34話 七章 勇者グラン①
王都 《アースバル》。
国の中で最も栄えている首都。
その酒場も夜が更けるほどに栄え、騒がしさを増していた。
酒の匂い、汗の匂い、怒号と笑い声が混ざり合い、床は常に湿っている。
だが、その一角だけ――不自然なほど、人が寄りつかない。
近づこうとした者は、無意識に足を止めていた。
粗末な木製のテーブルに、レイン一行はいた。
アイシャは杯ではなく、水を前にしていた。
何度も口をつけてはいるが、喉を潤すためというより、沈黙を誤魔化すための動作に近い。
レインは椅子に深く腰掛け、煙管タバコをふかしている。
紫がかった煙が、天井へとゆっくり昇り、灰皿には吸い殻が溜まっている。
その背後。
新調した給仕服を纏ったルミナスが、目を閉じたまま静かに佇んでいた。
周囲の客には、一角にいる3人を“無言で気味の悪い”程度にしか認識していないだろう。
――王都に潜入して、一ヶ月。
レイン達は、最後の復讐対象である勇者グランに関する情報を集めていた。
しかし。
「……今日も何も無かったね」
アイシャが、ぽつりと呟く。
王都に潜入し、市井、商会、冒険者組合などはもちろん、賭博場、闇市、そして酒場など、情報収集に努めるも、近衛隊を率いて西方に遠征して以降のグランの情報は皆無だった。
レインは煙を吐き、不機嫌さが感じ取れる。
そんな様子を見てアイシャは進言する。
「もう、直接西方に行って探した方がいいんじゃ……」
「それは難しいかと存じます。」
ルミナスが口を開く。
「現在、西方は戒厳令下であり、西方方面への馬車は全停止、街道も封鎖されてます。
強行突破はおすすめしません。」
「それでも……」
アイシャの発言にレインが割り込む。
「だから、ここにいる以外の選択肢がない」
語気が、僅かに荒れる。
レインは煙管を指で弾き、苛立ちを隠さない。
情報が無い。
時間だけが、削れる。
いつ死ぬか分からない。
シャービスに言われてから、呪いによる不調を実感する。
痛みを薬草タバコで誤魔化し、足も補助器具を着けてから歩きやすくなるも、杖が必要な体。
一歩、歩くたびに、身体に重みを感じた。
その事実が、レインの胸の奥で、鈍く燻っていた。
「ねぇ……どうしたの? 聖都市を抜けてから、何か焦っているように見えるけど……」
「…………」
アイシャが心配し、問いかけるもレインは答えない。
感情的なアイシャに現状を話せば動揺し、今後に支障をきたすとレインは判断し、沈黙を決めたのだ。
その時だった。
大柄な傭兵風の男2人がレイン達に近づいて来る。
「おいおい、にいちゃん……楽しんでるか?」
酒臭い声が、割り込む。
いかにもチンピラの兄弟が立っていた。
酔った目で、レインたちを値踏みする。
「女連れで静かに飲んでるとか、いいご身分だなぁ?」
アイシャはゆっくりと白無垢の太刀の鯉口に手をかけ、いつでも対応できるようにする。
レインは煙管タバコを吸いながら、鋭い目で睨みつける。
「おお怖い……タフガイに睨まれて、ちびりそうだぜ」
弟の方が軽口を叩き、レインの肩に手を伸ばした。
「……触るな」
低く、冷たい声。
レインは右手で、チンピラ弟の腕を掴む。
次の瞬間、弟の身体から力が抜けた。
レインの右手首にある腕輪型の呪具が、淡く光る。
「うう……あぁ……」
弟は膝をつき、息を荒げる。
「たいしたタフガイだな……」
レインは皮肉を込めて言う。
「てめぇっ!弟に何をしやがったっ!!」
兄が怒鳴り、酒瓶を掴んで振り上げた。
――乾いた音。
酒場にいた全員が静止し、それまでの酒場の雰囲気が凍りつく。
レインの手に、回転式の拳銃が現れる。
引き金が引かれ、酒瓶が空中で砕け散った。
破片が床に散り、チンピラの兄は尻餅をつく。
「外したな……天井を撃つつもりだったが。
次は、頭に当たるかもしれん」
レインは拳銃のハンマーを引き、兄の額へ向ける。
引き金から、指は外れない。
「……失せろ」
レインの迷いのない目。
兄弟は青ざめ、転がるように逃げ出した。
酒場は沈黙し、客達はレインの方に視線を向けるも、冷たく鋭い目つきに気圧され、全員が目を背けた。
「どうしたの?
あんな荒っぽい方法……貴方らしくない……」
アイシャは、レインを横目で見る。
何かに焦っている。
苛立っている。
だが、理由までは分からない。
「(何か、おかしい……こんな人じゃなかった)」
アイシャは心の中で呟いた。
その時、初老の男が、酒場の喧騒を裂くように入店する。
男は迷わず、レイン達の席に近づいた。
「失礼……レイン・カース様でございますね」
場違いなほど落ち着いた声が、響いた。
振り向くと、酒場に似つかわしくない執事風の男が立っている。
皺一つない服装。背筋の伸びた立ち姿。
男は、レインを見下ろし、口を開いた。
アイシャが息を呑む。
「……人違いじゃないか?」
レインはとぼけ、煙管タバコをふかす。
だが、執事は微笑を崩さない。
「では、“外法の呪具師”殿……そちらの方なら伝わりますか?」
レインの目が、細くなる。
「高貴なお方より、お招きです……お時間を頂戴できますか?」
レインは一服、煙を吐き、答える。
「断ったら……?」
「それは、無いかと……貴方にとっても有益な要件かと存じます。勇者グランの事なら尚更……」
執事風の男の言葉にレインも反応し、その様子を見て執事風の男は口角をあげ、続ける。
「……表に馬車を待たせています。
強制は致しませんが……」
断る理由はなかった。
王都に来て一ヶ月、レインにとって藁にも縋る思いで過ごしていたのだ。
レインは立ち上がり、執事風の男に案内され、杖をつきながら足を運ぶ。
ルミナスも追従し、遅れてアイシャもついて行く。
酒場の外には黒塗りの馬車が停まっていた。
三人は、執事風の男と共に馬車に同乗する。
赤い生地で覆われた豪奢な内装、しかし、窓は黒塗りされ、中から外が見えない。
レインはルミナスとアイシャに挟まれ、詰めて座り、対面するように執事風の男が座る。
全員の同乗が確認されると馬車の扉は閉じられ、外側から鍵を掛けられる音が聞こえ、そのまま、馬車は走り出した。
⸻
どれくらい乗っていたか、時間感覚も忘れるくらい搭乗していた。
馬車の中は沈黙に包まれていた。
レインは目を瞑り、馬車に揺られていた。
ルミナスは美しい姿勢で座り、瞬きせず、執事の方を見ている。
アイシャは緊張が解けず、刀の鯉口に手をかけようとする。
「武力行使はおすすめしない……私の身に何かあれば、この馬車は事故に遭うでしょう。」
執事風の男は淀みなく答える。
男の覚悟の目を見て、アイシャは刀から手を離す。
やがて、馬車は停まった。
外から鍵が開く音が聞こえ、執事風の男が立ち上がり、扉を開ける。
「さあ……どうぞ。あちらでお待ちです。」
レイン達が馬車から降りると、空は星が煌めく深夜であり、場所は丘であった。
執事風の男が指す方向に屋敷を確認する。
レイン達は執事風の男に案内されるまま着いて行き、屋敷の外門をくぐり、そのまま、屋敷に入る。
内装と調度品は豪華ではないが、気品のある空間であり、レイン達は応接間に案内された。
「どうぞ、こちらへ……お掛けになってお待ちください」
レインは応接間の来客用ソファに座る。
横にアイシャが座り、レインの背後に両手を前に揃えて静かに佇む。
3人は沈黙の中、緊張し、ただ待つ。
しばらく経ち、扉が開く。
現れた白髭を蓄えた高年の人物を見て、アイシャだけが息を呑んだ。
金貨に刻まれた肖像。
この国の最高権力者。
王国の最高権力者。現国王、フィークシス。
赤い外套を羽織り、威厳のある足運び。
その後ろを、レイン達を案内した執事風の男と、護衛であろう、短髪で浅黒い肌の青年が随行する。
国王はソファに座り、随行した2人は王の背後に立つ。
王はレインを見据え、静かに口を開く。
「君が、外法の呪具師か……」
レインは答えず、ただ国王の目を覗き込む。
その姿に、護衛の青年が刀に手をかけようとすると、執事風の男が静かに止める。
やがて、レインは答える。
「……好きで呼んだわけじゃ無い。
名前も……死人には無い」
執事風の男が口を開いた。
「レイン・カース……勇者グラン・ハルバートと同郷。
8年前に結成されたパーティー《光輪》のメンバーで、主な役割は武器等の修復。
3年前に迷宮《呪焉迷宮》で事故死と報告……」
執事風の男は淡々と語り続け、レインは静かに聞く。
「現在起きている公人の行方不明や不祥事の発覚
……そして、死亡事件。
共通しているのは、彼らが《光輪》に所属し、その後に役職についた者……そして、近くで美しい従者を伴っていた黒衣の男が目撃されている。」
執事風の男は、すべてを見透かしているような表情を浮かべていた。
「(すべて、お見通しというわけか……)」
レインも自らの情報を調べ尽くされ、驚くも動揺を隠すためにレインは煙管タバコを一服する。
王は、重く低い声で口を開いた。
「君に、依頼がある」
レインは黙って聞く。
王は息をため、一言告げた。
「勇者グランを……暗殺してほしい」
静寂が、部屋を支配した。
レインは、ゆっくりと目を細める。




