24話 六章 聖女エレナ④
闇夜の保護院に警鐘が鳴り響く。
シャービスは独り、闇の中を進んでいた。
シャービスは、一度だけ振り返り、レインの姿がないことを確認する。
「……悪いな」
レイン達が聖女団を引きつけている間、
保護院の警備は一時的に分散される。
シャービスが向かっているのは、案内した棟とは正反対。
最も忌避され、同時に最も重要な場所だった。
扉を押し開けた瞬間、異臭が鼻を突く。
死臭。
そして、薬品の刺激臭。
薄暗い室内には、乱雑に置かれた器具、血痕の残る手術台。
胸を開かれたまま放置された死体。
臓器の欠けた骸が、物のように積まれている。
棚には薬品と書類。
実験記録、投薬経過、適応・不適応の判定。
人を人として扱っていない文字列が並ぶ。
だが、シャービスはそれらに目もくれず奥へと進む。
「……変わってなければ、こっちだ」
吐き捨てるように呟き、扉を開けて牢部屋へ。
鉄格子の向こうに、まだ生きている人間がいた。
衰弱し、怯えているものの、確かに息をしている。
「……動けるか」
シャービスが声をかけると、
何人かが、信じられないものを見るような目でこちらを見た。
「シャ……シャービス?」
「今はいい。出るぞ」
鍵をこじ開け、次々と人を解放する。
肩を貸し、支え、導く。
「なあ、アメリアは何処か知らないか?」
シャービスが牢屋から出てきた1人に聞く。
返答が返る間もなく、
その瞬間、大きな音と共に断末魔が響く。
先に牢屋から出た男が袈裟斬りにされて倒れた。
「止まれ! そのまま牢屋に戻れっ!!」
聖女団の私兵が血に濡れた剣を構えて、シャービス達に、にじり寄る。
シャービス達は追い詰められる。
その後、鈍い音が響き、私兵が顔から倒れる。
「シャービス……」
息を切らしたレインが杖を握りしめ、立っていた。その後ろにはアイシャも息を切らし、シャービスを睨みつける。
「あんた等っ……! 生きていたのかっ?!」
これにシャービスも驚きを隠せない。
アイシャはシャービスに睨みつつ、その後ろにいる囚われていた人々を見る
「彼らは誰なんだ、シャービス……シャービス……?」
レインが問い詰めるも、シャービスの視線は部屋の隅に積まれた死体の山に向き、佇むレインとアイシャを押しのけて走り込む。
彼の足が死体の前で止まり、微かな声が、奥から聞こえた。
死体が収められた一角。
積み上げられた布の下から、見覚えのある指先が覗いていた。
震える手で、布をめくる。
そこにいたのは、
胸を切り開かれ、事切れた一人の女性。
「……っ」
シャービスは膝から崩れ落ちた。
彼は、ようやく辿り着いた“答え”を前に、何も出来なかった。
その手を取り、額を寄せる。
「……うぅ……うぁあ…あ……」
声にならない嗚咽が、喉から漏れる。
牢から解放された一人が、震えながら呟いた。
「……あの人……シャービスの奥さん、アメリアさんだ……捕まった時、一緒だった……」
その言葉が、場を凍らせた。
しかし、アイシャは違い、背中越しでも伝わる殺気と怒りが漏れていた。
そこへ、剣を手にした聖女団が5名ほどなだれ込んでくる。
「逃がすなっ!」
「汚物どもを始末しろ」
レインが杖を構える次の瞬間、
白い閃光が走った。
「へっ? 私のから…だ……」
聖女団の私兵達は自分の首が落ちたことを理解する前に、世界を失った。
遅れて、体が崩れ落ち、肉塊と血の海のみが残る。
アイシャは白無垢の太刀を納刀する。
彼女の心情が投影されるかのように、真っ白な鞘が薄紅色に染まる。
レインも沈黙し、静寂の中、アイシャがシャービスに足を運び、睨みつける。
「……どういうつもり?」
シャービスは、妻の手を離さず、顔も上げない。
「……憎いなら、憎めばいい」
掠れた声で、言う。
「俺みてぇな奴も、あそこにいた連中も……誰も助けちゃくれねぇっ!!
綺麗事じゃ、何も変わらねぇんだ……」
遺品を握りしめ、続ける。
「誰かを騙さなきゃ……利用しなきゃ、目的なんて、果たせねぇ……」
その背に、怒りが立ち上る。
アイシャだった。
震えるほどの怒りを抱えながら、彼女はシャービスの胸ぐらを掴み、言い放つ。
「……私も、姉を理不尽に殺された……
家族を失う気持ちは、分かる……
だが、私たちを騙した事は別だっ!!」
拳を握りしめ、声を荒げる。
「理解してほしいなら……向き合え!
一人で全部背負って、他人を利用して……
自分達だけが被害者だと思うなっ!!」
アイシャは目を離さず、シャービスを睨み、シャービスも目を見開き、沈黙する。
その瞬間。
再び、重い足音。
瓦礫を踏み砕きながら、現れたのは、浅黒い肌で筋骨隆々の女。
「へぇ……随分やってくれたじゃねぇか」
聖女団隊長の一人、コリアが床に転がる死体を見回し、笑う。
「これは、誰がやった?」
答えるより早く、アイシャが斬りかかる。
だが、籠手が、刀身を掴んだ。
「うらぁっ!」
コリアは口角をあげ、余裕を見せる。
そのまま、アイシャは振り回され、壁に叩きつけられた。
壁に打ちつけられる鈍い音と共に、アイシャは倒れる。
「アイシャっ!」
レインが駆け寄ろうとした瞬間、空気を裂く音。
どこからか斬撃。
レインは咄嗟に身を翻すも、肩に痛みが走り、血が滲む。
「……っ!」
視線の先。離れた距離に影の中で、痩せた女。もう一人の聖女団隊長、スージャが立っていた。
「あの距離から……?」
レインはスージャの位置からどうやって攻撃したかと警戒する。
スージャは鉤爪についた血を、舐めながら、笑う。
「……ふふ…思ったよりいい男。」
コリアがシャービス達に、指を鳴らしながら、ゆっくりと近づく。
「次は……」
だが、再び、白刃が走る。
アイシャがコリアを斬りつけ、血が飛ぶ。
「……ほう」
コリアは、斬りつけられ、傷のついた腕を見て、痛みに悶えず、感心したように笑った。
その瞬間。
「退くぞ!」
レインが煙幕を叩きつけ、白煙が、建物内を覆い尽くす。
視界が奪われる中、
レインは棚から資料を一式掴み取る。
「シャービスっ……俺達を囮にする計画なら、他の逃げ道も用意してあるな?」
レインの一言に、シャービスは無言で頷き、先導した。
煙が晴れる頃、そこに、レイン達の姿はなかった。
そこにあったのは、倒れた聖女団の死体と、
荒らされた実験室だけだった。
「……クソがぁッ」
コリアが激昂し、瓦礫を蹴り飛ばし、拳を壁に叩きつける。
石が砕け、粉塵が舞った。
床に転がる仲間の死体を見下ろし、
怒りを隠そうともしない。
「囲んでたはずだろ……!あのガキ共……!」
感情のままに、周囲を破壊し始める。
棚が倒れ、器具が砕け、血の跡がさらに広がる。
その背後で、スージャは静かに立っていた。
鉤爪についた血を、じっと眺めている。
「あらら……引き際は心得ているようね。
捕まえれば……いい声で鳴きそう。」
指先で血をなぞり、舐め取りながら、呟く。
そんなスージャに、コリアが振り返り、怒鳴る。
「笑ってんじゃねぇぞ、スージャ!
目の前にいながら――」
その言葉が、途中で止まる。
室内の空気が、変わった。
静かで、
圧倒的な存在感。
足音ひとつ。
聖女団の者たちは、反射的に振り向き、
その瞬間、全員が膝をついた。
「……司教様」
白い衣をまとい、
柔らかな微笑を浮かべた女。
エレナが、そこに立っていた。
「…………」
無言の圧力、その場の誰一人、顔を上げられない。
コリアも、歯を食いしばりながら頭を垂れる。
「……申し訳ありません。
侵入者を、取り逃がしました」
スージャも、静かに跪く。
「……私達の不手際です」
しばしの沈黙。
エレナは、ゆっくりと室内を見渡す。
壊れた実験台。
散乱した資料。
倒れた聖女団。
そして、スージャの鉤爪に残る、まだ乾いていない血。
エレナは、ふと足を止める。
「……それは?」
スージャが、指先を掲げる。
「侵入者の血です。少し、掠りました」
エレナは、微笑んだ。
「……そう」
優しく、満足そうに。
「問題ありません」
顔を上げた者はいない。
だが、その言葉の意味は、はっきりと伝わった。
「この街にいる限り、逃れることは、できません。」
エレナは、静かに言葉を続ける。
「今度はこちらから……」
ゆっくりと踵を返しながら、告げる。
「聖女団は負傷兵の治療と再編成を。
それと……“狩人”の準備を」
最後に振り返り、微笑む。
その声だけが、
死と血の残る室内に、静かに響いていた。




