希薄なページ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふう、献本作業もこれで終わり、と。
疲れたなあ、つぶらや。ちょっと休憩しようや。
この手の単純作業、嫌いじゃないんだが、どうしても身体に来るんだよなあ。
同じような姿勢で、長いことえっちらおっちら。時にはこいつらを重ねて運んでいかなきゃいけないし、腰とかに来るんだわ、こいつが。
しかも、そうやって苦労しても自分が使うわけじゃないと来ている。
自分が扱うものだったら、おろそかがそのまま自分に返ってくるわけで、嫌な思いを避けるには必然、力を入れなくちゃいけない。
それが、頑張っても人様の手に渡ると考えるとなあ。なんとも複雑な気分になるんだよ。
――そんなんじゃ、奉仕の精神ははぐくまれない?
ふん、それだったら、そもそもこんな手伝いしてないだろ。
別に偉人たちのような、崇高な志をもって取り組んでいるわけじゃないが、せめて手にした人がヤバい目に遭わないように……とは考えているぜ。
落丁、乱丁とか以外に「希薄なページ」があったりしないか、とかな。
――なんだ? 希薄なページを知らないのか?
それで奉仕の精神を語るとか、ちょっとおこがましいんじゃねえの?
ま、俺の地元だけの話かもしんないがな。ちょいと注意を促すようなウワサがあるのよ。
ひとつ、聞いてみるか?
希薄なページに関する被害は、うちのおかんが話してくれたな。
学生時代の新学期といえば、新しい教材を受け取るのもお約束のひとつだ。そいつらは名前を書く前に、各生徒で本の中身をチェックするだろう。ヘタに汚すと、交換を受け付けてくれなくなるからな。
だが、その際に先生から注意されることがあるんだ。「希薄なページ」が存在しないかどうか。あったなら、先生へ報告するようにと。
その注意ののち、生徒たちはおのおのでページをめくっていく。
このチェックも、手を抜くやつはどこまでも手を抜くもの。速読家だってしねえよ、というくらいに、一度だけバラリと本をめくり、さっさと名前ペンを取り出すやつはそれなりにいた。
その点、おかんは几帳面の部類。
パラパラとページごとの文字の浮かび、番号などなどを確かめながら、じっくりと進んでいったそうなんだが。
国語の教科書67ページ。今でも覚えているらしかった。
とある随筆文の途中にあたるんだが、開いてみて「ん?」と手を止めてしまったらしい。
印刷が薄い。
消えてしまいそうな薄さじゃない。パソコンで打った文章ならば、これまでが全部太字のフォントで書かれていたのが、そのページだけ外されたかと思う程度。
だが、つぶさに紙面を見ていたおかんにとっちゃ、つい目を細めてしまう異常事態。すぐさま、先生へこのことを訴え出たんだ。
「う~ん、気にするほどのものかなあ」
先生がページを見ての第一声がそれだった。
自分の価値観が、相手に通用しない。そのショックをおかんが人生ではじめて経験したできごとでもあり、にわかには信じられないものだったとか。
結局、交換は認められずに、おかんはその教科書と付き合うことになる。いちおう、読もうと思って読めないことはないけど……としぶしぶ了承はしたのだが、気に入らないことには違いない。
おかんは教科書を持って帰ると、かの薄くなっている部分を鉛筆でなぞり直し、他のページとそん色ない濃さに仕上げ、授業に支障が出ないようにしたそうなんだが。
授業開始から数日後。
おかんは国語の教科書を開いて、今度は別のページの字が薄く、細まっていることに気づく。
あの67ページ以外は問題なかったことは、自分の両目が確かめていた。たとえページ同士が擦れたにしても、せいぜい紙面が汚れるくらいだろう。
それが、逆に薄くなっていくなどと、考えがたいことだったんだ。
幸いに、まだ字が読めるから授業に差し障りはなかったものの、おかんとしては不満むんむんだ。
すでに名前を書いてしまったから、取り換えはもうきかない。ものは大事にしろという方針の家だから、この程度では新たに買い替えることも許してはもらえないだろう。
ちまちまと、自分で書き足していくしかないか……と、引き続き鉛筆でもって、薄くなった部分を上からなぞっていく母親。
しかも、この奇妙な現象は日を追うごとに、国語以外の教科書類にも飛び火し始めた。
――なんで、自分ばかりこんな目に……。
泣きっ面にハチされて、さらに泣きたくならないヤツなど、いるだろうか。
これから先も、この書き足し作業をしなくちゃいけないのか。いっそのこと、問答無用なほど真っ黒に汚れてしまえば、あと腐れなく買い替えてもらえるのに、とおかんは考えながら、しぶしぶ作業する時間が続く。
が、このたびの神様は泣きっ面にハチをさして、そのうえから塩を刷り込まなければ気が済まないらしかった。
おかんが、服の汚れを友達から指摘されるようになり出したのは、それからしばらくしてからだ。
最初は書写の時間の直後だったから、墨汁がはねたのかと思ったらしい。これまで、その手の汚れる要素には、十分に気を配っていただけにショックだった。
けれども、そのうちに書写の時間関係なく、ふとした拍子に服が汚れてしまう事態が頻発する。
汚れるのは、おおよそ膝の先からお腹近くにかけてだ。履いているスカートのみで済むときもあれば、上の服にまでおよぶときがあった。
何かにぶつかった覚えはない。触れてきた気配もない。
ただ、時間が経つうちに分かってきたのは、教科書の字が新たに薄くなってからほどなく、服が汚されるということだった。
――ひょっとして、教科書の字のインクたちを、自分が服で受けている?
その想像は半分前後当たっていたようだが、もう半分はより不可解なことだったとか。
これもまた、おかんは覚えている。
6月25日の午前11時22分。
授業中に差されたおかんが立ち上がろうとしたとき、うっかりひざを机の裏へぶつけちまったんだ。
椅子をしっかり引く前に、気がせいていると、たまにやっちまうやつだな。
が、ただ痛がるだけにとどまらない。
ぶつかった机の裏側から、どっと滝のように垂れ落ちたものがある。
時間にして秒に満たない短い間だったが、それは教科書を薄れさせた原因である、外に逃げたインクたちだろうと、おかんは直感したらしい。
他のクラスメートがおかんを見やるときにはもう、そいつらは足元の床のタイルのすき間へ潜り込んでしまい、木目にわずかな黒ずみを残すばかりだったとか。
おかんが「希薄なページ」について聞いたのは、その少し後のことだ。
人が生まれる家を選ぶことができないように、印刷物のインクもまた使われる場所を選べない。
ときに自分の気に食わないところを押し付けられ、永い時を過ごさねばならない運命を背負うこともあるだろう。
人がそこから逃げ出し、自由を求める生き方を夢見ることがあるように、インクもまたそこから逃げ出すために準備を進めることがある。その兆しが、「希薄なページ」だと。
いわば、インクたちの不満のあらわれ。
それを扱う人に罪はなくとも、気の毒だからな。少しはそういう悪いめぐり合わせを減らしたいのよ。