6.インディジュナス家
ここから第二章です!
(……うぅ、気が重い)
エリスはさっきまでの浮ついた気分はどこへやら、重い足取りで家路へとついていた。
ただでさえ父親とケンカして飛び出したのにそのまま夜まで帰らないとなったら、両親はどれだけ心配をし、どれだけ怒られることか。
あまり体が丈夫でないエリスのことを心配した両親が、王国騎士団に捜索願などを出していたら目も当てられない。
……結局エリスが家に帰り着いたのは、とっくに夕食の時間も過ぎた遅い時刻だった。
多くの貴族たちの邸宅が並ぶ通称「貴族街」の中でも少し外れた場所にエリスの実家はあった。
貴族と言えば聞こえはいいが、インディジュナス男爵家はさほど大きな家ではなかった。それでもエリスにとっては小さな庭もある素敵な家だ。
重い足取りのままエリスが家の門が見える場所までたどり着くと、ランプに照らされた人影が見えた。
間違いない、エリスの両親だ。
ふたりの姿を認識したエリスは、悩みぬいて導き出した作戦をすぐに実行する。
「ごめんなさい!」
おもいっきりに頭を下げた。ただひたすら謝った。
熱意や誠意が大事なことは、彼女が今日学んだ大事なことのひとつだ。
だがエリスの作戦は、あっさりと崩壊する。
「……こんな遅い時間まで……私達がど、どれだけ心配したと思っているんだ!」
地の底から搾り出すかのような声で、ようやく父親のボルトンが口にする。
隣には、皺だらけの顔をくしゃくしゃにして娘の帰宅を喜んでいる母親シャンテの姿。
両親の目にはうっすらと浮かぶ涙を見て、さっきまでの作戦はどこへやら、エリスは本当に心の底から反省した。
「本当にごめんなさい……」
「あなたが無事だということだけ十分ですよ。エリス、おかえりなさい」
シャンテが涙を拭きながら、エリスの肩にそっと手を添えた。
「その……なんだ、エリス。今日の昼のことだが、私は別にエリスに絶対に女学校に行けとか言うつもりはないんだ。なんだったらずっとうちにいたっていい。ただ、なんというか、うん」
「お父さんはね、あなたのことが心配だったのですよ」
「……うん」
エリスには、両親の愛情が痛いほど伝わってきた。
本当は彼女もわかっていた。父親もエリスのことを心配していろいろ言ってきたのだということを。
「とりあえず、この寒空に外ではなすことはない。家に入ろう」
ボルトンの言葉に従い、エリスたちは家に入ってゆっくりと話すことにした。
◇◇
「ふぅ、疲れた……」
エリスは自室の扉を開けて中に入ると、ぱたんとベッドに倒れこんだ。
さすがに一時間もこってり怒られるときつい。心身ともに疲れ果てていた。
結局エリスは帰りが遅くなった理由について、気晴らしに街でウインドーショッピングをしてて遅くなってしまったことにした。両親にウソをつくことは心苦しかったが、これ以上心配させるようなことを口に出来なかったのだ。
しばらく部屋でぼーっとしていると、ふいに部屋の扉がノックされる。扉を開けると、シャンテがサンドイッチと二つのティーカップが乗ったお盆を手に持って立っていた。
「お母さん……」
「お腹すいたでしょう?これを食べなさい」
エリスはそのときになって、ようやく自分がおなかがすいていることに気付いた。
そういえば「愚者の夢」亭ではほとんどティーナが一人で食べていた気がする。というより食べさせてもらえなかった。
タイミングよくエリスのお腹がぐぅと鳴る。
真っ赤になってお腹を抑える娘を見て、シャンテはおかしそうに笑うと、お盆を持ったままエリスの部屋に入ってきた。
エリスの部屋は小奇麗に整頓されていた。
所々に置かれた時計や花瓶、人形などの小物がバランスよく配置されている。
両親の教育方針により、エリスは基本的には自分で何でも出来るように育てられていた。掃除はもちろん、洗濯や料理、家庭菜園なども。
病弱なエリスが少しでも体を動かせるようにという両親の配慮だったが、今では掃除とあることに関してはエリスの特技となっていた。
「どうしたの?早く食べなさい?」
「……うん、いただきます」
エリスはシャンテが運んできたサンドイッチをゆっくりと頬張る。ハムと野菜を挟んだ手軽なものであったが、空腹のエリスにはとてもおいしく感じられた。
あっというまにひとつを平らげてしまう。
喉の渇きを覚えたエリスは、続けて母が淹れた紅茶を口にした。素晴らしい香りを放つ暖かな湯気が、エリスの鼻腔をくすぐる。
(うーん、あいかわらずお母さんの淹れた紅茶は最高だなぁ)
エリスは状況も忘れてしばしシャンテの紅茶を堪能した。
「……それで、本当のところはどうなの?」
「っ!?」
エリスは思わず口に含んでいた紅茶を噴き出しそうなった。げほっ、げほっ。勢い余って少しだけむせてしまう。
「な、なにが? お母さん」
「私が何年あなたの母親をやっていると思っているの? あなたが隠し事をしていることなんて、とっくにお見通しよ」
シャンテはやさしい瞳で見つめながら、そっとエリスの手を自らの両手で包み込む。
「私は別にあなたがなにをしようと文句は言わないわ。ただ、隠し事だけはしないで。それは、親としてあなたのことが心配だからよ」
しばらく悩んだ末、結局エリスは母親にアルバイトをすることを話すことに決めた。
無理にウソを通しても逆効果になるリスクが高く、なにより母親を味方につけたほうが得策だと考えたからだ。
エリスは素直に事情を話しはじめた。ただし、100万エルの買い物についてはさすがに秘密にしていたが。
「……私自身、今回のことはわがままだということを自覚してるよ。現にこうやって迷惑や心配をかけているし。でも私、やりたいんだ。魔法屋アンティークで働いてみたいの」
エリスの話を全部聞き終えると、シャンテは大きく息を吐き出して、すっかり冷めた紅茶に口をつけた。
その表情が一瞬曇ったのは、決して紅茶の味だけが理由ではなかった。
「お母さん、私の一生のお願いを聞いて。お願い……」
エリスは、もう一度頭を深く下げた。
可愛い娘からのあまりにも急で突拍子な話に、シャンテはしばらく目頭に手をあてたまま悩んでいた。
しかし、ようやく決心したのか重い口を開く。
「エリス。あなたがそこまではっきりとなにかを私に訴えかけたのは初めてのことね」
「……そうかな?だけど私だってわがままを言いたいときだって、自分の意思を貫き通したいときだってあるよ?」
エリスはいたずらっぽく笑った。
シャンテは、娘の笑顔に意思の強さを見た。またひとつ、小さなため息をつく。
「……ほんとに誰に似たのかしら。頑固な娘だこと」
シャンテが苦笑いをしながら肩の力を抜いた。それが答えだった。
「え? それじゃあ……」
「あなたにそんな顔をされたら、私が反対できるわけないじゃない?」
「お母さん!」
シャンテはしっかりと娘を見据えると、エリスの頬に手を添えた。
「その……店主のティーナっていう方も、あなたが認めた人であればきっと大丈夫だと思うわ。だから、これ以上無用な心配はしないようにする。あなたのやりたいようにやりなさい」
シャンテの言葉に、エリスは満面の笑みを浮かべる。
「ただし条件があるわ。まず第一に、あなたはあまり身体が丈夫じゃないんだから、体調がおかしくなったらすぐに辞めること。次に、必ず日が沈むまでには帰ってくること。それと最後に……今後もしなにか困ったことがあったら、今度は真っ先に私達に相談すること。守れる? エリス」
「もちろん! ありがとうお母さん!」
エリスはシャンテに抱きついた。
母親のぬくもりが暖かかった。正直、身体のことがあるから厳しいかと思っていた。でも、母はわがままを受け入れてくれた。
エリスにとっては受け入れてもらえたことがうれしかったのだ。
「ほんとにもう……調子のいい子ね。だけど、やるからには精一杯がんばりなさい」
「うん!お母さん、大好き!」
シャンテがもう一度柔らかくエリスを抱きしめた。
「もう、この子ったら……でも、働くのはお父さんが働いている日中だけにしなさいよ? そうしないとさすがの私も誤魔化すことができないからね?」
「わかってるよ。本当にありがとうね」
こうして母親という協力者を得て、エリスの魔法屋でのアルバイト生活が始まるのであった。




