もう一人の運命③
すると購入者の背後のドアがノックされ、先程のメイドが入室してくる。彼女はお盆の上に小さいカップ二つとティーカップを乗せており、二人に見えるところでカップに紅茶を入れる。
綺麗な茶色い紅茶は湯気を昇らせ匂いを漂わせる。下級国民で貧相生活を送ってきたとはいえナナリーも女の子、こんな贅沢な飲み物に憧れの気持ちは持っていて、大きく唾を飲み込んだ。
メイドはカップに紅茶を入れ終わると、一つのカップをクイッと一口飲み、その分注いだカップをナナリーの目の前にそっと置く。そして何も手を付けていないカップを購入者の方へ置き、ぺこりとお辞儀をすると礼儀正しく部屋から出ていった。
購入者は目の前のカップを手に取り、匂いを楽しみながらゆっくりと飲んでいた。ナナリーはどうしていいか分からず、ジッとカップを見つめていると、購入者はカップを置いた。
「さっき飲んだ女性が大丈夫だったんだから毒なんか入ってないよ。無作法なのは勘弁して欲しい。さぁ、遠慮はいらない。喉が渇いてるなら思う存分飲んでいいよ。おかわりはまだある。」
そう言われたナナリーは必死に抑えていた欲望を解放、ゆっくりとカップを手に取り、口に紅茶を注ぎ込んだ。まるで花畑の中にいるかのような品性ある上品な味がナナリーの口を満たし、それを飲んでみると暖かい紅茶が喉を伝うのが分かる。
身体がポカポカと心地よくなり、美味しいというシンプルな答えが頭に浮かんだ。
「美味しい?」
「は、はい....凄く美味しいです。」
「それは良かったよ。口に合わなかったらどうしようかと思ったけど、美味しいなら何より。」
購入者はクイッと紅茶を全て飲み終えると、一息つけてカップをテーブルに置き、横へ退けた。
「遅れたけれど自己紹介するね。私の名はミネル・レグドジーン。ここで召使いの長として働いている。見てわかる通り獣人よ。
それより、さっきはいきなり怖い思いをさせてごめんなさいね。あぁでもしないと貴女達本当にのことを言わないんだもの。」
「でも....それは嘘を見抜く魔法で...」
「そんなのハッタリよ。私の個性魔法はそんな性質じゃないし、館内でもその手の使い手はいないから、あぁするしか無かったのよ。」
ミネルはフフっと笑いを零しながらそんな言葉を口にする。まるで友達と話しているかのようにミネルの表情と態度は緩みきっており、今から命を落とすと思っていたナナリーにとっては不気味他ならなかった。
「あ、あの....何でこんなに良くしてくれるんですか?.......私、裏奴隷なのに...」
ナナリーは顔を暗くし、少し目線を落として恐る恐るミネルに問いかけた。ナナリーの心境を察していたミネルは真剣な表情になって口を開こうとすると、後ろの扉がノックもなく開き、言葉は遮られる。
ナナリーもその空いた扉に目線を向けると、そこにはある人物が立っていた。
見る者に安らぎを与えるような青緑色の短い髪を後ろに小さく束ね、顔もシュッと細く、髪と同じ色をした宝石のような目をしている。鼻は憧れる程高く、唇や肌は遠目でも分かるほど艶がある。
全身白い衣服だが、汚れ一つ見えない高級感に清潔感、胸元のハンカチや金色のバッチ、腰にかけている剣はこの人物の位の高さを表していると感じる。
高身長でスリム、顔も整ってパッと見て男性か女性か判断するのは難しいが、その答え合わせかのように胸元は大きく膨らんでいた。
「ミネル、おかえり。長旅お疲れ様。」
「あぁ、ケトラ様。いらっしゃったのですか。」
両者はそんな言葉を交わしている中、ナナリーは目を細めて現れた女性を見つめる。
――....ケトラ?どこかで聞いた気が...
「うん、丁度会議が終わったし貴女達がそろそろ来るって聞いていたし飛んできた。今回は一人だけのようだね。」
「えぇ、少女の名はナナリーと言います。あ、紹介が遅れたわねナナリー。この方はここの主人であり第二貴族代表のケトラ・ヴォルド様と言います。」
ケトラはニコッ微笑みながらナナリーに手を振るが、ナナリーはそれどころじゃなかった。ようやく頭の中の疑念が払拭され、冷やせをダラダラ流している。
――き、貴族!そうだ!どこかで聞いたことあると思ったら、貴族の中で最も有名なケトラ・ヴォルドだ!
ゴリアム皇国貴族は合計十家存在しており、それぞれ位の高い順に小さい数字を振り分けている。故に第二貴族のケトラとなると、王含めてゴリアム皇国で三番目に強い権力者なのだ。
ケトラの上には第一貴族は存在するものの、ケトラの名はゴリアム皇国でよく話題になる。
なぜなら彼女は貴族であり兵士としての実力も高く、民からの信頼がどの貴族よりも厚い。挙句の果てはあの王より人望を集めていると噂されている人物だったからだ。
そんな皆の憧れの存在、スターが裏奴隷を入手しているという事実はナナリーには怖くて仕方がなかった。光が照らされれば必ず影ができる、表で光を浴び続けているケトラのストレス解消のような扱いをされると確信し、ナナリーは小さく震えていた。
ケトラはそんなナナリーを不安そうに見ながらミネルの隣の席へ腰掛けた。
「震えているけど大丈夫?ミネル、ちゃんと説明した?」
「いえ、これからというところです。折角いらしたんですから、こんな召使いではなくケトラ様直々にご説明された方が良いのでは?」
「はぁ〜....ミネル、また"こんな"ってつけたね。辞めてくれって何回言ったら分かるの。僕らはそんな浅〜い仲だった?」
ミネルは軽く肩を揺さぶられて少しムッとしていた。関係性が正しければミネルの表情は言うまでもなくアウトの筈。しかし、それに対してケトラは何も言わない上、嫌がってるミネルを面白がって強く揺すり、置いてけぼりのナナリーの方を気にした。
「あ、ごめんね。この子、毎度同じ事を言っても全然直してくれないから。
さて、ナナリーはまだ今の状況を一つも理解出来ていない。そうだね?」
「は、はい....」
申し訳なさそうに答えるナナリーに、ケトラは微笑みながら頷いた。
「そうだよね。本来ならここで人間以下の目に遭わせられるのからね、分からないのも仕方ない。
まぁ、単刀直入に言うなら...ナナリー、君はもう自由だ。裏奴隷なんかじゃない、ただの一般人になったんだよ。」
その言葉にナナリーはポカーンと口を開け、止まっている思考で何とか理解しようとするが全く上手くいかず、ケトラが一人走りするのだった。
「さっき別れた二人はそのまま家に帰した。帰れる場所、待ってくれている人がいるならそこにいた方がいい。こんな境地に追いやられたんだ、開放された二人は外出とか気を付けるだろうね。」
「え?あ、あの、何でそんな....」
「"助けてくれるんだ?"って?決まっている、僕はゴリアム皇国の民を愛しているからさ。いい人も悪い人もどうしようもなく愛おしい。だから、裏奴隷になっているゴリアム皇国の民をそのまま放置なんて出来ない。
残念な事に人間の欲の強さに競売で負け、助けれなかった者もいる...それに関しては悔いるばかりだよ。」
ケトラは目線を少し逸らし、唇を噛んで悔しそうにしていた。それが嘘か真か見抜く才はナナリーにはないが、ナナリーにはそれか嘘とは思えなかった。
「....ナナリー、君は帰る場所、待ってくれている人はいない。それに間違いはない?」
質問されたナナリーは咄嗟に自分の住んでいた村や父を思い出した。恐らく皆は待っているし、来たら温かく出迎えるのは間違いない。が、それは生け贄としてというのは小さいナナリーでも容易に想定できることだった。
ナナリーが横に顔を振ると、ケトラは少し嬉しそうにしていた。
「そっか、それならナナリー。ここで仕事をしてみないかい?内容としてはここにいる他の者と同じようなお手伝いをしてもらうんだけど。」
「...え?仕事....?」
「うん。大丈夫、必ず休みの日は儲けるし給料だって出す。そのお金を使うもよし貯めてここから出ていくも良し、そこは各々に任せるって感じ。ついこの間お金をある程度貯めた子が辞めちゃったから、丁度一人枠空いているんだ。やってみる気とかある?ナナリー。
あ、でも給料はちょっと低めなんだ。裏奴隷解放やらその他諸々出費があってそんなに出せない...」
ケトラは申し訳なさそうにしているが、これが本当の事ならナナリーにとっては願ってもない展開。だが、あまりにも自分に好都合すぎる内容に、ナナリーは逆に怪しんでいた。
「で、でも....そんなの...」
「裏奴隷とかの事を気にしてるの?その点は全然いいんだ。だって、この屋敷でお手伝いとして働いている者は全員、元奴隷・元裏奴隷の人間ばかりなんだ。勿論、このミネルもね。」
ナナリーは驚愕のあまり、目を見開いてバッとミネルの方を凄い勢いで見ると、彼女は小さくこくりと頷いた。
「別にこれは強制なんかじゃない、嫌だとか怪しいとか思ったなら断っても構わない。少ないけど旅費くらいは渡せる。
最初に言ったけどナナリーは自由なんだから、辞めたければ辞めればいい。
だから、ものは試しみたいな感覚でもいい。ナナリー、仕事してみない?一般の民のように、ナナリーには暮らしてもらいたいんだ。」
ケトラはナナリーに握手を求めた。手を伸ばされたナナリーは、その綺麗な手をジッ見ていた。
――この手を握ったら後戻りは出来ない。この人の話が本当だったら勿論したいけど、嘘だったら...だって私、裏奴隷なんだもん....
ナナリーは泣きそうになりながら、断る勇気も持ちつつケトラに目を向けると、彼女は真っ直ぐな目でナナリーを見つめていた。それは圧をかけて強制させようとするものではない、一人の人間、同等の立場の人間に向けるような清らかな目だった。
本来、ナナリーとケトラの立場は正しく天と地程の差がある。が、ケトラはそんな事は目に映らず、ナナリーという人間を見ているのだとナナリーは直感的に思った。
これまで見下された目で見続けられてきたナナリーにとっては、ケトラの目はあまりにも綺麗で美しく思え、その目に魅了されたかのようにナナリーの手は握手に応じた。
握手をされたケトラは綺麗な白い歯を見せながら笑い、ナナリーの手を両手で包み込んだ。
「これからよろしくね、ナナリー。」
優しい声、綺麗な瞳をナナリーは向けられる。その見続けるのも苦しいような眩しすぎる光にナナリーは心から魅了されていた。
まともに思考がまとまらず、身体が無意識に動いて応じた握手が正解だったか否か、この時のナナリーには分からない。
そして数週間後、ナナリーは確信したのだった。
――この人の言っていた事
.......全て真実だった。




