第1話 星無しの少年
「うわぁ……綺麗だなぁ」
星。
そこには見渡す限り、無数の星々が広がっていた。俺は転生者でこの異世界に生まれた。けど、ただ穏やかに、家族と共に暮らしているだけだった。
「ルクス。夜に、外に出たら危ないわよ」
「母さん……うん。分かったよ」
俺たちが住んでいたのは、小さな辺境の村。
父、母、妹の四人家族。質素だが、静かな幸せがあった。
一見すれば、ここは普通の異世界。
魔物がいて、冒険者がいて、剣と魔法がある。
前世の知識から想像できるような世界──だが、ひとつだけ決定的に違うものがある。
それは、星だ。
そして、俺の家族との記憶は──それが最期だった。
「夢か……」
ゆっくりと瞼を開く。
俺は五歳。今は孤児院で暮らしている。
両親も妹も、もういない。
かつて暮らしていた村は魔物の襲撃に遭い、俺だけが生き残った。
何とか俺は別の村にたどり着いて、そこの孤児院で暮らしている。あれから一年。ここでの生活にも、もう慣れ始めていた。
「朝だー!」
「ご飯だー!」
「お腹減ったー!」
廊下の向こうから子どもたちの声が響く。
騒がしくて、少しだけ安心する朝だ。
「ルクスくん。おはようございます」
「おはようございます、マリアさん」
シスター・マリア。
白銀の髪が肩を滑り落ち、その整った横顔が朝日に照らされる。この孤児院を切り盛りしている人で、俺は毎朝、彼女の手伝いをしている。
「相変わらず、ルクスくんはしっかりしていますね」
「これくらいはさせてください。お世話になってばかりだと、落ち着かなくて」
「ふふ……では、お言葉に甘えましょう。ただ──リーシャちゃんとラグナくんを起こしてきてもらえますか? あの二人は朝が弱いので」
「はい。任せてください」
まずはリーシャのベッドへ向かう。
「リーシャ、朝だ。起きてくれ」
「う、うぅん……もう朝?」
「あぁ。ご飯あるぞ」
「……うん。起きるね」
茶色い髪を顎のあたりで揃えた少女。
整った顔立ちだが、まだ眠気に負けている。
次はラグナのもとへ向かう。
「ラグナも朝だ。起きてくれ」
「う……あぁ……分かったよ」
赤髪の短髪に、わずかに鋭さを帯びた目――それがラグナだ。
俺、リーシャ、ラグナ。
俺たち三人はほぼ同じ時期にここへ来て、同い年ということもあって、気づけばいつも一緒にいた。
家族はもういない。
それでも今は、この孤児院が俺たちの居場所だった。
「ルクスくんは本当に朝が強いね」
「まあね」
「あぁ。本当に凄いな」
「ラグナが素直に褒めるなんて、珍しいな」
「ふん。俺だって褒める時は褒めるさ」
三人で些細な会話をするけど、この時間は確かに満たされていた。
「二人ともちゃんと皿洗いは手伝ってよ」
「うん!」
「あぁ」
三人でいるのが、当たり前だった。
何をするにも、いつも一緒だった。
そして俺たちには、共通点がある。
それは──家族を奪われていることだ。だからこそ、俺たちの間には、ある《《誓い》》があった。
皿洗いを終えた後、マリアさんが俺たちにあることを伝えてくる。
「ルクスくん、リーシャちゃん、ラグナくん。三人は本日〈星刻の儀〉を受けていただきます。よろしいでしょうか?」
『はい』
この世界では五歳になると〈星刻の儀〉を受けることが出来る。星の加護をその身に刻み、星痕の数などによって魔法の才能が測られる。
正直に言えば、期待していた。
俺は転生者だ。何かしら特別な力があってもおかしくない。そう、どこかで思い込んでいた。
だが──現実は非情であることを、俺は知ることになる。
「リーシャちゃんは、〈三ツ星〉ですね」
儀式が始まった。魔力を流したとき肉体に浮かび上がる〈星痕〉――その数こそが魔法の才の証だ。一ツ星でも優秀とされる中、三ツ星は明らかに別格だった。
「ラグナくんは、〈二ツ星〉ですね」
リーシャには及ばないが、それでも十分すぎる才能だ。二人とも、生まれながらにして星に選ばれている存在だった。
そして、最後に俺の番が来た。
俺たち三人はいつも一緒だ。ならば、才能も自ずと同じものであると──そう思い込んでいたが……。
マリアさんの手が俺の額に触れ、魔力が流れ込む。だが――彼女はわずかに眉を寄せた。
「あの……マリアさん?」
「……ルクスくん。あなたには──星痕がありません」
「えっ?」
「……魔力反応も確認できません。魔法は、使えないでしょう」
淡々とした宣告。
俺は〈星無し〉だった。
どれほど才能が乏しくとも、普通は微かな痕跡くらいは残る。一ツ星に満たない欠片でも、確かに何かは刻まれる。
けれど――俺には、それすらない。
「ルクスくん、大丈夫ですよ。魔法がすべてではありませんから」
「そ、そうだよ! ルクス!」
マリアさんとリーシャの声は優しかった。
だが、胸の奥に開いた空白だけは、どうしても埋まらなかった。
五歳にして、俺は理解した。
ここが俺の限界。
星に選ばれなかった人間は、星の恩恵を受けることはない。
転生したからと言って、
前世の記憶があるからと言って、
何も特別では──無い。
今この瞬間、ハッキリと線が引かれた。
星に選ばれた者と、選ばれなかった者。
星有りと星無し。
同じ村で生きているのに。
同じ星空を見上げていたはずなのに。
俺たちの間には、もう越えられない差が生まれていた。
――天と地ほどの、差が。
その後、俺は自分がどうしていたのか──よく覚えていない。気づけば俺は、ある場所へ来ていた。海を見渡せる高台――三人で約束を交わした場所だ。
『ねぇ。みんなは将来、どうするの?』
『騎士になる』
『ルクスは相変わらず真っ直ぐだな』
『でも……同じ気持ちだろ? あいつらに奪われたままで終われるわけがない。三人で立派な騎士になろう』
『うん!』
『あぁ、そうだな』
そう誓ったはずだったのに。
俺はその場に立ち尽くしたまま、動けずにいた。――その時、背後から声がかかる。
「よお、ルクス」
「……ラグナ」
振り向くと、そこにはラグナが立っていた。
その瞳はどこか冷たさが宿っているような気がした。
「星無しだってな」
「うん」
俺は素直に肯定するしかない。
「俺は二ツ星。リーシャの三ツ星には及ばないが、悪くはない」
「……そうだな」
淡々と告げる口調。
自慢でも謙遜でもない。
それは、ただ事実として述べているに過ぎない。
「ルクス。約束通り、俺は十五歳になったら──神星騎士団に入る。リーシャも言うまでもないな」
神星騎士団。
星に選ばれた者だけが立てる場所。
星の加護を持つ者がさらに研鑽を積み、世界を守る象徴となる組織。
入団条件は十五歳以上。そして当然、星を持つことが前提。複数星だって珍しくはない。二ツ星のラグナなら、十分に狙えるだろう。
「お前はどうする。冒険者にでもなるのか? それとも村で穏やかに暮らすのか?」
「俺は……」
言葉が詰まる。
俺は何になれる?
何を目指せる?
星のない人間に、未来を語る資格はあるのか。
「──ルクス。身の丈に合った道を選べよ」
それは忠告か、
それとも……。
「じゃあな」
「あ、あぁ……」
背を向けたラグナは振り返らない。
まっすぐ前だけを見て歩いていく。
才能に選ばれた者の、迷いのない背中だった。
一人残され、俺は空を見上げる。
夜の帳が降り始め、星々が瞬き始めていた。
数え切れない光が、等しく世界を照らしている。
世界は美しい。
俺の心情など関係なく、
ただ、残酷なほどに美しく輝いている。
「それでも……」
俺には、やるべきことがある。
家族を奪った魔物は、今もどこかで牙を剥いている。誰かの家族を、誰かの居場所を、容赦なく踏みにじっている。あの日の光景が脳裏に焼き付いて離れない限り、俺は目を逸らすことができなかった。
立ち向かうには、騎士にならなければならない。
だが俺には、その資格がない。
星がない。選ばれていない。
俺は特別なんかじゃ無かった。
この世界では、それがすべてだった。
「諦めることは──」
俺は陰に隠していた剣を握る。冷たい鉄の感触が、現実を突きつけるように掌へと伝わる。
才能がないから諦める?
身の丈に合った道を選ぶ?
星を持つ者の背中を、遠くから見つめて生きる?
それで本当に納得できるのか。
答えはもう、出ていた。
──剣を振る。
ただ、それだけだ。
夕暮れの丘で、何度も、何度も振るう。
腕が痺れても、肩が焼けるように痛んでも、手の皮が裂けて血が滲んでも、剣を落とさなかった。落とした瞬間、自分の中の何かが完全に折れてしまう気がしたからだ。
「リーシャちゃんはすごいですね。もう魔法が使えるなんて」
「えへへ」
「ラグナくんも、見事な魔力操作です」
「はい。ありがとうございます」
リーシャの魔法は日に日に洗練され、ラグナも着実に力を伸ばしていく。魔法を扱えるマリアさんが基礎から丁寧に教えていることもあり、二人の才能は目に見えて成長していった。
そんな姿を横目に見ながら、俺はいつもの高台に一人で向かう。
俺の剣は、ただの鉄だ。
何も宿らない。
何も輝かない。
それでも振り続けた。
雨の日も、泥に足を取られながら。
雪の日も、凍える指先を無理やり動かしながら。誰も見ていない場所で、誰にも見られない努力を積み重ねる。
積み上がったのは才能ではなく、
傷と硬くなった掌だけだった。
二人との差は、時間と共に明確になっていく。
埋まる気配はない。
むしろ、残酷なほど広がっていく。
「はぁ……はぁ……それでも、俺は──」
それでも、やめなかった。
諦めることを、自分で選びたくなかった。
星に選ばれなかったのなら、せめて自分の選択くらいは、自分で決めるとそう誓って。
そうして──あの〈星刻の儀〉から十年が過ぎた。
「よし……今日はここまでにしておこう」
剣を下ろす。
同じ場所で振り続けた跡が、地面に残っていた。踏み固められた土は円状に削れ、刃の軌跡が幾筋も刻まれている。
十年前は持て余していた剣も、今では手に馴染む。見上げていた柵は腰ほどの高さになり、身体も大きくなっていた。
「早く帰らないとな。今日は、俺が料理当番だし」
俺は足早に孤児院へ向かう。
この十年で、特に変わったことはない。
ただひたすらに剣を振っていた。
それだけだ。
しかし――
星に選ばれなかった俺の物語が、本当の意味で幕を開けようとしていた。




