23話 六章 聖女エレナ③
夢の中で、少女は空腹だった。
雨漏りする田舎の荒屋。
床に転がる酒瓶と、吐瀉物の臭い。
父は働かない。
酒を飲み、苛立てば拳を振るう、生産性のない男だった。
母は美しかった。
それだけが、彼女に与えられた価値だった。
だが、その価値を、正しく使わなかった。
父のような安い男に身を売り、稼ぎは夫に奪われ、身体を壊し、やがて病で死んだ。
父もまた、ある日、何の意味もなく死んだ。
冷たくなった両親の死を悲しむ者は誰もいなかった。
残された少女は知った。
この世界では、
価値を持たぬ者は、踏み潰される。
そして、価値を持ちながら、それを使わぬ者もまた、無価値なのだと。
少女は教会に拾われ、育てられた。
学び、祈り、やがてシスターとなる。
独学で治癒術を学んだが、才能には限界があった。
――ならば。
少女は、母譲りの容姿を使った。
体を売る必要はない。
微笑み、近づき、取り入り、上へと登る。
価値は、最大限に活かすべきものだ。
やがて少女は、聖女と呼ばれ、
将来を約束された存在となった。
何も生み出せないもの。
汚れ、腐り、足を引く存在は、排除すべきだと、少女は自然に思うようになった。
そこで、夢は終わる。
エレナは、静かに目を開いた。
「胸糞悪い夢……」
薄明かりの差す寝室。
柔らかなシーツの感触。
ノックと共に、扉が開く。
「司教様」
若いシスターが一礼した。
「街にて、レインの目撃情報がありました。
信者達が独断で捜索しましたが、発見できず……報告が遅れました」
エレナは眉一つ動かさない。
「……そう」
彼女は静かに立ち上がり、衣を整える。
「……下がりなさい。
それと……聖女団の招集を。」
若いシスターが一礼して退室する。
やがて、教会の広間。
白い石床に整列するのは、数十名の聖女団。
全員がシスター服に身を包み、その下には白銀色の軽装鎧、腰には剣。
顔の下半分は覆面で隠されている。
異様な集団の中で特に目立つ、最前列に立つ二人。
浅黒い肌、筋骨隆々の女戦士――コリア。
シスター服は身体に張り付き、鎧籠手に包まれた拳が異様な圧を放つ。
もう一人は、痩せ型の女――スージャ。
細く長い鉤爪を静かに垂らし、影のように佇んでいる。
エレナは壇上から語りかけた。
「……この街に、我らに仇なす敵が入り込みました。聖なる秩序を乱し、この街を汚そうとする存在です」
エレナの言葉に、空気が張り詰める。
コリアが一歩前に出て、大きい声を発する。
「司教様っ! 俺がその男を見つけ出し、首を献上いたしますっ。」
スージャが粘着質な口調で割り込む。
「あなた、死体の判別つかないくらい潰すから、不得意でなくて?
野生動物の方が綺麗に仕留めるわ。」
2人は流し目で睨み合う。
一触即発の空気となるが、そんな2人にエレナは睨みつけると、2人は一歩引く。
「慌てることはありません……悪魔はいずれ、自ら姿を現します」
静かな声が聖堂に響く。
⸻
夜。
聖都市地下で、レイン達はシャービスと向かい合っていた。
「……お前達に頼みたい事がある」
シャービスは言った。
「保護院に潜入して、あるものを探して欲しい……」
「襲撃じゃないのか……何を探せばいい」
レインが問い返す。
「……詳しくは言えないが、それが有れば、状況を覆せる……だが、俺が捕まってたのは、もう2年以上前だ。
増築も改修もされてる……確かな情報は渡せねぇ」
シャービスは続ける。
「物は俺が探す……可能な限り、俺が先導する」
レインは熟考する。
そんなレインにアイシャが小声で耳打ちする。
「本当に大丈夫? 何を探すかもわからないのに、いきなり敵のど真ん中で、潜入して何かあったら……」
アイシャに続き、ルミナスも耳打ちする。
「アイシャ様の意見に一理あります。
不利な状況は否めませんが、危険を冒すリスクに見合うか定かではありません。」
2人の懸念は当然だ。
だが、このまま地下に籠っても進展はない。
そしてー
「……価値は俺が判断する。
選択肢が限られた今、できる事をするだけだ。」
レインの一言にルミナスは何も言わず一歩引き、アイシャも不安を感じたが、これ以上は何も言わなかった。
「……決まりだな。」
シャービスの不気味な笑みで、会議は締められた。
⸻
レイン達は準備を終え、夜更け。
シャービスの案内で下水道をレインとアイシャは進んでいた。
今回、ルミナスには地下で待機させた。
万一の際、12時間以上戻らなければ救出に動く。それが、最低限の保険だった。
しばらく下水道を進むと、シャービスがここだと指を差し、梯子に到達する。
レイン達は梯子を登ると、地下出入口を見つける。
床を抜けると、ほこりが舞い、レイン達は口を押さえながら、侵入する。
灯りは無く、手探りで木箱や用途のわからないガラクタの乱雑さから、保護院倉庫と察する。
レインは扉を見つけ、ゆっくりと開けて倉庫外に出る。
驚くほど静まり返った保護院。
異様なほど清潔な中庭。
多くの棟が立っており、入り組んだ構造を、シャービスが再び先頭に立ち、迷いなく進む。
「……何処に向かっているんだ」
レインが小声でシャービスに問いかける。
「変わってなければ、こっちに資料室がある筈だ……建物の見取り図もあると思う。
今の時間なら、ここには見張りはいねぇ」
情報収集としては申し分ない場所だ。
運が良ければ保護院邸内の地図を見つけられるかもしれない。
レインはシャービスに導かれるまま、指差す方向に、レインとアイシャが曲がり角を覗き込む。
だが――
曲がり角で、聖女団の一般兵二人と鉢合わせた。
訓練された彼女達は声を上げず、内の一人が警笛に口をつける。
レインとアイシャは瞬時に無力化する。
「どういう事っ……! 見張りは、いないんじゃなかったのっ!!」
アイシャがシャービスを睨み、小声で問い詰める。
次の瞬間、空気を裂くような音が、建物全体に響き渡る。
無力化された内の一人が、気絶し切る前に警鐘を鳴らす。
その音と共に、聖女団が大勢駆け込み、レインとアイシャを囲んで剣を抜く。
レインは杖で応戦し、アイシャも白無垢の太刀で捌き、無力化する。
「嵌められたか……」
レインは唇を噛み締め、対処する。
「レインっ! シャービスがいないっ!!」
アイシャの叫びでレインは振り向く。
気づけば、シャービスの姿が消えていた。
2年以上前にも関わらず、迷わず先導し、続々と集まる聖女団、姿を消したシャービス、
レインは悟る。
この構造、この動線、見つかるタイミング。
「俺達は、囮に使われた……」
警鐘の音は止まらない。
遠くから、続々と重い足音が近づいてくる。
レインは、杖を握り締めた。
聖なる街の地下で、
復讐は、また一段深い場所へと踏み込んだ。




