33話 六章 聖女エレナ⑬
聖堂に戦慄が走る。
玉座に腰掛けていたエレナは、ゆっくりと立ち上がった。
血と瓦礫に満ちた聖堂の中央で、彼女は優雅に裾を整え、まるで舞台に上がる役者のように歩き出す。
レイン、アイシャ、ルミナスの三人が一斉に身構える。
だが――
「降参するわ」
その言葉は、あまりに軽かった。
エレナは、両手を高く掲げ、堂々と、悪びれもしない。
一瞬、空気が抜ける。
「……は?」
アイシャが素で声を漏らす。
ルミナスは演算が追いつかないように、ほんの一拍遅れて警戒姿勢を保ったまま静止した。
「今回は、貴方たち三人合わせての“価値”が高かった……だから私は負けた。それだけよ」
エレナは笑わず、ただ事実を述べるように、淡々と言葉を続ける。
「レイン。貴方一人なら、禁術に手を出してようやく“並”の価値……それは事実でしょ」
エレナは胸を張り、レインに近づいて語る。
「私は何も間違っていない……現に価値が無いものは惨めになり、あるものが栄える。」
次の瞬間。
鈍い音が、聖堂に響いた。
レインの横から、アイシャが拳を握り締め、
エレナの整った顔面を拳打した。
エレナは身体が横に吹き飛び、石床に転がった。
「……殴らせてくれるって、約束だったから」
アイシャは拳を握ったまま、レインに振り返る。
「……本当の地獄を知らない、小娘ね」
右頬を腫らし、倒れ伏したエレナは、ゆっくりと顔を上げる。その目に、涙も怒りもない。
「アンタみたいな下らない価値観で、世界を埋める悪魔、地獄でもぬるいわ……」
アイシャはエレナを睨み、吐き捨てる。
レインは無言でエレナの前に立ち、杖の剣先をエレナに向ける。
「本当はな……もっと念入りに計画して、地獄に落としたかった。
お前の所業には、これでも釣り合わないが……」
刃先が、わずかに震える。
「せめて、この毒で苦しめ……」
エレナはゆっくりと手のひらを見せ、口を開く。
「手も足も出ない相手に、随分と焦っているのね」
レインは小さく咳払いしながら答える。
「……今、仕留めなければ時間が無い」
レインが、どこか焦っている姿に、アイシャは一瞬だけ違和感を覚えた。
レインが杖の剣を振りかざす。
「待ちなさい」
エレナの声が割って入り、レインは手を止める。
「取り引きをしましょう……貴方にとって価値のある情報がある」
「はぁ……興味はない」
レインはため息をつき、杖の剣を再び振りかざす。
「……グランの情報よ」
レインの動きが、止まった。
「グランが西方に遠征して以降、貴方たちが掴んでいる情報は途絶えている……違う?
その先を知っているのは、私だけ……」
エレナは確信に満ちた声で語る。
指摘通り、フェニスの密偵が集めた情報も、西方への遠征以降は不明。
レインにとって、最も喉から手が出るほど欲するものだ。
レインは刃を下ろさず、問い詰める。
「……話せ」
エレナが口を開こうとした、その瞬間。
聖堂の扉が、轟音と共に開かれた。
「動くなっ! 全員、武器を捨てろっ!!」
王国紋章を胸につけた、金装飾の甲冑騎士たちが、雪崩れ込んでくる。
騎士団は、この国で生きる者に、知らぬ者はいない、王国直属の精鋭騎士団。
レイン達が驚いた、一瞬。
隙を突き、エレナは声を張り上げ、騎士達に駆け寄る。
「助けてくださいっ!!この者たちに殺され…」
エレナが言い切る前に、二人の騎士が、両脇から無言でエレナの腕を捻り上げ、手錠をかけた。
「え……?」
エレナは状況を飲み込めず、困惑する。
隊長格であろう騎士がエレナの前に立ち、紙を広げ、読み上げる。
「エレナ・クロード……大教会により封印された禁術の持ち出しと使用、さらに権力の乱用、数々の秘匿……国家反逆罪の疑いから、貴様を逮捕する」
「っ!どうして……!?」
エレナが呆然と呟く。
「領主より告発があった……教会が貧民に禁術の実験をしていると。
お前の指示で情報の隠蔽をしていたが、罪の意識に耐えかね、自首した。」
騎士は淡々と告げ、部下に外に連れ出すよう指示し、エレナは連行された。
レインは呆気に取られ、反応が遅れる。
エレナに勇者グランの情報を聞き出す為、駆け寄ろうとする。
しかし、騎士二人が立ちはだかる。
「あなた方にも、事情を伺います。」
1人が丁寧に手を前に出してレインを止める。
レインはそれを払いのけ、エレナに駆け寄る。
「おいっ!待てっ!!」
騎士二人がレインを追いかけようとするのを、アイシャとルミナスが抑えつけ、足止めをする。
教会の外。
夜が明け、空はすでに日が昇っており、多くの民衆が集まっている。
生き残った聖女団の私兵や、エレナの側近であったシスターなどが連行されており、エレナも護送馬車へ歩かされる。
貧民だけでなく、それまでエレナを信奉した市民までもが、石を投げ、罵声を浴びせる。
レインは騎士達を振り切り、エレナの胸ぐらを掴み、息を切らしながら問い詰める。
「勇者グランの事を話せっ!
どうせお前は終わりだ……地獄に行くなら、道連れとして、全て教えろっ!!」
エレナは、ふっと笑った。
「今でも勇者なんて……貴方、おめでたいわね……グランはもう……」
エレナが語ろうとした。
瞬間。
乾いた音。
何が起きたのか、誰も理解できなかった。
次の瞬間、エレナの頭に風穴が開いていた。
血と脳漿が散り、糸が切れた人形のように、身体が崩れ落ちる。
「狙撃だ!」
騎士団が警戒態勢に入る。
民衆の悲鳴が響く。
「おいっ!!」
返り血を浴びながらもレインは、倒れたエレナに何度も呼びかける。
しかし、エレナは反応せず、既に事切れていた。
レインは遠くの建物に一瞬だけ反射した光を見逃さなかった。
「(狙撃手……しかも、熟練の……)」
ルミナスとアイシャも合流し、惨状にアイシャが驚く。
「そいつらを捕まえろっ!!」
騎士団がレインたちを取り囲もうとした。
レインは懐から煙幕を取り出そうとするも、
「しまったっ……!!」
逃走用の煙幕は改造フェニスとの戦闘で使い、手持ちを切らしていた。
絶対絶命のその時――
聞いたことのある声が聞こえた。
「レインさんっ! 今のうちに逃げてくださいっ!!」
混乱に乗じ、貧民たちが騎士団を妨害した。
レイン達はその場を離れようと人混みに駆け込む。
「……ありがとうございましたっ!!」
貧民の誰かの声がレイン達に向けられる。
「……礼を言うのはこっちだ……ありがとう」
レインは小さく呟き、人混みに紛れ、混乱と怒号の中、三人は聖都市を脱出した。
⸻
夜の森。
聖都市からの追手を振り切り、逃げ込んだ先で、レインとアイシャは膝に手をつき、息を切らす。
ルミナスだけが、変わらず直立していた。
「レイン……エレナを、殺したの?」
アイシャが聞く。
「違う……誰かは知らないが、反射光と距離から見て、相当な狙撃手だ」
レインは短く答える。
「これから、どうなさいます?」
ルミナスの問いに、レインは一瞬考える。
「西方だ……それ以外にグランの情報は知らん。ただし、途中にある王都へ行く」
レインは木にもたれかかり、手で口を抑える。
「う……ぐっ……」
咳が、止まらない。
「大丈夫ですか?
もしや、先程の戦闘で負傷をされましたか?」
ルミナスが問う。
「ここまで、連戦だったから無理しないで。
一旦、近くの村で休む?」
アイシャも、レインを気遣う。
「……問題ない」
レインは口元を押さえ、二人から顔を背けた。
見えない場所で、手のひらを見る。
赤。
エレナの返り血でない、レインの口から吐かれた血だ。
――時間は遡る。
異形襲撃前。
地下でシャービスがレインの足に補助器具を着けていた時。
痛み止めの煙管タバコを吸うレインに、シャービスが聞いた。
「……いつから、それを吸っている?」
レインは隠さず答える。
「……痛みを感じ始めたのは2年前……その時は3日おきだったが、今は一日数回は吸ってる」
シャービスの表情は重くなり、一拍おいて、レインに話した。
「正直に言おう……呪具製作による呪いの後遺症で、あんたの身体は、思っている以上にボロボロだ」
レインも承知の為、驚かない。
しかし、シャービスの表情から、状況を聞く。
「……俺の体はどれくらい、保つ?」
シャービスは口を重く開け、告げる。
「いつ死んでも、おかしくない……俺はモグリの医者で、呪術に関しては専門外だ。
だが、今のあんたの体は、歩いているだけでも辛いはずだ……」
記憶が途切れる。
⸻
レインは、シャービスに言われた事を思い出した、血を握りしめた。
「……時間が無いんだ」
死は怖くない。
過去のレインは既に奈落に落ちて、死んだ。
だが、復讐を成せないまま、死ねない。
勇者グラン。
最後の復讐対象。
レインに、残された時間は、もう多くない。




