子爵家次男坊の事情・1
フレデリック・カペルが帰宅するとすぐに「ご当主が到着されました」と、侍従長が告げた。
ご当主とは父のことだ。一年の半分以上を領地で過ごし、夏から秋だけ都での貴族同士の付き合いに顔を出す。今年もその時期になったらしい。
「先に汗を流してきてもいいだろうか」
「そのままでは、お会いになれませんでしょう」
侍従長が呆れるのも無理はない。拭き取りはしたが靴の泥汚れは残っているし、パンツの裾は水分を吸って重そうに色が変わっている。
友人と剣の稽古をすると言って出かけ、この有り様、侍従長には訳が分からないだろうが、追求しては来なかった。興味がないのかもしれない。
「できるだけ早くする」
言いおいて、カペルは浴室へと向かった。
頭から湯をかぶりながら、今日の害虫駆除を思い返す。
「大事なのは、ビビらない、甘く見ない、死んだと思ってもさらにとどめを刺す事だ」
ルグラン先輩は心構えを説くことから始めた。
「『ビビる』じゃ、わかんねえか。怖じ気づくなってことだ。こっちに自信がないとなんでか知らねえが伝わって、相手が強気に出てくる」
その後やけど虫の対処法も丁寧に教えてくれたけれど、今日の一番の学びは、未知の生物を前にした時の気構えを知ったことだ。
「怖いだろ、怖いくらいでいい。でないとケガする」
緊張で動きが鈍いと感じるところでの言葉に、助けられた。実の兄より兄らしいのは、ルグラン先輩のお兄さんも同じだったから、性格なのかもしれない。
「うちの従業員より、手際いいわ。これでタダってわけにゃいかねえだろ」
お兄さんに手放しで誉められて恐縮した。こちらからお願いしているのに、お金は貰えない。
「いえ、学ばせていただいていますので」
「育ちがいいと言うことが違うなあ、おい」
この「おい」は弟である先輩に向けたもの。
「カペル君は育ちだけじゃなくて生まれもいいんだよ、バカ兄貴」
というやり取りも、見ているだけで楽しかった。すぐに拳を握って「やるか」「おうよ」とじゃれ合うのは、ルグラン家のご家風なのだろうか。
湯を使いながら、体のどこにも傷がないことを確かめる。
「一応、持ってけ」と帰り際に傷薬を投げ渡された。
ルグラン先輩ご本人は否定しそうだけれど、神経の細やかな人だと思う。
また次の機会もぜひとも同行させて欲しいと頼んで、先輩より先にお兄さんから「繁忙期に助かるわ。こっちこそ、よろしくな!」と承諾を得た。
出掛ける口実をどうしたものか。フレデリック・カペルは湯の滴る髪をかきあげながら、次のために思案した。




