏せて、自分の長い銀の髪を撫でながら答える。
どうやら、自分の異様な外見を気にしているようだ。それによって問題が舞い込む可能性があるのは確かだが、それ以上の利益が出るのも確かだ。
「そこは俺が手助けするさ」
ナインの不安を取り払うように、俺も銀の髪を撫でながら、軽く答えた。
「けど――」
「――俺は『助命者』がどういうものか知らない。まだ短い付き合いだからな。けど、何度も言うが、俺はおまえのことを友人だと思ってる」
まだ言い訳をしようとするナインの言葉を遮る。
そして、俺は自分の正直な気持ちをぶつける。
「なにより、もっと友人と話がしたいと思った。それが一番の理由だ」
「ありがとうございます、ルイさん……」
とうとうナインは折れる。
俺の考えていたとおりだった。ナインは俺に遠慮している。それを確信できた瞬間だった。俺に引け目があるから、負担にならないよう気を使っている。
その理由についても話さなければならない。
俺の読みが正しければ、この『ホライゾンヘヴンオフライン』という『ゲーム』は、『助命者』との協力は必須だ。
俺が隠していること。
ナインが隠していること。
少しずつでもいい。理解し合わないといけない。
そして、草原に扉が現れる。
俺はナインの手を引いて、その扉をくぐった。
念願の美少女を持ち帰ったぞ!
そして、ストックがそろそろ切れます。




