10話 三章 戦士ブロウ④
一週間。
アイシャにとって、その一週間は、終わらない夜を彷徨う旅のように長かった。
ルミナスの鍛錬には無駄が無く、合理的な一方で、疲れを知らないオートマタらしく、容赦がなかった。
厳しいが、アイシャの中で、確実に体の動きに変化を感じていた。
武器の重さを意識せず、手足の延長のように操れるようになっていた。
だが、鍛錬の度に、あの瞬間が蘇る。
人を斬った手応え。
返り血の温度。
倒れた兵士の目。
夜は眠れず、朝は手が震えた。
吐き気すら覚えた。
それでも白無垢の太刀だけは――静かに寄り添っていた。
握る度に、冷たさではなく温もりを伝え、
心拍を沈め、雑念を薄めていく。
この一週間、アイシャは刀に触れている時だけ眠れた。
そして、今日。
空気そのものが、ざらりと震えていた。
街全体がざわつき、血の匂いを孕んだ熱気が渦巻く。
中央広場――。
アイシャは、息を止めた。
かつて姉の首が晒された場所。
その中央に、巨大な舞台が設置されている。
赤布、黄金、黒い旗、そして大量の観客。
その中央で、ブロウは笑っていた。
「さあ! 本日の戦霊祭は特別だぁ!!」
進行役の男が喉を裂けるほど声を上げる。
歓声と罵声と賭け声が、渦のように回る。
ルミナスが小声で呟く。
「……盛況ですね。先週、ここに晒し首があったと言うのに。」
レインは、煙管タバコを吸い込みながら、
ブロウを見上げたまま目を細める。
「……派手だな。
自分の価値を確認しないと死ぬ病気らしい。」
レインの口から、タバコの煙が溜息と共に吐かれる。
アイシャは喉が震えているのを自覚した。
足は重く、心臓が痛い。
だが、握る白無垢の太刀は温かく、静かだった。
進行役が叫ぶ。
「それでは今年も戦霊祭の始まりだぁ!! 治癒師が控えてる!死ななきゃ大丈夫だぁ!!最初の挑戦者ッ!!!」
在野の戦士が舞台へ。
肩に巨大斧、筋肉の城壁。
ブロウが大剣を肩に担ぎ、笑う。
「来い。」
斧が振り上がった瞬間――
剣閃。
観客が息を吸うより早く、
戦士の胸が割れた。
血が噴き、観客がどよめき、
戦士は倒れた。
ブロウの大剣は血一滴も付かず、ただ光る。
「次は誰だァ!!」
二人目。
三人目。
四人目――
全員、瞬殺。
観客は狂乱の声を上げる。
「最強!最強!最強!!」
アイシャは静かに息を吐いた。
心臓が早く鼓動する。
だが、太刀が落ち着きを与え、恐怖が熱へと変換されていく。
レインは笑っていない。
目が獲物を捉える獣の目だった。
「……そろそろだ、アイシャ。」
レインが呟く。
少女の喉が鳴った。
足が震え、視界が揺れる。
それでも。
アイシャは舞台へ歩いた。
人混みを割り、
観客がざわつく中、アイシャは舞台へ歩き――
そのまま跳び上がり、着地。
「えっ?……女の子?」
「…………。」
膨大な視線が少女を刺し、観客がざわめき立つ。
「子供?!」
「ふざけんな!」
「帰れ!」
しかし、ブロウは笑った。
「ははっ、面白い。」
ゆっくりと大剣を担ぎ、アイシャを見る。
「挑戦者は歓迎だ。名乗れ、小娘。」
アイシャは、刀を抜き、構えた。
白い刀身が陽光を浴びると、
まるで彼女を守るように微かに揺らめいた。
少女は言う。
「アイシャ……あなたに殺されたシスターエルミナの妹っ!!
ここであなたを討つっ!!」
会場が静まる。
進行役は慌てて叫ぶ。
「異端女の妹っ!!
衛兵っ!こいつを直ぐに衛兵捕まえ――」
ブロウは進行役に言葉を遮る。
「構わん。
仇討ちに来たんだろう? 望み通り殺してやる。」
アイシャは太刀を握った。
震えはもうなかった。
「(姉さん……見てて。)」
白無垢の太刀が横に流れ、
風が静まり、
観客の息が止まった。
レインの低声が届く。
「行け……今はお前の戦いだ。」
戦いの火蓋は切って落とされた。
ブロウの大剣が、地を割るような轟音と共に振り下ろされる。
だが、白無垢太刀がわずかに触れただけで、
その一撃は逸らされた。
甲高い音が鳴り、大剣の勢いは斜めへと逸らされる。
次の瞬間、回避。
足は迷わず地を踏む。
二撃目。
三撃目。
四撃目――
全て捌いた。
観客が言葉を失う。
ブロウが苛立ちを露わに噛み締める。
「小娘がァッ!そんな細い剣でこの大剣を捌ききれるかぁっ!!」
重い斬撃。
轟音。
風圧。
それら全てを、最短距離で受け流す。
アイシャは無駄打ちなど一度もせず、最短距離の避けと捌きだけを繰り返す。
まるで稽古場での動きをそのまま再現しているかのようだった。
ルミナスが教え込んだ、無駄のない型。
雑念を切り捨てた足運び。
体力差と筋肉差を、効率のみで埋める動き。
そして、反撃が始まる。
一太刀、肩へ切り込み。
小さく切開。血が零れる。
二太刀、腕へ。
浅いが避けられず、血が滴る。
三太刀目――脇腹。
ブロウの息が荒くなる。
「(まずい、血を流し過ぎた……)」
ブロウは痛みでなく出血そのものに焦り、大剣の軌道が乱れはじめる。
焦りが発生し、さらに太刀を受ける角度が崩れる。
観客がざわつき始める。
「ブロウ様が……押されてる……?」
「嘘だろ……あんな子供に……?」
血が溜まり、地に滴り落ちる。
「(俺がこんな小娘に翻弄されている……?英雄と呼ばれた俺が……?)」
ブロウは現実を信じきれず、思考が反芻する。
次の瞬間、ブロウは大剣を上段に掲げる。
「そんなの……認めるかァッ!!!」
ブロウは吠え、怒り任せに踏み込む。
全力の一撃を叩きつけた。
その瞬間。
世界が音を失う。
アイシャは刀を納め、抜刀術の構え。
抜いた。
刃光が一閃。
音が遅れて空を裂いた。
太刀筋は舞台の端まで一直線に走る。
ブロウの胴が袈裟斬りに揺れた。
次の瞬間。
血が噴き荒れ、赤い雨が舞い、観客が絶句する。
ブロウは膝をつき、大剣を落とし、
震える指を地面に突き刺した。
「ば……かな……」
アイシャは呟いた。
「姉さん……終わったよ……」
血飛沫を浴びても、刀身は以前と変わらず白さを保っていた。
ここに戦士としてのブロウは死に、一幕は終わった。
すぐに人々が動く。
側近、騎士、大臣、医療師。
多くの者がブロウへ駆け寄る。
「治癒を!早く治癒を!」
倒れたブロウへ治癒師が駆け寄る。傷は深いが致命には届いていない。
治癒師が傷口を覆い始め、治癒魔法を発動する。
しかし、
「ぎゃあアアアアアアアアッ!!!」
ブロウが喉を裂かんばかりの悲鳴を上げた。
身体を折り曲げ、地面を叩き、
治癒師を殴り飛ばす。
「な……治癒魔法だぞ!?なぜ!?」
「ブロウ様!?何が――!」
観客が凍りつく。
治癒魔法の光が肉へ触れるほどに――
「貴様ぁ!!その刃に毒を盛ったかっ!!」
大臣であろう男がアイシャに怒号する
アイシャは困惑した声を漏らす。
「毒……?違う……そんなもの、私は…」
レインだけが笑った。
その目は冷たい光を宿す。
「やはり……そういうことか。」
ブロウは歯を砕きながら吼える。
「ふ……触れるなァ……!!!」
治癒師を殴り飛ばすほどの拒絶反応。
治癒は治癒として成立している。
だが、苦痛が異常すぎた。
観客はざわめき、怯え始める。
「どうなってるんだ……?」
「魔法が逆に苦しめている……?」
「治癒は助ける魔法だろ……!?」
観客はどういう事かと、どよめいている。
次の瞬間。
「少女を拘束しろ!!!」
大臣の号令と共に騎士達がアイシャを囲む
囲みは厚く逃げ場はない。
そんな時、空気が弾ける音が、会場に響く。
白い煙が舞台全体を覆い尽くした。
「なに!?」
「視界がっ!」
「煙幕!?」
レインがアイシャの腕を掴んだ。
「終わりだ、行くぞ。」
ルミナスが舞台柵を蹴り壊し、逃走路が開く。
怒号が響く中、
三人は舞台を去った。
遠ざかる歓声と混乱を背に、
レインは口元だけで笑い呟く。
「お前の復讐は完遂した。」
アイシャは息を震わせたまま、
太刀を握りしめた。
「後は……最後の仕上げだ。」
舞台裏――歓声と悲鳴が混ざった音が響く中、
レインは低く呟き、アイシャ、ルミナスと共に闇へ消えた。




