偶然の出会い・1
両手に火ばさみを握ったオデットは、虫取り網と虫篭を持ったマルセルと連れ立って、アデルより先に出かけて行った。
夏用の帽子をかぶった後ろ姿は本当にかわいい。振り返らなくていいのに、何度でも振り返るからその度に手を振ってやる。
虫は好きじゃないと常々言っているアデルに「お土産を取ってきます!」と火ばさみを掲げるのが、解せない。
「捕まえて満足したら、そこで放してくれるといいなあ」
ぼそっと呟く父を母が励ます。
「マルセルが上手にしてくれますわよ」
家族の誰より虫が苦手なのは父なのだった。
「アデルも早く用意しないと」
ジェラールと出かけると伝えてあるから、母の言い方にひやかしを感じてしまう。案の定、父に聞こえない声で「デート」と言ってくる。
「そんなんじゃないの」
アデルの否定はついつい強めになってしまった。
ジェラールとの待ち合わせは広場の休日市。いくつも出る茶店のひとつがお勧めだと言うので、そこにした。
お天気の良い晩夏に、ひとり青空の下でお茶を飲もうと、アデルは約束の時間より一時間早く着くように家を出た。
好きな物を飲むか、家では飲まないものにするかを悩んで、目に入った女の子を真似してオレンジティー。
爽やかで季節にぴったり。そして何よりお洒落だ。父とオデットが一緒では、こうはいかない。
お出かけしてよかったと実感する。相手がジェラール先輩でも。
ひとりの時間を楽しんでいたので、声をかけられてもすぐには気が付かなかった。
私に言ってる?
「相席よろしいですか」
テーブルセットは数に限りがあり、他も皆、相席にしている。それに高い教育を受けた人の言葉遣いだ。問題はないと思われた。
「人と待ち合わせをしていますので、それまででよろしければ」
「ひとりではありません。待ち人が来たら席を譲ってください」を婉曲に伝えると、こうなる。
「ありがとう」
頭の後ろから差す日により顔が陰になっていて分からなかったが、座った男性を見て驚いた。なんと、ジャマン先生だった。休日でも揃いの上下を着てとても紳士らしい。
手に持った飲み物をテーブルへ置き、帽子を軽く持ち上げて挨拶をされる。
こっちが一方的に知っているだけで、ジャマン先生は私を知らない。アデルは心の内で「平常心」と繰り返してから、会釈した。
偶然ってあるもの。この辺りは気の利いた専門店が軒を並べていて、最近人気があると聞いた。
マルセルの言う「人気先行の若手研究者」であるジャマン先生に似合う地区だ。
「お近くですか」
聞かれた。家から歩いて三十分、近いと言えば近い。
「はい。お近くですか」
「この近くに用事があって途中で立ち寄った、というところです」
ジャマンは微笑した。




