Prologue
――K談社さん、すみませんでした。
私は昔から他人との接し方が分からない。故に、知らない人から話しかけられることに怯えている。
神戸の繁華街を歩いていても、悪質な居酒屋のキャッチに話しかけられただけで逃げてしまうし、梅田の家電量販店で探しものをしている時に店員さんに話しかけられてもすぐにその場から立ち去ってしまう。――要するに、人間の分際でありながら人を嫌っているのだ。
他人との接し方が分からないから、学生時代は友人らしい友人を作ることも出来ずに教室の中では常に孤立していたし、誰かが私に対して善意で話しかけてきたつもりでも、自分の中ではそのことに対して拒絶反応が出ていた。だから、そういう状況から逃げ出すために、私は常に京極夏彦の分厚いノベルスを持ち歩いていて、休み時間にそれを読んでいた。それで孤独を紛らわせることができるのだから、私としては大したモノだと思っていたし、隣の席のクラスメイトはそういう私を見て若干ドン引きしつつも友好的に接していた。――それが、私にとって唯一親友と呼べる存在だったのは確かである。
その友人は中学生の時のクラスメイトであり、残念ながら高校で離れ離れになってしまった。まあ、友人はバカな私よりも遥かに頭が良いし、地元の進学校からいわゆる「関関同立」と呼ばれる難関大学の一角に進学するぐらいだから、相当頭が良いんだと思う。
一方、私は底辺の高校から死に物狂いで「関関同立」の一角である同命社大学の理工学部に進学して、結果として――メンタルを壊した。しかも、メンタルを壊した要因は「大学の授業について行けなかったこと」ではなく、就職活動の過程で受け取った数多のお祈りメールだった。多分、私の「人との接触を嫌う性格」が面接で仇となってしまったのだろう。
結局、大学在籍中は就活に失敗して、このままだとニート生活まっしぐらと思っていたときに――意外なところからオファーが来た。
こんな私に対してオファーを送ったのは、まさかの講談社だった。私自身が無類のミステリ好きであり、大学でもミステリ研究会に在籍していたので、たまたま同人誌を読んだ講談社の担当者が私に目をつけたのだ。当然、私は二つ返事でそのオファーに応え、小説家としてデビューすることになった。
とはいえ、小説が売れなければ意味がない。商業での処女作は話題性もあって売れたが、作品を刊行する度に売り上げは次第に右肩下がり。今ではすっかり「売れない小説家」という烙印を捺される始末だった。
そして、あまりにも売れないので、私は次の作品で筆を折ろうと思っていた。どうせ私が小説を出したところで売れないし、題材は思い切って敬愛する京極夏彦をパクってやろうと考えていた。
京極夏彦をパクるということは、要するに――怪異的なミステリを書くということなので、私は色々な資料を読み漁って小説を書き上げようとしていた。手っ取り早くパクるなら、ロジックが緻密な『鉄鼠の檻』か『絡新婦の理』だろうか。いや、あからさまなパクりは剽窃を疑われるか。やめておこう。
そういう訳で、ダイナブックのワープロソフトで原稿を書こうとしても何も浮かばないのが現状だった。――ああ、私はこのまま文壇からフェードアウトしてしまうのだろうか。そうなると、またニートに逆戻りだろう。この歳で雇ってくれる会社なんてないし、アパートの一室で孤独死するのがオチだ。
そんなネガティブなことばかり考えている私のもとに、一通のメッセージが来ていた。スマホのメッセージアプリ経由で送られてくるということは、私のことを知っている人間じゃないとメッセージを送ってこないはずだ。私は、そのメッセージを読むことにした。
――ヒロロン、久しぶりね。
――アタシよ。覚えてない? 中学校の頃に一緒だった古谷沙織。
ああ、古谷沙織か。確かに、彼女は中学校の時に私の隣の席にいて、京極夏彦の分厚いノベルスに対してドン引きしていた張本人である。そんな彼女が、私にメッセージを送ってくるなんて、一体どうしたのだろうか?
私は、古谷沙織から送られてきたメッセージの続きを読むことにした。
――ミステリ好きのヒロロンだったら、アタシの悩みというか……相談も聞いてくれるんじゃないかって思ってメッセージを送ってみたんだけど。
――まず、相談する前に……ヒロロンってどこ住み? アタシは大学からずっと大阪だけどさ。
これは、返信待ちだろうか。私は彼女のメッセージに対して返信を送った。
――私なら、芦屋在住だけど……。
そういうメッセージを送ったところで、返信はすぐに送られてきた。
――芦屋!? マジで!?
――さすが小説家は違うわね……。
――ああ、ゴメン。話がそれちゃったわね。
――今からそっちに向かわせてもらうから、家の地図データを送ってちょうだい。
古谷沙織が私のことを小説家だと知っているって、どういうことなんだ? そんなことを思いつつも、私は彼女に自宅の地図データを送信した。
――とりあえず、私ならこのアパートに住んでるから。待ってるわ。
これでいいか。そう思った私は、とりあえず背伸びをしつつ、古谷沙織を待つことにした。
***
数分後。ピンポーンという音が聞こえたので、私はドアを開けた。――確かに、目の前には古谷沙織が立っていた。
「ヤッホー、ヒロロン。中学校の時以来だわね」
「確かに、直接会うのは中学校の時以来だけど……どうして私が小説家だって分かったのよ?」
私がそう言うと、古谷沙織は笑いながら答えた。
「そりゃねぇ、書店で『廣野彩香』っていう名前を見たら『あっ、ヒロロンだ!』って一発で分かっちゃうわよ。もちろん、小説の方もちゃんと買わせてもらってるし」
「ああ、バレテーラだったのね。――ペンネームを考えるのが面倒くさかったから、本名で商業デビューしちゃったのよ。どうせ私なんて、誰からも注目されていないし」
「そんなことないわよ? ヒロロンはそう言うけどさ、アンタが思ってる以上にヒロロンはみんなから好かれてたと思うよ?」
「そうかなぁ……」
当然だ。私は今までそういうモノを拒絶して生きてきたから、知る由もない。
それから、古谷沙織の話は本題に入った。
「アタシ、こう見えてフリーライターとして関西を拠点に活動してるんだけどさ、その過程でヒロロンにうってつけのネタを仕入れちゃったって訳」
「私にうってつけのネタ? 一体、どういうネタなのよ?」
「えーっと、ヒロロンは『えべっさん』は知ってるわよね?」
「もちろん、知ってるけど……。毎年1月10日が十日戎で、それに合わせて1月10日の前後に西宮神社へ参拝するのがしきたりだし、今年も参拝したわよ?」
「それはそうよね。まあ、こっちだと今宮戎神社が最寄りだけどさ。――それで、先日西宮で笹を持った遺体が発見されたのよ」
「西宮で? どの辺なのよ?」
「確か……甲風園の方って言ってたかな。もっと分かりやすく言えば、西宮北口かしら?」
「西宮北口で、そんな物騒な事件が起きてたのね。――それで、笹を持っていたこと以外で遺体の状況は分かるのかしら?」
「これ、言っちゃっていいのかしら……」
「そこで口籠ってしまうって、そんなにショッキングな感じなの?」
私の質問に、古谷沙織は申し訳なさそうに答えた。
「被害者は女性だったんだけど、お腹が――ナイフのようなもので切り裂かれてたのよ」
「えっ……」
そこで、私は思わず黙り込んでしまった。
遺体の腹部が切り裂かれていたということで思い出した犯行は、19世紀のロンドンで暗躍した殺人鬼である切り裂きジャックによる犯行だった。彼(?)は娼婦たちを犯したうえで、その腹部を切り裂いたと言われている。当然だが、事件は未だに解決しておらず、本国では事件解決に関して賭けの対象にもされているらしい。
そんなことを考えつつ、古谷沙織は話を続けた。
「――それで、被害者は『一宮和子』っていう女性なのよ。殺害された理由は今のところ不明で、兵庫県警も頭を抱えてるって話よ」
「一宮和子ねぇ……」
私はそこで「何か」を思いついたが、そんな偶然じみたことはないだろうと思ってすぐにその考えをスルーさせた。
それから、私は改めて古谷沙織に話した。
「とにかく、私に事件の解決を依頼したところでどうにもならないし、ここは沙織ちゃんの力でなんとかしてほしいわね。私、探偵なんかじゃないし」
しかし、彼女はそんなことで折れてくれない。
「そうは言うけどさ、仮にヒロロンがこういう凶行を考えたら、どういうトリックで実行するのよ?」
――ああ、確かにそういう目線で事件を考えたことはなかったな。
ここは、古谷沙織の言う通りかもしれない。
仕方がないので、私は古谷沙織の依頼に――乗った。
「そうね。確かに、事件には何らかのトリックが付き物だし、こういう猟奇的な事件にも、絶対トリックがあるはずよね。――せっかくだし、沙織ちゃんの話に付き合ってあげるわ」
「ありがと。ヒロロンならそう言ってくれるって信じてたわ」
果たして、これで良かったのだろうか? 現状だと、私はまんまと古谷沙織の手のひらの上に乗せられてしまったことになる。まあ、彼女とは古い付き合いだし、多少の無茶も許してあげようかな。
***
「それはそうと、ヒロロンは結婚を考えてるの?」
古谷沙織は急に下世話な話をぶっ込んできたので、私は困惑した。
私の答えは、当然のモノである。
「――結婚なんて、考えてないけど……」
「そっか……」
私の答えに、彼女は顔を俯かせた。――結婚願望がなくて、悪かったな。
とにかく、私――廣野彩香は、友人である古谷沙織の依頼で猟奇殺人事件の解決を任されることになってしまった。もちろん、この時は事件があらぬ方向へと向かうなんて思わなかったし、その結末も悲しいモノだと思わなかった。