4話 二章 斥候ライル②
一ヶ月後。
辺境都市 《グルーム》にある小さな宿屋の一室から、騒がしい笑い声が漏れていた。
宿の酒場は、この日だけはまるごと貸し切りだ。
中央のテーブルでは、酒樽を囲んだ男たち――遊撃部隊の面々が、酔いに任せて騒ぎ散らしていた。
その中心で、偉そうに椅子へふんぞり返っている男がいる。
赤茶色の髪を乱し、顔を真っ赤にしながら酒を煽っているのは、斥候ライルだ。
「いや〜今日も俺、ついてるわ!見たかよ、あの大物魔獣!偶然通りかかっただけで懸賞金がドーンだぞ、ドーン!」
「隊長っ!公爵家から感謝状ですもんね!」
「普段は偉そうな、お貴族様が、終始ヘコヘコしてましたね!」
酩酊状態の部下たちから称賛が飛び、ライルは酒臭い息を吐きながら笑い転げる。
「ハッ、当然だろ?
俺は元勇者パーティー《光輪》のライル様だ!
すべて、実力よっ!」
ライルは豪語しながら、ゆっくり視線を腕に落とす。袖口から、金の装飾が施されたうさぎの足のアクセサリーが覗く。
「(あの日から……マジで運気が爆上がりしてんだよ)」
酒場の灯りがアクセサリーに反射し、妖しく輝く。
ライルはその光に酔いしれるように目を細めた。
「(賭場じゃ連勝続き。道端で拾う財布は全部金入り、魔物は勝手に喉元へ首突っ込んでくる。
……これぞ巷で言う“幸運のウサギの足”ってやつだ!)」
ライルはテーブルの上で立ち上がり、ジョッキを大きく掲げる。
「俺様の快挙はこんなもんじゃねぇっ!
いずれは勇者……いや、この国で一番偉くなってやるんだからなぁ!!」
部下たちは「オオーッ!」と歓声を上げる。
ライルの胸中では、下卑た妄想が膨らんでいた。
「(このまま公爵家に名前が売れれば……軍の中で一気に昇進も夢じゃねぇ。
貴族に取り入れりゃ、屋敷も金も女も――何だって手に入る)」
アクセサリーをなぞりながら、口元がいやらしく歪む。
「(あのオッサンから奪って本当によかったぜ……全部運が味方してる。
俺の人生はここからだ)」
幸福の絶頂。
野心の膨張。
そして――その影で、静かに何かが動き始めていた。
アクセサリーの宝石部分が、ほんの一瞬だけ“脈打つ”ように光った。
まるで、どこか遠くで誰かが心臓を早鐘のように打ったかのように。
復讐の呪具は、十分な“溜まり”を終えつつあった。
宴も最高潮に達した頃、酒場の扉が控えめにノックされた。
「――た、隊長。少しよろしいですか」
酔いに浮かれたざわめきの中で、それだけが異質に張りつめた声だった。
ライルはテーブルから降り、空になったジョッキを投げ捨て、面倒くさそうに振り向いた。
「……あぁ? 今は宴の時間だぞ。後にしろ」
「あの……物凄ぇ美人の来客で、身なりもただ者じゃねぇ感じで……」
ライルの動きがピタリと止まる。
「……美人?」
「は、はい。仕立てのいい給仕服で……多分、お貴族様の使いかと」
その一言で、ライルの顔つきが変わった。
「あ〜……んだよ、もっと早く言えよ!!
よし、お前ら続けて飲んでろ!公爵家の娘だったらどうすんだ!!」
ライルは慌てて身だしなみを整え、酒臭さをごまかしつつ、宿の奥にある静かな応接室へと向かった。
⸻
応接室に入った瞬間、ライルは目を見開いた。
ソファに腰掛け、静かに待っていたのは――
黒と白のゴシックな給仕服を纏った、美しい女性。
長い金髪が後頭部に纏められ、手には白い上品な手袋。
睫毛は長く、伏し目の瞳は氷のように澄んでいる。
「(な、なんだこの女……貴族の侍女ってレベルじゃねぇ……)」
普段は粗暴なライルでさえも、一瞬で警戒心が吹き飛ばされた。
女性は柔らかく頭を下げた。
「……お招きに応じていただき、感謝いたします。
私は、或るお方に仕えるルミナと申します」
見惚れていたライルは、我に返り、妙に格好つけた仕草でソファへ座り、胸を張る。
「で? 俺に何の用だ? 言っとくが、遊撃隊長ともなると忙しい身でな……」
ルミナ――いや、正体を伏せたルミナスは、悲しげに目を伏せた。
「失礼を承知で……このような形で依頼を申し上げに参りました。
……実は、ご主人様が――」
ルミナスはそっと胸元に手を当て、声を震わせた。
「近くの迷宮《アグライアの穴》に潜られて以来……音信不通なのです……!」
薄く涙を浮かべ、震える指でハンカチを押し当てる。
ライルはその仕草に、喉がごくりと鳴った。
「(動きも上品だ……こりゃ本物の高位貴族の侍女だ……!?)」
「家名の事もありお名前は申し上げられませんがご主人様は……とても気高いお方で……
ですが冒険者のような無茶をされる方ではありません……!
どうか、どうか……!」
演技とは思えぬほど完璧な震え声。
ルミナスの瞳は潤み、ひたむきな懇願にライルは完全に飲まれていた。
ただ、涙を流しているのに、その瞳の奥は一切揺れていなかった。
けれど、ライルは気付かない。
彼女が一度たりとも瞬きをしていない事にも、
涙の量が必要な分だけ滴り落ちている不自然さにも。
「……で、俺に探してほしいってわけか?」
「……はい……勇者パーティーを支えられ、今も遊撃部隊長として高名なライル様あなたなら、きっと……」
ルミナスの視線がライルをまっすぐ射抜く。
まるで「あなたしか頼れない」と言わんばかりに。
その瞬間、ライルは確信した。
「(……これ、めちゃくちゃ美味しい話じゃねぇか!?家名を明かせないって事はかなり高位貴族か……もしかしたら王族!?
これを機に恩売れば……出世も女も金も……!!)」
ライルは心の中で舌なめずりし、即座に返した。
「いいだろう。このライル様に任せとけ。勇者パーティーの斥候としての実力、見せてやるよ」
以前なら警戒するであろう話に、酒で酔っていた事に加え、幸運続きで気が大きくなっていたライルは2つ返事で大きく頷いた。
ルミナスは涙を拭い、深く頭を下げた。
「……ご恩は、生涯忘れません……」
ライルの口元がいやらしく歪む。
「(……クク、出世街道が見えてきたぜ。このままいけばフェニスやグラン、俺を馬鹿にした奴らも見返せる程の地位を手に入れられる。
……フェニスもグランも、俺を厄介払いした事を後悔してるだろうよ。
“部を弁えろ”なんて抜かしやがったが……
見ろよ、この運の良さ。
実力もある上に、運まで味方し始めた。
俺は最初から、勇者より上に立つ器だったんだ。
まずはこいつのご主人様とやらを救って、恩を売って褒美には金銭とこの女を貰おうか。)」
下卑た妄想を浮かべているが、彼は知らない。
その“涙”も、その“懇願”も――
全てが、呪具に誘い込むための精巧な虚構だという事を。
あとは落ちるだけ。
ライルの“幸運”は――
この夜を最後に、静かに幕を閉じることになる。




