26話 六章 聖女エレナ⑥
異形襲撃より少し前。
静まり返った応接間に、甘い香りの茶気が漂っていた。
豪奢とは言えないが、無駄のない調度。
聖都市を治める領主の屋敷。
その応接間で、小太りの中年男、領主のバスティンが、背を丸めるようにして来客を迎えていた。
「こ、これは……司教様。わざわざお越しいただき……」
エレナは、にこやかに微笑む。
白い衣の裾を揺らし、まるで散歩の途中に立ち寄ったかのような軽やかさで、応接間の椅子に腰掛けた。
「そんなに畏まらなくて結構ですよ。
私はただ……少し、お話をしに来ただけですから」
領主は喉を鳴らし、向かいに座る。
エレナは、紅茶を一口含んだ。
「これから、多少の混乱が起きるでしょう。」
さらりと、何でもないことのように言う。
「ですが、今まで通りで構いません」
「……今まで、通り?」
「王国への報告は誤魔化し、街の内情は、外に漏らさない。
すべて、“治安維持のための一時的措置”として処理するよう、情報統制をお願いします。」
やり取りの中、領主が冷や汗を流すのに対し、エレナは淡々と告げ、微笑みは崩れない。
「そ、それは……」
「何か問題でも?」
領主は、怯えた声で伺う。
「……私は、王国に従うだけの男です。
もし……街の人々に危険が及ぶようなことがあれば……!
領主として、問題が起きると――」
エレナは、首を傾げる。
「……不思議ですね」
穏やかな声。
「私がこの街に赴任してから、どうなりました?」
エレナは前のめりに語る。
「聖都市と名ばかりで、不衛生で貧民の蔓延っていた街を……私は私財を投げて保護院を設立し、街を清め、“病原”を根絶しました。
その結果、街は清潔になり、犯罪率も下げました。
誰もが住みたくなる“神の街”として価値は向上し、王国からの評価も、確実に上がったのです」
領主の顔が、強張る。
「価値のなかったこの街に、私は“価値”を与えたのです。
それを失えば……困るのは、誰でしょう?」
エレナは、にっこりと笑った。
「その功績で、あなたの地位も守られた……違いますか?」
沈黙。
「司教様……それには、感謝していますが……」
「……結果がすべてでしょう?」
エレナは楽しそうに言った。
そして、静かに告げる。
「それに、私達がこれから行うのは“浄化”です。不要なものを削ぎ落とし、街を正しい形に戻すための……ね」
領主は、何も言えなかった。
エレナは立ち上がり、扉へ向かう。
「これからも、よろしくお願いします。
……良い領主様」
扉が閉まる。
応接間には、冷えた茶と、言葉を失った男だけが残された。
⸻
そして、現在。
地下。
崩落の衝撃が、まだ耳鳴りのように残っていた。
瓦礫の隙間を縫うように、人々は逃げ惑っていた。
血の匂い、埃、悲鳴。
そして、異形。
水晶の一つ目を光らせ、なおも立ち上がろうとする人造の魔物。
「――アイシャ!!」
レインの叫び。
だが、間に合わない。
背後から振り下ろされる、両腕の剣。
次の瞬間。
鈍い音が響き、刃が、肉を貫いた。
「……っ」
飛び散る血。
だが、それは、アイシャのものではなかった。
「……シャービス……?」
異形の前に立っていたのは、シャービス。
腹を貫かれ、血を吐きながらも、彼は崩れ落ちない。
「……ぐっ……はっ」
アイシャが目を見開く。
「なんで……っ!!」
シャービスは、苦しげに笑った。
「……悪いな……最後まで……迷惑かけて……」
震える手で、彼はアイシャを見る。
「……助けてくれて……ありがとう……
それと……あんたの言葉……」
息を整えながら、続ける。
「……理解してほしいなら……向き合え、って……
あれ……救われた……」
その手に、導火線に火のついたダイナマイトが握られていた。
異形が危険を察し、刃を引き抜こうとすると、シャービスが貫かれた刃を掴む。
「シャービスッ!!」
アイシャが叫ぶ。
「……これで……ようやく、向き合えた」
シャービスは首を振り、アイシャを見て最後に言った。
次の瞬間。
爆炎が舞い、轟音と衝撃が空気を揺らす。
異形と共に、シャービスの姿は、光と瓦礫に飲み込まれた。
「シャービスッ!!」
アイシャの叫びが、轟音に掻き消される。
異形の乱入、爆発の衝撃により、天井が崩れはじめる。
「行くぞッ!!」
レインが、アイシャの腕を掴む。
ルミナスも、二人を支える。
地下が、完全に崩れ落ちる前に、彼らは闇の中へと、逃げ込んだ。
⸻
真夜中。
地下道を抜けた先は、聖都市の郊外だった。
冷たい夜風。
星のない空。
逃げ延びた人々は、膝をつき、呆然と夜を見上げていた。
「……これから……どうすれば……」
誰かの呟き。
アイシャは、黙ったまま、俯いていた。
レインが煙管タバコを吹かしながら、資料の束を放り投げる。
「……何、これ?」
アイシャは、資料を見る。
血に汚れた紙。
保護院で回収した記録。
「異形の正体だ……ここに書いてあった」
レインは、淡々と語る。
「呪具製作の習得過程で知った、禁術だ……
人や動物、魔物の死体を繋ぎ合わせ、
核である水晶に、魔力を据えて動かす……人造魔物だ。
場所がバレたのも、嗅覚が優れた魔物と掛け合わせた異形に、覚えさせたからだろう……」
アイシャの手が、震える。
レインは、資料の一枚を指で叩いた。
「あれは生物でも魔物でもない……だから、ルミナスの鑑定眼も弾かれた。
死体を継ぎ接ぎにして、魔力で無理やり“動かしてる”だけの代物……存在の定義が、世界の理から外れてる。
鑑定がエラーを吐くのも、当然だ」
ルミナスは静かに頷く。
「確認しました。
私の鑑定基準では、生命、魔物、構造物、いずれにも分類できません」
レインは煙草の煙を吐きながら、語る。
「エレナが一線を超えた理由は不明だが……法にも倫理にも触れ、禁忌とされている禁術に手を出している。
……俺の呪具作りとは、規模が違う。比較にならない」
視線を上げる。
「これまで消えた人間も……おそらく材料だ」
沈黙。
アイシャは、白無垢の太刀を握った。
薄紅色に染まった鞘。
そして、一歩、踏み出す。
「……アイシャ」
レインが言う。
「止めないで……あいつらを切り刻まないと気が済まない……」
アイシャが振り返り、レインに言う。
「違う……俺も行くんだ」
反対すると見越していた為、レインの発言にアイシャは驚く。
今までレインは作戦を立て、相手の弱点や隙を見つけ、絶望に叩き落としていた。
「なんで……?」
アイシャが問うと、レインは煙草を吸いながら、足の補助器具に視線を落とす。
「シャービスに、借りを作ったままだ……」
ルミナスが、静かに並ぶ。
「マスターが行くなら、同行します」
三人は、夜の中を歩き出す。
裏道でも、地下でもない、聖都市の正面へ。




