08
初めてセラムという町を見た私の印象は。
「……秋葉原みたい」
首都リビに比べてちょっとがっかりだった。
「なんで、アニメ絵みたいなポスターが多いのよ……」
私はお兄ちゃんほどアニメに興味はないけれど、異世界という別天地に少なからず憧れを持っていた。
中世ヨーロッパ風の石造りの建物が建ち並ぶ街中を馬が馬車を引く風景や、軒を連ねる商店で賑わう活気に溢れた様子。その中に一際目を引く美しい容姿の男女がいたりして、お貴族様のお忍びデートを目撃しちゃったりなんかして、見惚れている内に護衛の人とぶつかっちゃってその人がとんでもなく美系で長身の男性で、それが運命の出会いで、通い始めたこの世界の学校で教師として現れた彼に再会を果たし、あれよあれよと恋にーーー。
「ーーーきゃぁっ!……っいたぁ」
デニールさんを担いで前を走るお父さんを追いかけていた私は余計な事を考えていたせいで、前を横切ろうとしていた男性を躱しきれずにぶつかってしまった。
運動音痴のお兄ちゃんと比べて大差の運動能力がある私は、転びそうになるところで耐えて立ち止まった。接触した肩の感触からすると、荷物か何かの硬い物に当たってしまったらしい。
私がじんわりと痛む肩を手で押さえていると、後ろから声を掛けられた。
「申し訳ない!大丈夫ですか?怪我は?」
デニールさん同様の異世界の言葉に私は反射的に振り向くと、差し伸べられた手から一歩引いた。
「え、あ、えと」
何日もお風呂に入ってない事が一目で分かるべっとりとした髪に、しっかりと洗ってないのか関節と皺の間が黒ずんでいる手。顔は目鼻立ちの彫りが深く、普通にしていれば少しはときめいてしまうかもしれないのに、瞼は開き切らず、明らかに人見知りをする視線が私の黒髪と胸とスカートの間を泳ぎ回っていた。
「ごめんなさい!すいません、大丈夫です!!ごめんなさーーーーい!」
全身に鳥肌が立つと同時に私はお父さんを追いかけて再び秋葉原の様な異様な風景の街中を走っていくのだった。
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「ダイスケ。そろそろ俺を下ろせ。一緒に行ってやるから自分で歩かせろ」
大助に担がれたまま屋敷から連れ去られてきたデニールは、セラムから首都リビへと跨ぐ長い橋へと差し掛かるところでぐったりとした様子で言ってきた。
「お前、そんなこと言って逃げないだろうな」
「テメェは担がれたことないからそんなこと言えんだよ。頭に血が行くし、揺れで酔うし、何より腹と腰が超痛えんだよ」
「おんぶすればよかったか」
「違う。そういう話でもない」
仕方なしと降ろす大助にデニールは腹と腰を抑えながら橋の柵へともたれかかって言った。
「それより、あの子がいないんだが」
「え?あっ!!陽ちゃんがいない!!」
いち早くグランドゼフトに戻る事ばかり考えていたせいで後ろを確認してなかった。
「俺としたことが、一度も後ろを確認してなかった。娘を置いて、何してんだ俺は」
セラムに来た時同様にてっきり、陽香はちゃんと着いて来ているものだとばかり思っていた。
「陽ちゃーーん!!陽ちゃーーーーん!!どこだーー!!父さんはここだぞーーーー!!!」
「あの子はヨウチャンと言うのか。不思議な響きだが、俺の天使にはぴったりだな」
「お前な、人の娘を下心満々に天使とか言うなよ。流石の俺でも怒るぞ。ふざけてないでお前も探してくれ」
大助がそう言うとデニールは周りを見渡すことなく腕を組んで何やら考え事を始めてしまう。そんな彼に対し、大助はもう一言文句を言ってやろうと口を開きかけたが、しかし、デニールの方が早かった。
「あの時も思ったが」
「なにが」
「ヨウチャン様はこちらの言葉が話せないんだろ?探す言葉も母国語で言ってやらないと合流できないぞ」
あっ。
「そうだった……」
大助は春樹と陽香に異世界のことを、目的地である場所の名前と転移陣での注意事項の他にさして話していなかったことを思い出す。
話したことといえば、あの再会した夜に食卓を囲んだ短い時間のみ。
時間も遅かったので大して説明した記憶はない。
一つ、
世界には特殊な力が溢れていて俺らオタクが簡単に想起するような魔法現象が存在していること。
一つ、
基本的に牧歌的な風景が広がっていて、地球の様な科学技術などの産業革命は起こっていないこと。
一つ、
学校は学年制ではなく階級制となっており、学問を極めた順でそれぞれに序列が決められているらしい。
そもそも。
私生活では学校やらバイトやらで息子たちは家におらず、詳しく話すなら二人一緒にいる時に話そうと思っていた大助は、現地に着いたらその都度話そうと思っていたのである。
初っ端から逸れてしまう想定なぞ、一切していなかった。
予定外も予定外。
「方言使う感覚だったから意識してなかった」
せめて道を尋ねる程度の簡単な基本会話を教えておけばよかった。
地球とこの世界の行き来に馴れてしまったが故の油断だ。
大助は手の平で視界を覆った。
「あーぁ、ヨウチャン様かわいそう」
「というか、陽ちゃんは愛称で本名は陽香だ。馴れ馴れしく陽ちゃんって言うな!」
「ヨウカ……。ヨウカ様、か。確かにダイスケの族に入るのも癪だ。妻に迎えるのはやめにしてやる。だが、崇拝に値する存在であることは確かだ。研究室に帰ったらヨウカ様のための水晶石を掘らねば」
「人の娘を勝手に祀るなっ!お前も寄り掛ってないで探すの手伝え!」
「なんだとコラ?腰痛舐めんなオイ!テメェが走って来た道を戻ればいいだろが!こちとら酔って気持ち悪いんだよ!」
すると、やいのやいのと橋の上で騒ぐ二人の大人の元へと駆け寄る一つの人影があった。
「おとーーーさーーーん!!おとおーーさあーーーーん!!」
「陽香?陽香ーー!!」
背の高い大助は声のする方へと振り向くといち早く陽香の姿を見つけ、大きく手を振りながらその名を呼び返した。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
記憶を頼りに来た道を走っていた私は橋の上で見覚えのある頭を見つけて、太陽の光を反射するそれに向かって声を張り上げた。
「おとぉーーーさあーーーん!!!そこで少し待っててーー!!今っ、追い付くからぁーーーー!!」
「よぉーーーちゃーーーーーん!!!!よぉーーーーーーーうちゃーーーーーーーーんんんんん!!!!!!」
せっかく体力を振り絞って叫んでいると言うのにお父さんの情け無い大声に全部かき消されてしまう。
「よぉおおーーちゃーーーーーんん!!!よーーーーうぢゃーーーーーんんんんん!!!!」
橋の歩道を歩いていく人々やその中央を往来する馬車の中から視線を感じ取った私は、途端に居た堪らなくなってしまう。
「……まあいいや。止まってくれてるみたいだし」
全力で走っていた私はスピードを緩めながら走っていき、ようやく二人の元へと追い付くことができた。
「ごめんなさい、お父さん。走ってる途中で人にぶつかっちゃって」
息を整えてからそう言うと、お父さんは首を横に振って私の前に膝を付いた。
「いいや。謝るのはお父さんの方だ。右も左も分からない場所で陽ちゃんのことを置いて行ってしまった。本当にすまない」
「これくらい大丈夫だって。よそ見してた私が悪かったんだし」
「でも、陽ちゃん」
「ほら。立って、お父さん。早く行こう」
私は笑ってそう言うと申し訳なさそうにするお父さんの肩を叩いて先を促す。ちなみに、その横でお腹を抑えていたデニールさんは私が振り向くと顔を手で覆ってしまった。どうして?
「ねぇ、お父さん。デニールさん、どうかしたの?私、なにか失礼なことしちゃったかな」
「アレは無視していい。魔法に関すること以外は人以下のバカだから」
「テメェッ!今、俺をバカにしたろ!言葉が分からないからって伝わらないとは限らねえからなっ」
お父さんが失礼な事を言ったせいか、デニールさんがお父さんに掴み掛かると取っ組み合いを始めてしまう。
「もぉー、お兄ちゃんを探すのに戻らなきゃならないんでしょ。早く行こうよ」
「そうだった!行くぞ、デニール!大人しくしろ」
「うわっ、ちょ、テメェ!?」
私が声を掛けると、お父さんはデニールさんを小脇に抱えた。またも荷物扱いされるデニールさんは暴れながら抗議したけど、お父さんはまったくびくともしない。
(お父さん、筋肉凄いもんなぁ)
おそらくデニールさんは締め付けが痛くて暴れてるのもあるのだろう。
すると、お父さんは私に背中を向けてしゃがんできた。
「陽ちゃん。肩車するから乗って。全力で走るから。これなら逸れないでしょ」
「え……、おんぶじゃダメなの?」
「コレを抱えてるからね」
ジタバタするデニールさんを見せられて、私は確かにと頷いた。でも、この歳でおんぶはちょっと……。
「やっぱりスカートが気になる?」
「ええ?違う違う!スパッツ履いてるから別に見られても平気だし。……じゃなくて。ねえ、私も脇に抱えてよ」
お父さんの全力疾走がどれくらいかは知らないけど、上半身を支える物が無い肩車は身長が高くなればなるだけ不安定になる。体幹にはそれなりの自信はあるけど、下手をすれば最初から最後まで宙ぶらりんのままゴールテープを切ってしまうだろう。
ーーーガタガタガタガタ。
橋の中央を馬に引かれた馬車が行き交っていく。
(異世界に来て痴態を晒すんなら、脇に抱えられた姿の方が絶対マシ!)
と言うわけで。
馬車という乗り物を使うという思考を持ち合わせないまま、三人は一つになった。
「大丈夫。痛く無いよ」
「お願いだから変なところに腕が触れても変態とか言わないでね。お父さん、即死しちゃうから!」
「言わない言わない。いいから、早く行って!こうしてるだけでも周りの視線が痛いの。ゴー!お父さん、ゴー!!」
「これは、我が天使と同じ視線っばがふごぉるばっ…………」
「ダメじゃないか、デニール。目と口は閉じないと怪我するぞ?」
そうして、お父さんは私を左脇、デニールさん(気絶)を右脇に抱えて走り始めるのだった。
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「おい、ハルキ。早う次の荷物を持ってこんか。我は暇で仕方ないぞ」
両手を頭の後ろに回して叢を足蹴にしながらステラが言ってきた。
「やめて。頑張ってるもやしっ子に挑発しないで」
むしろ、十二畳ほどある倉庫の半分をどうにかこうにか荷出しした俺を褒めて欲しいところである。
「褒めぬぞ」
「ちょっと?俺、まだ何も言ってないんだけど」
「面がうるさい」
ねえ、泣いていい?頑張ってるのに、おれ……。
「褒めるのは全てが終わってからじゃ。褒美とはその為にある。違うかや?」
「そりゃ、そうだけど」
倉庫の外に荷物を出す度にステラは手も使わずに触れることなく荷物を開封し、中の確認するや例の虚空へと消し去っていく。その姿に疲れた様子は一切見受けられない。せめてその力の一端だけでも俺に教えてくれればいいのに。
「何事も順序という物がある。異世界から来たばかりの貴様がエーレアを操ることができぬように。我の探し物が未だ納屋から出てこぬように。貴様と我が共に笑い合う未来が未だ遠い先にあるように。段階を踏まねばならぬ」
「段階って……。近い未来に笑いたいんですけど。これじゃ、マジで夜になっちまうわ」
「口を動かさず、手を動かせ。その先に、我が貴様をコレでもかと褒め称える未来がある。どうじゃ?絶世の美少女の我からベタ褒めされるのじゃぞ?」
自分で絶世の美少女とか言っちゃうのね。まあ、美人さんには同意だけど。
「言うとくが、淫らなことは想像してくれるなよ。これでも我は仮の器じゃ。責任が取れぬわ」
「ちょ!もういいから!一旦この話は終了で!!」
このぉ……人をおちょくってからに。
俺は早くも筋肉痛を訴え出している腕を回すと、倉庫の中央にある荷物に手をつけ始めた。
そしてーーー。
「あれ……なんかあるぞ」
ようやく顔を出した一番下の重い荷物を力尽くで押して行った矢先、床の下に取っ手の様な金具を見つけた。
「その下じゃ」
ーーー微かに聞こえてきたステラのその声に俺は再び悪寒を覚えるのであった。