22話 六章 聖女エレナ②
一難去ったが、レイン達の緊張は続く。
石蓋の向こうは、冷たい闇だった。
ランタンの灯が揺れ、湿った空気が肺に絡みつく。
足元を流れる水音と、遠くで反響する滴下音が、聖都市の喧騒を完全に遮断していた。
レイン達は、助けてくれた醜い小男を先頭に下水道を歩く。
「……ヒヒ……足元、気をつけな」
小男はランタンを揺らしながら案内する。
アイシャは白無垢の太刀の鯉口を切り、いつでも対処できるようにしていた。
時折、小男は不気味な笑みを浮かべながら、こちらを確かめている。
「(ねえ……ついていって大丈夫? 正直怪しいけど……)」
「…………」
アイシャがレインに小声で耳打ちした。
しかし、レインは返答せず足を運ぶ。
その懸念は正しかった。
だが現状、頼るものも作戦もないため、無作為に動くのは得策ではない。
そのため、小男の案内にレインは無言で従った。
下水道は複雑に枝分かれし、しばらく進むと、やがて天井の高い空間へと出る。
そこで、目に入った光景に、三人は言葉を失った。
開けた空間の壁際には、ボロ切れを纏った人々が、座り込むように、あるいはうずくまるようにして身を寄せ合っていた。
痩せ細った身体、汚れた包帯、虚ろな目。
外から来た、レイン達を見て怯える
不衛生な臭気と、かすかな呻き声。
地上の聖都市とは、あまりにも対照的な光景だった。
アイシャは思わず拳を握り、ルミナスは視線を静かに巡らせる。
誰も声を出さなかったが、同じ衝撃を受けているのは明らかだった。
そこからさらに、小男がランタンを掲げながら、レインを案内しつつ語る。
「ここにいるのはな……元は、地上のスラム街や街外れだのに住んでた連中だ……
紹介が遅れたな…俺はシャービス。医者の真似事をしている。」
低く、不気味に擦れた声で、シャービスと名乗る小男は語り続ける。
「3年前まで聖都市なんて名前だけの街で、どこも汚れて、荒れていた……
だが、あの女がこの街の教会に赴任してから変わった。
炊き出し、施療、保護院の設立……赴任して1年経たずに、街は清潔になり、行き場のない人間が減った。」
彼は鼻で笑いながら語ると、レインが問いかける
「……じゃあ、なんでお前達は入所しない?」
シャービスが重く語る
「……生きて戻れねぇ場所だったからだ。
俺は元々、貧民街でモグリの医者をやっていたが、何人かが保護院に入って以降、連絡が取れなくなった……
その中に患者もいたから、確認のために訪れたが、病気だの理由をつけて面会謝絶を言われた……あいつらは何かを隠している。」
3人は息を飲み沈黙する中、
アイシャが、恐る恐る口を開く。
「それだけで怪しいなんて……本当に病気だったんじゃ……」
「……これを見てもそう言えるかい?」
小男は、ゆっくりとローブの裾を掴んだ。
次の瞬間、アイシャは手で口を押さえ絶句し、レインも表情が凍りつき、目が見開く。
布の奥から現れたのは、膝から下が存在しない脚だった。
断面は鉄で覆われ、無骨な義足が取り付けられている。
明らかに治療ではなく、切断の痕。
「追い払われた晩、教会の人間達が俺を捕まえに来たんだ。
保護院の地下に連れて行かれて真実を知った……あいつらは仲間達に何らかの実験……
いや、拷問をしていたんだ」
足を見せつける小男の声に、怒りはなかった。
あるのは、諦観だけだった。
「薬物や手術…思い出すだけでも悍ましく、断末魔が今も離れねぇ……
俺も同じ事をされて、このザマだ。」
「……どうやって生き延びたんだ」
語るシャービスにレインが口を開く。
「死んだ奴は別の場所に棄てられる。
あの時、足がなくなり、小さくなった体格で死体に潜り込んで、脱出した……」
沈黙が落ちる。
地下の人々の姿、地上の美しさ、シャービスの語りに誰も反論しなかった。
それが事実である証明だった。
シャービスは空き箱に腰を下ろし、ランタンを下げる。
「ここにいる連中はな、最初から保護院を拒んだ奴か……俺みてぇに、何とかあそこから逃げ出した奴らだ」
ルミナスが静かに言う。
「貧困層や衛生面の原因となる存在を排除。
地上があれほど整然としている理由ですね」
「そうだ……あの女の目的は分からねえが、汚いものは積極的に排除する……街も人も綺麗だっただろ?」
シャービスは自嘲気味に笑った。
「……エレナは司教なんでしょ?
もっと偉い人に告発したり、外に助けを求めれば……」
アイシャが問いかけた。
「最初は考えたさ。
だが、この街は上から下まであの女の支配下だ……外部に連絡もできず、街を脱出しようものなら、排除される」
アイシャは信じ切れない表情となる。
レインは、一歩前に出る。
「……なぜ、俺達を助けた?」
シャービスは一瞬だけ、鋭い目を向ける。
「……あの連中の言葉だ。“エレナ様が言っていた通り”ってな」
短く息を吐く。
「恐れられてる。あんたは、あの女にとって“排除対象”だ……だから、頼みがある」
レインは黙って聞いた。
「詳しい話は明日だ。今日は、ここで休め……見つかれば全員終わりだ。無駄に動くな」
そう言い残し、シャービスはランタンを持って闇の奥へと消えた。
残された空間には、再び静寂が戻る。
簡易的に用意された寝床に横になりながら、レインは天井の染みを見つめていた。
「(……エレナ)」
レインの記憶の中での彼女は、計算高さと人身掌握に長け、よく言えば才女、悪く言えば悪女であったが、狂気的な人物ではなかった。
権力を求めるのであれば、聖女として微笑み、人を導く女となるはずだ。
「(これが……本性なのか……)」
答えは、まだ出ない。
だが一つだけ、確かなことがある。
聖なる街の地下で、
レインは、敵の輪郭を初めて正確に見た。
静かな闇の中で、
復讐は、次の段階へと踏み込もうとしていた。




