七
オレがゆきなと一緒に宿屋で休んでいると部屋の外の壁に小石が何度も当たる音がする。オレが戸を開けて外を確認すると見覚えのある爺さんがいた。オレは外に出ていきその爺さんに声を掛ける。
「最近この辺にいいオンナでもいるかい」
「この辺じゃとんと見かけんな。駿府の辺りで見かけたがね」
駿府?
「爺さん、ありがとう」
オレがそう言うとその爺さんは手を横に振り歩き去っていった。
駿府に何があった?
オレは部屋に戻るとゆきなに言った。
「ちょっと駿府に用ができたから出発するけどどうする?」
「あたしも連れていってよ」
オレとゆきなは東海道を下り、駿府に向かって歩いていった。
東海道を下って行くと駿府での出来事の概要が掴めてきた。どうやら駿府で謀反が起こって今川氏真が失脚したというものであるのだが、肝心の謀反を起こした武将の名前がとんと挙がってこない。オレは嫌な予感を抱えたまま東海道を下っていく。時折、荘介の名前を呼ぶが一向に反応がない。ゆきなの件は相当難儀な調査なのだろう。
オレとゆきなが駿府に入る頃、オレはおのれの眼を疑った。
駿府にはためく武田菱!
桶狭間の戦いの三月後に信玄の駿河侵攻?!
そんなことがあるのか?
オレは呆然としながらはためく武田菱を眺めていた。
オレはゆきなを見る。ゆきなはオレを見て言う。
「武田だね」
「そうだね」
「で、どうするの?」
「オレの知っている歴史では武田の駿河侵攻はずっと後なんだよ。なんでこのタイミングで……」
「たいみんぐ?」
「ああ、間ってことだよ」
「でも、小次郎の知っている歴史が変わるってこともあるだろう」
「まあそうだが……。情報収集のためにオレは屋敷に潜入する。ゆきなは町の宿屋で待っててくれ」
「はあ、あたしも行くよ」
「潜入の経験は?」
「ないよ。小次郎、みんな最初は初心者だよ」
「そりゃそうだね。でも、今回は上級任務だしな。まあ、勝手に動かれるよりいいだろ」
「じゃあ一緒に行くってことでいいね?」
「そのかわりあまり動くなよ」
「大丈夫。大丈夫だよ」
オレは知っている。
大丈夫と言った奴が大丈夫じゃないことを。
オレとゆきなは屋敷の天井裏を移動している。こんなのは基本中の基本だ。天井をぶち抜くなんてもってのほかだ。そう、もってのほかななのだが。オレはゆきながフラグを立てていたことをすっかり忘れていた。
まさかそんな奴いねえだろ。
背後で天井を踏み抜く音が聞こえ、部屋が騒然となった。
「曲者!」
「曲者!」
ほらやっぱり。
オレはゆきなの顔を見て苦笑いをした。そして、天井をぶち抜き部屋に突入した。ゆきなも続いて部屋に突入? しなかった。踏み抜いた足が抜けないらしい。
まあいい。
しばらくそこでゆっくりしておいてくれ。
オレは顔を上げ敵の顔を見る。
あれ?
の、の、信虎かい!
オレの目の前にいたのはオヤジの方だった。確かに、こいつ駿河にいた。オレの知っている歴史でも駿河にいたね。もういいや。さっさと、帰ろう。そんなことを思っていると次つぎに斬り掛かってくる。オレは仕方なく応戦して敵は信虎一人になってしまっている。ゆきなはまだ天井から足が抜けずにもがいている。オレは信虎に向かって歩いていく。
「いいのか? ワシの息子は武田晴信ぞ。後でどうなっても知らんぞ」
ああああ、息子の威厳にすがるジジイ。
斬るだけ無駄か……。
「まあ、ここに座れや。信虎のオッサン」
オレがそう言うと信虎は素直に座った。
「氏真様は?」
オレが訊いても信虎は何も答えない。
信虎は黙ったままだ。オレは忍び刀を抜き信虎の首筋に刃を当てる。さすがは戦国大名。この程度ではビクつかないか……。
「荘介いるか?」
「ここに控えております」
帰ってきてるなら一言かけろよ……。
「氏真様は?」
「お亡くなりになりました」
「そうか……。じゃあ、こいつを斬ってオレが駿府を奪っても、このままこいつがここに居座ってもオレの知っている歴史とは変わってしまうわけだな」
「左様にございます。やりますか?」
「どうせリセットされちまうんだ。やりたい放題やっちまえ!」
「さすが小次郎様。では、親方様に伝えてまいります」
「兄者にはよしなにと伝えてくれ」
「御意」
そう言って荘介は消えていった。
オレは信虎と対峙している。ゆきなはやっと天井から解放されて隣にいる。
「氏真様は戦国大名としては失格で、生まれてくる時代を間違えたと自認するほどの野心がないお方だ。何故命まで奪った?」
「それが乱世のならいだ」
信虎はようやく口を開いた。そして続けた。
「思い出した。そなた、北条のところの左衛門佐だったな。こんなことしてただで済むな」
こんなことをやらかした奴のセリフとは思えない。
どうせリセットされれば元通り。
しばらく戦国大名でも演じてみよう。