2、婚約破棄だって? 喜んで!
「お前はその立場を利用し、仕事を彼女に押し付けているというではないか!」
冷静になったからか、エルミナの頭が少しづつ動き出す。引き続き、王太子の言葉に耳を傾けていたが……エルミナは放たれた言葉に疑問符を浮かべた。
毎日振り分けられる仕事は全部終わらせていたはずだ。
むしろ大聖女候補の頃に比べれば、仕事量は数段増えていた記憶がある……そういえば侯爵令嬢はお昼以降、聖女たちを集めてお茶会をしていたような……。
そこまで思い出し、エルミナは今更気がついた。
むしろ自分が仕事を押し付けられていた、という事実に。
王太子の後ろに身を隠している侯爵令嬢へと静かに顔を向けると、彼女はエルミナに見えるように片方の口角を上げて笑っていた。
うまく隠しているようで、王太子や他の王侯貴族たちには見えていないようだ。
その笑みで仕事を押し付けられていたことを理解したエルミナは、小さくため息をつく。
再度顔を上げたエルミナは、王太子に視線を送るが……彼の瞳は完全に侯爵令嬢を信じ切っている目だ。エルミナが彼に反論したところで、味方になってもらうのは無理だろう……。
そこまで考えて、エルミナはハタと気がつく。
――おや……むしろ味方になってもらう必要あるか?
「偽物の大聖女であるお前とは、当然婚約破棄となる! お前が私の婚約者だったということが、汚点だ!」
思考を巡らせていたエルミナの耳に、王太子の宣言が聞こえた。
思わず顔を向けると、彼女の様子が狼狽えているように見えたのか……王太子と侯爵令嬢はせせら笑っている。彼らはきっと、殿下と婚約破棄になったことにショックを受けて表情が変わったのだろう、と思っているだろう。
――絶対あり得ないな! 心の底から嬉しすぎる!
エルミナは会場の中心でそう叫びたかった。まさか無理だと思っていた婚約を、相手が破棄してくれるとは思わないじゃないか!
大聖女は王太子との婚約が義務だと言われ、エルミナは渋々引き受けていたのだ。
だって、聖女の力を持つだけの……ただの平民が、王太子の婚約者なんて務まるはずがない。礼儀作法の勉強が本当に大変だった。仕事と修行の合間をぬって、無理やり詰め込まれていたのだから。
幸い彼女は大聖女。
仕事を優先するのは当たり前、という上の判断があったために礼儀作法の授業はそこまで多くはなかった。けれど、正直いえば、あの時間は本当に嫌だった。
それなら大聖女として国に貢献するために、力をつける修行をしたかった。なんなら、侯爵令嬢と王太子が結婚してほしかった。
そうやってギチギチに予定を詰められて頑張っていたとしても、当の婚約者である王太子は彼女が平民だからと罵倒しかしないのだ。正直愛情も何も育つはずがない。
エルミナはちらりと斜め前で佇んでいる大司教へと視線を送った。彼は彼女の視線を避けるよう、知らんぷりである。こちらを全く見ないのだ
――なるほど? 大司教サマもグルか。
そのことを理解した瞬間、エルミナは全てを投げ出したくなった。
そして思う。投げ出そう、と。
そうだ。自分がいなくても他の聖女たちがいるから問題ないのでは……? と彼女は閃いた。以前は優しくしてくれた街の人も、最近は彼女の仕事に不満をぶつける人が多くなっているのだ。
もう全て侯爵令嬢様に丸投げしよう、そうしよう。
なんてエルミナは頭の中で考えていたからか……王太子の声がはっきりと耳に届いた。
「お前から大聖女の称号を剥奪する! そして、国外追放だ!」
エルミナは目を丸くする。
そんな表情の変化に満足そうな王太子は話を続けた。
「私は慈悲深いからな。明日の朝、馬車を用意してやろう! その馬車で辺境の街までは送ってやる。あとはいくらかの手切れ金は用意してやろうではないか。こやつは大聖女であることが偽りだっただけで、聖女ではあるのだろう? 放り出してそこら辺で野垂れ死にされても気分が悪いしな」
ニヤリと悪党のように笑う王太子と侯爵令嬢。
エルミナを絶望の淵に落としている、と思っている二人だが……残念ながら彼女の内心を理解することはできないだろう。
――え、いいのか?
もしかしたら、教会で飼い殺しになるかな……なんて思ったけど、王太子殿下は自由にさせてくれるらしい。この機会を逃してはならない!
エルミナはおずおずと頭を下げる。いかにも自分が茫然自失としていると相手に勘違いをさせるために。喜んでいると知られたら、国外追放がなくなってしまうではないか!
この時だけは王子妃教育に感謝した。時間をとって、表情を読ませないように訓練してきた甲斐があったなと。
「承知いたしました」
エルミナはそう告げてから、さらに深くお辞儀をした。
身ひとつで放り出されるかと思いきや……聖女とは認めてくれる上に、辺境の街まで送ってくれるとは。見直したぞ、王太子。
いや、そもそもこのような場所で追放や婚約破棄宣言をする王太子の印象は最底辺なので、見直したところで最低になるだけだが。
それに、一応聖女とは認めてくれるらしい。まあそうか、と彼女は思う。
エルミナは分け隔てなく癒しの力を使用していた。それこそ平民から王族まで。この時点で聖女ではないと宣言してしまうと、矛盾が生じてしまう。
よって、筋は通すらしい。
自由にしてくれるのなら問題ない。
むしろ、ありがとうと感謝しても良いくらいだ。そんな内心をひた隠しにしたエルミナは、再度頭を下げてから、二人に背を向けて会場を後にした。
その後、見張りをつけられたまま教会に戻った彼女は、自分の部屋に入る。
幸い、今日のドレスは自分で着脱可能なものだった。そのため、手慣れた様子で着衣を脱ぎ捨ててから、普段着を着る。
確かこのドレスは王族から支給されたモノだったはずだ。これも返すべきだろうな、と冷静に判断したエルミナは、箱に詰め込んでから見張りの衛兵へと渡す。
それを受け取った騎士……彼は騎士団の副団長だったのだが、エルミナの渡された箱にドレスが入っているのを見て、面食らっていた。
まあ、勝手に持って行かれたと思われるのも嫌だしな。
ついでに、何を持って行って良いのかを彼に訊ねる。
最終的に持っていける物は、ここに来る時使った古ぼけたトランクと普段着を数着。裸で追い出されなくて良かった、とうっかりこぼしてしまったら、副団長は想像してしまったのか、少し顔を赤ていた。
そしていつものように寝て、朝日が昇る頃……静寂の漂う街を、エルミナは静かに出て行ったのだった。




