49、sideミナ 契約
目の前に差し出された紙。
端的に言えば『聖女として生涯働くように』と書かれた書類である。けれども、そこに記載されていた内容は……ミナからすれば到底許し難い内容だった。彼女が一番受け入れ難い点は仕事についてだった。
……何故、大聖女だった頃よりも仕事内容が増えている?
大聖女の時は仕事は多かったとは言え……防御壁の維持と、教会内で行われる業務が主だった。防御壁は王城まで向かわないといけないが……それ以外全てが教会内で完結したのだ。だからミナも合間を縫って神聖魔力の向上のために、訓練を行うことができたのだ。
けれど、ここにある書類の仕事内容は……ミナの業務であると言わんばかりに、教会外で行われる仕事までもが書かれていた。例えば、辺境に現れる魔獣の討伐参加、王都外の浄化作業などだ。
ここに書かれている項目全てを行おうとすると、寝る暇すら与えられないのではないかとミナは思った。
こんな雇用契約書、誰が契約するんだ……と思う。
しかし、目の前の男はミナが『教会に戻れる』ことを喜んでいると思っている。そこが厄介だ。
差し出された書類をなかなか受け取らないミナに痺れを切らしたのか、王太子は扉の方へ顔を向けると奥にいるらしき誰かに声をかける。そしてゆっくりと入ってきたのは……大司教サマ。
婚約破棄の時に知らんぷりをした、あの男である。
教会で使用する契約書類に関しては、作成は教会のみが許されているはずだ。
つまり、この契約書類を作成したのはこの大司教サマということになる。
以前と比べて顔色が悪く、頬がこけている大司教。しかし外見とはうらはらに、瞳はまるで獲物を狙う肉食動物のようにギラギラとミナを見据えている。まるで彼女を逃さないと言わんばかりに……。
自分の将来を約束されたと言わんばかりに舞い上がっている王太子と、もう後がないかのような表情で睨みつけている大司教。そんな二人の様子を見れば、ミナも王国で何が起こっているのかがなんとなくわかるような気がした。
ミナは無言の抵抗を行う。
差し出されている紙を受け取ることはせず、下を向いて動かない。それを見た王太子は、満足げに話し出した。
「お前も泣くほど喜ぶのか! そうだ、嬉しいだろう!」
嬉しいわけないだろ、お前は頭がお花畑か?
本当に何を言い出すのやら、この男は……とミナは思う。
王太子はこの契約書の内容を把握していないのだろうか。いや、把握していたとしても、自分の基盤は磐石になるとでも思っているのかもしれない。しばらく勘違いさせておこうと考え、俯いていたミナ。しかし、そうは問屋が卸さない。
「王太子殿下、そろそろ署名をさせましょう」
「そうだな、私が迎えに来たことに感極まっているところ悪いが、これに時間を掛けるわけにもいかないからな! 大司教、頼むぞ」
「承知いたしました」
ミナはそのやり取りを聞きながら、引き続き下を見続ける。しかし、大司教が目の前で呪文を唱えると……ミナの手が動き始めた。
彼女の意思で動かしているわけではない。
魔法によって大司教が操っているのだ。
魔法が使えないミナは、無力だった。
ミナの手はどんどん上へと動いていき、王太子が差し出している紙の前で止まる。そして次に動かそうとしていたのは顔。最後の抵抗として魔法に抗って見るものの……やはりミナの力では魔法の力には勝てない。
ここで彼女にも魔法が使えたら、大司教へ魔法を跳ね返すこともできただろう。いや、そもそもこんな状況になっていないが。
段々と顔が上がり、目の前にいた王太子と視線がぶつかる。今までに見たことがないほど口角が上がっている男の笑顔。それを見て、ミナは目を細めた。
操られたミナの手は、書類を受け取る。
そしてそれを床に置き、大司教から渡されたペンを持たされる。
「さあ! あとは一番下の空欄に名前を書くだけだ! 学がないお前でも、簡単だろう?」
「役立たずのお前を拾ってくれた慈悲深い王太子殿下に感謝しなさい」
いや、役立たずに縋っている時点で他の聖女は役立たず以下ということなのだが……。そんな矛盾に気がついていない二人は、目を血走らせている。
いつまで経っても書こうとしないミナに、痺れを切らしたのは大司教だった。彼は魔法を再度掛けた後、言葉に魔力を乗せて言い放つ。
「『エルミナ』書きなさい」
ミナの両手が少しずつ記入欄に近づいていく。しかしミナの抵抗も虚しく、右手で持ったペンは紙の上にたどり着いてしまった。
そしてペンを持った手は、紙の上を動いていき……。
空欄だった場所には『エルミナ』と名前が書かれてしまっていた――




