第4話 一振りの剣
「ルクス! お前は孤児院へ行け!」
「ラグナはどうするんだ!」
「俺は──星使徒を狩る」
ラグナの視線は、ウルフ型の星使徒に向いている。もちろん、才能のない俺に戦う術なんて無い。
「ラグナ……死ぬなよ」
「いずれ戦う相手。それが早いか遅いかの違いだ。俺は騎士になる。そのために鍛えてきた」
迷いのない声だった。
この十年。俺とは違って、ラグナはただ戦うために生きてきたのだ。
「早く行け、ルクス──!」
「あぁ!!」
俺はラグナを信じて背を向け、燃え上がる村を駆け出した。
急げ、急げ、急げ!
嫌な予感が、胸を締め付ける。
この十年、星使徒の影など感じさせないほど平穏な村だったはずなのに──いつも突然、人間からすべてを奪う。
流星は、なおも降り続ける。
夜空は白く照らされるが、その光景をもはや美しいとは思えなかった。
「みんな! 無事か……!?」
孤児院の扉を押し開けた瞬間、乾いた鉄の匂いが鼻を刺した。入口の先には横長の木製ベンチが幾列にも並び、奥の祭壇へと一直線に続いていた。
その中央に、立っていたのは──血塗れのリーシャだ。
「あ……ルクスくん」
「リーシャ!? 大丈夫なのか!?」
「うん。これは返り血だから、大丈夫だよ」
息を整えながら視線を落とす。
床の上には、黒く濡れた跡が点々と続いていた。そして、ベンチの影の向こう――何かが横たわっているのが見えた。
それを確認すると、ウルフたちが横たわっていた。体には無数の穴が空き、血が溢れ出している。この数をリーシャが魔法でやった……ってことなのか?
「……みんなは?」
「大丈夫だよ。地下に避難してるから。今回は気がつくのが早かったから、きっと村の人たちもちゃんと避難してると思うよ」
「そ、そうか……」
あぁ、良かった。
十年前――家族を失った、あの絶望は無い。
リーシャもラグナも強い。星使徒は人類の脅威だ。だが、それ以上に二人は選ばれた側だ。星に祝福された天才たち。
だからきっと、この騒ぎも収まる。
そう思った――次の瞬間。
空の輝きが、さらに強まった。
胸の奥に、形にならない違和感が残る。
嫌な予感が、どうしても消えない。
「ガハッ──!!」
轟音と共に、孤児院の扉が内側へ吹き飛ぶ。
室内へ叩き込まれるように転がり込んできたのは――ラグナだった。
「ラグナ……!?」
「ラグナくん!」
ラグナは床に手を突き、無理やり体を起こす。
額から血が流れ、腕も脚も負傷している。
「ぐっ……二人とも逃げろ……。星使徒には……勝てない」
ラグナの視線の先。
室内へ、ゆっくりと何かが踏み入ってくる。
悠然と。どこか静謐に。この惨状とまるで噛み合わない歩調で、そいつは歩みを進めていた。
「ふむ。情報通り──騎士候補がいるようだな」
その声に緊張感はない。ただ、事実を確認しているだけのような声音だった。
一見すれば人間。
だが、頭部には二本の角が伸び、腰の後ろでは鋭い尾が揺れている。
体には星痕が四つほど刻まれている。
そして、その背後にはウルフより一回り大きい魔物が二体、従うように控えていた――あれは……ヘルハウンドだ。
あれだけでも十分に脅威のはずなのに、視線はどうしても前に立つ人型へ引き寄せられる。纏う魔力の密度が違う。
そいつは感情のない瞳で、ただこちらを見下ろしていた。
「ルクス、リーシャ!! 早く逃げ──」
ラグナが言葉を言い切ることはなかった。
相手が、ただ手をかざす。
それだけで――見えない衝撃が叩きつけられ、ラグナの身体が弾き飛ばされる。壁が轟音とともに崩れ落ちた。
「ふむ。これで残り、二人だな」
背筋が凍りつく。星使徒は感情のない声で告げた。
星の祝福は人間だけのものではない。
その恩恵は――魔物にも降り注ぐ。
その意味を俺たちは突きつけられていた。
「ルクスくん……私が時間を稼ぐから、逃げて」
「でも……そんなことは――」
出来るはずがない。
幼馴染を置いて逃げるなんて、俺には出来ない。
リーシャの手は震えていた。今にも泣き出しそうな顔で、それでも立っている。俺も同じだ。震えが止まらない。ラグナがどうなったのかも、村のみんながどうなったのかも分からない。
あの時――家族を失った以上の絶望が、確かに押し寄せてくる。俺はただ、この十年間振り続けてきた剣を、祈るように握りしめるしかなかった。
「女。お前は強いな。少し、試してみるか」
言葉と同時に、背後のヘルハウンドが前へ出る。地を焼きながら一気に踏み込み、牙を剥いてリーシャへ飛びかかったが。
――閃光。
ヘルハウンドの体に無数の穴が穿たれ、力を失ったまま床へ崩れ落ちた。
「ほぅ。良い出力だ。魔法の性質的には、光を操るものか? ふふ。私は運がいいな。お前は将来、強敵になっていたかもしれんが、ここで殺せることは幸運だ」
「……私は負けないよ」
「才能は十分だが──星の恩恵を強く受けるのは、我々の方だ。威力では勝てんぞ」
相手が手をかざす。
空気が唸った。
圧縮された風が一直線にリーシャへ叩きつけられる。咄嗟に防御したのだろう。それでも勢いは殺しきれず、彼女の体が大きく弾き飛ばされた。
鮮血が舞う。
「リーシャ──ッ!!」
駆け寄ろうと踏み出したが、人型の星使徒が俺の目の前に立っていた。
「お前は魔力無しか。つまらんな」
「ガハッ!!」
軽く蹴られただけだった。
それだけで、体が浮く。凄まじい衝撃が全身を貫き、俺もまた吹き飛ばされる。だが、どうにか受け身を取り、崩れながらも踏みとどまった。
「ん? 砕いたと思ったが、頑丈だな」
「どうして……」
全身が軋む。
震えを押さえつけながら、俺は剣を握り直し、立ち上がった。
「どうして、こんなことをする……?」
「──人間は、敵だからだ」
星使徒は淡々と答えた。
そこに怒りも憎しみもない。ただ事実を述べるだけの声音。
「この世界は本来、我らのものだ。だから奪い返す。蹂躙する。壊す。だが、それだけでは足りない」
相手の口元が歪む。
それはこの状況に愉悦を抱いているような、歪んだ顔。
「人間は壊れる直前が最も美しい。泣き、縋り、諦め、祈り、最後に何かを信じようとする。あの瞬間の魂の輝き……あれが実に良い」
ゆっくりと一歩、こちらへ近づいてくる。
「安心しろ。すぐには殺さない。大切なものが壊れていく様を、順番に見せてやる。そうすれば――お前も、良い顔をするだろう」
視線が絡みつく。
「さぁ、人間。お前は最期に──何を見せてくれる?」
俺は剣を握りしめる。
分かっている。
勝てない。
ラグナもリーシャも敗れた相手だ。
俺に勝ち目など存在しない。
それでも――立たなければならない。
この時のために、俺は剣を振り続けてきたのだから。
「クク……アハハハハ! いいぞ、人間」
「ハアアアアアッ──!」
俺は命を賭け、星使徒へ剣を向ける。
理解しろ。学習しろ。
動きを見ろ。魔法の性質を読め。
――風だ。
僅かな魔力の揺らぎ。空気の歪み。床を滑る流れ。
視ろ、視ろ、視ろ。
一撃でも受ければ終わる。だから一つの判断も誤れない。
踏み込む。剣を振るう。だが、刃は届かない。身体が触れる前に軌道を逸らされ、見えない圧に弾かれる。
「──遅い。もっと、もっと速く」
軽く手が動いただけで、横殴りの風が叩きつけられる。
床を転がり、体勢を立て直す。
来る。次の圧が来る位置を読む。
半歩だけずらすと、風が頬を掠めた。
「ほう? 多少は動けるか」
再び踏み込み、剣を振る。
「まだだ……まだ足りない。もっと、もっと速く動け」
思考を巡らせろ。
感覚を研ぎ澄ませろ。
さっきまで見えなかった流れが、少しだけ分かる。風は無秩序じゃない。必ずそこには兆候がある。
手の動き、視線、魔力の流れ。
俺はその全てを何故か──本能的に感じることができた。
「ふむ。魔力も無いただのゴミだと思っていたが、想定よりも動けるな。しかし、これならばどうだ……?」
大技だ。
一気に魔力が膨れ上がり、面を押し潰すような突風が叩きつけられる。だが──読み切っている。魔法が発動する前に、俺は既に飛翔していた。重力に身を預け、そのまま落下する。
斬る。
ただそれだけに、意識のすべてを収束させる。
振り下ろした一撃が、星使徒の右腕を弾き飛ばした──が。
「クク……希望でも見えたか?」
次の瞬間、奴の手が俺の剣を掴み──そのまま叩き折った。俺は蹴り飛ばされ、地面を転がった。
「ぐっ……」
全身が軋む。
それ以上に、頭が割れるように痛い。
何だ、これは。
俺は魔法を使えない。魔力も無い。
それなのに──体の奥に、別の《《何か》》が在る気がする。
「腕など、我々は容易く再生できる。斬った瞬間、お前は何を思った? 一矢報いたと? それは、人間がより深く絶望するための餌だ。ふふ、ハハハハハ! あぁ、これだから──人間を蹂躙することはやめられない。最高の愉悦だ」
声はもう、耳に入っていない。
俺は立ち上がる。
斬る。
それ以外は要らない。
剣が折れていようとも、関係なんてない。
熱い。身体が焼けるように熱い。
「その折れた剣で何が出来る? もはや剣ですらない、ただの棒で。クク………だが、良いだろう。最後に振ってみろ。無様に、滑稽に、お前の剣を見届けてやる」
あぁ。星がよく視える。
夜空は静かだった。
戦場の喧騒が遠のき、空だけが異様なほど澄み渡っている。無数の光が冷たいほど鮮明に瞬いていた。
俺に星の恩恵はない。
与えられたことは、一度もない。
でも──だからこそ、積み上げた。
朝、まだ霜が残る時間に振った。
昼、腕が痺れて感覚が消えるまで振った。
夜、眠気で視界が揺れる中でも振った。
正しく。
同じ軌道で。
同じ重さで。
一振りも、誤魔化さずに。
十年。
数え切れない反復の中で、身体から余計な力が削ぎ落ちていく。
肩の高さ。
肘の角度。
手首の返し。
踏み込みの幅。
考えずとも、全てが揃う位置がある。
──斬ること。
それだけが俺に唯一、
許された魂だった。
折れた剣を構える。
刃は途中で途切れている。
もはや、ただの鉄の棒に過ぎない。
だというのに、そこに
刃が《《在る》》気がする。
空中に輪郭が浮かぶ。
失われたはずの刀身が視えている、感じている。
長さ。
重さ。
重心。
十年握り続けた感覚が、そこに存在を作っている。所詮は幻覚。これは、俺の命の最期のきらめきが見せる、夢なんだろう。
ゆっくりと振り上げる。
肩も、腕も、力まない。
「待て……貴様、一体何をしようとしている──!!? その力は一体ッ……!?」
声はもう聞こえない。色も音も無い。
剣域に在るのは、〈一振りの剣〉だけ。
星の位置をなぞるように、自然に軌道が定まる。
そして、振り下ろす。
折れたはずの剣が、完全な軌跡を描いた。
「──星断」
それは、心の奥底から零れ落ちた言葉だった。
そして気づけば、目の前には──何も残っていなかった。
星使徒の姿は跡形もなく消え失せ、ただ大地だけが深く抉られている。一直線に裂けた地面が、遅れて舞い上がった土砂と共に静まり返っていた。
遅れて、力が抜ける。膝が折れた。
支えきれず、そのまま前へ倒れ込む。
指から離れた折れた剣が乾いた音を立て、俺の視界は暗闇に沈んでいく。
これは、きっと夢だ。
人生の最期に見た、ただ一つの残滓。
「おい。大丈夫か!?」
「生存者がいるぞ!」
「だが、この痕跡は一体……」
遠く、途切れ途切れに声が届く。
けれどもう、目を開ける力は残っていなかった。
あぁ。少し……眠いな。
意識が沈む。暗闇の中で最後に見えたのは、星々の瞬きだけだった。
これが、
この瞬間こそが──
星に選ばれなかった俺の、騎士としての物語の始まりだった。
新作です! 実はずっと前からやりたかった、王道ド真ん中の異世界ファンタジーです! 星無しの主人公ルクスはどのような道を歩んでいくのか。その成長を楽しんでいただければ幸いです!
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