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49.ティーナの想い

 どういうこと?

 私が魔法使いで、お父さんとお母さんの実の娘ではない?


 エリスの頭は、激しく混乱していた。

 ぶるぶるふるえる自分の身体に気づいて、両腕で自分の身体を抱きしめる。

 意味が分からなかった。

 そんな現実、とうてい受け入れられなかった。


 最初はいたずら心からだった。

 バレンシアを説得して、ティーナのあとをこっそり二人でつけた。

 どうせティーナはトイレだろう。

 出てきたところをふたりで驚かそうか。

 バレンシアとそんな相談をしていたくらいである。


 ところが、ティーナが入っていったのは両親の部屋だった。

 エリスは嫌な予感がして、バレンシアの制止を振り切って室内の会話を盗み聞きをする。

 そこで話されていた内容は──完全にエリスの理解を超えていた。

 天地がひっくり返るほどの衝撃だった。

 彼女の中にあった常識が、音を立てて崩れていった。

 だから、父親の大きな声に反応して反射的にバランスを崩してしまった。


「エリス!」


 ティーナの声に、ボルトンとシャンテがバネのように立ち上がる。

 扉の向こうでは──ふたりの愛しき愛娘であるエリスが、呆然と立ち尽くしていた。


「エリス……」

「どういうこと? 私が、本当の娘ではない?」


 一方ティーナは、己のうかつさを呪った。

 エリスには、エリスにだけは決して知られぬよう、慎重に進めてきた。

 絶対に聞かれてはならない話だったというのに、こうなってはすべてが台無しだ。


「エリス、違うんだ! お前は……」

「っ!」


 エリスは父親の震える声を振り切り、きびすを返して駆け出していった。


「エリス!」

「ちょっとエリス!」


 エリスはティーナやバレンシアの声も無視して全力で駆けて行くと、あっという間にインディジュナス家の庭に飛び出していた。


 外は──雨が降り出していた。

 空から大粒の雨粒が滝のように降り注いでくる。

 ときおり稲光が天を走り、轟音と共に漆黒の空を切り裂いた。

 薄い水色のドレスが、雨に濡れ原型を留めないほどに変形してゆく。

 エリスは全身を雨に打たれながら、庭の中央に佇んでいた。


「エリス! 待って!」

「いやあっ! 近寄らないでっ!」


 ようやく追いついたティーナが声をかけるも、エリスは強烈に拒絶した。


 自分がこれまで信じてきたものはなんだったのか。

 自分はいったいなにものなのか。

 エリスは激しく混乱していた。

 先ほど耳にした事実を前にして、完全に自分を見失っていた。


「エリス、待ってくれ。私達の話を聞いてくれ!」

「いやぁぁあぁ! もう何も分からない! 何も聞きたくない! 来ないでぇぇぇぇぇっ!」


 エリスは激しい雨が降りしきる中庭で、半狂乱になって絶叫した。

 泥にまみれ、くちゃくちゃの小さな存在になっていた。

 誰の声も聞かず、誰の姿も見ようとしないエリス。

 だが──現実を拒もうとする彼女の耳に、鋭く突き刺さる声があった。


「エリス! 聞けっ!」


 雨音や雷鳴を切り裂くティーナの声に、エリスの身体がびくっと揺れた。

 ティーナは自身が雨に濡れるのも厭わず、中庭に佇むエリスに向かって歩み寄っていく。


「エリス、よく聞いて。ボクじゃなく、お父様の話を。いい?」


 エリスは返事もせずに下を向いていた。

 雨に濡れた髪が、彼女の表情を隠していた。


 エリスが大人しくなったのを確認したところで、ティーナに促されたボルトンが一歩前に進み出た。

 ボルトンはしばらく迷った末に、言葉を選ぶようにして愛娘に語りかけ始める。


「エリス、聞いてしまったからには仕方が無い。できれば一生隠しておこうと思っていたのだが……」


 ボルトンは一瞬ためらうように後ろを振り返る。

 シャンテと目が合い、彼女が頷くのを確認したところで再びエリスに視線を戻す。


「お前には、わしやシャンテとの血のつながりは……ない」


 びくりと、エリスの肩が揺れた。


「お前は……その名を明かすことはできないが、ある人の娘だ。わしはその人から頼まれてお前を預かって、本当の娘としてこれまで育ててきた」


 シャンテがボルトンの横に寄り添ってきた。

 ボルトンは妻の肩をやさしく抱くと、再度エリスに向き直った。


「そしてエリス、お前には『魔法使い』の素質がある。そのことはお前が生まれたときから分かっていた。だが、様々な事情からその事実を隠し通さなければならなかった。だからわしらは、お前の『魔力』を『封印』することで、普通の娘として育てようとした」

「ある人って誰よ!」


 明らかに涙声のエリスの絶叫に、ボルトンの身体が揺れる。

 返答に詰まるボルトンに変わり、母親のシャンテがエリスに語りかけた。


「……エリス、それは言えないのです。言えばお前は私達の娘ではなくなってしまうから」


 母の言葉に、エリスがハッと顔を上げる。

 シャンテは愛おしげな瞳で娘を見つめたまま、優しい口調で話を続ける。


「エリス。あなたは例え血がつながっていなかったとしても、私達の本当の娘。その事実に変わりは無い。だから──」

「そんな説明じゃ納得できない! なんで? どうして……どうしてよっ!?」

「エリスッ!!」


 それまで黙って親子の会話を聞いていたティーナが、堪えきれずに大声を上げた。

 いつになく鋭いティーナの声に、エリスは思わず顔を向けてしまう。


「エリス、よく聞いて。キミは『魔法使い』としての力を持っている。キミも気付いただろう? マイネールとの戦いのときに、悪魔の束縛を打ち破った自分の魔力を」

「私の……魔力?」

「そうだ。しかもキミが首から下げてる『ラピュラスの魔鍵』は、おそらくキミの『天使の器(オーブ)』だ」


 エリスは胸にかけてある「ラピュラスの魔鍵」を握り締めた。

 これが、自分が魔法使いであることの「証」だというのか。

 エリスは憎々しげに鍵を睨みつける。


「こんなもの……こんなものっ!」


 エリスはティーナに向かって「鍵」を投げつけた。

 ラピュラスの魔鍵はティーナの胸に直撃して、そのまま地面に落下していく。

 だがティーナは動じた様子もなく言葉を続ける。


「……エリス。いいかい? ちゃんと聞いて。キミの魔力は、たぶんすごく強大だ。だけどキミはその力を、封印のせいで表に出せずにいる。そのせいで、このままだとキミの身体に深刻な影響を与えてしまう可能性が高いんだ」

「深刻な……影響?」

「ああ。これまでキミが何度も熱を出して倒れていたのは、魔力を封印していたことが原因だったんだよ。今のキミは、身体の中にいつ破裂するかわからない大きな爆弾を抱えているようなものなんだ」


 衝撃的な事実を聞かされて、エリスが明らかに動揺を見せた。

 ティーナは構わず話を続けていく。


「でも、もしキミの『魔法使い』の力を『解放』してしまうと、キミはもうインディジュナス家の娘としては生きていけなくなる。キミが魔法使いであることと、彼らの娘でいることは、残念ながら両立しない・・・・・。だからキミは──どちらかを選ばなければいけない」

「どうして!? そこが理解できないっ! どうして両立できないの!? 理由を教えてよっ!」

「それが──言えないんだ。言えない理由すら説明できない。エリス、キミがすべてを知ることは、インディジュナス家の娘でいれなくなることを意味している。聞いてしまえば、決して後戻りできなくなる。だから──言えない」


  はっきりと断言するティーナの様子に、ボルトンは彼女がすべての秘密・・・・・・を知っているであろうことを悟った。

 全てを知った上で、彼女はエリスと自分たちの関係を守るために奔走してくれていたことを理解した。

 だからボルトンは、この場をすべてティーナに一任することにする。

 他でも無い、娘の友人であるティーナを。


「エリス、キミは図らずも一つの真実を知ってしまった。知らなければ幸せに生きれたかもしれない真実を」

「っ!?」

「だけど知ってしまったからには、キミはいま選ばなければならない。このままインディジュナス家の娘で居続けるか、全てを捨てて魔法使いになるか」


 重ねて確認してくるティーナは、全身を打ち付ける雨を気にする様子もなくエリスを見据えていた。


「そんなの……わからないよ! どうやって決めればいいの!? 無理に決まってる!」

「それでも──キミは決めなきゃいけないんだっ!」


 鋭い声に思わず顔を上げると、エリスの視線の先には雨に濡れたティーナの姿があった。

 彼女はこれまでに見たことがないくらい真剣な表情で、エリスの目をじっと見つめていた。


「……ティーナ?」

「いいかいエリス、改めて説明する。今回キミが択ぶことができる道は二つだ。もちろん、どちらか一方の道しか選べない」


 ティーナはすらりと伸びた人差し指を立て、前方に突き出す。


「まず第一は、インディジュナス家の娘としてこれまで通り生きていく道。この場合、魔力は封印したままでなければいけないし、本当の両親のことなどすべて忘れなければいけない。だけど、それさえ守れば何の問題もなくこれまで通り生きていくことができる」

「これまで……通り?」

「ああ、そうだ。そのかわりキミは一生『治療』──すなわち『魔力の発散』を続ける必要がある。もちろんボクも、できる限り協力をする」


 続けてティーナは二本目の指を立てた。


「もうひとつは、封印を解いて魔法使いになる道だ。キミはおそらく天使になることができるだろう。だけどその時には、インディジュナス家と完全に縁を切る必要がある。そうしないと、エリス自身の──なによりご両親の立場が不味いことになるからね」


 二本の指を立てたまま、ティーナはエリスへと指を突き付ける。


「真実を知ったキミは、今この場でどちらかを選ぶ必要がある。残酷だけど、これがキミの運命だ」

「……私、そんなの選べないよ。命は惜しい。『魔法使い』の素質があるならなりたい! だけど、お父さんとお母さんを捨てることなんて……できないよ」


 半分泣きながらエリスが口にした言葉を受けて、ティーナは天を見上げた。

 雨粒が顔に当たり、目や口の中に入りこんでくる。

 しばらくして両目をぎゅっと閉じると、覚悟を決めた表情を浮かべて再び正面を向いた。

 ティーナは強烈な眼光でエリスの瞳をじっと見つめながら、大雨の中で魂のこもった演説を始めた。



 ◆



 ──おめでとうエリス!

 キミは大きな力を手に入れた。


 ずっと欲しかったんだろう?

 ──今を変える力が。

 嫌だったんだろう?

 ──平凡な日常が。


 喜びなよ!

 キミはもう平凡じゃない。


 ──だけどね、エリス。

 何の代償もなく手に入る力なんてないんだ。

 世の中、そんなに甘くないんだよ。

 キミには、大事なものを捨てる覚悟はできてるのかい?

 何かを手に入れるために大切なものを手放さなきゃならなくなったとき、キミは本当に後悔はしないのかい?


 力を手に入れるっていうのは、そういうことなんだよ。

 何も甘く楽しい世界ばかりじゃない。

 辛いことだっていっぱいある。

 それでも──キミは、力を手に入れるのかい?


 ボクはね、確かに大きな力を持っている。

 だけどね、こんな力なんていらなかった。

 そんなものよりも、ずっと欲しいものがあったんだ!

 ボクはね、君が手放すかもしれないものが全部欲しい。


 ──くれよ!

 キミのいらないもの、全部ボクにくれよ!

 ……だけど、それは無理なんだ。

 もう──どんなに望んでも、ボクには手に入らないんだよ。


 なぁ……だから、やめな。

 こっち側になんて、来なくていいよ。


 そのままキミは、そちら側に居るんだ。

 誰も責めないし、誰も不幸にならない。

 そのための尽力は惜しまない。


 ボクは、持てる力をすべて集結して、キミが普通の生活が送れるよう、力を貸すよ。

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