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 私が住んでいるアパートがある場所は阪急芦屋川駅周辺なので、事件現場である甲風園へと向かうには、阪急で西宮北口駅まで出た方が手っ取り早い。


 事件現場は、西宮北口駅から北側へと向かった場所であり、商店街の路地裏だった。西宮北口という場所は「南部に行けば行くほど治安が悪くなる」という阪神地区のセオリーとは真逆のベクトルを持っており、実際北部に位置する商店街付近は学習塾が多数ひしめき合っているにもかかわらず治安が悪い。その証拠に、ハロウィンシーズンやクリスマスシーズンは「大人の店」の客引きが多数検挙されている。ちなみに、西宮北口の南部に位置する映画館が併設されている巨大なショッピングモールは、セレブたちの憩いの場として西宮市民や芦屋市民から愛されている。――だから、北部の治安が余計と悪い。


 私が西宮北口駅に着いた時点で兵庫県警のパトカーが多数停まっており、そこで何かがあったことだけは確実に分かっていた。そして、商店街の一角に――規制線が張られていた。恐らく、ここが事件現場なのだろう。


「――善くん、お疲れ様。アタシよ。古谷沙織よ」


 古谷沙織は、顔なじみと思しき刑事さんに向かってそうやって話した。刑事さんは、彼女に対してフレンドリーに接していく。


「おっ、沙織ちゃん。友達まで連れてきて、どうしたんだ?」

「うーん、確かに彼女は友達だけど、どちらかと言えば探偵役かしら? とにかく、アタシだけじゃどうにもならないから連れてきたのよ」


 私は、フードにマスクとサングラスという怪しげな格好でその姿を防備していた。他人との接触を嫌っているから当然だろう。


「――君が、探偵役なのか?」


 刑事さんがそう言うので、私は仕方なく彼の質問に答えつつ自己紹介をした。


「どうやら、沙織ちゃんに言わせるとそうらしいです。――ちなみに、私の名前は廣野彩香と言います。今後、お見知りおきを」


 刑事さんは、そこでようやく自分の名前を名乗った。


「そうか。――僕は、『田辺善太郎(たなべぜんたろう)』という者だ。言うまでもなく兵庫県警捜査一課の刑事で、主に殺人事件の捜査を担当している。彩香ちゃん、今後ともよろしく」


 田辺善太郎と名乗った刑事さんは、そうやって私の手を握ってきた。――彼の手は、温かくてガッシリとしていた。


 そして、彼は私が被っていたフードとサングラス、マスクを順々に外していった。


 私の素顔を見たのか、彼は話す。


「――探偵がそんな格好じゃ、却って怪しまれるだけだろ? 彩香ちゃん、自分が持っているコンプレックスは気にしないほうがいい」


 確かに、ここは善太郎が言う通りかもしれない。私は昔から黒くて短い髪で声も低い方だから、小さい頃はよく「ボクちゃん」という風に男の子に間違われていた。すぐそこにいる古谷沙織が茶色くて長い髪で、なおかつチャラそうなメイクをしているから、なおさら私が地味に見えるし、私が持っているコンプレックスは強調される。


 一方、私から見た「田辺善太郎」という男性は、高身長で髪はセンター分け、なおかつ声はイケボ。――理想の男性としてドストライクだった。


 そういう下心をひた隠しにしつつ、私は善太郎に話す。


「そ、そうですか……。ところで、現時点でこの事件について分かっていることって、他にないんでしょうか?」

「そうだな……。すでに沙織ちゃんから聞いていると思うが、被害者は一宮和子という27歳の女性で、職業は派遣社員だったそうだ。彼女は右手に笹を持っていて、なおかつ下腹部をナイフのようなモノで切り裂かれていた。これが何を意味するかは――今のところ、分からない」


 下腹部ということは、やはり――犯人の狙いは子宮だろうか? 私はそう思った。


「女性の下腹部って、子宮がある場所ですよね? もしかして、犯人は子宮を狙って切り裂いたんでしょうか?」


 どうやら、私の考えは合っていたらしい。善太郎は話す。


「ああ、確かに……その可能性は考えられるな。犯人は何らかの理由で一宮和子を昏睡させて、その隙に彼女の下腹部を切り裂いた。そんなところだろう。――その証拠に、下腹部から『本来女性にあるべきモノ』がなくなっている」

「本来あるべきモノ……」

「ああ、子宮だ。犯人は、惨たらしい手口で一宮和子という女性を殺害して、なおかつ彼女から子宮を奪った。こんな凶行、許されるはずがない」

「そうですよね。仮に私が一宮和子の関係者なら、犯人に対して復讐するぐらいの凶行だと思います」


 私と善太郎による深刻な話に、古谷沙織も加わった。


「――となると、犯人は相当なゲス野郎かしら? アタシが和子ちゃんの関係者なら、報復として犯人の陰部を切り取ってやるわよ」


 地味に恐ろしいことを言う彼女を、善太郎がなだめていく。


「沙織ちゃん、そんな阿部定みたいなことは止したほうが良い。――それはともかく、部下にはこの周辺で犯人に関する情報を聞き込んでいるところだ。聞き込みから30分経つし、そろそろ戻ってきても良い頃だが……」


 そうこうしているうちに、部下の刑事が善太郎に話しかけてきた。


「田辺刑事、少しいいでしょうか?」

「ああ、話してくれ」

「最近、この近辺で怪しげな人物を見かけたとの情報を聞き込みました。西宮署で商店街に設置された監視カメラの映像を見させてもらいましたが、確かに黒いフードを被った怪しい人物が映り込んでいます」


 そう言って、部下の刑事は善太郎にタブレットを手渡した。


「――なるほど。この人物の動向は我々兵庫県警としても注視していく必要があるな」

「そうですね。僕は捜査に戻ります」

「ああ、ご苦労だった」


 それから、部下の刑事はその場から立ち去っていった。――捜査も大変なんだな。


 部下の刑事からの情報をもとに、善太郎は話す。


「先ほどの情報に関して、どこまで信憑性があるかは分からないが……少なくとも、犯人の尻尾はすぐに掴めると信じたい」


 彼の話に乗ったのは、私じゃなくて古谷沙織だった。


「そうよね。犯人を野放しにしていたら、子宮のない遺体は増える一方よ。アタシとしても、早く捕まえるべきだわ」

「沙織ちゃんの言う通り、この事件は、早急な解決を望みたいところだが……もう少し証拠が欲しいところだな。今のままじゃまだ足りない」


 私は、善太郎の話に乗った。


「そういえば、凶器は見つかったんでしょうか? 犯人が相手の下腹部を切り裂いたんだったら、何らかの凶器が見つかっても良さそうですけど……」


 しかし、善太郎が出した答えは――私の望むモノではなかった。


「残念だが、現時点で凶器は見つかっていない」

「そうですか。――犯人は、かなり用意周到でかつ慎重な人物なんじゃないんでしょうか? 凶器が見つかっていないとなると、そう思わざるを得ません」

「ああ、彩香ちゃんの言う通りだな。証拠を残さないとなると、犯人はかなりの慎重派だと思われる。一応、監視カメラに映っていた黒いフードの人物の身元を調べてもらっているが、彼が監視カメラに映っていた日時は令和×年3月12日とのことだ。そして、一宮和子が殺害されたのは3月13日の夜頃と見られている」

「今日は3月14日だから……この3日間の彼女の行動を調べれば、何かが見えてくるんじゃないんでしょうか?」


 私がそうやって言ったところで、善太郎は頷いた。


「なるほど。――やっぱり、彩香ちゃんは探偵に向いているな。僕には考えのつかないことをすぐに思いつく頭脳は、ウチのブレーンとして欲しいぐらいだよ」


 それでも、私は謙遜(けんそん)していく。


「確かに、私は推理小説を専門に書いている小説家ですが……探偵になろうとは思っていません。善太郎さん、力になれなくてすみません……」

「ああ、良いんだ。彩香ちゃんに無理強(むりじ)いはさせないよ。――それはともかく、この3日間の彼女の行動は調べていく必要があるな。部下に聞き込みを行わせようか」


 善太郎がそう言ったところで、古谷沙織が割り込んでくる。


「その必要はないわよ? アタシが彼女の関係者に聞き込めば良いだけの話じゃないの」

「――ああ、そういえば沙織ちゃんはそういうモノを生業としていたな。ここは彼女の聞き込み力に期待しているよ」

「事前情報として――一宮和子は派遣社員で、尼崎にある大手電機メーカーで製造業に従事してたって話よ。当然、羽振りもそれなりに良かったとか」

「なるほど。――ところで、近隣住民との関係性はどうなんだ?」

「うーん、それは今から聞き込みに行こうと思ってたの。彼女、夙川(しゅくがわ)のマンションに住んでたらしいのよね」

「夙川か。――ここからは近いな」

「だから、トラブルによって和子ちゃんが殺害されるとしたら近隣トラブルだと思うのよ」

「確かに、近隣住民とのいざこざが殺害にエスカレートしたという可能性は考えられるな。――沙織ちゃん、彼女の身辺調査を君に委ねようと思う」

「善くん、任せなさい。アタシを何だと思ってんのよ」


 古谷沙織が胸を張ってそう言うと、善太郎は――ボケをかました。


「――宇宙人?」


 当然だけど、善太郎のボケは――古谷沙織に通用しない。


「はぁ?」

「ああ、すまない。どうやら、僕はそういうモノが苦手らしい。――ともかく、今すぐ夙川にある一宮和子のマンションへと向かってくれ」

「分かったわ。――ヒロロンも連れて行くから」


 そういう訳で、私は古谷沙織の聞き込み調査に付き合うことになってしまった。


 ***


 当たり前の話だけど、西宮北口駅から夙川駅は阪急で3分も経たないうちに着いてしまう。一宮和子が住んでいたマンションは、夙川駅から国道2号線へと向かう途中にあるタワーマンションだった。


 古谷沙織が大家さんに事情を説明したうえで、私たちは彼女が住んでいたマンションの部屋へと入った。部屋は私が住んでいるアパートよりも整理整頓が行き届いていて、荒らされた形跡は皆無だった。この時点で、近隣トラブルはなさそうだが……。


 大家さんは話す。


「和子ちゃんは、とても真面目な性格で、近隣住民とも上手く付き合っていたみたいです。ちなみに、ここは302号室で、両隣が301号室と302号室になります。――一応、両隣の住民にも話を聞いてみましょうか?」


 話の主導権は古谷沙織にあるので、私は彼女にすべてを委ねた。もちろん、その答えは当然のモノである。


「良いわよ? ――両隣がどんな住民か知らないけど、そこまで言うなら多分いい人だと思うし」


 まずは301号室の住民に話を聞いてみる。

 中から出てきたのは、これまた真面目そうな男性だった。


「――僕は前島健太(まえじまけんた)と言います。君たち、探偵さん?」


 前島健太と名乗った男性がそう話したところで、私は質問に答えた。


「まあ、人様から見れば、これでも探偵みたいなモノなんでしょうね。――それはともかく、あなたと一宮さんの関係性について教えてほしいんです」


 私がそう言うと、前島健太はちゃんと要求を飲んでくれた。


「一宮さんって、とてもいい人で――結構『おすそわけ』をしてくれていたんですよ。彼女、仕事の関係で週末に料理を作り置きすることが多くて、それで作りすぎたモノを僕に分けてくれていたんです。もちろん、美味しかったですね」


 彼の話に、古谷沙織が納得していく。


「なるほど。――そうなると、健太さんが和子さんに対して殺意を抱くことはあり得ませんよね?」

「とんでもない。僕が一宮さんに対してそんな感情を抱くことなんてありません」


 やはり、前島健太は――シロだろうか。とても彼が一宮和子を殺害する風には見えない。そんなことを思いながら、私と古谷沙織は彼の部屋を後にした。

 次に、303号室へ向かうと――中から出てきたのは女性だった。

 彼女は話す。


「さっきからコソコソやっている人たちがいると思っていましたが、闇バイトかと思ったら全然違いましたね。――ああ、紹介が申し遅れました。私は江本美幸(えもとみゆき)と言います。言うまでもなく、一宮和子さんの隣人ですね」


 どうやら、江本美幸と名乗った女性は私たちのことを闇バイトだと思っていたらしい。私は誤解を解くべく、彼女に質問をした。


「江本さんから見て、一宮和子さんってどういう人物だったんでしょうか?」


 彼女も、一宮和子に対しては友好的な態度を取っていたらしい。


「和子さんって、やっぱり真面目な性格なんですよね。何回か彼女の部屋にお邪魔しましたが、彼女はその度に紅茶とお菓子を用意してくれていたんです」


 私は、更に江本美幸に対して踏み込んでいった。


「そうだったんですか。――それで、和子さんとは具体的にどんな話をしていたんでしょうか?」

「互いの仕事の話とか、恋愛の話とか、そういうくだらない話が多かったですね。――私、こう見えてシステムエンジニアとして働いていますから、和子さんの話が結構タメになるんですよ」


 彼女がそこまで話したところで、古谷沙織が何かに気付いた。


「システムエンジニアねぇ……。確かに和子さんは尼崎にある大手電機メーカーで製造業に従事してたけど、美幸さんって――そういう下請けで働いてたりするのかしら?」


 古谷沙織の「勘」は、間違っていなかったようだ。


「そうです。私、こう見えて和子さんが働いていた大手電機メーカーの下請け会社の組み込みシステムエンジニアなんですよ。確か、その電機メーカーは通信機器の製造に携わっているとか……」


 そこまで言われなくても、分かっている。――私が昔使っていたガラケーも、尼崎に工場がある大手電機メーカーのモノだったから。

 とはいえ、江本美幸の話を無理やり止める訳にはいかない。私は彼女の話を聞いたうえで、質問をぶつけてみた。


「それで、江本さんの勤務先って――どこにあるんでしょうか?」


 彼女は、私の質問に対してしっかりと答えてくれた。


「一応、勤務先自体は塚口ですけど……今は自宅でリモート勤務ですね」

「そうですか。――分かりました」


 塚口といえば、まさしく(くだん)の大手電機メーカーの工場がある場所だな。阪急やJRの車窓からもその建物をしっかりと確認することができる。――まあ、江本美幸の勤務先はそんな立派な場所じゃないんだろうけど。そうやって考えると、江本美幸という人物は一宮和子に対する接点があまりにも多い。――やはり、この事件は彼女が犯人なんだろうか?


 そう思った私は、思い切って彼女にある質問をした。


「――江本さん、最後に聞きたいんですけど……あなたは、『誰かを殺したい』と思ったことがありますか?」


 少し間を置いたうえで、彼女は質問に答えた。


「――いいえ、私はそんなことを思ったことは1ミリもありません。ましてや、実際に誰かを殺したら、警察に捕まってしまうじゃないですか」

「そうですよね……。何か、すみませんでした」


 私がそうやって謝ると、彼女は何事もなかったかのように笑顔で話した。


「良いんですよ? 和子さんが殺害されてしまった以上、真っ先に疑われるのは私のようなマンションの近隣住民だと思っていましたし。――まあ、私は彼女の殺害に対して何も関与していませんから」


 江本美幸に対する聞き込み調査は、そこで一旦終えることにした。――これ以上追求しても、何も手がかりを得ることは出来ないだろうと思ったからだ。


 マンションのエントランスで、古谷沙織は話す。


「うーん、大した収穫はなかったわね……。アタシとしてはもうちょっと収穫があると思ったんだけど」

「沙織ちゃん、そうは言うけど……事件の犯人が簡単に口を割る訳がないじゃないの」

「それはそうよね……」

 私は、若干落ち込みつつ古谷沙織とともに芦屋へ帰ることにした。――ちなみに、古谷沙織は善太郎に対して「直行直帰ですから」と伝えていたらしい。


 ***


 阪急芦屋川駅から徒歩3分の古びたアパートに、私は住んでいる。不動産会社のお兄さん曰く「築35年と古いけど震災は生き抜いているので耐震性は安心して良い」ということで芦屋という高級住宅街にしては安価な家賃でこの一室を借りることができた。


 部屋の中は資料と同業者による小説で溢れていて、正直言ってキャパオーバーを起こしそうな勢いである。仮に、なんかの間違いで六麓荘(ろくろくそう)へ引っ越すことになっても、多分――確実に引っ越し代から別料金を取られるだろう。


 ついでに言えば、ロボットアニメのプラモデルとアメコミヒーローのフィギュアも陳列してある。ここだけ見れば私の女子力はゼロどころかマイナスに振り切っている。辛うじて壁に貼ってある推しの女性アーティストのポスターでバランスを取っているつもりだが、やはりそれでも女子力は低い。


 そういう私の部屋の惨状を見たのか、古谷沙織は――思いっきり爆笑した。


「ヒロロン、相変わらずブレないのね。確かにアタシもそのロボットアニメは好きだし、アメコミヒーローの映画も結構な割合で見るけどさ、まさか今でもhitomiが好きだとは思わないじゃん? まあ、アタシもサブスクでたまに聴いてるけど」

「――悪かったわね。でも、あの時沙織ちゃんが『アタシもhitomiのファンなのよね』って言ってくれなかったら、ここまで長い付き合いになっていなかったと思う」

「そうね。確か、Mステにhitomiが出た週にたまたまヒロロンに『Mステ見た?』って話を振ったら、『hitomiが出てたから見てた』って言ってたのを今でも覚えてるわ。それで、アタシは『ヒロロンと話が合う』って思ったのよ」


 確かに、古谷沙織が説明する通り――あの時、孤立していた私に対して古谷沙織が突然Mステの話を振ってきたのは事実であり、私はうっかり彼女に対して「hitomiが出ていたからその週のMステを見ていた」と口を滑らせてしまった。私自身、他人と話すことが苦手で、常に無口だったから――推しのアーティストのことをベラベラと喋ってしまう自分が怖いぐらいだった。確か、中学校に入学して2ヶ月ぐらい経った梅雨頃の話だったと思う。


 それから、ガラケーの赤外線通信で互いの携帯電話の番号とメールアドレスを交換して、古谷沙織との付き合いが始まった。彼女に関して幸運だったのは、単に「hitomiのファン」ということだけではなかった。――彼女もまた、無類のミステリオタクだったのである。そういう事情もあって、京極夏彦のクソ分厚いノベルスを持ってきても若干ドン引きしつつそれを受け入れてくれていたし、彼女もちゃっかり辻村深月(つじむらみつき)のノベルスを持ってきていたので、結果としてウィンウィンの関係に至っていた。


 それでも、流石に高校が別々になったら関係も疎遠になるだろうと思っていたが、互いに携帯電話の番号が変わっていなかったことが幸いしたのか、通信手段がガラケーからスマホに変わっても、彼女とはコンスタントに連絡を取り合っていた。――だからこそ、今回のようにわざわざメッセージアプリに「事件解決を手伝ってほしい」とメッセージを送ってきたのだろうか。


 そんなことを考えながら、私はウーマーイーツで適当にピザを頼んだ。――こういう時、何か作るのって面倒くさい。


 ピザは注文して15分程度で来た。愛想の良いお兄さんが「テリヤキとシーフードのハーフ&ハーフです」と言ってくれたので、私はありがたくそれを受け取った。


 ピザを食べつつ、古谷沙織は話す。


「それにしても、あの事件……謎が多いわね。犯人が下腹部を狙うのはまだしも、遺体に子宮がなかったのが気になるわ」


 何かを食べている時にする話ではないと思いつつ、私は彼女の生々しい話に付き合っていく。


「そうね。――これは私の仮説だけど、一宮和子は妊婦で、犯人の狙いは子宮じゃなくて、その中にあった小さな生命だとしたら……どうする?」

「どうするって言われても……私はただ、その小さな生命に対して弔うことしか出来ないわね」


 私が考えた仮説だと、一宮和子は妊婦であり、彼女の中には小さな生命が宿っていた。そして、犯人は彼女を殺害したうえで――子宮から、その小さな生命を取り出した。まあ、現時点で考えられるのはこんなところだろう。もちろん、その小さな生命が連れ去られた先は不明なのだけれど。


 ――あれ? これって……犯行の手口が京極夏彦の処女作である『姑獲鳥(うぶめ)の夏』に似てないか? ネタバレ防止で詳細は伏せるけど、アレも妊婦の子宮から胎児が連れ去られるとかそういう話だったような気がする。まさか、模倣犯? いや、そんな模倣犯がいてたまるか。


 なんとなく頭の中で『姑獲鳥の夏』がグルグルしつつ、ヤケクソになった私は手に持っていたシーフードピザを缶ビールで流し込んだ。クズの食べ方と思いつつも、たまには悪くないだろう。


 箱にあったピザは、あっという間に空っぽになってしまった。――やはり、2人だと減りが早い。


「ごちそうさま。――ゲフッ」


 古谷沙織は、ゲップをしながらそう言った。――女子2人だけで良かったと思う。合コンなら、目も当てられない。


 それから、私は浴室の中にいた。古谷沙織曰く「どうせお風呂に入るなら、先にアンタが入りなさいよ」と言ってくれたので、私はありがたく浴室へと向かわせてもらった。


 こういう時、一番考えがまとまるのは浴槽の中である。天井を見上げながら、私は一宮和子の事件のことを考えていた。


「――やっぱり、この事件は『姑獲鳥の夏』の模倣なんじゃないのかな」


 私はそうやって独り言をつぶやいた。女性の下腹部を切り裂く時点で、犯人は明らかに『姑獲鳥の夏』から影響を受けているとしか考えられない。しかし、一宮和子が妊婦だったところで、彼女の中に宿っていた小さな生命の行方は――知らない。


 そして、気になるのは――一宮和子だったモノの右手に笹が握られていたことである。仮に犯行日時が3月13日の夜だとしても、なぜ彼女が笹を持った状態で殺害されていたのかが分からない。これが十日戎の期間である1月9日から1月11日の間だったら分かるが、3月13日はむしろホワイトデーの時期である。十日戎ですらない。――ああ、頭の中がカオスになってきた。


 逆に考えがまとまらなくなってきたので、私はさっさとシャワーを浴びて浴室から出ることにした。


 浴室から部屋へ戻ると、古谷沙織は――出来上がっていた。その証拠に、飲み終わった500ミリリットルのビール缶が3本転がっていた。


「ういー、ヒロロン、おかえりー」

「あの……ここ、私の部屋なんだけど……」

「そんらこと、どーでもいいんらよぉ」


 彼女がこうなってしまった以上、私にはどうしようもない。


 私は仕方なく出来上がった古谷沙織の愚痴を聞いていたが、正直言って酔っ払った他人の愚痴を聞くのは不愉快である。――彼女、相当フラストレーションが溜まっているのだろうか。


 ***


 私が気付いた時には、泥酔(でいすい)した古谷沙織は完全に伸びていた。――床の上でゲロを吐かれないだけでもまだマシである。


 私は伸びた彼女を横目に、酔い醒ましのコーヒーを飲みつつダイナブックで小説の原稿を書いていた。


 結局のところ、新作小説は敬愛する京極夏彦のパクりみたいなモノになってしまった。ザックリ言えば、とある連続猟奇殺人事件を妖怪の仕業に見立てるとかそんな感じの内容である。――あくまでも剽窃はしていないだけ、まだマシだろうか。


 というか、今追っている事件も『姑獲鳥の夏』と似たようなモノだし、やっぱり京極夏彦に引き摺られているのは事実なのかもしれない。


 そうこうしているうちに、睡魔が襲ってきた。スマホを見ると日付変更線を越えようとしていたので、当然だろうか。


 私は睡眠安定剤をお茶で流し込み、そのままベッドに入った。


 ***


 翌日。――私は午前6時30分に鳴るスマホのアラームでその意識を覚醒させた。


 古谷沙織は相変わらず寝ているし、どうせ二日酔いだろうからそのまま寝かせてあげることにした。一応、このままじゃ風邪を引いてしまうので、私は彼女にブランケットをかけた。


 それから、相変わらずダイナブックで原稿を書いていたが――まともな文章が書けない。要するに、スランプ状態である。


 仕方がないので、私は冷蔵庫からオレンジジュースのペットボトルを取り出して、コップに注いだ。――こんなモノ、気休め程度にしかならないけど。


 コップに入ったオレンジジュースを飲みつつ、引き続き原稿を書いている時だった。


「――ふぁーあ、おはよう」


 そこで、ようやく古谷沙織も目を覚ました。スマホの時計を見ると、午前9時過ぎだった。


「あら、沙織ちゃんも目を覚ましたのね。もう9時だけど?」


 私がそう言うと、彼女は驚いたような顔を見せた。


「えっ!? もうそんな時間!? ――アタシ、ピザ食べてからの記憶がないんだけど」

「当然でしょ。沙織ちゃん、相当出来上がってたみたいだし」

「マジか……。アタシとしたことが、ホントに申し訳ないと思ってるわ。――とりあえず、シャワー浴びさせて」


 そう言って、古谷沙織は浴室へと飛び込んだ。まあ、彼女は「風呂キャンセル」の状態だったし、清潔にさせておくか。


 数分後、古谷沙織は浴室から出てきた。


「ヒロロン、ありがと。シャワー、借りさせてもらったから」

「それはどうも。――それで、これからどうするのよ?」


 私がそう言ったところで、古谷沙織は話す。


「一応、アタシは大阪に戻るわよ? いつまでもアンタの家にいる訳にもいかないし」

「そっか。――聞くのを忘れてたけど、沙織ちゃんの家ってどこにあるのよ?」

「アタシの家? 一応、天王寺だけど」

「天王寺ねぇ。治安はともかく、大阪でも割と住みやすい場所よね。どっかのパンクバンドも『天王寺に住みたい』って言ってたし」

「でも、あのパンクバンドが言う通り家賃はそれなりに高いわよ? 賃貸マンションでも7万円ぐらいするし」

「こっちとは大違いね……」

「それはともかく、アタシは一旦大阪に帰るから。――何か変わったことがあったら、すぐに伝えてちょうだい」

「分かったわ」


 そう言って、私は古谷沙織を見送った。――多分、新快速からそのまま環状線に乗り換えるのだろう。


 ***


 古谷沙織がいなくなったところで、私がやるべきことは――やはり、例の事件について考えることだろうか。どうせ小説の原稿も乗り気じゃないし、ここは一つ探偵ヅラを見せるしかない。


 前提として、一宮和子という被害者がいて、彼女の遺体は下腹部がナイフのようなモノで切り裂かれていた。仮に、彼女が妊婦だとしたら、犯人の狙いは子宮ではなくその中に宿っていた生命――つまり、胎児である。犯人がどういう目的で彼女から胎児を奪い取ったのかは分からないが、胎児を「何か」に利用しようとしていたことは確かである。


 あと、私が気になったのは被害者の名前である。彼女は「一宮和子」という名前であり、かつて存在していた国民的アイドルグループのメンバーの名前とよく似ている。――まさか、犯人はそこまで計算して彼女を殺害したのだろうか? いや、それは考えすぎだろうか。まだ1人しか殺害されていないし、仮に2人目の被害者が出てしまった時にその名前を確かめることでようやく符号が合うレベルなので、今はまだ気にしなくても良いか。


 とにかく、私の仮説が正しければ一宮和子という人物は恐らく妊婦であり、犯人は何らかの手口で彼女を昏睡させたうえで下腹部を切り裂き殺害。そして、子宮から胎児を奪った。――まあ、そんなところだろう。


 そこまで考えたところで、私はなんとなくダイナブックで「七福神」を検索していた。もしかしたら、今回の事件と何か関係があるかもしれないと思ったからだ。


 七福神は、要するに「幸せをもたらす7人の神様」であり、その中には日本の神様だけじゃなくて中国やインドの神様も含まれると言われている。


 構成されている面々は、いわゆる「えべっさん」の元になった恵比寿は言うまでもなく、大黒天と毘沙門(びしゃもん)天、弁財天、布袋尊(ほていそん)福禄寿(ふくろくじゅ)、そして寿老人の7人であり、今でも当然のように縁起物として親しまれている。――ネットの受け売りだと、こんな感じか。


 そういえば、後片付けをしているときに気付いたけど、昨日飲んでいたビールは「ヱビスビール」だったな。その名前の通り、缶には恵比寿が描かれていて、1缶あたりの値段が高い分、その味も保証されている。ちなみに、名前の由来は七福神の「恵比寿」と、ビールの醸造所を建てた場所に対してゲン担ぎとして「恵比壽」と名付けたことに由来している。――言うまでもなく、後の「東京都渋谷区恵比寿」のことである。


 しかし、こうも偶然が重なると――色々と勘ぐってしまうな。流石に例の事件が「七福神の見立て」である可能性は低いが、「一宮和子」という被害者が「国民的アイドルグループの見立て」である可能性は高い。


 私はなんとなくサブスクで嵐の『Happiness』という曲を再生した。彼らの曲で一番好きな曲だから、当然だろう。――ああ、そういうことか。


 私が事件の見立てとして考えている「国民的アイドルグループ」は、とあるトラブルで雲散霧消してしまったSMAPではなく、事実上の円満解散となった嵐の方だった。


 嵐は、リーダーである大野智、二宮和也、櫻井翔、相葉雅紀、そして松本潤の5人のメンバーから構成されていて、国民的アイドルグループとして一時代を築いていた。しかし、年号が平成から令和に変わるタイミングで「無期限活動休止宣言」を発表。宣言通り、令和元年12月31日に活動を休止した。


 その後の彼らの動向と言えば、二宮和也は所属事務所から独立して俳優になり、松本潤は主演を務めた大河ドラマが悲惨な結果に終わりそのままフェードアウト、相葉雅紀は日曜夕方の料理番組でなんとかその姿を確認できていて、櫻井翔は夜のニュース番組のキャスターを務めている。そして、リーダーだった大野智は――完全に表舞台から姿を消してしまった。


 嵐の活動休止以降、彼らの所属事務所は度重なるお家騒動や創業者による性加害問題の発覚で完全に崩壊、挙げ句の果てには失墜した信頼を回復するために社名変更を強いられてしまった。しかし、私は頭が固いので、未だにその事務所を旧社名で呼んでしまうし、世間体でも「旧ホニャララ」という具合で完全に旧社名の名前を出している。社名変更の意味がないじゃないか。――もしかして、犯人は嵐のファンで、その恨みを晴らすべく殺人に手を染めてしまったのだろうか?


 そうなると、次に狙われるのも――嵐のメンバーとよく似た名前の人物なのだろうか?

 私はなんとなく事件に対してモヤモヤを覚えつつも、ダイナブックで原稿の続きを書いていた。


 ***


 それから数時間が経ったが、特にこれと言って変わったことはなく、スマホの時計を見ると午後6時になろうとしていた。


 流石にお腹が空いてしまったので、私はJRの芦屋駅前まで出てスーパーで適当に食料品を買った。芦屋はセレブの街と言われているが故に「物価が高い」というイメージがつきまとっているが、工夫次第で安価に済ませることができるし、この物価高だと、結局のところプラマイゼロでしかない。


 色々と考えた結果、その日の夕食は皿うどんになった。――とはいえ、イチから作る訳じゃなくて、皿うどんの上に冷凍の中華丼の素を載せただけの手抜きなのだけれど。


 皿うどんを食べつつ、私は相変わらずサブスクで嵐の曲をディグっていた。


 こういう時、サブスクで全曲聴けるのはありがたいと思うし、彼らが所属していた芸能事務所はそういうモノに対して保守的な姿勢を見せていたので、むしろサブスクで聴ける方が奇跡的なのだろう。もっとも、その芸能事務所に所属していたアーティストの中で最初にサブスクが解禁されたのは彼らだったのだけれど。


 そういえば、あれから古谷沙織から連絡がないな。例の事件に対して取材中なのか、単に寝ているのか。こういう時、大体は前者なのだが――彼女の場合、後者である可能性が高い。その証拠に、私が彼女を見送った時点で二日酔いの様相を見せていた。


 どうせ、私はあの事件に関して言えば「部外者」でしかないし、これ以上事件に対して深入りするつもりは1ミリもない。だから、古谷沙織から事件に関する新たな情報が入って来ても、私はそれをスルーするつもりでいた。――しかし、そうは問屋が卸してくれない。


 スマホが短く鳴ったので、私はロックを解除してその通知を確認した。


 通知はメッセージアプリのモノであり、メッセージの送り主は当然のように古谷沙織だった。


 仕方ないと思いつつ、私はそのメッセージを読んでいく。


 ――ヒロロン、例の事件なんだけど……新たな犠牲者が出てしまったみたい。

 ――今度は夙川……っていうか、ほとんど御前浜と言って良いのかな? そこで女性の遺体が見つかったのよね。

 ――被害者の名前は「桜井祥子(さくらいしょうこ)」って言うんだけど、彼女もやっぱり下腹部を切り裂かれていて、善くん曰く「紛れもなく彼女は妊娠していた」って話よ。

 ――つまり、アタシが言いたいこと……分かるよね?


 ああ、分かっている。


 桜井祥子という女性は、下腹部を切り裂かれて――中に宿っていた小さな生命ごと殺された。そういうことだろう。


 それから、私は古谷沙織から送られてきたメッセージの続きを読んでいった。


 ――それでさ、彼女の遺体の横にはアコースティックギターが置かれていたんだけどさ、笹の次がアコースティックギターって、変だと思わない?

 ――ヒロロンは、この件についてどう考えてんのかしら?

 ――もし、分かったら教えてほしいわ。


 笹とアコースティックギターか……。この2つから導き出されるモノって、一体何なんだ? 正直、私にも分からない。


 頭を抱えつつ、私は彼女にメッセージを送信した。


 ――うーん、私にも分からないわね。

 ――多分、何らかの見立てであることは確かだけど……。

 ――そうだ、今から事件現場へ向かってもいいかしら?

 ――まだ、善太郎さんはそこにいるはずよね?


 そこまでメッセージを送ったところで、既読は即座に付いた。そして、返信が送られてきた。


 ――もちろん、行ったほうがいいわね。御前浜(おんまえはま)なら、ヒロロンの方が近いし。

 ――多分、善くんもいると思うわ。


 そうと決まれば、行くしかないな。私は、アパートの駐輪場に停めていたカワサキグリーンのバイクにまたがり、ギアを入れた。腕に着けているアナログのGショックを見ると、時刻は午後8時を少し過ぎた頃合いだった。――まだ、そんなものか。


 私は芦屋川から国道2号線へと向かい、そのまま夙川付近までバイクを走らせた。


 ――バイクで浴びる3月中旬の夜風は、少し寒かった。春は、まだ遠い。

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