マルセルの忠告
ジャマンの起きる気配がない。
アデル達が家についた頃を見計らい、マルセルは長椅子に腰掛けさせたジャマンの両肩を後ろから掴み、ぐっと反らせるようにした。
音を立てて息を吐き出したジャマンは、続けて咳き込んだ。
呼吸の落ち着くのを待つ間に、対面に椅子を移動してマルセルは脚を組んで座った。
「ドブロイ?」
目に入ったものが信じ難いのか小声で尋ねられる。
「呼んでも返事がなかったから、失礼を承知で入った」
「どうしてドブロイが」
はっとした顔をテーブルに向けるが、もちろん無人。
「帰したよ。聞きたいことがないわけじゃないけど、君も言いたいことがあるだろうから、お互いそこは割愛しようじゃないか。それより君の安全の確保に努めよう」
「なんのことだ?」
まだ頭がはっきりとしないのか、嫌味のひとつもない。
オデットの放った閃光の凄まじさは、想定外だった。まともに見たジャマンが少し心配になるほどだ。
ぼんやりしているのは、時間の経過と共に解消されるはずだが。
「アデル・ブラッスールが、ルグランと付き合ってるのは知っている?」
ジャマンが首を縦にふった。顔をしかめたのは目眩がしたのだろう。
「なら話は早い。ルグランには裏の顔があると聞いたことはないか。ないんだろうね、旧家には知られた話らしいが。害虫駆除で知られるルグランは『頭に毛の生えた虫も駆除の対象に含む』」
ジャマンの反応は薄い。
「ルグランは、自前の処理場も持っている。人里離れた場所にあって、そこで駆除した害虫を焼く。巨大害虫の大きさはどれくらいだと思う? 人より大きいんだそうだ。煙から悪臭がするのも当然だね」
「毛の生えた虫?」
「そう、毛の生えた『虫』」
怪訝な顔をするジャマンに、マルセルは自分の髪を引っ張って見せた。少しの実感を込めて続ける。
「小さな生き物より、大きな生き物を殺す方が抵抗があるのが一般人だと思う。でもルグランは、大きなものを殺すことに慣れていて、躊躇しない。彼らは必要であると思えば罪悪感なしに犯罪行為に手を染める」
ジャマンの瞳が左右にぶれて、焦点が定まった。どうやら心に響いたらしい。
「君の研究に、彼女が重要だと考えたのは理解する。でも命を張ってした研究の成果が出る前に、命がなくなったら無意味だ。違うかい?」
「……ようやく見つけたんだ」
ジャマンの絞り出す声は弱々しい。
「分かるよ。しかし、相手が悪い。もっと協力的な人物を探すべきだと提案するよ、君の古い友人として」
穏やかに友情を強調する。
「初めての手応えだったのに」
頭を抱えてなお未練を見せるジャマン。
「まだ、取り組んで五年だろう。しかも君の名が売れてきたのはここ数年。撒いた種が芽吹くのには時間がかかるものだと言ってたじゃないか。僕は君の成功を信じて疑わない。先は長いんだ、ここで無理はやめよう」
マルセルは立って歩み寄り、ジャマンの肩に手を置いた。
「僕が研究者にならなかった理由を聞きたがったね。同世代に君がいたからだよ。叶わないって諦めたんだ」
だから根も葉もない噂ひとつ立たないくらい身辺はクリーンにして、第一人者になってくれ。
部屋に鼻をすする音が響く。
「ドブロイ……君は。僕を……」
「同期の星だと思ってる。正々堂々と輝いて欲しい」
光の球をくらって抜けている頭は、刷り込みがきくものか。まさか泣くほど感激してくれるとは。
口先で説得しながら「夕食はなんだったかな」とマルセルは考えていた。




