8.変貌!?
大衆食堂 愚者の夢亭の看板娘であるバレンシアは、活気溢れる輝き通りを一人とぼとぼと歩いていた。
「……うぅ、頭痛い。昨日はちょっと飲みすぎたかなぁ」
ずきずきと痛む頭を抱えながらバレンシアが目指すは、幼馴染であるティーナの居城──魔法屋アンティーク。
昨夜はティーナと久しぶりに大いに盛り上がり、我を忘れて遅い時間まで大量の酒を飲み続けた。
結果、本来はお酒が強いはずのバレンシアも、当然のように二日酔いに襲われてしまったのだ。
今日は愚者の夢亭で働いている時と違い、Tシャツにズボンという活動的な服装をしているが、その足取りは非常に重い。
「あの子……エリスって言ったっけ? 今日からアルバイトって言ってたけど、ちゃんと来てるかな。お嬢さまっぽかったけど、ちゃんと働けるのかな。……いろいろ心配だわ」
バレンシアは、昨日会ったばかりのエリスのことが気になっていた。
実はかなりのおせっかい焼きであるバレンシア、面倒見の良さが縁でティーナと今もこうして関係が続いていると言っても過言ではない。
だが、彼女がたった一度だけしか会っていないエリスを強く気にかける理由は──他にあった。
ティーナは、昔から人を寄せ付けないところがあった。
桁違いの美貌とあいまって、小さなころから非常に注目を浴びる存在であったが、かたくなに他者との接触を拒んでいた。
特に1年前のあの事件からは、ふさぎ込むようなことも多かった。
そんなティーナが、わざわざ自分の意志でお店までエリスを連れてきた。
ティーナをよく知るバレンシアからすると、にわかには信じられない衝撃的な出来事であった。
ゆえに、バレンシアがエリスへ興味を持つのも無理のないことであった。
通い慣れたいつもの路地を通り抜けると、決して見慣れることのない毒々しい色をした怪しい建物が見えてきた。
だが魔法屋アンティークに近づくにつれ、バレンシアは建物の雰囲気がずいぶんと変わっていることに気付いた。
遠目に見ても、見慣れた景色の気味悪さは薄れており、明るく清涼な感じがする。
「ちょっと、どういうこと……?」
綺麗に磨かれたおかげで元の白色を取り戻した外壁。
開け放たれたドアや窓ガラスは、太陽の光を反射してまぶしく輝いている。
外に置かれていた粗大ゴミのような商品群も、きちんと整理されて路地に並べられていた。
さらに、いくつかの壷にはどこから取ってきたのか、色とりどりの花まで生けられている。
ぴっかぴかに磨かれて生まれ変わったアンティークを前に言葉を失うバレンシア。頬をほこりで黒く汚したエリスがハタキを片手に店内から出てきて声をかける。
「あ、バレンシアいらっしゃい! 昨日はどうもありがとうございました」
「あ……ああ、うん、こんにちわ……って、ねぇエリス。もしかして、ここの掃除をあなたが?」
「はい。結構大変だったんですけど、だいぶ綺麗になりましたよ」
「ぜ、全部あなたが掃除したの!?」
「え? ええ、そうですけど……」
ようやくことの事態を認識したバレンシアは、エリスの掃除のあまりの手際よさに、感心を通り過ぎて呆れてしまう。
「エリス、あなたすごいのね……なんかもう、いつもの『魔法屋』じゃないみたい」
「そんな……ただ私、お掃除やお洗濯って大好きなんです。綺麗になるのが気持ちよくて」
肩にかけたタオルで汗を拭くエリスは、心なしか輝いて見えた。
「それで、ここの家主は?」
「ティーナですか? まだ寝てますけど……」
「あいつ、店がこんな状態になってるってのにまだのん気に寝てんのかよ」
呆れたように大きくため息をつくと、バレンシアはずかずかと店内に入っていき、ぐっすり寝ているティーナを叩き起こす。
「ティーナ!ちょっとあんた起きなさいよ!」
「……うーん、なんだようるさいなぁ。ボクは朝弱いんだから勘弁してよ……」
「ばかっ! もう昼でしょ! それに、呑気に寝てる場合じゃないんだってば!」
「……もう少し寝かせてくれよ」
バレンシアは強引に布団を引っぺがすと、半分寝たままのティーナを無理やり引きずるようにして店内に連れて行く。
「……なにこれ……」
まだ半分以上夢の世界にいたティーナは、目の前の情景に一瞬にして現実世界へと引き戻された。
そして、変わり果てた我が家)を前にして、バレンシアと同じように言葉を失ったのだった。
◇◇◇
「あんた、ものすごい子を雇っちゃったわね」
「そ、そうだね。なんだかボクの店じゃないみたいだよ」
綺麗になった店内を眺めるバレンシアの言葉に、まだ寝巻き代わりのワンピースを着たままのティーナが頷く。
「貴族のお嬢様って聞いてたけど、ずいぶん家庭的なんだねぇ?」
「そんなのボクのほうが驚きだよ。正直、無茶なことを言ってすぐに追っ払おうと思ってのにさ」
「やっぱり……あんたってばそういうこと考えてたのね。ひっどい娘だこと」
「違う違う、どうせ貴族のお嬢さんの気まぐれかなんかだと思ってたんだよ。そこそこ現実ってやつを見せつけてあげたら諦めるだろうと思ってさ」
「それはまあ分からないでもないけど、もうちょっとやり方ってのが無いのかな」
「……」
無視するティーナにそれ以上詰め寄ることもなく、バレンシアはぽりぽりと頭をかきながら話題を変える。
「……まぁ、それは別にいいよ。でもさ、これだけ見事に掃除してもらえるんだったら文句のつけようがないんじゃない?」
「うーん。こんな綺麗なお店になったら、常連客が落ち着かなくなるんじゃないかな?」
「なに言ってんのよ! あの状態で喜んで来てくれる客なんているわけないでしょーが!」
バレンシアが呆れてティーナを説教しかけたとき、奥の厨房からエリスが三人分の紅茶セットを持って現れた。
「お待たせしました。お二人とも昨晩はたくさんのお酒を飲まれてたんで、胃にやさしいハーブを入れた紅茶にしてみました」
エリスがにこやかに言いながら、二人の目の前に手際よく紅茶を淹れていく。
温かい湯気を発しながら漂ってくる紅茶の芳醇な香りに、バレンシアは気分がリラックスするのを感じる。
実に気が利く。本当に貴族の娘なのかと思えるほど、細やかな気配りのできる娘だとバレンシアは思った。
「あんた、こんなに良い子なのにまだ試すの?」
「まぁまぁ、とりあえず一服しようじゃないか。せっかくエリスが紅茶を出してくれたんだしさ」
ティーナはバレンシアの追求から逃れるように、エリスが差し出してきた紅茶を手に取る。
紅茶を一口飲んだ瞬間、ティーナは全身を硬直させたかと思うと、今度は身体が小刻みに震えだす。
「えっ? ティーナ?」
「ちょ、ちょっとティーナ! どうしたの!? エリス、あんたまさか紅茶の中に変なものを──」
「えっ?そんな……私、何も……」
「……しい……」
「え?」
「ん? ティーナ、今なんて言った?」
ティーナが顔を上げると、先ほどまでの冷めた顔つきからは打って変わって、恍惚とした表情が浮かんでいた。
「おいしい……すごくおいしいよ、この紅茶」
ずるっと滑るバレンシアとエリス。
「あんたねぇ……紛らわしいことしないでよ!」
「いやいや、これすごいから。バレンシアも騙されたと思って飲んでみてくれよ?」
バレンシアは「いくらあたしの話をごまかすためとはいえ、大げさな……」などとブツブツ文句を言いながら紅茶を口にして、ティーナと同様に全身を硬直させた。
「……ちょっと、なにこれ。信じられないくらいおいしいんだけど」
「あははっ。よかったです! 気に入ってもらえて」
エリスが二人の表情を見て笑顔を爆発させた。心の中で小さくガッツポーズする。
「いやぁエリス、この紅茶のおいしさは犯罪だよ。どこでこれを?」
「実は私、紅茶が大好きなんです。もともとは母の趣味だったんですが、いつのまにか私もハマってしまって。こだわりすぎて、最近では自宅で紅茶の葉を育てたりもしてるんですよ?」
エリスは肩から下げたカバンの中から、小さな袋をいくつか取り出した。袋の中には様々な種類の紅茶の葉が入っている。
「呆れたぁ、そこまでいくともうプロみたいだね。これだけでもずっといてほしいくらいだよ」
「……こんなんでボクは誤魔化されないからね?」
「ぷぷぷっ、あんたも素直じゃないねぇ?」
簡単には認めようとしないティーナの苦し紛れの強がりに、バレンシアは思わず吹き出してしまう。
一方でエリスは、ティーナの憎まれ口にもあくまで謙虚に頭を下げる。
「はい、この七日間でできるかぎりの努力をお見せできるようがんばります」
「……ボクの目は厳しいからね?」
「はい、わかってます。厳しく指導してください!」
そんな二人のやりとりを見て、バレンシアはニコニコと笑いながら呟いた。
「エリス……こりゃ本気でたいした子だわ。ティーナもあの姿勢が何日もつものやらねぇ」