ケトラの憂鬱
ミネルの忠告で顔が引き締まったと思いきや、ハッとしたナルバはニヤッと笑い、馬車へと入っていった。何やら中でゴソゴソとしており、不思議そうに見ていたミネルにナルバは茶色の水筒を差し出した。
「それなら、水を飲むくらいの休憩はして下さいよ。ここでミネルさんが倒れたら、さっきでいう仇で返す事になるんで。」
「...あのねぇ、私が暑さ何かに耐えきれないと」
「そうは言い切れませんし、思考が纏まらないとか反応が遅れるってなる可能性もあるじゃないですか。ケトラ様だって、飲み物くらいは会議中に飲みますよ。」
ナルバはそう言いながらミネルの手にねじ込むように水筒を手渡しする。
そんな彼の押しに負けたミネルは嬉しそうに溜め息を吐きながら水筒の蓋を開け、マスクの中に入れて他の者に素顔を見られないように水分補給をした。
「ふぅ〜....ありがとうねナルバ。思っていた以上に私は喉が渇いてたみたい。」
お礼を言いながらミネルは水筒を返すと、彼は馬車にしまってミネルの隣に立った。ナルバは度々説明不足という部分があり、ミネルから尋ねないと事の真意は教えてくれない。
「....で、今度は何?私が休憩しなくちゃ自分もしないとでも言うつもり?貴方と私とでは仕事の疲労度が違うでしょ?私は良いから貴方は休んでて。」
「それも一応含まれてたんですけど、もうそろそろケトラ様が出てくる頃合いかなと思いまして。それなら、最初から立ってた方が楽かなと。」
「え?もうそんな時間かしら...」
ミネルはポケットから小さな丸い時計を取り出す。時刻はミネルの体感よりも進んでおり、会議終了予定時刻に達していたのだった。
「....確かにもう来る頃合いね。それじゃあ気を張っておきましょう。ケトラ様は勿論、他の貴族にも礼儀は忘れずにね。」
ミネルは自分の服の端を持って、シワが目立たないようにピンと張った。深い深呼吸をして、先程の緩い雰囲気を消し去り、スイッチを切り替える。
そんなミネルの様子を見たナルバも唾を飲み込み、緊張感を顔に出しつつ垂直に立っていた。
暫くして城の玄関である見るからに高そうな茶色の扉が開くと、ゾロゾロと貴族達が出てきた。それぞれが引き連れている側近の兵士と喋りながら次々に馬車へと乗り込む。
六組程の貴族が出てきたが、その中にはケトラの姿はなく、気を張りつめていた。すると、七組目で出てきたのは兵士と一人の老人だった。
身体は細くシワが目立つが、良いものを食べ続けているのか肌は生き生きとしている。白い髪と髭は顔の横で繋がり、口が辛うじて見える程伸ばしている老人。緑色の軍服に己の資産力を誇示するかのように宝石などが飾られているいつもの服装、第三貴族であるズボノ・フォーロクトが現れた。
彼はケトラとは仲が悪い。とはいっても、ケトラにはズボノに対して嫌悪の感情はなく、ズボノが一方的にケトラを嫌っているのだ。それもそのはず、自分より一回りも二回りも若い女が自分の上に立ち、それで尚文句が付けられないほど優秀ときた。
ズボノは自分の権力に誇りを持っているからこそ、彼女の存在は目障りで仕方が無いのだ。
言わば、今一番ケトラに矛を立てやすい男。ミネルは敵として認知はしているものの、彼は貴族。手を出すことは勿論、ケトラの従者である以上礼儀を尽くさなくてはならない。
ズボノがミネル達と目線が重なる。ミネルとナルバはすぐさま頭を下げ、彼に敬意を表す。が、ミネルの内心はウンザリしていて溜息を吐きたくて仕方がなかった。
――今回もまた何かしら難癖されるんだろうな。目が合ったらいつもそうだ。....権力しか取り柄のない枯れた枝みたいな老人に好き勝手されるのはストレスが溜まる....
ミネルはそう思いながら、これからされるであろう罵倒やら難癖を言われることを覚悟する。だが、話しかけられることは全くなく、ミネルは頭を上げると、ズボノはニヤニヤしながらこちらを見るだけ。すぐに馬車へと乗り込んでいく。
そんなズボノの反応に嫌な予感を感じていると、扉が再び開かれ、待ち望んでいたケトラが現れた。
自らの心を象徴するかのように汚れのない純白な高級感溢れる衣服に、右肩には小さな青緑色マント。そして腰には剣が携わっており、青緑で短い髪に整った顔、まるで皇王子のような佇まい。
そしてその横にはケトラ側近の兵士、ウェルロゴ・ブリッドがいた。着ている鎧が悲鳴をあげていそうな大柄のスキンヘッドの男性であり、長年ケトラに使えてきた兵士である。
貴族には側近として"三聖候補"の肩書きを持つ兵士が付けられるのが決まりとなっている為、このウェルロゴはケトラ専用の兵士であり、ウェルロゴが引き連れている兵士達は専用の部隊となっている。
そんな二人は出てきたものの、様子からして良さそうには思えなかった。ケトラは珍しく不機嫌そうな顔を顕にしており、ウェルロゴはそんな彼女に気を遣いながら喋っていた。
会話の内容は分からないが、普段なら滅多に見ないケトラの反応にミネルは嫌な胸騒ぎを感じざる得なかった。
だが、それで仕事放棄をしていい訳ではない。ミネルはナルバをすぐに御者の席へと移動させ、馬車の扉を開けて深々とお辞儀をしていた。
それに対してケトラは何も言わずに乗車し、ウェルロゴも続いて乗車する。
――おかしい。いつもなら『ありがとう』だったり『いつも悪いね』という労いの言葉を掛けてくれていたのに....何かあったのか?
ズボノの反応もありミネルは不安に思いつつ、馬車へと乗り込んで扉を閉めるとナルバが馬を走らせる。
馬車はゆっくりと動き出し、帰路を進んでいくのだった。
席はケトラが一人、そして対面する形でミネルとウェルロゴが座っている。席に着いたミネルはすぐにマントとマスクを取り外し、蒸れた空間から脱出して爽快そのものだった。
だが、そんなミネルとは相反し、ケトラはずっとムスッとしたまま何も言わなかった。それは従者である二人にという訳ではなく、足元を見つめながら考え事をしているようだった。
さっぱり状況が理解出来ず、ケトラが話しかけるまで待とうとしていたミネルだったが、思わず質問した。
「...ケトラ様?何か問題でも?」
「問題も問題、大問題だよ全く....はぁ〜...」
「そこまで重いものなのですか?宜しければお話を伺っても?」
「えっとね〜....あ〜無理、口に出したくない。頭が痛くなる....」
そう言いながら痛そうに頭を叩くように宥める。そんな彼女の反応にミネルの混乱は増すばかりだった。それに気を利かせたウェルロゴは二人の様子を伺いながら口を開く。
「じゃあケトラ様、俺から説明しても?」
「あぁ、お願い。...もう本当に面倒臭い〜。」
まるで駄々っ子のようにケトラはボヤいた。昔の事を思い出して懐かしくなったミネルだが、状況を把握する事を優先し、ウェルロゴの話に集中することにする。
「えっと、実は...ケトラ様が今期からのイヤラ山配属が決まったんですよ。例年している二年毎の貴族の配属入れ替え、それの今年度はケトラ様だというのが正式に決まりまして。」
「え?えっと...それはおめでとうございますケトラ様。」
思っていたより遥かに大した事ではなく、ミネルはケトラの様子を見つつ頭を軽く下げた。だが、そんな祝福の言葉を貰ったケトラは目を見開き、少し前に身を出した。
「何がおめでとうなの!?嫌だよ、あんな所行くなんて!!」
「ですが、私の記憶が正しければケトラ様はイヤラ山の前線基地に行きたそうにしてましたが?それが叶ったのですから。寧ろ、何故それ程までにガッカリなさってるのか不思議で仕方がありません。」
「そんなの戦争始まった直後の時だって!今のあそこなんてただの睨み合いっ子をするだけでしょ?皇王直々の指示が無くちゃ攻撃は許されない。じゃあ守りに徹するけど、攻めてこない。ただ時間と労力を消費するような場所に興味なんかないよ。」




